清める者
葬儀を終えると、村人達は棺に入った老婆の亡骸を穴へと置き、道具を使って盛られた土を掬い埋め始めた。
本当にこれで良かったのか? 村人達は疑心暗鬼であった。葬儀は形だけのもので、司祭を呼んではいなかった。そのため、祈りの文句が抜けている。これでは正当な葬儀では無い。だが、町の司祭ボレアスの言い値は高くて有名だった。老婆の家族が司祭を呼ぶのを断ったのだ。そのため、起きるべくして事件は起きた。
数日後のある朝、ヨタヨタと歩く埋葬した老婆を見たという者が現れた。低い唸り声をあげて明らかにアンデッドへとなってしまっていた。その者は慌てて村長らに報せに走ったために老婆の姿を見失ってしまった。
真新しい墓地に空いた一つの大きな穴。
村人達は慌てて墓を堀り起こす。そこには破れた棺の蓋があり、木の蓋を開けると、やはり老婆の遺体はそこにはなかった。
村の者達はそら見たことかと、老婆の家族を責めた。墓場で村人達がそうやって集まっているところに、低い唸り声が聴こえた。
狼か? と思えば、墓地の入り口に老婆が立っていた。腐った臭いを撒き散らし、それはこちらへ向かって覚束ない足取りで歩んで来る。声はまるで何故自分に聖なる祈りを捧げなかったと、咎めるような憎悪に満ちていた。
「御婆ちゃん、どうか、静かに眠って!」
老婆の義理の娘が声を上げるが、老婆はますます怒り狂い、駆け出してしてきた。
村人らは慌てて左右に散り、老婆は今度は右側へと走った。村人達は慌てて墓地の入り口に来ると、置き去りにした者は老婆以外誰もいないなと、確認し、墓地の鉄格子を閉じた。
「さて、村長いかがいたします?」
一人が尋ねる。
「アラーブ、こうなってはどうしようもない。村からも援助する故、町のボレアス司祭を呼んで来てくれ」
村長が言うと老婆の息子アラーブも頷いた。
その時、鉄格子が揺さぶられた。村人達は慌てて振り返り、老婆が白い濁った眼と黄色い歯を剥き出しにして怨嗟の声を上げているところを見て慄いた。
鉄格子の錠前が心許なく音を上げている。いつか弾け飛ぶのではと、誰もが思った。時は一刻を争う。ゾンビに噛まれたものはゾンビになることは古くから有名であり、常識であった。老婆の息子アラーブは一人、馬を駆り町へと急いだ。
2
町へ着いた頃には夕暮れだった。アラーブは村の人間の心配をしていた。もし、俺が戻った時、全員がゾンビに成り果てて出迎えてくれたらどうしよう。事情を聴いた門番はアラーブを速やかに通してくれた。
闇の帳が降り、アラーブの気持ちと焦りを知ることなく、町は平和な夜の賑わいを見せている。
教会へ行くと、既に扉は閉められていた。
「司祭様! ああ、司祭様は何処へ行かれたのだ!? こんなことならば、最初から速やかに頼んでおくべきだった」
アラーブは後悔し、それでも泣き崩れることはなく、諦めずに夜の町中を回る覚悟で馬を飛ばした。
だが、ボレアス司祭は簡単に見つかった。
酒場で女を相手に酒を飲んでいた。
アラーブは司祭服を着たまま、酒を楽しんでいるボレアス司祭に会えてホッとするよりも、怒りが湧いてきた。
「ボレアス司祭! 何故、教会に居なかったのです!?」
アラーブが怒鳴りつけるが、酒場の喧騒は止まない。それでもボレアスはこちらを向いた。白い顎髭を垂らし、灰色の司祭の服を着ている。髪の毛は既にないが聖印の刻まれた帽子を足元に置いている。皺も深いが、ボレアス司祭は意識のはっきりした声と目でアラーブを見た。
「司祭にだって一日の終わりはある。それで、ミグ村のアラーブ、久しいな、何の用だ?」
「うちのばあちゃんがゾンビになってしまったんです」
「ワシを通してちゃんとした段取りで埋葬をしないからそうなるのだ。よく分かったな?」
「分かりました。ですから、村に被害が出る前にどうにか成仏させてやって下さい!」
「金貨三十枚だ」
「そ、そんなに!?」
「司祭だって仕事だ。善良な人物が多い様だが、残念ながらワシはあくどい司祭だからな。構わんよ? 村に被害が出て、この町の町長から金を貰って、アンデッドに成り果てたお前の家族や村の連中をあの世へ送るようになっても。物を言うのは誠意、誠意とは金だ。払えぬのなら出て行け、酒が不味くなる。なぁ、ミャーちゃん」
