16-1 精霊の愛し子の力
精霊祭の舞台が終わって半月ほどが過ぎた。
あの舞の後の、皆の私に対する好奇心も落ち着いて来て、遠巻きに見られるいつもの日々が戻っていたある日。
登校前、ルイーゼに、
「今日は、食堂で待ち合わせて、一緒に食事をしましょう」
と誘われたから、私は昼休みになるとすぐに食堂に向かった。
学園の食堂は東側の一面がガラス張りになっていて、晴れた日は日差しが差し込み、とても明るくてお洒落な空間だ。
室内は昼食に来た学生でいっぱいだけど、広々としているから、混雑してるという感じでもない。
(ルイーゼ、どこかな)
と探していると……嫌なものを見つけてしまった。
(うわ、アメリの一団がいる……)
アメリは特別扱いなので、学園内に彼女のための休憩室が用意されている。
そして基本的に、彼女は取り巻きの子たちと一緒に、その休憩室で昼食を摂っているため、食事時に鉢合わせるようなことはなかった。
なお、アメリの休憩室では、彼女のためだけに用意された、特別に豪奢な食事が提供されているという噂だ。だから、一般市民も利用するーー彼女曰く「低俗な」食堂にわざわざ来る理由が思いつかない。
ほとんどの生徒が、彼女の視線に入らないよう、身を縮こませながら、彼女の傍を通り過ぎていく。ーーちょっと迷惑そうな顔をしている人もいる。
私がこの学園に来る前は、学生は皆、アメリを精霊の愛し子として崇め奉っているのかと思っていたんだけど、実際に通ってみると、予想とは異なっていた。
もちろん、アメリを崇拝している人も多いけれど、敬遠している人も意外と多いように感じる。
(絡まれると面倒だものね……)
まあ何にしても、アメリたち一行はまだ、こちらに気付いていないようなので、気にしないようにしよう。
私は、気を取り直し、改めてルイーゼの姿を探す。
……これはこれで、また一発で探し当てることができた。
皆のうっとりした視線が注がれている先を辿れば、彼女を見つけるのは容易かった。美しい容姿に加えて、真っ直ぐな姿勢と、自然に溢れ出る気品。
一方で、ルイーゼもすぐに私に気付いてくれたようだ。すごく嬉しそうに、駆け寄って来た。……なんだか尻尾をぶんぶん振り回している、もふもふのようだ。
ルイーゼは私の横に立つと、
「今日は何にしましょうか」
と言いながら空いている席を探す。
と、その時。
ガシャン、と何かが割れる音が響き渡った。
食器を落としたにしては大きすぎる音だ。音がした方向を見やれば、東側のガラスが割れており……食堂内に入り込んだ一匹の獣が唸りを上げていた。
その大型の犬に似た獣は、暗い闇をまとっていて、尋常ならざる邪気を醸し出していた。
この世ならざるもの。
「魔獣だ……!」
誰かが悲鳴のような声を上げ、それを機に、食堂は一気にパニック状態になる。普通の学生に、魔獣に対応しうる力はないので、逃げるしかない。食堂の出口に生徒が殺到する。
魔獣はその場を動かず、何かを探すように辺りを見回している。漆黒の闇より昏い毛並みは、禍々しさに溢れていた。何より、その身に帯びた殺気が、人に害なす存在であることを如実に物語っていた。
鋭い牙の間から、涎が滴り落ちる。
私の体は子供の頃のことを思い出して、硬直する。幼い私をまっすぐ見据え、牙を剥いた魔獣。
けれど、私の隣にいるルイーゼが、
「大丈夫ですよ」
と声をかけ、震える私の手を握ってくれた。その手の温もりが、少しずつ私を落ち着かせてくれる。
でも、私の心が落ち着いても、魔獣の存在が消滅するわけではない。魔獣はそこにいて、獰猛な気を放ち続けている。そんな私の気持ちを察したのか、ルイスが言葉を継ぐ。
「すぐに王国兵が駆けつけて追い払ってくれますよ。だから、大丈夫です」
「……うん」
ルイーゼの冷静さが心強い。そう、ここは王立学園で、警備兵が常駐しているから、騒ぎを聞きつければ、必ず駆けつけてくれるはずだ。
