第21話 収斂
青海夜海です。
クライマックスへ。
誰かの声が聴こえた気がした。それはどこか覚えのある声音だった気がするけど、どうしても思い出せない。そもそも記憶として残っているのかも怪しく、ただただにその声が好きだと思った。
眠りの中、僕はその声を聴いていた。
違う声が聴こえた。誰かが何かを言ってる声。その声にありがとうと、どうしてか感謝した。僕の託したものがきっと届いたのだと、僕は一つ願う。
次に光が差し込んだ。もともとが闇だったのか白だったのかもう覚えてないけど、目の前一面、氷の面が割れて入り込んだ朝露を照らす朝日のように降りかかる。
僕は手を伸ばそうとして、身体が動けない事実に襲われちょっとしたパニックに陥った。逆流する思考は当てもないことばかりを思い浮かばせる。それも次第に木漏れ日へと変わった光によって、僕の気持ちは落ち着いていき身体の硬直が解かれていく。
また、声が聴こえた。思い出した声音と、誰かによく似た声音、どこか頼りになる声音、幼さを残す声音、そして耳に心地よい好きだと言える声音。
そんな数多の声が次第に言葉となり、僕の名前が意味を成す。
――夜霧くんっ!
僕はその声音に向かって浮上する。
ふと、背後に気配を感じて振り返り、そして伸ばした手が何か小さなものに触れすべては光に呑み込まれた。
――――――――――――――――――
「夜霧くん‼」
そう必死に叫ぶ彼女の姿が視界いっぱいに映る。
胡桃色のポニーテールがゆさっと揺れ、潤い震える透き通った水面のようなサファイヤの瞳と重なる。次の瞬間、その女の子は僕に抱き着いた。……ふぇ……?
「え……?」
「よかった!本当に、よかったよぉ!」
それは心の底からの安堵と思いやりだった。抱きしめられて不埒な考えよりも真っ先に彼女の純粋な喜びが安寧を纏って僕の存在を抱き留める。本気で僕を案じてくれていることがすごく伝わって来て、すすり泣く彼女の抱擁に僕は脱力して甘んじた。
仰向けの状態で、僕の肩あたりに顔を埋めて「本当に……よかった」と何度も何度も僕の生きている事実を確認するその彼女の背中をさする。
「えっと、心配かけてごめん。でも、ほら。僕は生きてる」
顔を上げて「……う、うん」としゃくりながら頷く胡桃色の少女。僕は笑みを浮かべて。
「大丈夫だ。だって、僕は死なないから」
「うん……信じてたよ。夜霧くんならきっと無事だって!」
涙を拭って目一杯に微笑んでみせる彼女のその笑みはきっとかけがえのない、そして代え難い尊い唯一無二だった。
僕のことをここまで思って泣いて笑ってくれた彼女のその笑みを、きっと僕は忘れないだろう。
「天然の誑しね。殺生なことね。一度本気で死ねばいいのに」
イチルのドン引きが胸を抉る。
「お姉さんとお兄さんがイチャイチャしてるの」
純朴な眼差しのノルン。うん、そんな純情な眼で言わないで。
「俺も、こんな人前ではどうかと思うな。まさか恋人がいたとはさすがに驚きだな」
時凪の好奇心の眼差しに「こんな変人に恋人だなんて、世の欠落ね」とイチルがジト目。変人って誰ですか?僕じゃないよな?
