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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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第10話

 川辺に出没する狙撃手の正体に目星はついたが、それは事件解決のための糸口を見つけたに過ぎなかった。その駆除については専門家に助言を求めるほかない。犠牲者に二名に関しては事故と事件の両側面での展開を強いられることになるだろう。それに加えて川の封鎖に関する策も講じなければならない。

 ポンヌは部下たちに川の封鎖の準備を命じ、アンディーもそれを手伝うため詰所を出ていった。ポンヌは件の甲虫の駆除に向けてその対策を得るため助言を求めるためザワ・クロフトの研究所へ向かうことにした。フレアもそれに同行を願い出た。ポンヌはフレアの申し出に対して僅かに顔をしかめはしたが、すぐに考え直したようだ。

「構わんよ。ついてきなさい」

「ありがとうございます」

 これが本来の狼人に対する扱いだろうだが、フレアとしてはどんな扱いを受けても同行できればそれでよしとした。フレアはこの展開に胸騒ぎを感じ、彼らを彼らだけで研究所へ送り出す気にはなれなかった。そのために同行を願い出たのだ。

 警備隊の馬車に同乗し研究所に向かう間もそれは収まることはなく高まるばかりだった。その正体は掴むことはできない。胸の中で得体の知れないしこりとなり、胸苦しさを感じるほどに大きくなっていくばかりだ。

 あれこれと考えを巡らせているうちに馬車はザワ・クロフトの研究所に到着した。元は帝国を守備にあたっていた城塞とあって見上げるほどに巨大な扉が備えられていた。かつてはこれが侵入者の行く手を阻んでいたのだろう。頭頂部に設けられている巨大なねずみ返しはすっかり錆びつき、それが時の流れを物語っている。

 時を経て所有者が帝国からザワ・クロフトに移った今は巨大な両開きの扉の端に通用口が設けられ、そこからの出入りが可能となっている。少ない訪問者のために何人もの門番を雇ってはいられない。

 門扉の脇には厳しい書体で研究所の正式名称が綴られた看板が貼り付けられているが村では「ザワ先生の研究所」が一般的な名称となっている。 ローズの塔も正式名称があるのだが、それを知るものは稀な存在だ。それと同様の扱いだろう。

 ポンヌが研究所の通用口の扉に据え付けられた呼び鈴を何度か鳴らし、訪問を告げるという行為を三度繰り返して、ようやく門衛の警備員が扉を開き姿を現した。ポンヌとケイコムという青年隊士と彼らに同行するお仕着せ姿のフレア、門衛はその奇異な組み合わせに眉をひそめた。

「やぁ、ヤマフ調子はどうだい?入らせてもらうよ」

 ポンヌは彼に愛想よく微笑みその脇をすり抜けた。ケイコムも素早い動作でそれにならい、フレアも素早く後に続いた。

「ポンヌさん!」

「ザワ先生にお会いしたい。いや、先生の部屋の位置はわかっている。道案内はいらないよ」

 ポンヌはまとわりつくに警備員にかまわず建物の奥へと突き進む。警備員と小競り合いに近い会話を交わしていると奥から事務員の女が現れた。

「こんにちは、アンジーさん」

 ポンヌは彼女にも警備員に向けたのと同様の笑みを浮かべ声をかけた。

「こんにちはポンヌさん」

 アンジーと呼ばれた女の眼差しと声音には歓迎の色はない。真の門番はこちらのようだ。

「また、ヴィッキーさんの件ですか。それについては先生から十分にお話を聞かれたんじゃないのですか?」

「昨日はありがとうございました」ポンヌは口角を上げ笑みを作り会釈をした。

「今日は別件です。ザワ先生にぜひとも協力願いたい事態が発生しまして訪問した次第です」

「具体的にはどのようなお話なのでしょうか」

「何年にも渡って川に現れていた狙撃手の正体がようやく判明しまして、その対策について先生に相談をしたいと思いまして……」

「狙撃手……先生の専門は昆虫ですよ。ポンヌさんもそれはご存じのはすですが……」

 アンジーは微笑みを浮かべたが、そこには嘲りが混じりこんでいる。

「もちろんです。つい先程判明したことなのですが、狙撃手の件には未知の昆虫が絡んでいるようなのです。だからこそ先生に協力を願いたいのです」

「なるほど……ですが、なぜその方もご同行されているのですか?」

 アンジーはフレアに視線を向けた。そこに含まれる不審を考慮すれば、睨みつけたといった方が正確だろう。なぜ、お仕着せの使用人風情がという侮蔑はその眼差しからありありと見て取れる。

