第1話 一目惚れと壊れた世界
初めまして、青海夜海です。
去年書いた一巻完結の死と恋と終末の物語です。
どうぞ、よろしくお願いします。
僕はその人に、一瞬で心を奪われた。
波の騒めきも夜風の冷感も爬虫類の眼光のような明かりも。ただ一心の静寂が連れ去ってしまった。夜の月の淡いこと。冬終わりの冷え込む世界で、僕の目の前の光景は異質そのものだった。
座り込む僕の隣で足元照らす街灯の明かりよりなお、赤い絨毯に獣が喰った肉の骨を吐き出したかのように、死体が死屍累々と転がり広がっていた。血濡れだ。屍の山だ。数えるだけ無駄なくらいに、人が死んでいた。だけど、それすらも綺麗で、そんなことは実際どうでもよくて、僕の視界も意識も聴覚も僕の全部が君にだけ注がれた。
血濡れの死屍の中心、闇に紛れながらも世界がその存在を忘れない、そんな女性の空色の瞳が僕の眼と重なり合う。
「あ……」
思わず声が漏れたのは、とっくに釘付けになっていたからだ。
闇の中から姿を現した女性は文字通り血塗れ。フード付きの外套、右手には飲み干しきれない血液がしたるナイフ、スリットより覗く細く艶美な生足の行く末を赤雫が軌跡する。黒のヒールがコツコツと、夢想に忍び寄る悪魔のように耳朶を舐めた。漆黒の髪を靡かせながら優雅、優美な足取りでその女性は無様に尻を付く僕の前に立ち止まって見下した。僕は見上げた。
彼女は美しかった。
世界の誰よりも綺麗だった。
僕の世界で彼女だけが『女性』であった。
青のインナーカラーとひと房。髪を左手で払った彼女に僕は一目惚れをした。
だから、どうしようもなく切なる痛む胸で、熱で、高揚で、自然とその言葉が口をついて出た。
「一目惚れしました。君が好きです」
彼女はナイフを胸の位置に持ち替えて言った。
「ごめんなさい。……さようなら」
突き付けられたナイフの先端が僕の喉を突いて、僕はただただ見惚れながら血だまりに息を詰まらせ吐き出す。怜悧な眼、揺るがない佇まい、まるで孤蝶みたいな女の人。
人をたくさん殺したなんて正直どうでもよかった。僕が彼女の手によって殺されかけている事実も別に気にすることはなかった。
ただ一つ、彼女にフラれたことだけが、心残りで死ねないと思った。
だから、死に逝くままに願う。
――彼女と一緒に生きたい。
哀れみの眼。ナイフは僕の喉から抜かれて僕は墳血する。きっと馬鹿みたいに血を噴いて倒れる。絶鳴がヒューヒューと喉の奥がか細く鼓動を唸らせ、それすらも三十秒も持たずして終わりを迎えた。
僕は死んだ。一目惚れしたその人に、僕は殺された。
*
大概なんでも起こりうるのが人生だ。少女はそう納得していた。
例えば、愛犬が急に犬掘れわんわんになったり、道行くイケメンにナンパされてそのまま結婚まで行ったり、学校やめたら案外良い生活が待っていたり、友達なんていなくても幸せだったり。
人生は大概何でも起こるしどうにかなる。ま、希望的観測だけれど。
逃げていたら面白い石を拾って、それが数十万で売れたり、やけくそでマッチングアプリで出会った人がすっごくお金持ちのお嬢さんだったり。雷に打たれて幽霊が見えるようになったり、奇跡の生還の末に超能力が使えるようになったり。
つまり、少女が言いたいことは一つだ。
「人生何が起こるかわからないのよ。だからこそ私たちに価値はあり生きる意味があるってこと。この光景にすら、いえ、世界の終わりにすら生きていけるのよ」
そう勝手に愉悦に浸り勝手に満足して勝手に提唱する少女。
石段に腰を下ろして脚を組み空を見上げる少女のルビーレッドのハーフアップ髪が揺れる。豪風が空より地上を抑圧していた。それは空からの侵略者。黒雲の巨穴が渦條に円形を拓き、稲妻と閃光が走る空の中、雨粒みたいにそれらは空より地上へ降りてくる。五つの大きな船と共に。
地上の人間どもはその光景をまじまじと見上げていた。
まるで映画のワンシーンのような迫力。さながら宇宙人が地球に侵略してくるシーンがピッタリ。
劣等で矮小な人間どもを家畜奴隷とするために、もしくは移住する星として征服するために、武装もしていない未知の集団がやって来た。