それに続いて夕霧が。
「兄さん……わたし知らないんだけど!恋人がいただなんて聞いてない!それに、こ、こんな大衆の前で、それも妹の前でイチャイチャ見せつけるなんて、サイテー!バカ!ヘンタイ!シスコンっ!」
肩を震わせながら赤面で実の兄を罵倒してきた。クリティカルヒットで大ダメージだ。
「最後の違うだろ⁉……ってそもそもが全部違うんですけどぉー!」
僕の悲鳴にはっと胡桃色の彼女が身体を離す。
「す、すいません⁉そ、その……抱き着いて、しまって……」
「いや、別にそれは良い、というかすごくアリというか、ドンとこいって感じなんだけど……取り合えず退いてくれるか?別の案件で死にそうだ」
そう言うと彼女は謝罪をしてからいそいそと僕の上から離れて行く。あぁーいい匂いが、柔らかな感触が、全男子が求めて夢見て憧れ願う至福の瞬間がぁぁああああ!と、内心血を吐く思いで平静を装っていると、夕霧にデコピンされた。次いでにイチルに脇腹を蹴られた。暴力はんたぁーいぃ!ぼくよくないとおもいますぅ。はい。
溜息を吐きながら上半身を起こすと、隣にいる誰かの気配を感じて顔をあげようと思ったのと同時に声が落された。それは静謐な鈴の音色。
「随分と無茶したようね」
どこかコロコロと笑うような鈴の響きに顔を上げた視線の先、黒髪の彼女――白乃が僕へ手を伸ばす。白く細い指に触れるのが少し怖く、けれど、やっぱり彼女は美しと思った。
「けれど、ありがとう。貴方のお陰で私も、みんなも助かったわ」
白乃に手を引かれながら立ち上がり、空色の瞳を見つめ――
「白乃――僕は君のことが好きだ!」
この思いの丈を、あの日出逢って殺された日の再開を――
「僕と付き合ってくれ!」
背後で悲鳴、好奇、憤怒、絶望、関心みたいななんか殺されそうなあれやこれやを感じるが、僕はすべてを除外して白乃に向き合う。
この想い、君が好きだという想いは一目惚れしたその気持ちから変わらない。
……ふと、違う誰かの影が浮かんだけど、もう止まれない。僕の真剣な眼差し、答えを待つ僕に白乃は息を吐いて――
「ごめんなさい。私、好きな人がいるから」
色めき立つ、というか獣が息を潜めながら喜怒哀楽を演者のように滑稽に振舞っている様、にしか思えない、というか見ていなくても想像つくその背後の光景にはどうでもよく。
そして今まさにフラれた現実に僕はどうしてか絶叫はしなかった。
「そうか……君に好きな人がいるのは、少し意外……かな」
「そう、ね。といってももう何年も会えていないし、私の片想いよ。成熟することはないと思っているけれど、それでも他の誰かを好きになることはないわ」
彼女はごめんなさい、ともう一度と言った。それが少し心地悪かった。
「謝らなくていい。なんだかスッキリしたし、思ったより落ち込んでないんだ」
「?私のことが好きじゃなかったってこと?」
「……好きじゃない、ってことはない」
思ったより落ち込んでないだけで内心はショックだ。フラれたこともそうだけど、白乃に好きな人がいたことも。
どうして僕じゃないんだろ?そう思ってしまう。
あの日、あの夜の堤防で出逢った彼女は美しかった。
存在そのものに僕の心は奪われて、今もずっと熱は冷めないでいる。はっきりと好きだと言えるし、恋人になりたいとも思ったし、色々想像したりもした。あ、もちろん卑猥なことは規制にかけているよ。コンプライアンスとプライバシーは守ってるよ。
兎にも角にも、僕は心から君を好きだと言える。
この気持ちに嘘偽りはない。
でも――
「ただ、一目惚れで、それ以上になっていなかったのかもしれない。恋人になりたいと思う。好きに間違いはない。嘘じゃないし偽りでもない。がっかりもしてる。……でも、たぶん僕は命は賭けられない」
「…………」
「君の恋を剥奪して、僕を好きにさせたいとまで思えないんだ」
時凪は言った――誰かのためにならこの命を賭ける、と。
僕ならどうだろうと少し考えて、そうして得た答えがこれだった。
「僕の命を君に賭けることはできないみたいだ。情けないな」
白乃はただ静かに「そうね……」と眼を細めた。
僕は一目惚れした。そして、殺さ《フラ》れた。
僕はそのまま振り返るのが嫌で(特にイチルと夕霧の顔を見るのが)、「それより傷は大丈夫なのか?」と白乃に訊ねる。彼女は顎をしゃくった。
「その子が治してくれたのよ」
服の裾が引っ張られる感触に振り返ると、どこか不満気というか泣きそうなそれでもどこか嬉しそうな複雑な顔をした胡桃色の女の子がいて、「あ、ありがとう……」と感謝を伝えるけれど、彼女のふくれっ面はさらにムッとなった。可愛いんですけど、どんな顔なのそれ?僕、何かしましたか?と、戦々恐々と見つめ返す僕に彼女はため息を吐いて。
「わたしのこと、わからないの?」
なんかすごい大事なことを忘れてしまった気がするのは勘違いでしょうか?
