第23話 ようこそ、地獄へ。
青海夜海です。
終局に入りました。
これより、運命は分岐する。
彼の望む世界へと、彼らが挑む世界へと、それは遥かな遠く誰も知らない未知へ。
これより、選択する。
真実と理想の極致にて、私はただ見守る。
*
記憶がなかった。眼を覚ました時から僕の生きて来た証を何一つ覚えていなかった。
知識と感覚は何かに触れた拍子に棚が開いて呼び戻る。でもそこに〝僕〟が歩んだ蹄跡は一つもなく、僕が誰だったのか、どんな人間だったのか、今にしてもお思い出せない。
僕――夜霧という少年はあるはずなのに何もなかった。
けど、妹の夕霧と出逢ったことで僕は一つ思い出した。
小さな一つの記憶は涙に濡れていた。雨に降る道路の中央で、誰も通りかからない道の真ん中で、世界から見放されたそこで、雨に紛れる涙を僕は思い出した。それが僕の涙なんだと、それだけは思い出せた。
それから僕の思考は涙から読み辿る。過程と問題、その結果と原因を。僕の【死に願い】、記憶の喪失、虚界人の悪態、二年前の出来事、異能という虚界人が持たない力、勢力の格差に都市の存在、捕虜の理由――
そうして僕は――僕らはすべての真実、決着をつけるためにその蒼い扉を開いた。
「やぁ、ご苦労。下がっていいよ」
聴こえた女の声に従ってここまで案内してくれた軍兵四人は扉を閉めて下がっていく。
監禁された……きっとみんなも気づいている。そこは機械の電源のみの明かりしか灯っていない漠然とした闇の箱。誰もが言葉を発せずに互いを守るように密着する中、時凪が声を張る。
「暗くてよく見えないんだけど」
「ふっ、相変わらずに生意気な息子ね。いいわ、久しぶりにあなたの顔を見るのも母親の仕事ね」
女が合図をしたのか、空間を移り変わったかのように瞬きの裏で視界は仄かな暖色の混じった光に満ちていた。
「なに、ここ……?」
白乃の驚愕唖然にまだ冷静的なイチルが「研究室……みたいね。解剖でもする気かしら」と悪態を付く。彼女にして口言葉が少なく、緊張しているらしい。
僕も改めて広大な地下内を見渡す。四方形の部屋は奥側を凹の底部分に当てホッチキス上にコンピューターとデスクが並んでおり、巨大スクリーンと小さなモニターが壁に並んでいる。凹のへこんでいる部分にメインコンピューターらしきデスクが一つ。左右に一定間隔を開けて複数のデスクと機械類。中心へ向かって数センチの段差になって降りている。ほんの僅かな勾配だ。
それらの機械類に囲まれた中央に天井まで届く透明な四角形の檻、と言えばいいのか、感覚としては密閉された虚無な手術室みたいで、誰もいないサメの水槽のようで、一際の異彩を放つ。
そして、メインコンピューターに鎮座するお山の大将こと、時凪を息子と呼んだ女が立ち上がって振り返った。
齢三十前半、目元に隈がなければ二十代に見えかねない衰えのない美麗な顔立ちに瘦せこけな長身はされど威厳というのか微動だにしない重鎮な強気を感じた。褪せた時凪と同じ金髪を煩わしいと払い、怜悧に好奇を混ぜた褐色の瞳が眇める。
「お初にお目にかかるわ、時凪の友達諸君。ワタシはあなたたちから見たパラレルワールドの時凪の母親で、兵器開発及び効果や作用を研究する軍事機密機関の研究部の所長、虚式時来。勇敢で蛮勇なあなたたちをワタシは歓迎するわ」
構える僕らだが、時来さんから敵愾心や殺意は一切感じない。心の底からか知らないけど、本当に歓迎しているように感じる。僕らが気を緩めるより先に時凪が身を乗り出す。
「んな前置きはどうでもいい。それよりも〝あいつ〟はどこだ?危害は加えてないだろうな?」
実の母親に対する問答とは違い、威圧的、攻撃的な文句声音に時来さんはやれやれとメインコンピューターを操作し出す。常に警戒を張る僕らに攻撃されると思わないのか、その背中は無防備だった。この部屋事態に何か仕掛けがあるのか、それとも僕らが攻撃反抗しないと確信しているのか。ただ僕らに今一つ選択枠が増えた。――強行突破。
