20-3
ルイスがそう告げると、フェルナンは一度目を見開き、そして力無くうなだれた。
「申し訳なく……存じます。ルイス様のお気持ちを考えることもなく、軽挙な行動を……しかも、自分の責務を放棄する愚行でした」
しかし気持ちを切り替えたのか、次の瞬間には毅然とした姿勢に戻った。
「ルイス様。貴方は我が国にとって、なくてはならない存在。私が、全力でお守りする所存です」
精霊の祝福を持つ者を守護する役目のフェルナンは、ルイスと同様、隠された存在であるが、格別に優秀な人間にしか就くことのできない地位でもあり、王城内では数々の特権を持っている。また、状況把握にも長けており、すぐに今後の方針を打ち出してきた。
「しかし、今、戻っては危険です。身を隠す必要があるかと。王家には私から連絡いたします」
「……分かった」
「もともと、精霊の祝福がある方は、王家を離れて暮らすのが習わし。この機会を利用して別邸からも離れましょう」
そう言いながらフェルナンは周囲を見渡す。その視線を追ってルイスも辺りを見回した。木が生い茂る緑豊かな場所だ。
「ここは、ある高貴な女性の所有する土地です。うまくいけば保護してもらえるでしょう」
ルイスを追う際に、地理の把握もしていたのだろう。そして、その土地の主についても。
「この土地の所有者には幼い娘が一人います。その娘と接触しましょう。同性のふりをした方が、近づきやすいでしょう。少しお待ちを」
そう言って一度姿を消したフェルナンは、しばらくして女児の衣服を一揃い持ってきた。女装することに抵抗がなかったわけではないが、必要性は理解していた。
この土地の所有者の娘に近づく以外に、身を隠す術がないことを。
ルイスが着替えていると、
「大人の私がいると警戒されるかもしれません。いずれお側に参りますので、それまではご辛抱を」
と言い置いて、フェルナンは姿を消した。どこかで経緯を見守るのだろうが、存在を気取られないよう、気配を潜めている。
見知らぬ場所で、一人、女装する自分。そして、膝を抱えて隠れるしかない無力さ。
(くそ……っ)
フェルナンはああ言っていたが、このまま誰にも見つからず朽ち果てるのなら、それでも構わない、とも思っていた。
ーーその時までは。
精霊の祝福が刻印された場所……左の甲が、不意に熱くなった。
何故か心が高鳴った。
何かが来る。
待ち望んでいた「何か」が。
待っているだけで良いのだと、本能が告げていた。
息をひそめ、気配も完璧に消しているはずなのに、その存在は過たず、ルイスの元へと近づいてくる。
茂みを掻き分ける音。そして。
「どうしたの?」
誰かの声が、こんなにも心を震わすことがあるのだということを、その日、ルイスははじめて知った。何気なくかけられただけの言葉が、自分の心の奥にまで染み渡る。
そして、その声の主を見た。
自分と同じ歳くらいの、まだあどけない少女。
けれど、その姿を見た瞬間、形容し難い安堵が心を満たしたのだった。
(これで私は、大丈夫)
獣の衝動を持つ自分が、人のままでいることができる、と。
そして、この少女こそが、精霊の愛し子であることを確信する。
精霊の愛し子。
それは精霊の祝福を持つ者の「荒ぶる獣の力」を鎮めるための存在だ。精霊の祝福を持つ者は、聖獣と化したり、聖獣の分身を作り出し、魔獣を制することができるが、あまりに強すぎる力を持つが故に、自分自身を御す力が不足しているのだ。
かつて、精霊の愛し子の存在を見出せなかった祝福の者のほとんどは、自らの狂気に飲み込まれて若くして死んだという。
精霊の愛し子の少女はアイリーンと名乗り、無邪気にルイスの手を取った。その打算のない無防備さが、ルイスのささくれ立った心に、清涼な風を吹き込む。
その日から、アイリーンはルイスにとって、誰よりも近しい存在となった。
そして歳を重ねた今、改めてこう思うのだ。
母の言うとおり、精霊の祝福を持つ者と愛し子は、恋人になる運命などではない。
けれど。
ルイスは己の左の手の甲を見る。祝福の印は普段は隠れており、力を使う際や自分が見たいと欲する時にのみ浮かび上がる。
手に浮かぶ、複雑な印。
そして彼女の右肩に、時折、浮かび上がる印。
それらは対になっている。
確かに彼女が側にいると、血肉に飢える獣の本性が鎮まるのを感じた。
けれど、彼女の側にいて心が安らぐと感じるのは、彼女が精霊の愛し子だからではない。
「一緒に来る……?」
素性の知れない、どう考えても怪しい自分に、手を差し伸べてくれたお人好しな少女。かと言えば、精霊の愛し子を騙る異母妹に対して、立場上、一歩引きつつも、精神的には屈しない強さ。
彼女の側にいれば、自分も強くなれると、そう思った。自分には、彼女が必要だと。
しかし、自分が抱く「彼女が必要だ」という執着が、彼女の側には全くないことに、少し腹が立つこともしばしばだ。
だから、ついつい、からかうような態度を取ってしまうのだ。
それでも、ルイスの本心を察して、決して本気で怒らないアイリーンのことを、心の奥底から愛おしいと、そう思うのだった。




