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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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第9話

 フレア・ランドールとしてはこの状況で何ができるか。それはもはや考えるまでもない。持ち前の力と体を使っての検証だ。あの川に何かがいるのか、それを体を張って確かめるのだ。

 夜が更けて、司祭館の従者たちが自室に引き上げるとともにフレアは部屋を出て行動を開始した。司祭館の裏口から出て納屋の前でアンディーと落ち合い、蛍が群れる川へと向かう。まるで蛍見物をした夜に遺体を探しに出たハリーたちの行動をなぞっているようで奇妙な気分だが、予想される最悪の事態はかなりの危険を孕んでいるため誰にも告げず黙って行動することにした。

 もしなにか起これば、それを考えればこれ以上この件に誰かを巻き込むのは気が進まない。

 アンディーと共にランタンを使わず急ぎ足で川の土手まで歩き、周囲の気配を探る。誰も悟られずここまで来られたようだ。闇に潜みこちらの様子を窺うような者の気配はない。事を控えてとりあえずここで一息つけて気持ちを整える。

「あなたはここで待機していてください」

 フレアは火のついていないランタンを右手に提げ川面に目をやった。今夜も蛍たちは川面の上を飛び交い光の柱を形成している。初めてここへ訪れたときはその輝きの美しさに魅了されたが、この河畔で起こったこと知ってしまった今は首筋が粟立つ。もはやあの輝きからは死にまつわる不気味さしか感じ取れない。

「本当にやる気か……」アンディーは不満気だが、止め立てすることはないだろう。説明は済ませてある。

「えぇ、何が起こるのか試す必要があります。それにこれは他の人には任せておけません」

「あぁ……」

「心配しないでください。わたしは人の何倍も頑丈で何倍も早く立ち回ることができます」フレアは意識して口角を上げ笑みを浮かべた。

 アンディーの眼差しを見るにそれは少しひきつっていたかもしれない。

 ヴィッキーの遺体が受けた損傷について耳にすれば、アンディーが心配するのも無理はないだろう。それが狼人であろうとだ。

 二人の犠牲者がこの河畔へ訪れた理由については警備隊に任せておくのが適切だろう。フレアが追求したいのはこの川に何がいるかだ。過去の被害者は誰もがランタンを手にこの川を渡る際に襲撃を受けている。狙撃手がこの場所にしか出現しないのかそれも謎の一つである。狙撃手はなぜこの川のこの場所ににこだわるのか。なぜ、この場所にしか出現しないのかそれも謎なのである。

 そこでフレアは危険が伴うがランタンの灯を自分の面前で晒すことにより何が起こるのか試すことにした。狙撃手を引きつけるのがランタンか、他にあるのかも確かめてみたいのだ。

「わかったよ」とアンディー。「だが、少しでも危険を感じたらランタンを捨てて逃げてくれ。無理は禁物だ。いくら頑丈だ、人離れした素早さがあるといっても、あんただって胸を撃ち抜かれた生きていられないのは俺たちと同じだろう」

「はい、注意します」

 フレアは火のついていないランタンを片手に淵の上で群れ飛ぶ蛍たちの傍までやってきた。今は特に不審な気配は感じられない。懐に入れていた火おこしを取り出し、

火口に火を点した。細かな繊維状に丸められて木くずが橙色の炎を上げ燃え始める。

途端に川面で何かが騒ぎ始めた。多数の気配がこちらの様子を窺うように飛び交っている。

「何?何なの?」

 蛍ではない。蛍ではないが、 蛍とは別の何かが群れ飛ぶ蛍の柱の傍を飛び交っている。それが火口が放つ光の刺激を受け活性化している。フレアは炎を上げる火口を持ち上げ体の周囲で振り回してみた。途端にその気配はフレアに向かってきた。川面を飛び交う小さな何かがフレアめがけて飛び込んでくる。その速さはまるで弾丸だ。これは人の目では捉えきれないだろう。フレアはその弾丸を持ち前の素早さでかわす。虫の羽音に似た低い風切り音を耳元で響かせた弾丸は彼女を通り越した先で折り返し、再度襲い掛かってくる。

「狙撃手なんていない」フレアは確信した。この弾丸こそがそれだ。

 弾丸の狙いはフレアかランタンか。フレアはそれを確かめるため燃え盛る火口を宙に放った。弾丸は輝く炎に追随する動きを見せた。弾丸の一つが火口に衝突し火の粉が辺り一面に飛び散り巨大な火の玉を形成する。それめがけて他の弾丸が殺到しする。更に火口がばらけて拡散を繰り返す。フレアはその渦中に手を差し入れ弾丸の一つを掴み取った。手のひらに激しい痛みを感じたが握った手は開かずに堪える。火口が完全に燃え落ちると弾丸が引き起こした狂乱状態はすぐに収まり、川面に再び静寂が戻ってきた。

 フレアは川岸に戻り用心深く手のひらを開いてみた。血まみれで少しえぐれた掌にいたのは小さな甲虫だった。これが弾丸、狙撃手の正体のようだ。手の中で甲虫は体を丸め大人しくしているが、あの衝撃を受けても生きているのは相当頑丈なのだろう。フレアは甲虫を包み込み再度拳を閉じた。

「大丈夫か?」アンディーがフレアの身を案じて土手から駆け下りてきた。

そして、アンディーは血を滴らせているフレアの拳に目をやった。

「軽い怪我はしましたが、狙撃手の正体は掴みました」

「そうか……」

 フレアは血まみれの拳の中身を見せた。

「虫?」甲虫の体格と形状は弾丸と同等で細長く丈夫そうな殻に覆われている。「これが人の体を貫き殺した……」

「個体差はあると思いますが、わたしの身体に傷をつけることができるなら、人の体なんて造作もなく貫通することができるでしょう。そして、その後も生きていて支障なく飛び続けることができる」