〝シロノさん〟を見つけ次第、彼女を攫って無理矢理逃げる戦法。ノルンと白乃、時凪がいればそこら辺の兵士に遅れは取らない。僕だって【死に願い】で身体強化すれば戦えるし、今回は【治療】の瞳海がいる。
斜め後ろ、こちらを見るイチルの視線を受け止め反対側の白乃に視線を送るとこくりと頷かれた。ノルンも同様。もう一度イチルに戻し、彼女は思案した末に眉を寄せながらゆっくりと頷き――
「ほい、現れたわよ」
そんな緊迫感のない声に僕らは意識をそちらへと誘導され、そして中央四角の硝子張りだと思っていた病室は、四方の硝子が天井へ昇っていき、隠されていた本当の姿を顕在させる。
そして僕らの眼に映ったのは――病室、実験室ではなく――監獄だった。
「シロノ‼」
叫ぶ白乃に自分で自分の名前を呼んでる、と笑える雰囲気でもなく、視界のそれは間違いなく白髪の少女で、白乃と瓜二つの彼女だった。
監獄の中、彼女は鉄鋼椅子にロープで縛られ監禁されていた。そして、そんな彼女の周囲にはトロイの木馬の縮小版が散らかり、足下、その床は赤煉瓦のように黒ずみながら真っ赤に染まっていた。その真っ赤な正体に、有り得ない……そう口にしてしまうほどに悍ましい光景が広がり、想像しては口元を抑え、誰かは喘ぎ、喉の鳴りはすかさず過呼吸を誘い出す。
夕霧がノルンの手を爪が喰い込むくらいに握り込んだ。時凪は憤激に拳を握り、イチルはしたことのない舌打ちをしたくなった。
その血と死体と漂白のそこにもう一つの椅子を見て、僕らは絶句した。
だってそれは――
「…………、……よぉ、ぎりぃ……くぅ、ん……?」
か細い瞳海の呟きに、世界が静謐を解き放ち異空間へと誘い込む。
僕と思われる人物が血の溜まりに沈み、亡くなっていた。
瞳海の呟きに僕は反射的に振り返って、夕霧、ノルン、イチルの恐怖、困惑、混乱、拒絶、否定の眼差しを受け、僕は駆り立てられるように駆け出す。
そんな有り得ない。だって――僕はここに――――
コツン、コツン……そんな音がやけに大きく響いて、僕は足を止める。箱の左角から現れた存在は言った。
「ようこそ地獄へ。初めまして、〝俺〟。いや、俺の模造品」
僕らの前に現れたのは見間違いようのない存在。灰色の髪に藍色の瞳。華奢で端整な顔立ち。杖を突いて現れた彼は名乗った。
「俺の名前は満欠夜霧。この世界の夜霧だ」
うそ、と誰かが言った。どういうことだ、と誰かがが頭を押さえた。どうして、彼が三人も、と誰かは指を指した。あぁ、あぁあ、ぁぁ、と誰かは蹲り。誰が偽物なの、と誰かは疑った。そして、誰かは否定するように頭を横に振り続けていた。
「うそ……」
僕の眼にも、みんなの眼にも映る。
現れた彼は紛れもなく夜霧だった。
監獄の中、事切れてシロノの横で微動だにしない彼もまた、夜霧だった。
そして――
「じゃあ、夜霧はなんなんだ……?」
僕もまた紛れもなく夜霧だった……はずだった。
僕たち三人の奇妙な対面に、杖を突く夜霧――ヨギリが前触れなく僕を睨みつけた。
「本当にお前は俺の邪魔ばかりする。どこでバグったんだ?何の権利がその存在価値にあると思っている」
僕を咎める言い方に、そのあらん限りの憎しみに思わずたじろぐ。まさく僕で、でもどこまでも僕と違う〝俺〟は嘆息して冷眼を寄越す。冷熱の憎悪。
「そうか、お前は記憶がないんだったな。都合が良いが、なお質が悪い。本当にどこで狂った?」
「どう、いう意味だ?僕が狂ってる?バグ?いや、僕は僕だ。君の道具じゃない」
「その認識こそが紛い物、お前に起きているのはバグだ。本当にしょうもなく、実に非道な立ち振る舞いには俺としてもお前が怖く思うが、まーいい。お前はそれでもちゃんと使命を果たしたんだからな」
そうして、もう僕には用がないとばかりにヨギリの視線は僕を追い越して背後、ただ一人ノルンの手を握っていた時とは大違いに怖がるでも竦むでもなく、直立して僕らを見つめる少女――夕霧を見つめた。
その瞳は……嗚呼、瞬間に理解できた。それは僕は〝俺〟であることの裏返しで、故に身震いする。
それは愛しさの籠った家族の眼差しだった。
「夕霧――」
