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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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第3話

 司祭館の裏口からセッターとミカエルが姿を現すとと、少し離れた物陰からハリーとクレイが姿を現した。彼らは自宅へ帰ったと見せかけこちらに戻ってきたようだ。集まった彼らは四人で頷きあい小走りで動き出した。まずは司祭館の脇に建てられた納屋に忍び込み、纏められた荒縄を持ち出した彼らは再び駆け出した。

「何をするつもりだ……」とアンディー。

 それについては大体の予想はつく。アンディーもおそらく同様だろう。荒縄は彼らなりの安全対策のつもりだろうが、もし不測の事態が起これば子供が対応できる事態ではない。彼らが駆け出したのは蛍を見に行った川がある方向だ。今のところフレアの予想は外れてはいない。

 子供たちが行き着いたのは先刻皆で蛍を眺めた土手だった。これについても予想通りだ。

 彼らは川辺に降りると納屋から持ち出した荒縄を地面に置き、その片端をハリーの腰に巻きつけた。ハリーは荒縄を引くなどして結び目の出来を確認し、残りの三人は荒縄を取り上げしっかりと握りしめた。最後尾にいるセッターは縄を自分の胴に巻き付けた。これで彼らの目的が川辺で蛍を眺めるなど和やかでないことがはっきりとした。

「お前たちそこで何をしている!」

 アンディーは土手の上から大声で彼らの呼びかけ、川辺に向かって駆け出して行った。フレアも彼の後を追う。川辺の四人は突然の大人の怒声に振り向き、すくみあがった。

「アンディー!」

 ハリーが悲鳴に近い声を上げるが、背後は川で逃げ場はない。荒縄で結ばれているために動きを制限されこの場から離れることもままならない。どうすればいいのかわからず戸惑っている間に怒りに満ちたアンディーが彼らの面前に到着した。

「ごめんなさい!」頭を抱えたハリーができたのはこの言葉を発するだけだった。

 他の三人も恐れから顔をゆがめ、身がまえを取り何もできないでいる。

「お前たち……川の中を探るつもりでいたな?」アンディーは深呼吸をして息と気持ちを整えた。

 四人が項垂れ気味に無言で小さく頷いた。

「この川の深みは大人でも足を取られ、出てこられないことがあるんだ。実際もこれまでに何人もの大人が命を落としている。興味本位で子供が近寄る場所じゃない」

 アンディーは抑えた口調で四人の瞳を順に見つめつつ話しかけた。

「腰に縄に巻いて支えていれば助け出せると思ったのかもしれないが、子供の力じゃじゃ水の勢いに負けて一緒に深みに引き込まれかねない。ハリー、お前は自分の身ばかりか大事な友達の命までも危険に晒したんだぞ」

 ようやく事の重大さを悟ったのかハリーは腰に巻いた荒縄を握りしめ横に立っている友人たちに目をやった。

「……ごめん……なさい」消え入るような声で謝罪の言葉を発する。

 これで一段落といったところか。

 皆が落ち着き川辺に沈黙が訪れた。先程まで耳に入らなかった川面を流れる水音まで感じ取れるようになった。川面から風が吹きフレアの顔をなでてゆく。

「……」

 その風にフレアは僅かに身体を震わせた。

「えっ?」

 川面をゆく柔らかな風に死を窺わせる匂いが含まれている。それがフレアの中の獣を揺さぶった。どこかに放置されたままになっている亡骸がある。

 それは野に棲む獣ではない。人の亡骸が放つものだ。どこから漂ってきたのか。

 風の流れを頼りにその方向を探る。蛍だ、蛍が群れ飛ぶ光の柱の方向から感じられる。フレアはゆっくりとそちらへと歩き出した。

「んっ、どうしたんだい?」背後からアンディーの声が聞こえた。

「死臭が漂ってきています」フレアはそう告げると光の柱を指さした。

「死臭……?」

「はい、すぐ近くに誰かの亡骸があるのかもしれません」

「まさか……」アンディーはフレアの言葉に刺激され、何度音を立て鼻から息を吸い込んだ。

「何も感じないが……」

「わたしが何者かは、聞いてらっしゃいますよね?」

「あ、あぁ……」軽く何度か頷く。

「わたしは人より遥かに鼻が利きます。川の方角から漂ってくる臭気はそこの川の中から湧きだしている……と思われます。その特徴からいって人の遺体から生じるものと考えて違いありません」

「つまり、君は本当にあの川の淵に人の遺体が沈んでいるいっているのか?」

「はい、おそらく……」

「えっ!」

「ひぇ……」

 子供たちは表情歪ませ後ずさりをした。ハリーの背後に三人が隠れようと殺到する。この四人はついさっきまで水底の遺体を見つけ出すつもりでいたが、フレアの言葉が与えた反応は喜びでも期待でもなくむしろ恐怖のようだ。浮かれたから騒ぎが無残な現実へと状況が変わった影響もあるだろう。