 先程の甲虫たちの炎に対する熱狂を目にしてヴィッキーやポリーの死に様がどのように壮絶だったか容易に想像がつく。

 「それが何も見つけることができない理由か」

「おそらく、そうですね。たとえ死骸となって転がっていても気にも留めない。誰も虫が人を傷つけ殺めたなんて思いもしないでしょうから……」

「確かに……その通りだ」 

 アンディーは息をつめ、フレアの掌でうずくまる甲虫を見つめた。 

「これでこの川で何が起こっていたかははっきりとしたな」

「はい」

「あの二人は何者かに呼び出されたここまでやってきた。そして……」

 アンディーは顔を伏せ腕を組み黙り込んだ。

「あぁ…」ため息と共に口元が苦痛を受けたように大きく歪む。

「それなら……それが意図したものなら、そいつはこの甲虫の特性をすでに心得ているってことなのか?」

「それは……」

 これもいつものことだが、新たな事実が見出されたとしても事は解決に向かわず更に混沌へと向かっていく。行きつく先まで行かない限り結着はつかないだろう。


「驚いたよ、これが真相とはね」声音が酷く平板になってしまったが、悪意はない。あまりにも想定外の出来事に思考がついて行くことができないのだ。

 ポンヌは詰所の執務机で腹を上にして転がる甲虫を見つめていた。実際に彼らの主張通りの出来事を目の当たりにしても、まだその事実を受け入れられないでいる。

「はい、わたしも同感ですが、これは何のごまかしもない事実です」アンディーが頷いた。

 教会の従者であるアンディーとフレア・ランドールが詰所にやってきたのは今朝早くのことだった。ポンヌが出勤すると彼らは既に執務室へ通され彼の到着を待っていた。面会の要件は川辺での一連の事件の犯行の手口、川辺の狙撃手の正体がわかったというものだった。そこで彼らに事情を聞くとアンディーは甲虫が閉じ込められたガラス瓶を差し出した。

「ふざけるんじゃない!」

 この時はつまらぬ冗談を聞いている場合でないと思わず声を荒げてしまったが、彼らは主張通りに眼の前で実演して見せた。

 ランタンの灯火に狂乱しガラス瓶を割って飛び出す甲虫、それは目にもとまらぬ速さで暗闇となった執務室を飛び回り机に置かれたランタンを破壊した。甲虫は最終的にはランドールに叩き落されることになったが、そんな彼女も掌を負傷することになってしまった。未だに受け入れがたい光景だ。

「この状況を見るに……」ポンヌは深くため息をついた。

「亡くなった二人はともかく、これまで被害者が手の怪我程度で済んでいたのは神のご加護といえるほどの幸運だった……ということか」

「まさにその通りですね」とアンディー。

 男二人でお互いに顔を見合わせ頷く。

「狙撃手の被害が出始めたのはいつ頃からですか?」

 机の上で腹を上にして転がる甲虫を指差しランドールが訊ねてきた。

 それが川にこの甲虫が現れた時期となるだろう。それを冷静に思い起こしてみる。

「虫が川にか、あの年は川での被害は少なかった記憶がある。毎年外からやってきた泊り客が一人や二人溺れて面倒なことになるんだがそれはなかった。安心していたところであれだった。他には……」

 他にもにぎやかな出来事があったような気がする。それは何だったろうか。

「あぁ……あの年はポリーが帝都から戻ってきた年でもあるかな」

「そうですね。見違えるような垢抜けた姿で戻ってきた彼女を目にして村中で大騒ぎになったのは覚えている」

 そうだ、彼女が帝都での勉学を終えこちらに戻ってきた。しばらく、街で過ごしたとあって垢抜けした姿で帰ってきた。胸には大きく派手な柄の巾着袋抱えたいたのを覚えている。旅の疲れもあったのか、表情はどこか虚ろだった記憶がある。

「それまでも蛍は毎年飛んでいたが、今のような被害はなかった」とアンディー。

「それが降って湧いたように被害が出始めた……」とランドール。

「そうだな、とても急な出来事だった」

 ポンヌも覚えがある。被害の訴えが相次いで入ったにも関わらず、捜査の進捗はまったく見られなかった。焦りが高じる中で蛍の季節が終わると被害も収まった。ここ数年はその繰り返しだ。そのためやむを得ず、蛍の季節が迫るとランタンなどの使用を手控えるように要請を出す始末となっている。

「こんな虫、どこから入り込んできたんだ?」

「このような虫が自然に湧くとは考えにくいですから……」とフレア。

「……何者かがこのような虫を作り出し、あの川に放ったとでもいうのか?」

 そんなことができるのか?

「はい、それも視野に入れるべきだと思います」

「誰が何の目的で……?」

「それについては考えも及びませんが、人の興味は尽きないものです。人はそれに突き動かされ進んでゆく。そんなものでしょう」

 確かにそうだろうが、はた迷惑な話だ。

「その果にそれが野に放たれそれは生き延び数を増やしていったと考えていいのか」とアンディー。

「おそらくは……」

 初めはごく限られた数だったかもしれない。そのため被害も小さくすんだ。それが年を経るに連れ数を増してきた。そしてついにあのような有様に至ったということか。

「辻褄は合うが、君たちの話によると川には相当数の虫が棲んでいることになるな」

「はい、早急な対策が必要になりますね」

「といっても、我々にできるのは川の封鎖ぐらいだ……」これについては甲虫を放った犯人を捕らえても容易に解決はつかないかもしれない。

「それならば、ザワ先生に相談してみるのもよさそうですね」

「虫となればあの先生か」


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