アラーブへの辛辣の物言いの後、司祭は猫なで声で、相席する娼婦に声を掛けていた。それっきり、司祭は酒を飲み、娼婦と団欒しているばかりであった。
「さて、では、褥を共にして貰おうか」
「嬉しいわ、司祭様。私、頑張っちゃいます」
このままでは司祭が本当に去ってしまう。アラーブは村長の援助してくれる話を思い出し、村の者達には申し訳なく思いながら声を上げた。
「払います! 金貨三十枚! ぴったりお支払いします!」
娼婦の肩に手を回していたボレアス司祭がこちらを睨んで呆れたように溜息を吐いた。
「ようやく決めたか、この愚か者め」
司祭は娼婦に銀貨を握らせて去らせると、言った。
「一刻を争う事態だ。急ぐぞ!」
「は、はい!」
ボレアス司祭の言葉に悪態を吐きたい気分だったが、アラーブは村のためにグッと堪えたのだった。
3
夜も濃い中、二頭の馬が静まり返った村の前に止まった。
「静かだな、お前の決断が遅すぎたのやもしれぬ」
「え、ええ、というと?」
「村中、アンデッドだらけだということだ。これは金貨三十枚では収まらんな。二百枚」
「吹っ掛けるのはそこまでだぜ、司祭様」
門番のゴリーディが顔を出し、松明に火を着けた。司祭は舌打ちした。
「村の連中は婆さんが出て来ないかどうか、墓場の前で見張ってる」
「ふぅ……」
馬の背でアラーブは安堵の息を吐いた。
「まだ終わっとらんぞ、馬鹿者。墓地へ向かおう」
開け放たれた門をアラーブとボレアス司祭は馬を飛ばして駆け込む。
その時、ボレアス司祭が馬を止めた。そして盛大に胃の中の酒を吐いた。
「これで素面に戻っちまったな」
口元を拭い、再び馬を進める。アラーブも慌てて後に続いたのであった。
村の者達は篝火を幾重にも焚いて、鉄格子を揺すって声を荒げる老婆のゾンビを遠巻きに農具を手にして見守っていた。
「司祭様、どうぞよろしくお願いいたします」
「うむ」
司祭は馬から下りた。
全員が見ている前で司祭は声を上げた。
「喝!」
手を押し出す。歳を感じさせないほど勇ましい叫びであった。老婆はまるで突風にでもあったかのように尻もちを着いた。
「門を開けよ! アラーブ、鍬を持ってお前だけ入れ。そしたら門を閉じよ」
老婆が起き上がる。背後で門が閉まる音が聴こえた。
「しっかり施錠せよ! ワシに限ってやり損なうことは無いとは思うがな、念のためだ」
「覇!」
立ち上がった老婆のゾンビに向かってボレアス司祭は鋭く声を上げて手を大きく上から下へ振るった。
老婆はまるで巨人の足に踏まれているかのように身動ぎするだけで起きられない。
「アラーブ、教を読む間、お前がワシを守れ」
「は、はい」
アラーブは変わり果てた母親の姿を見て、自分を憎んだ。ちゃんと葬式を挙げてやらなくて悪かった、おかっちゃん。身動ぎし、生前の彼女なら叫ばなかった身も凍るほどの激しい奇声を聴いて、アラーブは涙した。背後ではボレアス司祭が教を読む声が聴こえている。
その時だった。立ち上がったのだ。ゾンビに成り果てた母親が。
その身体が白い光に包まれた。母はゾンビの鳴りを潜め、昔の見知った母の優しい顔で言った。
「さいならだ、アラーブ。みんなでいつまでも元気にやりんさいよ」
「母さん!」
そうして一瞬の後、白い光りが弾け飛び、灰が降り注いだ。
「ふぅ、終わりだ」
ボレアス神父がアラーブの肩を慰めるように叩いた。
「司祭様、母を送って下さり、ありがとうございました!」
「うむ、肉体のまま再度埋葬できぬのが残念だが、不浄なる者へと成り果てた宿命故、仕方が無い」
ボレアス司祭はそう言うと、アラーブに向かって手を差し出した。
アラーブは握手に応じた。が、違った。振り解かれてこっぴどく怒鳴られた。
「愚か者、金だ、金、金三十枚! 払わないとは言わせぬぞ!?」
「失礼しました。司祭様、喜んで支払わせていただきます」
アラーブは感涙して言った。
「うむ、良い心掛けだ」
まるで村の悪夢が消え去ったのを悟ったように梟が鳴き始める。ボレアス司祭とアラーブは墓地の入口へと戻る。人々が出迎える。恐々とした様子で終わったのか尋ねて来る。ボレアス司祭が深々と勿体ぶったように頷き返し、村にようやく平和な夜が訪れたことを皆は喜んだ。