そう、呼んだヨギリの声に。
「兄さん……」
と夕霧は呟く。
一歩一歩覚束ない足取りで杖を突いて歩き出す〝俺〟。
「ずっと、お前にまた逢える日を待っていた。願っていたんだ。もう一度、夕霧と生きられるのを」
それはどこか悲壮の裏、絶望の淵にあった希望と過去に希うように。
「俺は、お前から見たら許されないことをしたのかもしれない。当然、道徳に反しているとわかってる。それでも、夕霧のいない世界は俺には耐えられない。……夕霧が『兄さん』と呼んでくれる声が、もう四年経つのに忘れられないんだ、お前の笑みも、怒った顔も、甘える姿も、葛藤する表情も……俺はお前を忘れられない」
忸怩たる思いを赤裸々に、どこまでも純然に夕霧の存在がすべてだと狂い惜しむように。
「また、俺に笑ってくれ。俺の傍にいてくれ。あの日々みたいに俺と生きてくれ!……夕霧、こっちへおいで」
それは正しく兄妹愛でなんの打算、狡猾もない親愛として尊い愛だった。彼こそが本当の〝夜霧〟なんだと思ってしまうほどに。
ふと、夢が過る。曖昧な記憶が視界に入り込む。
雨の日、一人泣く、その涙の跡を。
沈黙は長く、機械音だけが振動する地下にて、動きを止めた全員の視線を受け、見つめ続けた夕霧は僕と〝俺〟を凝視して。
そして、夕霧は――ううん、と首を横に振った。
「ごめんなさい、兄さん。兄さんの気持ちは……嬉しい。でも、それはダメ。だって、わたしは――」
「そんなものどうでもいい‼」
夕霧の拒絶をヨギリは大声を持って制止奪い、拒絶する。
「お前がどんな存在だろうと、俺の妹なのは変わらない!お前が本当の俺の妹じゃなくてもっ!俺の知る夕霧と歳が、見た目が違ってもっ!俺は――夕霧がいればそれでいいっ‼」
子供のように駄々を捏ね縋りつくように、その相貌は歪なほどに狂おしいほどに。
「夕霧、俺と一緒に生きよう。またあの日に戻ろう。あの楽しかった日に」
手を差しだす兄に妹は、それでもと首を横に振った。あなたの隣にはいけないと。
固まるヨギリに居心地の悪さと共存する指先がとある一点を差す。
「兄さん、あの中にいる〝兄さん〟は……どうしたの?」
唐突な質問にヨギリは監獄の中にいる死体の自分に、嗚呼、と嘆いた。
「彼は耐えられなくなって自殺したわ。本当に嘆かわしいわ。彼は夕霧のために命を賭けて頑張るべきだったのに、簡単に自分の責任を放棄したわ。本当に嘆かわしくて腹立たしいわよ。……簡単に言えば、〝異能〟を持つ彼を何度も殺して願いを叶えてもらっていただけよ。結局は一度も叶えてはくれなかったけれど……それもすべてはあなた――夕霧さんを取り戻してそこの夜霧くんから守るために、ね」
そう説明を加えた時来さんに「ふざけるなっ!」と時凪が激怒する。
「妹のために自分を利用する……それはわかる。ただ、そのためにお前らは〝夜霧〟を何度も殺したんだろ。んなこと許されると思ってるのかぁ‼私利私欲のために人を殺して、さもそれが当然だって……ッ自殺だァ?ふざけんなァ‼おまえ等が殺したようなもんんだろうがァア‼」
露わになる絶対的憤激。されど、時来もヨギリも理解できないと首を傾げ。
「理想のためにすべてを注ぎ込む。それの何が悪いんだ?」
「そうね。そもそも死ぬことを選んだのは彼よ。ワタシたちが殺したワケじゃない。それに知ってるでしょ。彼らは死なない。彼らの死は無限のエネルギーよ。利用しないわけないじゃない」
さも当然と言い張る二人に時凪は喰いかかろうとして絶句する。倫理観、道徳心……そんなものヨギリと時来さんは持ち合わせていない。僕にはそれが怪物に見えた。もしかして、僕の中にも潜んでいるのだろうかと、不安に駆り立てられる。
「どうしてぇ……?」
そんな呟きが波紋を打つ。微かな熱を帯びた涙声は、激情のまま癇癪を放つ。
「どうしてっ‼……なんでぇ……よぎりくんを殺したのっ‼」
その痛切な叫びは瞳海からで、振り返った彼女は床に座り込んであらん限りに激情を吐露していた。濡れた涙が掠れた声が伝える。
――好きな人をどうして殺したのッ!