「ランドールさんは狙撃手の正体をいち早く見抜いた方でもあります。そのため同行は必至と思われます」

 ポンヌは言葉遣いこそ丁寧だったがその声音は恫喝に近い勢いを持っていた。右足を一歩前に踏み出し。左手に至っては腰に挿した帯刀の柄に軽く添えられている。

 これ以上抵抗すればその切っ先が面前に向けられかねないだろう。それを悟り、

 その勢いに押されアンジーは僅かに身体をひいた。だが、彼女はまだ堪えている。

 つかの間のにらみ合いの後でアンジーは軽く頷きため息をついた。

「わかりました。少々お待ちください」彼女は踵を返し奥へと歩き出した。

 ポンヌは一瞬振り返りフレアを見据えた。笑みはない。自分も言葉通りの働きは求められるだろう。望むところだ。

 ややあってアンジーが戻ってきた。その表情から心中に抱える不満が靄のように噴出している。これはフレアであっても容易に読み取ることができた。ザワの決定は彼女の意思に沿わなかったようだ。

「……先生がお会いになるそうです。奥へどうぞ……先生のお部屋は覚えておられますね」

「お任せを、昨日の今日です」

「では、そちらへ……」

 ポンヌはアンジーが示す廊下の奥へと歩みだし、その後を二人がつき従う。突き当りにある階段を上り、仄暗い階段室を出て左に曲がる。廊下へと出て、数歩進んだところでポンヌは足を止めた。

「んっ、どうなっている」ポンヌは小声で呟き、振り向き階段室の出口に目をやる。

「何かありましたか」とフレア。

 石造りの城砦とあって飾り気はまったくなく、壁に据え付けられたランプに照らされる様は石造りの隧道を思わせる。自然光が入るのは外壁に面した部屋のみで内部にある通路や物置に陽の光が入ることはない。もしあるとすればそれはこの建物が何らかの事情で崩壊した際のことだろう。

「何か昨日と雰囲気が違うように思えてね」とポンヌ。

「気の持ちようの違いじゃありませんか?」隣にいたケイコムが言葉を投げた。

「ふん、そうかもしれんな」

 ポンヌは思いの外勘のよい男なのかもしれない。こういった勘は嫌なほどによく当たる。不測の事態に備えるに越したことはないだろう。

「こんにちは、警備隊のポンヌです」

 ポンヌは仄暗い廊下を進み、奥から二番目の扉の前で立ち止まり、そこの扉を軽く三回叩いた。

「やぁ、ポンヌさん、お待ちしておりました。お入りください」

 すぐさま部屋の中から落ち着いた男の声が聞こえた。

「お邪魔します」

 扉を開き、ポンヌを先頭にしてフレアが足を踏み入れたのは、中央に巨大な作業机が置かれた縦長の部屋だった。

「……」ポンヌが部屋の戸口で唐突に足を止めたため、後に続いていたケイコムが彼の背にぶつかりそうになった。

「っ……」ケイコムは喉から漏れ出しそうになった悪態をどうにか飲み込む。

「あぁ……すまん」

 彼はこの部屋に何かを感じ取ったようだ。

 部屋の照明は雑然と物が置かれた作業机の両端に置かれた燭台の蝋燭だけで薄暗い。机の中央には淡い深紫の靄を帯びた珠が座布団のような台座の上に置かれている。これはどうにも怪しい光景だ。

 窓はなく砂色の壁に囲まれているが、その裏側からおびただしい数の気配が感じられる。この気配は以前にどこかで感じ取ったことがある。

「ようこそ、ポンヌさん。そして、後ろのお二人も我が研究室へようこそ」

「ザワ先生、ここは昨日事情を伺った部屋とは違うようですね。どうなっているのです」

 ポンヌは部屋の対面側に立っている男に問いかけた。痩せた長身の男で長い銀髪をうなじの辺りでまとめている。彼がザワ・クロフトなのだろう。整った容姿と身なりの中で唯一気になるのは熱に浮かされたような眼差しだ。

