3 押しかけ執事
食卓に並ぶお魚料理と緑菜の炒め物、そして根菜のスープと焼きたてのパン。食欲を誘う良い匂いに釣られて、ぐーっとお腹が鳴った。
「どうぞ、召し上がれ」
うさぎさんの模様がついたエプロン姿でそう言ったのは、フェルナンだ。そう、この料理のほとんどは、彼が作ったものだ。
なんというか……鍛え抜かれたがっしりした体をしているから、誰がどう見ても意外にしか見えないだろう。
このフェルナンも、ルイーゼがこの家に来てから少し経ってから、やってきた。
☆
その日はよく晴れていて、絶好の農業日和だった。私とルイーゼは、母を手伝って畑仕事に勤しんでいた。そんな午後のことだった。
「すみません……何か食べ物、いえ、水だけでも、恵んでください……」
私たちの元に、力無くよろよろと近寄ってきた、薄汚れた格好をした男。それがフェルナンだった。
「あらあら、大変!」
強かな部分もあるけれど、基本的にお人好しな母は、水筒の水と、生で食べられる畑の野菜を分けてあげた。
そういえば、採れたてのお野菜がとっても甘いことを、私と母は、自分で収穫して初めて知ったのだった。
さて男は、目の前の食べ物に目を輝かせると、
「ありがとうございます」
と深々と頭を下げた後、野菜をもぐもぐ食べ始めた。やがて空腹が満たされたのか、ひと息つくと、不意に男はこう言った。
「美味しいですけど、少し痩せているような気がします」
彼に振る舞ったのは、もちろん母が育てた野菜だ。
当時は畑を始めたばかりで、上手くいっているとは言えない状況だった。枯らしてしまうことも多く、また上手く育っても、市井に並ぶものと比べると、圧倒的に痩せている。家庭菜園として家で食べるくらいなら十分な出来だけど、売り物にはなりそうにない。
「やっぱりそう思う? なかなか上手く育てられなくて」
母は、うーんと眉間に皺を寄せる。そんな母に、フェルナンはずいっと詰め寄った。
「お礼に畑のお手伝いをさせてください」
男がすごい前のめりに訴えるものだから、母のちょっと引き気味に、一歩後ずさる。
「え、えーと……」
そんな母に、男はさらに訴えかける。
「私は農業の知識を持っています。必ずや、お役に立つものと存じます」
その後、男はかなりの時間粘った。絶対に引かない鉄壁の意思を感じ取ったのだろう、やがて母も根負けして、
「じゃあ、一週間、お試しでどうかしら」
という運びになったのだった。
☆
そうして一月が経った。
男ーーフェルナンと名乗ったーーは、未だ畑の手伝いをし、しかも家の一室に住み込んで、畑だけではなく家事をも取り仕切っていた。最早、執事のようである。
私はルイーゼの部屋を訪ね、こっそりと話しかけた。
「なんか……あのフェルナンっていう人、居着いているんだけど」
鏡台の前で爪の手入れをしていたルイーゼは、
「いいじゃないですか。害もなさそうですし。キリキリ働いてもらいましょうよ」
と大して気にした様子もない。そのまま私の手を取って、自分が使っていた爪の手入れ液を、私の爪に丁寧に塗り始める。
ルイーゼは、私と母にはすぐに打ち解けてくれたけれど、警備の人とかお手伝いに来てくれる人とかには、なかなか懐かなくて、結構人見知りする子なのに、ちょっと意外だなーって思った。
でも、実際にフェルナンが来てくれて畑のこと、家のこと、諸々のことで助かっているのは事実だ。
だから私も、
(そんなものなのかな……?)
と、やがて彼が居着いていることを気にしなくなっていったのだった。
なおフェルナンは、私たち家族への恩返しのつもりなのか、私を立派な淑女にすることに使命感を持っていて、美しい所作や姿勢、そして貴族として必要な舞とやらを教えて……いや叩き込んだのだった。
「王家に嫁いでも恥をかかないくらい、美しい所作を目指しましょう」
と妙な例えで鼓舞してくるんだけど……いや、王家に嫁がないし。
そんなふうに結構厳しいところもあって、ちょっとうんざりしたけれど、なんだかんだで、私は貴族の娘だし、その成果を発揮する機会もそれなりにあったので、まあ、仕方ないか思うことにした。