第12話 榊親子
陽が入る作業場とは違い、事務所は陽が入らない。
桟が入った大きな窓があるが、北の方角。さらに木々が影を落としている。暗くはないが、なんというか華やいだ光ではなく、光に重量があるなら少し重たく温度のない光。
仕事が仕事なのでわざとこの作りなのだろうが、作業場との落差がひどい。
「やあ、バイトを雇ったのかい?」
3時。事務所に件のお札を引き取りに来たのは柔和な40ほどの男性と、俺より若い女性。神主だと聞いて、完全に神社のあの服装を想像していたが、普通にスラックスとシャツだった。女性も黒髪ストレートだがもちろん巫女服ではない。
当たり前だな、なんで袴なんか想像してたんだろう。と、思いながらお茶出ししたところだ。想像の中では烏帽子までかぶってたぞ。
「ああ。佐伯君、こちら神主の榊と榊の娘だ」
「佐伯です、よろしくお願いします」
執務机についたままの樒さんに短く紹介される。一応、お客様だと思うのだが、この二人、夜中に面倒ごとを持ち込んでくるって言ってたもんなぁ。
「榊あきらです。こちらは娘の結衣」
榊さんがにこやかに自己紹介と、娘さんの紹介をしてくれる。
「結衣です、よろしくお願いします」
頭を下げて、乱れた長い髪を耳にかける結衣さん。
お父さんはおっとり系だし、娘の結衣さんは清楚系。――いいな、その黒髪。巫女さんをしているのなら、染めたことはおそらくない。手入れが行き届いた髪だ。
「あ、あの。何か?」
「あ、失礼しました」
うっかり観察してしまい、失礼なことを。
知り合いの漆職人が刷毛に欲しがりそうな髪なのだが、相手も巫女さんじゃ商売道具だろうしな。
漆職人の使う刷毛は、糊と漆で板状に固めた人の髪の毛や馬の毛を、2枚の薄い木板で挟んで作られている。
知り合い曰く、「女性の毛が一番いい!!」のだそうだが、昨今はなかなか手に入らないらしい。当時高校生だった従姉妹が頼まれて伸ばし、10万で売ったことがあるが。知り合いは大喜びで刷毛屋に持ち込んでいた。
「頼まれていた札だ。それと請求書」
樒さんが札の入っている箱と、請求書の入れられた封筒を差し出す。
「ありがとうございます」
「……っく!」
榊さんが箱をにこやかに受け取り、結衣さんがなぜか悔しそうに封筒を受け取る。
「次回こそは値下げを……っ!」
「断る」
悔しそうな顔のまま値切りの言葉をこぼす結衣さんに、表情も替えず短く告げる樒さん。
なるほど、この柔和で頼りなさそうな父親に代わって、結衣さんが経理を担当してるのか。榊さんは困ったように笑いながらお茶を飲んでいる。
「効果が確かとはいえ、さすがに高すぎます。消耗品だということを考慮して欲しいです」
「却下だ」
食い下がる結衣さんと、視線さえ合わせずすげなく断る樒さん。
樒さん、札を書くの面倒そうだったし、残念ながら値下げはないと思う。
というか、お札って値下げ交渉可なんだ? 筆ペンといい、ありがたみがどこか遠いところに出かけてるんだが。
「せめて、先程の従業員に見られた見物料分くらい……っ!」
ぎりぎりしながら結衣さん。
「えっ!?」
「断る」
俺と樒さんの声がかぶった。
「……まあ、特定の男性は好きですからね。黒にクセのない髪」
曖昧に微笑む榊さん。
「この黒髪は商売道具です!」
にっこり圧をかけてくる結衣さん。清楚どこいった!?
「すみません! 見ていたのは確かですが、おそらく想像されているのと理由が違います」
あらぬ誤解を受けている気配!
慌てて否定して軽く理由を話す。
「あ……職人さんでしたのね」
「なるほど、今はなかなか手に入らないでしょうね。そもそもそれを知ってる方が少ない」
あっさり親子に納得されたというか、引いてくれたというか。
「職業柄か職人さんにお世話になることが多いもので。私もつい百均ですますこともありますが、長く使える道具というのは手に馴染んで素晴らしいいと思います」
榊さんが微笑む。
「誤解してしまってごめんなさい。神社でも修理や調度品の買い替えの時に、もう辞めてしまった方も多くて――佐伯さんもその漆職人の方にもぜひ続けて欲しいです」
肩を小さくし、涙ぐんだような申し訳なさそうな顔で見上げてくる。
「そこまで謝られるようなことでは。――ありがとうございます、がんばります」
まさかここで差物師への道を応援されるとは。
まだ決心がついていないんだけど、必要としてくれる人がいるならその道に進みたい気持ちもある。大学を卒業するまであと2年、いや、就活を考えると猶予はあと1年。
あとごめん。知り合いの漆職人、刷毛愛が高じたのか女性の髪フェチなので、結衣さんの髪を見たら失礼な方向に大興奮だと思う。