「一度潜って確かめてきます」

「いや、さっきも彼らに言っただろう」とアンディー。「あの川には皆が淵と呼んでいる深みがあって、そこに引き込むような水流に捕らわれてしまうと一直線で川底へと引き込まれてしまう。人が行く場所ではないんだ」

「ご心配なく、こう見えてもわたしは人はありません。狼人、呪われた身です」

「だが、そうはいっても……」

 フレアはそこで会話を打ち切り、川面を駆け出した。

 川に入ると蛍が作り出す光の柱の直前で急に足元の地形が落ち込みしっかりとした水底が消え去り、身体が急激に沈み込んだ。次いで足を引き込まれるような流れに捉えられる水面に浮かんでいられなくなる。

 これは確かに危険きわまりない。

 フレアはそこで頭を下に向け体勢を入れ替え漆黒の水底へと向かった。彼女は流れに乗りほどなく川底に到達した。これがアンディーが言っていた深み、淵なのだろうなのだろう。

 フレアは両手を使い川底を探ってみた。積もっている柔らかな泥が舞い上がり、手や顔にまとわりつく。その中に確かな手ごたえがあった。なにか固い感触が感じられ、それを僅かな軟組織が覆っている。

「んっ……!」閉じられた口元からわずかに泡が漏れ出た。

 その感触と形状からして半ば骨だけとなった人の遺体に間違いない。フレアはその中から特徴的な形状をした一点を持ち帰ることにした。これなら何であるか誰でも一目でわかるだろう。それは球のように丸く大きな穴が二つ開いていた。

 フレアが淵の底から持ち帰ったのは人の頭蓋骨だった。それは完全に骨と化してはおらず一部にまだ肉が張りつき、ごく一部ではあるがわずかに金色の髪が残っていた。アンディーは元辺境地域に派遣されていただけあって、フレアがずぶ濡れで頭蓋骨を手にして川の中から現れても眉を僅かに動かしただけだったが、ハリーたちは腰を抜かして座り込んでしまった。

「誰だか知らないが、これで転生の輪に戻ることができるだろう」アンディーはフレアの手の上にある頭蓋骨に向かい祈りを捧げた。それを目にして四人も座ったままその場でこの不幸な頭蓋骨に向かい祈りを捧げた。

「この人、蛍に食べられたのかな」ぼんやりと憑かれたような口調の呟きが漏れ出してきた。

「……いくらか、喰われたかもな」

 このような有様となったのは蛍はもとより、むしろ川で暮らす他の様々な生き物の仕業だろう。川に棲んでいるエビにカニ、ナマズや他の魚類などの糧になった末の事だろう。それらは村人のよい糧ともなっているだろうから、フレアはそれには触れないでおいた。


 根拠の乏しい噂ならともかく本当に淵の底から遺体が見つかっては騒ぎにならないわけはない。夜遅くに司祭館へ戻った四人はまずホイール司祭から厳しい説教を受けることになった。それから家に帰されたハリーとクレイは親からいつも以上に強く怒鳴りつけられることになった。彼らは帰宅以後は外出禁止の軟禁状態となっているそうだ。夜に危険な川に出向き興味本位に遺体探しなどもってのほかの話で無理もない処置だ。

 そんな危険な行為に乗ったセッターとミカエルもこれ以降寝室から出ることを禁じられて過ごすことになった。彼らは帝都に帰ってから改めて親から説教を受けることになるだろう。他の子供たちもそのあおりを食って交流どころではなくなった。犠牲者のために鎮魂の祈りや身元確認などを司祭や従者に加えてフレアが手伝うことになったためだ。

「あなたは最近外に出るたびに面倒ごとに巻き込まれているようだから注意なさい」 

 塔を出る時、ローズに掛けられた言葉は現実となってしまった。

 フレアもそれを警戒し、今回は騒ぎが起きても積極的には関わらないでおこうと思っていたのだが、第一発見者となってはどうしようもない。


「ランドールさんは狼人ではあっても正教に対するの信仰の深さにより食人を断ったほどのお方で……」

 これはいつもの正教会の政治的常套句だが、中には本気にしている者もいる。フレアの中では人喰いと信仰心の関連はない。個人の信条の問題だ。言葉は続く。

「それに加えて彼女は帝都で数々の事件を影ながら解決に導いてもいます。この機会に彼女にも協力を仰いでもよいかと思います」

 これについてはまさに言い方の妙といったところか。

 このようなホイール司教のありがたい助言もあって警備隊もフレアの事件への介入を断り切れず、フレアも協また力せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。

 ホイール司祭は執務のために教会へと戻り、フレアはブルドゥル警備隊の詰所の一室に一人取り残された。周りには見知らぬ男たちばかりで全員警備隊士ときている。気まずさはこの上ない。

「よろしくお願いします。そちらの方針をお聞かせ願えますか」

 もうなるようになれだ。


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