しかし、ヨギリはしけた眼差しでウンザリと口を開く。
「それはさっきも伝えた。それともなんだ?こっちの夜霧ならよかったのか?」
「ちっ、違うぅ!そうじゃない!なんでっ!……っ、よ、ぎりくんを殺してっぅ……なにが、目的なの⁉」
「オマエに用はない。それにそれも女が言った。死んでも生き返る、それも願いを叶えてな。利用するに決まってるだろ」
純然にして残酷な刃物が身を貫く。崩れ落ちそうになる瞳海をイチルが咄嗟に支える。
ノルンが戦闘の構えに時凪の憤激が共同するように、僕は彼の前に立ち憚って問う。
「僕たちはなんだ?この世界の真実はなんだ?」
ヨギリは静かに息を吐いて、監獄の中へ歩き出す。シロノに近づく彼に飛び出そうとした白乃へ「動かないで」と時来さんが照準を当てる。平気で人を殺しそうな眼光。その手には拳銃。
静寂は冷たさと不気味さを纏い、ヨギリは一言、その胸に手を当てて言った。
「自分の胸に――心臓に手を当ててみろ」
「どういう――」と反論的な声を上げかけた僕に拳銃が向けられている。有無言わせぬ実態に僕らは訝しみながら自分の胸に――心臓に手を当てて――
「…………え?う、うごいて、ない……?」
そう最初に呟いたのは誰だったか、きっとそれは全員の言葉で有り得ない事実で信じ難いもので、なにもない、動悸も音も感触も重みも運動も一切感じられないその虚空に。
「うそ……でしょ。……そ、そんなわけっ――、ありえないわ……ありえるはず――」
「そうだ。お前たちは既に死んでいる――死人であり現世に侵攻してきた亡者だ」
その声には憎しみなんて一つで表せない猛烈な赤と黒に渦巻き、八寒地獄の足下に見据えさせたような寒色に落す。寒夜のような、それはまさしく僕らの命が止まっているのを揶揄するように、照明は一つ二つ落ちて息はただただ白くなる。
「そ、そんなわけ……っないぃっ……だってっ⁉わっ、わわ……わたしはっ――」
過呼吸気味になりながら恐れの眼で首を横に振り続ける瞳海。ヨギリは何も答えない。
「――っっ⁉ふざけるなァ‼説明しろォ!なんでッ!どうして――ッ!」
そう詰め寄ろうとする時凪の鼻前を銃弾が過った。急停止した時凪は視線を横に。
「…………実の息子によく発砲できるな」
「確かにあなたはワタシの息子ね。でも、ワタシは死人のあなたたちとは違い、この世界で生きる住民よ。だから、あなたの母親はワタシじゃないもの」
「それでも、実の子供を撃つなんて、あなたには人道の欠片もないようね」
イチルの追撃に、されど時来は同じ笑みを浮かべ続けた。
「知らないの?愛情は殺意の裏返しなのよ。本当の息子を愛しているわ。けれど、あんなことがあったのだから、今更死人の息子を愛することはできないわ」
ノルンの身体がびくっと反応した。白乃もどこか眼を細め何かに耐える。
そんな僕ら一同に実に嘆かわしく腹が立つと、僕の額に銃を突きつける〝俺〟は言った。
「お前たち〝死人〟が俺たちのこの世界に侵攻してきたんだ」
「………………………………は?」
ありがとうございました。
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