閑話2 もふもふと私
幼い頃、私とルイーゼは、年が近い姉妹……きょうだいにはありがちなことだけれど、しょっちゅう喧嘩をしていた。
「ルイーゼなんて、大っ嫌い!」
一つ一つの喧嘩の理由なんて、覚えてもいない。
ただ、その時は私が最後に食べようと取っておいたベリーのケーキを、ルイーゼが食べてしまったという、そんなどうでもいい、些細な理由だった。
でも、子供の頃の食べ物の恨みって、結構根深いものだ。私はそれ以降、ルイーゼとは全く口も聞かず……やがて三日が過ぎていた。
何だか視界の端にちらちらと姿を見せては、もの言いたげなルイーゼを、でも私は大人気なく無視した。
……だって子供だったのだもの。仕方のないことだ。
ただ、怒りがずっと持続していた訳ではなく、引くに引けない空気になっていた、というのが実情だ。
何というか……ここでルイーゼとなあなあになっては、姉の沽券に関わる、とか考えてもいたのだと思う。何でもそつなくこなすルイーゼに対して、焦る気持ちもあったのだろう。
(でも、ルイーゼと遊べないのは、つまらない……)
一人では森に遊びに行く気にもならない。それならば花壇の草むしりでもして、気持ちを落ち着けようと庭へ出たところ。
「あ……」
思わず声が出た。
そこに純白の獣ーーもふもふがいたからだ。
もふもふは、いつも神出鬼没だ。けれど、私が寂しい思いをしている時や誰かに側にいて欲しい時に駆けつけてくれているような気がした。
「もふもふ……」
私が呼ぶと、もふもふはしなやかな四肢を動かして、足音も立てずに近づいてくる。そして私の腰に頭を寄せる。私がふかふかの毛を撫でると、嬉しそうに目を細めた。
ひとしきり撫で終わると、もふもふは私の服の裾を軽く咥えて、引っ張った。
家の玄関の方に引っ張っているので、どうやら私の部屋に行きたいらしい。
「じゃあ、おいで」
と言って、私はもふもふと共に部屋に戻った。
さて、もふもふには、既に定位置があって、それは私の部屋のソファの下に敷かれている絨毯の上だ。今日ももふもふは、そこで丸くなって寝そべる。
私は大きな体のもふもふに抱きついた。この白い獣の温度は人のそれより少し高くて、暖かい。そして、動物に言葉が分かるわけもないのに、話しかけてしまうのだった。
「もふもふ。また私、ルイーゼと喧嘩しちゃった」
瞳はうるうると涙が溜まった状態だったけれど、泣くのは堪える。
すると、もふもふが上半身を起こし、ぺろりと私の頬を舐めた。言葉は分からないだろうけれど、私が落ち込んでいるのは分かるのかもしれない。慰めてくれているような気がして、私はもう一度、もふもふの首に抱きついた。
「このまま仲直りできなかったら、どうしよう……」
でも、悪いのはルイーゼだと思うと、自分から謝ることなんてできない。子供は結構、強情なのだ。
もふもふは、そんな私を包み込むようにして再び丸くなる。優しい暖かさに包まれて、少しずつ、緊張の糸が解れていく。
やがて私はそのまま、疲れて眠り込んでしまったのだった。
☆
朝起きると、もふもふの姿はなかった。しかも何故か、そしていつの間に、私の体は寝台の上で横になっていた。
もふもふは賢いとはいえ動物なので、私を抱えて寝台に寝かせることは流石にできないだろう。だから、きっと自分で移動したのだと思う。けれど、寝ぼけていたのか全く覚えていないので、とても不思議な感じだ。
着替えて、寝起きでぼさぼさの髪を整えていると、コンコン、と少し控えめに扉を叩く音が聞こえてきた。
「……」
この状況で私の部屋を訪れる相手は、一人しかいない。私の鼓動が緊張で速くなる。どうしようって一瞬、悩んだけれど、ここで無視したら、また仲直りの機会を逸してしまう。
私が意を決して扉を開けると、まず目に飛び込んできたのは、赤い花束だった。私の方に勢いよくずいっと差し出されたので、反射的に受け取ってしまった。同時に、
「アイリーン、ごめんなさい」
という声が届く。私は、視界を遮っていた赤い花束を下に下ろす。するとルイーゼが深く頭を下げているのが見えた。
ルイーゼが先に謝ってくれたから、私の心は柔らかく溶け、解れていく。素直な気持ちで満たされ、自然に言葉が溢れていた。
「私こそ、意固地になってて、ごめんね」
私は、俯いたままのルイーゼの顔を、下から覗き込んだ。視線が合って、気付く。ルイーゼは私と同じように、少しだけ瞳を潤ませていた。
それを見た私は反省した。「お姉さん」だったら、きっと、こんなふうに妹を泣かせては駄目なのだ。
「ごめんね」
繰り返した私は、仲直りの印に、そっとルイーゼの頬に手を当てる。すると、ルイーゼの顔がほんのりと赤く染まり、そして彼女ははにかむように微笑んだ。
「これ、アイリーンと一緒に食べようと思って」
そう言ったルイーゼの手には、フルーツがふんだんに盛り付けられたタルトが入った籠が握られていた。一人で食べ切れそうにない大きさだ。きっと仲違いしてしまった私たちのために、フェルナンと母が焼いてくれたものだろう。
「うん、一緒に食べよう!」
私はルイーゼを部屋に招き入れる。
私の部屋に置いているテーブルは、とても小さなものだ。そんなテーブルに、私たちはおでこが引っ付くくらいの距離で向かい合って、一つのタルトを両端から、二人でつつく。
そして目を合わせると、お互い照れくさそうに笑ったのだった。
こんなふうに、幼い頃の私たちは、しょっちゅう喧嘩をしていたんだけど、だいたいその後、もふもふが私の部屋に来て、翌日には私かルイーゼ……喧嘩の元になった方……が謝って仲直り、という流れが出来上がっていた。
成長するにつれ、感情の赴くままに喧嘩することはなくなったけれど、何となくルイーゼと、ちょっと気まずくなった時には、やっぱりもふもふがやってきて、私を慰めてくれた。そうすると、ルイーゼとの仲直りも早く済むのだった。
本当にもふもふは、すごく良いタイミングで姿を見せてくれるんだけど、これも野生の勘ってものなのかな? と不思議に思う。
もう一つ、ちょっと面白いなと思うことがある。
うちは貧乏貴族なので、自分のことは自分でするのが基本だ。当然、着替えも自分の部屋で行っている。
だから、もふもふが一晩いてくれる時も、夜寝る前に着替えたりするのだけれど、その最中、私と目が合うと、もふもふがふいっと逸らすの。
何だか、まるで人間の男の子みたいって思ってしまった。
ちなみに、しばらく経ってから、ふとそのことをフェルナンに話すと、がしっと両肩を掴まれ、この上なく真剣な瞳で、
「アイリーン様。もふもふを部屋に上げては駄目ですよ。ケダモノですからね」
って言われたんだけど、変なのって思った。
もふもふは、そんな危険な獣ではないことを、私は知っている。もふもふは、私にとって、とっても安全なお友達なのだから。