一方で、ぐるる、とその禍々しい生き物は飢えたような唸りを上げ続けている。
誰もが怯え、ただただ警備兵が駆け付けるのを祈るようにして待つだけだったその時。
「ここは私が」
アメリが一歩、前へ出た。その表情は、自信に満ち溢れていた。
彼女は恐れる様子もなく魔獣と対峙し、両手を組む。その体が仄かな光に包まれた。
やがてアメリは、落ち着いた声で魔獣に語りかけた。
「ここはお前の居場所ではないのよ。元いた場所にお帰りなさい」
真っ直ぐ魔獣を見据えるアメリの額に、何か複雑な紋様が浮かび上がる。これが精霊の愛し子の印、ということだろうか。
ーーアメリの呼びかけに応じて、魔獣がおとなしくなる。
そのまま何かに操られるかのように一歩、二歩と後ずさると、くるりと背中を見せ、元来た道へと駆け出した。
遅れて、食堂の異変の連絡を受けた王国兵たちが駆けつける足音と、
「追え! 逃すな!」
という声が響き渡る。そうして食堂には、元のとおり生徒と職員だけが残された。
未だ落ち着きを取り戻すことなく、ざわめく食堂の中で、私は先程のアメリの行動について考えていた。
精霊の愛し子という存在は、精霊の祝福を持つ者の力を制御すると言われているけれど、こんな力もあるのか、と。
(やっぱりアメリは精霊の愛し子なのね……)
彼女はやはり、この国に必要な人だということで……正直な感想を言わせてもらえば、まあ、がっかりだ。
精霊も、もう少し、思いやりのある人を選べばいいのに。
(赤ちゃんの頃に印が顕れるから、人格を確認するのは無理か……)
でも、彼女のおかげで事なきを得たのだから、素直に感謝しないと、と自分に言い聞かせた。
そんな葛藤をしている私だったけれど、一方で「どうだ」といった表情で辺りを見回すアメリに、周囲に賛美の声が降り注ぐ。
「アメリ様!」
「精霊の愛し子様!」
「ありがとうございます!」
アメリの周りに人垣ができる。取り巻きの子達も、鼻高々といった様子だ。誰もがアメリを「精霊の愛し子」であると再認識したことだろう。
そんな中、ルイーゼが険しい顔をしてアメリを見ていた。ルイーゼも私と同様、アメリに良い感情を抱いていないけれど、そういう意味ではなく、もっと深刻なものを感じた。
「どうしたの?」
声をかけると、ルイーゼははっと我に返った様子で私を見た。そして軽く首を左右に振る。
「いや……」
言うべきか、言わざるべきか。そんなふうに、ルイーゼはしばらく悩んでいたようだけれど、やがて思い切ったように口を開いた。
「精霊の愛し子に、魔獣を制する力なんて、あるのかなと思って」
ルイスはそう言うと、気難しい顔で腕を組む。けれど私は、ルイーゼが言っていることの意味が理解できなくて、首を傾げた。
「え? そういう力があるから愛し子なんでしょう?」
特別な力があるからこそ、彼女は精霊の愛し子として、皆から尊重されている。
そして、現にアメリは魔獣を追い払った。彼女は己の力を、存分に知らしめることができた。
けれどルイーゼの表情は険しいままだ。
「アメリはいつも食堂で食事をしないのに、今日に限って食堂にいた。そこに折よく魔獣が乱入して、アメリがそれを追い払う。ーーまるで最初から、こうなることを予測していたようですよね?」
ルイスの言葉は一理ある。けれど。
「ここでは、やめましょう。愛し子の力に疑義を唱えると、反逆者扱いされかねないわ」
最近、ルイーゼも私と同様に、目をつけられているように思われる。また、ルラ教団という精霊の祝福を否定する過激な集団がいて、彼らの仲間だと見做されると、問答無用で拘束されてしまう。
「そう……ですね」
ルイーゼは頷いたものの、まだ表情は晴れない。まだ何か言いたいことがあるのかもしれない。
話を聞くのなら、内容が内容なだけに、人目につく食堂から離れたいと思った私はルイーゼの手を取り、
「少し移動しましょう」
と提案すると、ルイーゼも頷いた。