ありきたりなタイトルで不朽の名作とでも呼ばれそうな壮大な物語の序章。けれど、空の船が瞬いたと思えば瞬間、我々人間は理解することになった。
これは『現実』あると。
四機に囲まれた空飛ぶ船の中で一番大きな船は真下へと閃光弾を放ち、遠くから見ていた少女にはゆっくりに思えたが、十秒もしない内に地上へと到りすべてを焼き払った。言葉など要らないとはこのこと。学校の授業で懲りずに毎年のように習う原爆の写真が頭の中で映像となり、それは目の前の光景と重なり合った。
特大の半円形ドーム状を光で包み、空の暗ささえ吹き飛ばす圧倒的な光熱に、半円形ドームから五キロ以上は離れているはずの少女までその熱さを肌を焼かせた。ドラゴン○―ルでもよく見る爆発そのものが星の誕生のように理外を孕んだ。
「まさに終末……いえ、世界大戦。今の爆発でどれだけの人が…………っ」
風圧が辺り一面を掻っ攫い、瓦礫や破片が少女を殺す勢いで飛んでくる。
「――っっ」と直ぐに円湾の道路から石段の内へ身を投げて回避する。
轟音が晴れ風が止み顔を上げそれを見る。黒煙と炎の残骸だけを残した東京特別区二十三区内、港、中央、江東、は坩堝の闇へ消え去った。千代田を巻き込んで東京湾が拡大した。人はおろか建物すら残らぬ残酷な仕打ちに、少女含め人間たちは唖然とする。圧倒的な絶望的な光景に声すら上がらない。
だからかもしれない。代わりだったのかもしれないと今なら思うが、そもそもそれらすべてが予想外だ。奇天烈と言えれば笑えたが、どうにも笑えない内容で少女は失笑した。
マイクの電源が入る時の電子の波動。そして、男の声が世界中に響き渡った。
『僕たちは君たちのパラレルワールドからやって来た者だ。つまり同じ人間のわけだが、諸事情によりこの世界を征服させてもらう』
いやまて?諸事情?と、ツッコミ満載なわけだが、少女は生憎ツッコミ担当でないので割愛する。いや、生粋のツッコミ担当だ。男の声は憎たらしいほどに自信に満ちていた。
『今のはほんの見せしめのわけだが、僕たちに抵抗するとこうなるわけだ。僕とて戦争はしたくない。ましてや世界軸が違うだけの同じ同郷の者たちだ。たぶん、この世界の僕もいるのだろう。しかし、諸事情により征服させてもらう。異論はないか?」
「異論ないわけないわよっ!そもそも、諸事情ってなによ?城取合戦の遊びだなんて言われたらさすがに笑えないわよ……いえ、現状も笑えないどころか怒りすら湧いているのだけれど……世界征服だなんて、摩訶不思議の範疇に入ってないわよ……まったく」
ツッコミが可憐に炸裂するが、少女のツッコミを訊いてくれている人はいない。それでも口にしてしまうほどに驚愕的で不可解で独善的だった。
しかし、そう簡単に「枝の違う同郷の者たちでしたか。ええ。同郷の危機というのなら私たちを支配してくださって構いません。どうか、この星も私たちを自由にお使いください」などと認めるわけがない。
少女の考えはアタリで、直ぐに自衛隊のヘリやパトカーがビュンビュン飛んで来て何やら「やめなさい」、「なにが目的だ?」などとお決まりの文句で話し合いを試みたのち、普通に反撃した。
拳銃の発砲音や自衛隊のヘリのライフル音を生で耳にすることなど一生に一度とないはずだ。なのに、今は贅沢にその両方を耳にしている。それだけじゃない、どこにあったのか、地下シェルターから出て来た戦車がそのゾウの鼻のような大砲で船目掛けて放つ。しかし、上空遥か高くの船には届かない。弧を描いて坩堝に嵌まる。
この世界の人間は反撃した。
意味のわからないテロリスト集団に負けるわけにはいかないと、総理大臣か天皇か軍部大臣現役武官かは知らないけど、日本は戦うことを決めた。
パラレルワールドからこの世界を征服しに来たという、同じ人間の奴等と。
「今は逃げるしかないわね。今はまだ、どうにもならないわ」
少女は己の不甲斐なさを噛み殺しながら今は死ねないと、一目散に逃げる。そして、背後で再び閃光が弾け風圧が身体を押し光熱が脅かす。
時間としてはおよそ一年九ヶ月。
日本の大半はパラレルワールド人――通称『虚界人』によって征服された。
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