第20話 死神の鎌
青海夜海です。
ノルンとおとうさんの決着です。
色よりもまず轟音が耳朶を触れ感覚を呼び戻し、次にやはり悲鳴やら倒壊音が聴覚を潤し、そうしてやっと息を知って今を知って色を得る。
意味を知り意義を確認し意志を抱く。静かな胸の内でひっそりと燃やす誓いと後悔をどうかと『彼女』に祈りながら、僕は再びそこへ舞い戻る。
古びた錆だらけの剣の丘で、緑の枯れた湖畔と草原の幻想の極致で、死屍累々の超克した真紅の夕陽が接合した大地で、友の声にああ、と答えて、一目惚れした少女に、もう少し、と理不尽を強いて、『彼女』と同じ彼女に、頼む、と背中を向けて、酷薄な眼差しでそれでも僕を見る小さな少女に、大丈夫だ、と頷いて、そんな僕に頷く妹に、僕もまた頷いて、そうして――僕は生命を得る。
幾度の選択と幾千の道と幾万の世界を旅して、彼ら彼女らを見て、そうして僕は選択する。
夜霧という人間の命の価値と、それをどう使うのかを。
北側――僕から見ての北――つまり、僕を中心として出入口を正面とした場合の東側――柱の決壊によって何の前触れもなく折れた柱に軍兵たちは踏み潰された。その結末を僕だけは見送りながら、脱出していくみんなの背中を見て、僕もまた巻き込まれる。見事に倒壊したビルは中に余人を許さない。
「兄さんっ⁉」
妹の声を確かに聴きながら、僕は願う。死なない僕は願い続ける。
「っ……ノルン《あのこ》に、力を……。どうか、幸せを……」
届けと願った。力を願った。お願いと願った。――すべてを託した。
そうして、そんな夜霧の願いが聞こえるはずもない、託されたそれに、彼の妹――夕霧は頷いた。
「うん!――任せて!」
力強く立ち上がる。
「夕霧さん……」
そんな彼女を見上げるイチルはふと、気配を感じて視線を横にズラし、兆候を見止める。
ノルンの小さな身体が淡い青の粒子に纏われ、まるで頑張れと応援するように温かみを与えた。虚ろな眼でその青に手を伸ばす少女は呟いた。
「…………怖いの、寒いの。……もう、独りは、嫌なの。…………未来が、私の全部が変わっちゃうのが、何もわからなくて、嫌なの……っ」
ノルンに見える未来は闇だ。偽りの愛すらも失い、義父も失い、何より生きる意味を失った少女は何も得られない。それがただただに足を竦ませる。けれど、そんな少女の伸ばした手は確かに温もりが優しさが繋いだ。
「――大丈夫。わたしがあなたの傍にいるよ」
そして、幸せにするからと、夕霧は微笑んだ。
だからと、ノルンは立ち上がる。
彼から貰った力を手に、今もノルンたちを酷薄な笑みで嘲笑うあの男へ、立ち向かう。
「――行くの!」
「うん!行こう!」
「はっ!餓鬼がいっちょ前に、いいぜ、きやがれやァ‼」
そして始まった。決別の一戦。
ノルンは銃弾が貫いた胸から血を垂らしながらの瀕死の状態で、倒壊から逃れる際に右足を殺された男へ。
ノルンは漆黒の鎌を両手に、沸き上がる『願い』に誓い、友達になりたいと言ってくれた彼女のために、ノルンは声を上げて大地を駆けた。
「やぁああああああああああああああああ――っ‼」
小さな身体と大人男の体格。小さな身体ほどの鎌と腕の長さほどの短剣が銀音を打ち鳴らす。言葉は要らないと、全身を奮いに賭けた。男もまた、そんな娘のがむしゃらに笑みで迎え撃つ。
一歩一歩舞踏会で踊るワルツのようにノルンは全身全霊で挑みかかる。体格に沿う鎌の一撃に小回りの効く短剣が俊敏に往なしては内へ入り込む。されど、鎌の巨大さが侵入口を狭め、さらにはノルン自身が小柄なことから的として小さい。
