17-2
それが……合図だった。
魔獣の瞳が私の姿を捉える。黒フードの人物は、そのまま後ずさると、林の奥に消えていった。
この場に残ったのは私と魔獣だけだ。
私は杖代わりにしていた太い枝を構える。戦えるわけではないけれど、護身についてはフェルナンから口を酸っぱくして言われてきた。
「貴女は普通の女性なので、暴漢と戦おうとしては駄目ですよ。まずは逃げる。それだけを考えること」
けれど、どうしても逃げられない状況であれば、まずは間合いに入らせないことを考えろ。そのために長い棒があれば、それで相手との距離を測れと。そして。
(相手が獣なら背中を見せるな……)
フェルナンから学んだ言葉を頭の中で繰り返す。私は木の棒を握りしめ、獣の目を見据えながら、じわりと後ずさる。
ここは林だから、上手く障害物を挟む位置に移動できれば、と思ったけれど、ーー獣は私という獲物を逃すつもりはないらしい。焦れて襲いかかってきた。
「……っ!」
即座に方向性を切り替える。
魔獣は中型犬くらいの大きさだ。熊のような、絶対に太刀打ちできない大型ではない。
ーー逃げられないのなら、と私は思い切って木の枝を魔獣に向けて振り抜いた。
力の限りに振り抜いた枝が、魔獣の横面を痛打した。ギャッと声を上げ、魔獣が吹っ飛んだ。
同時に、魔獣の爪が私の右肩を掠め、服が引き裂かれた。
「……!」
皮膚を浅く切ったようだ。ちりっとした痛みを感じる。傷を負った右肩に触れると、思った以上に熱を持っていた。
一方で、獲物が反撃することを知った魔獣は、多少、警戒心を抱いたのだろうか、再び距離を取って様子見している。
と、その時。
「誰かいるのか!?」
そんな声がして、草むらをかき分けて一人の男の人が姿を現した。見覚えのある顔に、思わず声が出る。
「カイン王子!?」
その人は、アメリの婚約者であるカイン王子だった。彼は狩りの参加者なので、狩場にいるのはおかしくない。
一方で、アイリーンは、ここにいるはずのない人間だ。カイン王子は眉をひそめた。
「何故こんなところにいる?」
「何か薬を嗅がされて、気が付いたら、ここにいたんです」
口にすると、随分と怪しい説明になったけれど、カイン王子は「そうか」と答えただけだった。不審に思われずに済んだのか、今はそれどころじゃないと考えたのか。
王子は私と魔獣の間に割り込んできた。
「カイン王子は何故ここに? お一人ですか?」
「獲物を追っている途中、ユーグとはぐれたから探していた」
そして、禍々しい気配を放つ魔獣に視線を戻した。
「あれは……魔獣か」
「そのようです」
「何故、こんな場所に魔獣が……いや、この間も食堂に魔獣が出ていたな」
と言いながら、カイン王子はふと私の服の右肩周辺が引き裂かれているのを見た。そしてーー息を呑む。
「……やはり、そういうこと、なのか……?」
と何か呟いていたけれど、すぐに、
「怪我をしている。早く手当をした方がいい」
と言ったのち、魔獣と対峙した。手当をするにも、まずはこの魔獣をどうにかする必要がある。
低い唸り声を立てながら、魔獣はじりじりと距離を詰めてくる。
「念のために言っておくが、この魔獣は……主催者が放ったものではない」
「分かっています」
魔獣を放って狩りなど、するはずもないけれど、主催者側のカイン王子としては、これは予期せぬ出来事だったと弁明しておきたかったのかもしれない。
「下がれ。これは俺が相手をする」
私を庇うように後ろに押しやったカイン王子は、魔獣と相対する。そして剣を抜こうとした、その時。
真っ白い獣が飛び出しーー魔獣の喉元に喰らいついた。
純白の獣の攻撃を受けた魔獣が怯んだ隙に、脇からナイフが飛んでくる。
それは過たず魔獣の眉間に突き刺さった。ぎゃっと魔獣が鳴いたと思うと、その姿は黒い霧となって消滅した。
同時に、
「アイリーン!」
と、よく知った声が私の名を呼んだ。いつもより切迫詰まった声だけど、私にとって、聞くだけで安心できる声だ。
「ルイス!」
少しでも早く、私を見つけてほしい。
声がした方に向けて私が名を呼ぶと、私の姿を見つけたルイスが、全力で駆け寄ってきた。ほぼ、ぶつかるような勢いで、ぎゅっと抱き締めてくる。
「アイリーンの気配が学園から消えたと聞いて……」
私を探して走り回ってくれたんだろう、密着したところから早鐘のような鼓動の速さを感じる。
「無事で……良かった……!」
ルイスの体が震えている。どれほど私のことを心配してくれたのか、どれほど私を失いたくないと思ってくれているのか、それが分かる。
そして私もルイスに抱き締められて、今まで極限まで張り詰めていた緊張の糸が切れるのを感じた。同時に、彼の腕の中で安心している自分に驚く。
(そっか……)
すとんと私の胸に落ちてきた事実。
(私はルイスのことが好きなんだ……)
私もぎゅっとルイスを抱きしめ返し、その胸に頭を預ける。そうするとルイスの手が優しく私の頭を撫でた。
どのくらいそうしていたのだろう。ふと、私たちのことを複雑そうな表情で眺めているカイン王子の視線を感じた。
(こんな時に何をしてるんだとか思われたかも……)
人目も憚らず密着していたことが、今更恥ずかしくなってきて、ぱっとルイスから離れた。ルイスは何だか、ちょっと名残惜しそうな表情だ。
「お前は……」
カイン王子が険しい顔をしてルイスを見つめていた。そんなカイン王子に視線を返したルイスは、棘のある声で言い放った。
「彼女は学園内で攫われた。ーー警備が甘すぎるんじゃないのか?」
私には聞かせない強い口調。
国の王子に対して、まずいのでは、思うけれど、カイン王子は咎めることはない。ただ、射るような瞳でルイスを見つめている。
やがて、
「カイン王子!」
会場から姿を消したカイン王子を探していたのだろう、王国兵たちの声が聞こえる。その兵たちに向けて、カイン王子は命じた。
「狩りは中止だ。魔獣が入り込んでいる。あと怪我人がいる。十分に手当するように」
「はっ!」
そして私たちを安全に帰すよう、手配してくれたのだった。
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