恐らく勘違いではないのだろうと思いながらも、僕の言える答えは決まっていて申し訳なくなる。
「どこかで会ったことがある……と言っても、僕、二週間以上前のこと覚えてなくて、そのごめん……」
手を合わせてなるべく深刻にならないようにてへぺろを加えるとガーン、と効果音が炸裂した。うん。なんかごめんなさい。何が間違いかな。てへぺろだね!てへぺろ!
「……そっか、ううん。わたしも夜霧くんの事情を知らずに責めてごめんなさい。忘れられてるのは、そのすごく悲しいけど、でもわたし諦めないから!」
そう宣誓する彼女に僕は何を?と思ったがそれは敢えて呑み込んで頷いた。胡桃色の彼女は「ありがとう」と微笑んで一歩下がって僕たち全員を見渡し、そして名乗る。
「初めまして。わたしは光咲瞳海。夜霧くんとは同級生で、高校二年生です」
「僕、学校通ってたんだ」
「そこも忘れてるんだ。……二年前に夜霧くんと逸れてから一回も会ってなくて……えっと、夜霧くんはちゃんと学校に通ってたよ。心配しないで」
「行方不明な挙句に記憶喪失になってしまってごめんね」
マジで深刻に謝っておいた。同級生で僕から見ても親しいと感じる彼女、瞳海にはたくさんの心配をかけたと思う。さすがに茶化す僕じゃない。
彼女は手を横に振って苦笑した。
「大丈夫。また、逢えて嬉しいから!」
「…………そっか」
なんと返せばいいかわからず視線をズラすと、イチルと時凪の何か言いたそうな顔があって、うん、ほらスマイル!ニッコリ笑って!
「すけこまし」
「節操なし」
「笑って言わないで!」
漫才はどうでもよくて。瞳海に時凪たちは名前を名乗った。
心の整理がついていなくてこのままサウナで整いたい気分だが、僕は彼女に訊ねた。
「白乃が傷を治したって言ってたけど……」
「うん。わたしの〝異能〟は【治療】なの。病気とか死んだ人を蘇らせるとかできないよ。でも、傷なら治すことができるよ」
「うん!すごかったの!瞳海お姉ちゃんのお陰で、私戦えたの!瞳海お姉ちゃんがいてくれたからなの」
そうあまり意見を主張することのないノルンの賛美に「お、おぉおーそうか」とたじろいでしまった。ノルンの中で何かが変わったのだろうか。年齢相応の幼さが垣間見えた。
「そうだな。俺の傷も白乃さんの傷も光咲さんが治してくれた。で、お前を瓦礫の山から引きずり出して、なんか生きてたから治療してくれてたぜ」
「生き返った時だったのか……いや、それよりもありがとう光咲。君のお陰で助かったよ」
「ううん。わたしはできることをやっただけ。あと、瞳海でいいよ。……その、クラスでもそう呼んでたし。わたしは夜霧くんのためにこの力は使うって決めてるから。……だから、よかったらわたしも仲間に入れてくれないかな?」
唐突な申し出。僕として異論の一つもない。もともと僕らという集団は遺憾ながら事件に巻き込まれて出来上がったグループだ。
それも、〝一縷〟の死の上で――。
だからというわけじゃないけど、治療できる瞳海がいることに反対はなかった。
もう、一縷のように誰かを失うことがなくなるのなら。
「僕は歓迎するけど……」
言うと時凪が代表して「俺らも歓迎だ。光咲がいれば力強いしな」と口元を緩め、イチルたちもまた頷いた。
「みなさん……!ありがとうございます‼」
彼女の感激は……その違った意味が含まれていそうなので、とにかく頷く。知らぬが仏だ。触らぬ神に祟りなし。女神はどこかで羅刹女にならん。
そんなニコニコ、タンポポがうたたねするようなポカポカした雰囲気――とはさすがに言わないけどグループワークで仲のいいグループの中に一人入って来てそれを温かく歓迎して打ち解ける……みたいなほのぼのとしたどこかのキャンプレベルの空気は、真逆の冷笑に一蹴された。それは嘲りであり、失望と蔑みだった。
「ハッ!能のねぇー餓鬼は所詮飯事に喜々する猿かぁ。くだらねー」