男の短剣がノルンへ到る前に鎌を引き戻され相殺。舌打ちする男へ果敢にノルンは身体ごと回転させながら鎌を振るう。しかし、致命的な傷を持つノルンはすぐに形勢を逆転される。
右足のみが使えない男の殺しの技術は、まさしく天下一。鎌の物量よりも遥かに、戦いのセンスから駆け引きのすべてがノルンより遥かに高い。
抜けた短剣がノルンの細腕を切り裂き、よろめいたその腹へと蹴りが放たれる。瞬時に鎌の柄で防ぐが、大人の男の力にノルンの身体は易々と後方へ吹き飛ばされた。
「ぅっ……っ!」
「今のオマエじゃ俺に勝てねーよ」
それは事実で見守っているイチルも夕霧もくっと歯を噛む。鎌で支えなんとか立ち上がるノルンは荒い息をしながら、明滅する意識の奥で、それでも父親だったその人を見て全身のなけなしの闘争心を駆り立て、吠えるように立ち上がる。
「ぁっぁぁぁぁぁぁぁあああ!私はっ!まだ、戦えるのっ!」
その胸の傷口は大きく開き、止めどない血の濁流と痛みの叫喚がその身の命を脅かす。それでも、ノルンは鎌で身体を支えながら爪先と刃先を父親だった男へ向けた。
絶え間ない死の呼び声を振り払い、ノルンは疾駆する。
「やぁっっっーー‼」
男は嗤った。くちびるがひん曲がるくらいに凶悪な笑みで迎え入れた。
「いいぜ。何度でも来やがれェ!再教育だァ!クソ餓鬼ィ!」
飛び掛かったノルンの瞬撃が大地を粉砕し、礫が舞い上がる。後方へ飛び下がった男と振り下ろした状態のノルンの視線が交差し、刹那、礫が弾けたように二人の得物が銀音を響かせた。
凄まじい衝撃に夕霧とイチルが顔を覆い、呆気にとられる。
白乃の意識は強烈な風に揺らされる。
倒壊した廃虚の瓦礫を吹き飛ばし、三度の激突が大気に悲鳴を上げさせた。
「オラよォ!」
男の爪先蹴りを顎を引いて回避し、すぐに体勢を低く腹へ鎌の柄を突き上げる。それを男は獲物を持たない左手で掴み取り右手のナイフを逆手に持ち、頭部へ。
「ん‼」
ノルンは鎌の刃の下に潜り込み、衝突する銀と銀の反響と共に男の引きずる脚に小さな脚で蹴りを入れる。
僅かな痛苦に顔を顰めた男から力が解け、瞬間に鎌を奪い取り、その場で脚を独楽のように回転切りをその腹へ。
「舐めるな!」
鎌のリーチから逃げるではなく、内へ入り込んだ男はノルンが鎌を薙ぐよりも早くノルンの腹に強烈な拳が抉り殴った。
「ぎゃぁっッ⁉」
唾に混じった赤い液体を吐き飛ばすノルンに容赦なく額にナイフが瞬撃する。
「ノルンっ!」
「避けてっ!」
夕霧とイチルの叫びにはっと瞬間的にノルンの脳が活性化し、間一髪で薙ぐのを止めてしまった鎌の柄を持ち上げてナイフを塞ぐが、それを読んでいたかのように、男はナイフから手を離しノルンの首の骨を折る勢いで掴みかかり、食い込む指に反射的に身を捩って逃れるノルンの胸の傷口に再び蹴りが突き刺さった。
痛哭を上げながら齢十五のノルンの身体は軽々と背後へと吹き飛ばされ、受け身も取れずに大地を転がった。
怒りに任せてグラフィティした血だらけの大地は生命の線のようにノルンまで続いた。
まったく動かないノルンに夕霧が恐る恐る立ち上がり、嘘だ嘘だと頭を振る。
「のるぅん……」
掠れた声に返事はない。その手に鎌はない。その身体は動かない。
「ノルンっ!」
咄嗟に走り出そうとした夕霧の足元に飛んできた瓦礫がその脚を動かさせない。
「はっ!こんなもんか。理解しただろ。オマエは俺の餓鬼だァ。なんで邪魔だァ」
親がいなかった。愛を知らなかった。ただ、それが愛だと思っていた。愛してほしかった。認めてほしかった。居場所がほしかった。褒めてほしかった。
