13 貴婦人
舞踏会の後は、少し大変だった。
アメリとしては私がパートナーを連れて参加することは想定外だったはずだ。
だから彼女に、
「あれは誰だったの」
なんて問い詰めらるかもと思って身構えていたんだけれど、彼女は無視を決め込んだ。
一人寂しく参加している私を笑いものにしよう、という自分の企みが上手くいかなかったことが認められなくて、あの日のことは無かったことにしたようだ。
ただ、一つだけ明らかな変化があった。取り巻きが一人、少なくなっていたのだ。あの日、私に絡んできた御令嬢だ。
急に家の事情で転校することになったとのことだけど、真相は闇の中だ。
そんなふうにアメリの周囲は思いのほか静かだったけれど、他の参加していた生徒の「あのパートナーは一体どこのどなた?」という興味津々な視線には、ちょっと困った。
ーーまあ、アメリとその取り巻きの目があるから、直接話しかけてこないから良いのだけれど。
でも、少し経つと、そういう雰囲気も下火になった。学園のほとんどの生徒には関係のないイベントだったからね。
そんなふうに一息ついた、ある日の昼下がり。
借りていた本を図書館に返しにいく途中のことだった。
図書館の近くに、小さな花壇があって、手入れが行き届いていないのか、植えられている花の葉っぱが萎れているのに気付いた。
(最近雨が降っていないからなぁ)
土が渇きすぎているようだ。花壇の端に如雨露が置いてあるので、水を汲んで撒いてあげれば、花たちはきっと元気を取り戻すだろう。
私が如雨露に水を汲んで戻ってくると、先ほどまで誰もいなかった花壇に人が一人、立っていた。
四十代前半くらいの美しい女性だ。落ち着いた青を基調とした服と、邪魔にならないようにと綺麗に結い上げられた金の髪。背筋が真っ直ぐで、生真面目そうな表情だった。少し冷たく、近寄りがたい印象でもある。
(先生、かな……?)
巨大な学園であるため、教師の数も多い。学年や履修科目が異なる教師については、一度も顔を合わせないことが多い。むしろ顔を知らない教師の割合の方が高いだろう。
その女性は私の視線に気付くと、こちらに歩み寄ってきた。正面で相対すると、その凛とした気高さが、より際立って感じ取れる。
「初めまして」
その挨拶の声も、品があって、とても落ち着いた声だった。
「は、初めまして」
どこか緊張感のある雰囲気に、自然と背筋が伸びる。
「あの、先生ですか?」
こうして近くで見ると、先生、というより貴婦人といった風情だ。そして不思議と周囲に清浄な空気が満ちているように感じた。
そして、おこがましいのだけど……すごく慕わしい感じがした。
一方で私の問いかけに、女性は微笑みを浮かべると、
「ええ、そんなものよ」
と否定はしなかった。
「貴女はアイリーンね」
「はい」
私のことを知っているようだ。まあ、私は珍しい中途入学者なので、学内ではそれなりに珍獣のように有名だ。だから名を知られていることには違和感はない。
でも、次に続いた、
「貴女はフィオナにとてもよく似ているわね」
という言葉には、少し驚いてしまった。フィオナというのは母の名前だ。
「母をご存知なんですか?」
「ええ。古い友達なの」
その瞳が憂いを帯びる。思えば、私たちは婚家を追い出された存在だ。他人から見たら、可哀想な境遇なのかもしれない。古い友達であるこの女性も、今の母の状況を、そんなふうに捉えているのなら、訂正しておきたい。
「色々あって、ご心配をおかけしたかもしれませんが、母は今、とても楽しそうに暮らしていますよ」
緑と土と、そして人に囲まれた母は、最初こそ苦労はしたかもしれないけれど、決して不幸せそうではなかった。
私もそうだ。あのままリオーネ家にいた方が、アメリたちに蔑まれ、父に厄介者として扱われ、息が詰まって生きにくかったはずだ。
それに。
「妹のルイーゼも、私たちをいつも支えてくれましたから」
寂しい、と思うこともなかった。
「そう、ルイーゼが……」
ルイーゼの名を呼んだ時の女性の声音は、どこか複雑な色を帯びていた。しかし彼女は何かを振り切るかのように軽く頭を左右に振ると、気を取り直したように尋ねてきた。
「妹さんは、優しい?」
その問いかけに、私は迷いなく頷いた。
「はい。……たまに意地悪な時もありますけど、私が困っている時には、必ず寄り添ってくれます」
私の答えを聞いた女性は、すごく柔らかな表情で微笑んだ。
「そう……これからも、きょうだい仲良くね」
「はい!」
女性はふと視線を上げると、何かに気付いたのか、はっとした表情になる。それと同時に、学校の鐘が鳴った。
「あら、もうこんな時間。ごめんなさい、待ち合わせがありますので、この辺で失礼します」
女性はそう告げると、優雅に礼をした後、くるりと踵を返すと足早に去っていった。入れ替わるように、
「アイリーン!」
と後方から聞こえた声に振り返ると、ルイーゼが駆け寄ってきていた。全力で走ってきたようで、息が切れている。しばらく深呼吸をして乱れた息を整え後、私の両肩を掴み、
「今の人に……何か言われた?」
と、すごく思い詰めた顔で尋ねてきた。アメリの取り巻きに絡まれる時と似た反応だ。
あの女性との会話は確かに緊張感があったけれど、別に嫌ごとを言われたわけではない。ルイーゼの少し過剰な反応に戸惑いながら、
「え? いや。何か、きょうだい仲良くねって言われただけだけど」
と、女性からかけられた言葉を、そのまま伝えた。するとルイーゼは目を見開いた後、はぁと息をつく。その反応から、
「ルイーゼ、知り合い?」
と尋ねるとルイーゼは視線を泳がせた。そして、
「まあ、そんなところ」
とぼやかした。あまり語りたくないような雰囲気だったので、それ以上、深く追求することは控えておくことにした。話したくなったら、自分から話してくれるだろうし。
だけど、
「何で今更……」
というルイーゼの呟きは、確かに私に届いて……この女性はルイーゼに近しい人、例えば親族かもしれない、という考えが頭をよぎる。
そして、その予想はあながち間違いじゃないように思えた。学園に関係者がいたから、ルイーゼはこの学園に入学できたし、性別を偽ることもできた。そう考えると色々辻褄が合う。
ただ、ルイーゼは生家で何らかの問題があって、私たちの元にいる訳で……一体、何があったんだろう、とは考えずにいられなかった。




