夫婦とは
夫婦とは
Q輔さんが、『僕の日記』という作品を連載なさっている。
日記の時もあれば、思想の時もあって、すごく考えさせられる。
Q輔さんの目を通して見える世界は、時として冴えなくて、時として愚図ついている。
Q輔さんの文体には、戦後の、汗と泥にまみれた遠藤周作感がある。
根っこがどっしり落ち着いていて、どこまでも優しさに満ちている。文章に安らぎや静けさがある。
読むのが楽しみな作品だ。
その中に、『夫婦とは』という章があった。
「夫婦とは、何でしょうねえ?」
と、Q輔さんから問いかけがあった。
私は考えた。
私は、「夫婦とは『光』だ。」と思った。
私は夫と血が繋がっている。
一般的な夫婦なら、もともとは赤の他人同士だろう。
全く異なったルーツを持つ2人が、家庭を築くのだろう。
同じルーツを持った私たちでさえ、細かなところまで同じということは無かった。
結婚当初は、生活上のルールのすり合わせに少し苦労した。
それはまるで、違う色を放つ電球と電球が、だんだんと近寄って、新しい色の光を生む様に似ていた。
また、私が落ち込んで弱った時、夫は自分の持つ光で私を照らしてくれた。
おかげで足元が見えるようになり、少しずつでも前に進めた。
私が世界から裏切られて、全部を嫌いになっても、夫は私のそばから離れなかった。
夫からは、いつも温かい光が放たれていた。
その光が、私をあたため、元気づけてくれた。
ネコちゃん、コネコちゃんと一緒に、夫の帰りを毎晩待っている。
夫の「ただいま!」の声が聞こえると、家中がぱあっと明るくなる気がする。
「おかえり!」と答える私自身までも、ぱあっと光っている気がする。
3月に、私は子宮と左卵巣摘出手術を受けた。
入院も手術当日も、1人だった。
痛かった。怖かった。
夫は、お仕事が忙しいのに、毎日こまめに連絡をくれた。
退院前日に、なんとかお休みを取り、私に会いに来てくれた。
夫が面会に来てくれた時、病室がキラキラと明るく輝いたように見えた。
夫は寡黙で朴訥とした、真面目な男性である。
決して陽キャやネアカではない。
でも、夫が手を握ってくれた時、私には、確かに明るく強い、生きる力が分け与えられた感じがしたのだ。
じんわりとあたたかな、生命の光。
それが、握った手の指先から、点滴を通した腕を伝い、体中に行き届くように感じられたのだ。
「絶対に良くなる。」、「絶対に私は元気になる。」と、自然と未来を信じられた。
私にとって、夫婦とは『光』だ。
夫と妻の、それぞれの持つ生命の光が混じりあった、美しい光景だ。
異なる光が溶け合った、素晴らしい景色そのものだ。
私は今回、子宮全摘により、子供を生む道を完全に断たれてしまった。
結婚当初、夫と楽しく想像していたものとは、かけ離れた人生を送ることになった。
それでも、私たち夫婦の光は途絶えない。
私たちの光は、どんな時でも明るくて、優しくて、柔らかい。
同時に、我慢強くて、丁寧だ。
それから、清らかで、尊敬の気持ちに溢れている。
私は、こんなに眩い尊い関係を夫と育めて、本当に幸せだ。
私は夫と結婚できて、本当に本当に、幸せだ。