沢山の欠けたノルンの心は、様々な事を知ることで多くのもを欲し、それでもただそれだけは諦めきれずに願い求め愚直に在り続けた。
でも、愚かだったことを知り、愛されていなかったことを知り、ただの道具でしかなかったことを知り、涙を持たない身体は今、血を流す。
途絶えていく意識の中、立ち上がる気力も湧かない中、誰かの声を耳にして、でも起き上がれないノルンは静かに目を閉じようとして――
――その時だった。
「【君を癒して神様】!」
そんな声が戦場に響き渡り、ノルンの身体は淡い翡翠の光に包まれていく。まるで淡い陽光を浴びる緑の歌のように。
それはノルンの傷を癒していった。胸の傷も腕のも、身体中の打撲も。ノルンは声の方へと向いて――木漏れ日の髪の少女が叫んだ。
「負けないで‼」
誰とも知れない女の子。
「ノルンっ!立ってっ!負けないでっ!」
続く、友達と呼んでくれた女の子の声を耳に。
そんな無責任な言葉にそれでも、たったその一言だけでノルンはまた立ち上がれた。
認めてもらう、応援してもらう初めてに、少女の〝ノルン〟としての存在は満たされ高揚し、力を蘇らせた。
「――――っん!うん!――まけっ……負けないの‼」
そうして再び失笑と舌打ちをする男へノルンは駆け出す。
大柄の鎌を全霊で振るい、すべてを男の考えすらも利用して、この身が砕ける覚悟で、託されたすべてを、何より殺し屋ではない〝ノルン〟として歩み出すために。
「…………最悪か。ま、結果は変わんねーよ。クズ餓鬼」
そして始まる死闘は、徐々に苛烈を極め、男の攻撃を俊敏に回避し、癒された身体の全部の権能を持ってして、ノルンが男を押し始めた。
その鎌が命を狩る脅威へと確実な進化を遂げ、男の顔を歪ませる。
「――っ⁉……そう言えば、オマエを鍛えたのは俺だったなぁっ!」
齢十五のか弱いはずの少女は、けれど、その少女は男が戦う術を教え込んだ天才の殺し屋だ。男の体勢に瞬時に判断して力量を調節され、カウンター乗り込めば逆にカウンターされる始末。小柄なノルンの脚捌き一歩一歩が男にとっては微動し続ける電子時計のよう。
はっと大きな目覚まし音に意識を向ければ、眼前に鋭利な鎌先が迫り、身体を捻ってなんとか回避すれど、姿勢を低くした疾駆に男の視界からノルンだけの姿が掻き消える。
大型の鎌は男を殺す武器だ。意識を手放すことも、視線を外すこともできない。けれど、少女の体躯ほどの鎌を目の前いっぱいに持ち上げられれば嫌でも少女の姿が霞む。
男はすぐに後退して視野を広く持とうとするが、鎌が全速力で飛んできた。
「俺を舐めるなぁアアアアアアアアアア‼」
舐め切った力勝負は思いっきり横に薙いだ短剣によって弾き返す。そして異変に気付いた。鎌は弾き飛ばされていく。まるで支えのないプロペラのように。
男の思考は一瞬白夢へ攫われ、微かな気配にはっと死角、右腰下へと本能のままに短剣を振り下ろし。
「なっ……⁉貴様ぁ⁉くだばったはずじゃ⁉」
男の短剣と交差するのはバール。バール持つのはただ一人。時凪は不敵に嗤う。
「残念。ここで諦められるほど体たらくじゃないつもりだ。俺は何度も助けてもらって、なら今度は俺が助ける番だ。だから、親孝行とでも悔いとけ」
そして、もう一つの足音は背後から迫り、そしてカチャっ、という音と共に左脇あたりにあてがわれた冷たく重い感触に顔だけを振る返り……
「………………………………」
「……さようなら、なの。お義父さん――」
発砲。硝煙が空へと昇り、夜の世界に残ったのは誰も知らない家族の残骸だった。
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