序章
「ごめん、アイリーン。俺は君よりもルイーゼのことを好きになってしまったんだ」
夕暮れ時の校舎。赤く色づく景色の中、当時十四歳だった私は、既に何度も聞いたことのあるセリフを再び聞かされる羽目に陥っていた。
「あー、……そうですか」
目の前で申し訳なさそうに肩を震わせる人は、本日、めでたく「元」彼となったわけだ。
……初めての彼氏だったんだけどな。ーーまあ、付き合い始めて、まだ一週間しか経ってないけど。
ん? 初めての彼氏なのに、何度も聞いた台詞ってどういうこと? って思われそうだけど、つまり、彼氏にまでは至らないまでも、ちょっと親しい男の子ができるたびに、似たような台詞と展開が繰り返されていた、ということだ。
ちなみに元彼が心奪われたルイーゼというのは、私の血の繋がらない義妹だ。誰もが羨む美しい容姿を天から与えられた、紛れもない美少女である。
ルイーゼを見た後に私を見れば、まあ、私のことなんか、その辺のぺんぺん草くらいにしか見えなくなるのも、無理はない。
義妹と競うのは、分が悪い。というか負けは確定している。だから争うだけ無駄だということは、これまでの経験から学習していた。
「それでは、お別れですね」
悔しいから落胆した顔を見せたくない。私は精一杯気丈に振る舞う。
そんな私に元彼は、あろうことか、こう続けたのだった。
「今後も友達でいよう。ルイーゼとも一緒に遊びに行ったりしてさ」
と。
……………。
………………ぶち。
私の血管が切れる音が脳内で鳴り響く。
心変わりしたと私を振っておいて、私を義妹と接近するためのダシに使おうってこと? ムシが良すぎるにも程がある。というか。
(最低)
多分、最初から、そういうつもりだったのだろう。私には全く興味なくて、ただただルイーゼとお近づきになりたい一心で、私に言い寄ってみただけということだ。
我知らず、右手が拳を作る。そのまま思わず振り上げようとした、その時。
グルル……と低い唸り声が耳に届く。
同時に、私たちの間に「何か」が割って入った。
「な、なんだ!?」
元彼が驚き後ずさる。そして、その存在を確認し、うわずった声を上げた。
「お、狼……?」
元彼が言うとおり、それは真っ白い豊かな毛皮に包まれた、狼に似たしなやかな獣だった。
汚れない純白の毛並みのせいだろうか、気高く、そして神々しい雰囲気を醸し出している。
その獣は、元彼に向けて威嚇するようにグルルと唸り続ける。獣からの敵意を察した元彼は、冷や汗を浮かべつつ、踵を返し……逃走姿勢になった。
そこへ獣は容赦無く牙を向ける。
そして、かぷり、と元彼のお尻に齧り付いた。
「ぎゃ……!」
元彼が哀れな悲鳴を上げ、元彼は獣から逃げるべく走り出す。しかし純白の獣はそれを追っていった。
そうして元彼は、何度もお尻を噛まれながら、這々の体で逃げ去っていったのだった。
一方で、一人、ぽつんと取り残された私は、振り上げた拳の行き場を無くし、呆然と立ちすくむ。
と、その時。
ぱきっと小枝を踏みしめる音が聞こえた。
(誰かいる……)
私が音のした方向を確認すると、物陰に潜む影が一つ、伸びていた。
その人物は、私に気づかれたと知ると、悪びれもせず身を隠していた木陰から姿を現した。
「ごきげんよう、アイリーンお姉様。偶然ですね」
嫣然と微笑むその人は、金糸のような艶やかな髪、きめ細やかな肌、彫刻もかくやというほど整った美しい顔立ちをしていた。
悪びれもせず、そう告げたのは、私が振られた諸悪の根源、ルイーゼ本人だった。そしてルイーゼはこうして、私が振られる姿を、いつも確認しようとするのだ。決して偶然居合わせたわけではない。
私はルイーゼの元へ歩み寄る。
「これで満足なの?」
私は恨み全開の声で、尋ねる。するとルイーゼは、こう答えた。
「ええ、とても満足」
そして花が綻ぶように微笑んだ。この微笑みを見る者がいたら、きっと一瞬で悩殺されるに違いない。それくらい蠱惑的な笑みだった。
そう、私の義妹ルイーゼは、絶世の美少女です。