「ここはわたしの研究室です。今日はこちらの方が適切かと思いましてね」

 ケイコムもそれには気がついていたようだ。フレアの隣でしきりに周囲を見回している。

「なるほど……」前日に訪れた部屋との相違、それがポンヌが戸口で足を止めた理由のようだ。

 これは穏やかな援助要請のための訪問の雰囲気ではないように思えてきた。自分が抱いていた胸騒ぎは気宇ではなく妥当なものだったのか。

「アンジーからあなた方が今日ここにいらした理由は聞いております」

「はい」

「彼女によると数年に渡り川に現れていた素性の知れない狙撃手の正体をついに突き止めたとか」ザワの口角が静かに持ち上がる。 

「はい、その謎を解明することができました」

「なるほど、それは大したものだ」ザワは満面の笑みを浮かべ、ゆっくりと両手のひらを何度か打ち鳴らした。これはどこか癇に障る拍手でそれを感じ取ったポンヌが眉を大きくしかめる。

「そうだとしても」笑みはすぐさま剥がれ落ち真顔に戻る。「狙撃手の正体を突き止めたとしても、わたしが協力できることがあるのですか?」

「はい、その正体というのが未知の昆虫だからです」

「昆虫?」その言葉にザワは口角を上げた。「詳しく話してもらえますか?」その声音は強い喜びを帯びているように感じられる。強い期待が感じられる。

「端的にいいますとあの川で起こった一連の事件は恐るべき強度を持ち、銃弾に負けぬほど速度で飛行できる昆虫と人による衝突事故といってよいでしょう」

「なるほど、それで……」

 ザワは強い喜びにより今にも笑い出しそうだ。

「その昆虫がどこからやってきたのかは不明ですが、それは川面で飛び交う蛍の群れに混ざり込んでいるようです。それはランタンの光などの刺激を受け動きを活性化する特性があると思われます。光によって活性化したそれはランタンの光めがけて全力で突進してくる。身体は頑丈な殻に覆われていて、その体形は弾丸と変わらない。そんなものが人の軟らかな部位に弾丸と変わらぬ速度で衝突すれば……人の体を貫通することも想像に難くありません。これらはただの推測ではありません。事実です。

それはそこにいるランドールさんが夜実際に川岸において検証した結果です」

 ポンヌは彼の斜め後ろに立っているフレアを手で示した。

「そして、その実物はこちらにあります」

 ポンヌは横に立っているケイコムに目配せをした。彼はそれに応じて腰につけた鞄からガラスの小瓶を取り出す。そこには小指の先ほどの大きさの甲虫の死骸が入っていた。

「今は死んではいますが、わたしはその昆虫が捕られた小瓶を体当たりをもって破壊して飛び出し、灯されたランタンに突進し打ち壊すのを目の当たりにしました」

 ポンヌはケイコムから受け取った小瓶をザワに差し示した。

「その後、この昆虫はランドールさんによって叩き落されました。そんな彼女でさえ自らの掌を負傷しました。痛々しくえぐれてしまうほどの傷跡でした。頑丈な狼人であれですから、人がその攻撃を受けてば体に穴が開くのも頷けます。むしろ、今まであの程度で被害で済んでいたのは奇跡といえるでしょう。我々は狙撃手をずっと目にしていたんです。ですが、その正体に気づかずまったくの見当違いな捜索をしていた。河原では虫の死骸が幾らも転がっていたかもしれませんが、我々はそれに気づきもしていなかった」

「素晴らしい!」

 ザワはまた満面の笑みを浮かべ、ゆったりとした調子で両手を使い拍手を始めた。

 フレアはこれまでこれほど耳障りで癪に障る拍手を耳にしことはない。

「よくぞ、僅かな間にルシフェルの特性をそこまで理解した。もはやこれは賞賛以外のなにものでもない」

「ルシフェル?ザワ先生、それは……」とポンヌ。

 しばし、困惑に囚われたポンヌだったが、次第にその眉間に深いシワが刻まれ目尻が吊り上がってゆく。

「まさか、ザワ先生、あなたはあの虫の存在を既にご存じだったのですか?」

 ポンヌの内心に渦巻くのは怒りだろう。ポンヌはぎりぎりのところで己を抑制しているようだ。だが、何かあればそのタガは簡単に吹き飛ぶだろう。

「いかにも、知っていた。それどころかルシフェルはこの研究所が生み出した最高傑作だ。しかし残念ながら生み出したのはわたしではない……」

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