まるで僕たちの現状を突き放す言い方に「まだ生きていたの?」と言外に敗者と突きつける夕霧の威圧に、されどうつ伏せの瀕死の男――ノルンの義父は僕らを見上げてやはり嘲笑する。
「おい娘」
「その呼び方、嫌いなの」
「……チッ。はぁー餓鬼。俺は何を教えた?死体の確認は?生きてやがんなら情報を吐き出せと教えたはずだ。どうして脅さない?周囲の確認は?残党戦力と撤退の対処は?……俺は教えたはずだぁ。んなことなら今生き延びても、オマエはすぐに死ぬ。そいつらを巻き込んで地獄に導くだろうなぁ。なんせオマエは――愛されずに捨てられた餓鬼だからなア‼」
「――――っあなたッ!いい加減にしてェ‼」
夕霧が怒りの形相のままに男へ近づき、血だまりに沈む男に馬乗りに成ろうとして。
「危ないの!」
ノルンの声と瞬間、何かが夕霧の視界の横を猛スピードで通り過ぎていった。確認はできないけど、何か棘のような金属の欠片だったのかもしれない。
不敵な笑みを浮かべる男は「チッ。んなことだけ律儀なもんなだぁ」と嗤い、その笑みに夕霧の身体を引いたノルンは男の前に出た。
「確かに、あなたの言う通りなの。ぜんぶ、私の失態……気づけてよかったの」
「……………………」
「私はもう迷わないの。だから認めてほしいの。その右手の破片を捨ててほしいの」
「…………クソガキめ。可愛くねー奴だ。ああ、いいぜぇ。そもそも俺はそれを伝えるための生贄だかんな。精々、地獄を楽しめよぉ」
「伝えるための生贄?」
イチルに男はニヤリと伝言とやらを話しだす。
それは真実、地獄への片道切符で、まるで最初から示し合わされていたのではと思うほどに可憐にして嗜虐的な知らしめだった。
「――『〝黒瀬白乃〟の身柄を預かった。彼女の命が欲しいと言うなら、我らが首都、東京湾軍装都市ホープスへ来い。丁寧に歓迎してやる。立場と意味を知り真実を刻め』――だそうだ」
その声明にもっともはやく白乃が「なんでっ⁉」と声を上げた。震える肩が憤りのままにナイフを構える。
夕霧と瞳海が「まさか……」と困惑と思い到りとある可能性に絶句した。
「やられたわ……っ。彼女の存在を逆手に取られるなんてっ」
悔やむイチルとノルンも動揺を見せる。
黒瀬白乃……そのシロノという人名を僕らは知っている。虚界人の都市で夕霧を奪還するために協力した、白乃の虚界人バージョンだ。もっと言い方あるだろ、というツッコミは今するべきではなく、それ以上何も言わない男に白乃がナイフを突き落とそうとするのを時凪が止める。
「離して!この男を殺すわッ!」
「殺してどうなる!もうこいつは動けねーし、その内死ぬ。お前が気にするのはもっと違うことだろ」
時凪の説得に白乃はギロリと睨み、ナイフを仕舞った。
白乃の怒りはもっともだ。そう、これは僕らを誘い出すためにまさしく生贄、人質にシロノは選ばれてしまった。
誰もが沈黙する。突然なことに口を開けずにいて、僕がその沈黙を破壊する。
男は僕を見上げ、汚らしい笑みを浮かべた。
「――それ以外はなにがある?」
「以上だ。オマエが一番わかってやがるだろうーな。まだ記憶は戻ってねーのかぁ?」
「答える義理はない」
「それをオマエの口が言うこと事態が間違いだ。裏切り者がぁ」
「…………だとしても、僕は行く以外に選択はない」
「だろうな。元凶は責任を持ちやがれ。そんでとっととくたばれぇ。余所者」
突き放す男は血を吐いて焦点の合わない眼差しで、けれど最後まで淀みない口調で憎たらしい笑みで僕らを嘲笑い続けた。そんな男に歩み寄って時凪は。
「最後の質問だ。……最高責任者――王は誰だ?」
その問いに男は眼を僅かに大きく開いたが、ああそうか、と時凪の運命を嘆いた。
「――虚式時来だァ……」
時凪は嗚呼、と天を仰いで嘆く。いや、どこか合点がいったと怒りに積もった理解の雪の白さに息を冷たくした。
振り向く僕に彼は眼を閉じて告げる。
「俺の母親だ」
ありがとうございました。
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