第2話
「わたしも初めは信じてはいなかったんだが……」アンディーは少し躊躇を見せるように間を置いた後に言葉をつづけた。
「この川では蛍が出る時期になると何かが現れるようなんだ」
「何かとは?」フレアの問いかけに対する答えを皆が固唾を飲み待ち構える。
「それは……警備隊も正体を掴めていないが、川で群れる蛍の傍をランタンを手にして通り過ぎて行こうすると、どこからか飛んできた何かにそのランタンが叩き落とされるんだ」
アンディーは皆の反応を窺うように間を置きフレアと子供たちに目をやった。
「最初は歩いているうちにランタンを体のどこかにぶつけて取り落としただけじゃないかという話ですんでいた。辺りに何もいないのに突然の衝撃と共にランタンが壊れる。そんな馬鹿なことがあるわけがあるわけがない。何かの拍子に揺れたランタンが身体にぶつかってそれで取り落した。そんな話だろうと誰もが考えていた」
アンディーはため息をつき頭を軽く左右に振った。僅かにためが入り話を再開する。
「状況が変わったのはこの川の向こうに住んでいるアリが何者かに襲われてからからだ。それまでは彼自身もそれを与太話と決め込んでいた」
この言葉に子供たちの数人が体をすくめた。
「この川の中程には大人でも背が立たないような淵があるんだ」アンディーは土手下に見える川を指差した。それは蛍が群れ飛ぶ辺りのようだ。
「そのためこの川を夜になってからここを渡るには明かりは必須、橋はあるが離れているため、面倒で使いたがらない者も少なくない。アリのように川を越えればすぐ家に着くという住人はわざわざ遠回りをする気にもならんのだろう。岸のすぐ向かいに自宅が見えてるんだから無理もない。あの夜の彼もそうだった。ほろ酔い気分で川までやってきた」
子供たちの食い入るような眼差しを受けアンディーは話を続ける。
「川面の上では今夜のように蛍が大量に舞っていたそうだ。あの辺りが皆が淵と呼んでいる深みになっている。そこに近づかなければ問題はない。突然足を取られ深みに落ちることもない。彼は川の中ほどまで行きついた時、ランタンを提げていた右手に突然激しい痛みを感じたそうだ。激しい痛みのせいでランタンを川に落としながらも痛みを堪え岸へと駆け上がった。さらに夜道を自宅まで早足で戻り、そこでようやく痛む右手の状態を確かめたんだ。痛む右手は血まみれで手の甲から手のひらを貫く小さな穴が開いていたってことだ」
子供たちは何人かが口元を手で押さえ、手を握りしめ体をこわばらせるなどしている。
「その時、銃声のような音や閃光はなかったのですか?」とフレア。
「本人によれば何も見聞きはしていないそうだ。近所の住人も何も耳にしてはいない。警備隊も付近を丹念に捜索したが矢などは見つかっていない」
「そうなると魔法……」
「何があったのかはわからないが、当たりどころによっては手の怪我ではすまなかっただろうな。アリは今でもあの怪我の傷が痛んで手がうまく使えないそうだ。気の毒な話だよ」
子供たちには話の刺激が強すぎたのか、誰もが顔を強張らせ黙り込んでしまっていた。
「この話はこれぐらいにしておこうか」
アンディーも雰囲気の変化に気がついたようだ。
「そうですね」
「ここなら何も出ない?」少し不安に駆られたのか。心配顔でアンナが訪ねてきた。
「川から十分に離れているし、ランタンもつけてはいないから大丈夫だよ。もうしばらく眺めてから帰るとしよう」
そうは言っても黙って蛍を眺めていられたのは僅かな間で、子供たちはほどなく闇の中でふざけ始めた。最初は無言でやがて声を上げて大騒ぎを始めた。
「納得はいったようだな」アンディーは微笑みを浮かべつつ子供たちを眺めた。
「そのようですね」フレアも微笑みを浮かべる。
「そろそろ帰るとしようか」
「えぇ!」
蛍そっちのけでふざけあう子供たちから不満の声が上がる。
「えぇ!じゃない。もう寝る時間だぞ。帰ったら甘いお茶を入れてあげよう。それで終わりだ」
「……じゃぁ。帰るけど、その前にもう一つの方の話を聞かせて」ハリーはまた食い下がる。
「またか?帰ってからじゃだめなのか……いつまでもいるここにいると何か怖い獣がやってくるかもしれないんだぞ」
「あぁっ」ハリーはアンディーの言葉で今どこにいるのか思い出した。
「わかったよ……でも、戻ったら他の話を聞かせてよ」
「いいとも」
この川にはまだ他の怪談話があるのだろうか。
「……あれこそネタというか与太話の典型だよ」
司祭館の食堂に戻ったアンディーは甘い香りを放つ香草入りの茶を手にしながら笑い声を上げた。彼の茶にはわずかだが酒が混ざられている。フレアは漂う上等な蒸留酒の芳香を嗅ぎ取りつつ自分の茶を口に含んだ。彼はどこでこれを手に入れたのか。
おそらく司祭館への進物だろう。
「ネタ……?嘘だったの」ハリーは上目遣いでアンディーを見つめている。他の子供は少し引き気味ではあるが、怖いもの見たさに惹かれるものはあるのだろう。事の成り行きを見守っている。
「まぁ、確かめた者はいないが、おそらくな……」
「……」
「確かに蛍の卵というのは水場で産み落とされる。そこから孵った幼虫は成長し蛍に変わるまでは水中で過ごす。奴らは肉食で自分より小さな虫や貝を取って喰ったり、川の底に沈んだ魚や溺れて死んだ生き物の死骸も口にしているだろう。そこまでは間違いない」
「うん……」
ハリーが川から戻る前に聞きたかった、皆に聞かせたかった話というのは川での蛍大発生の原因についての噂だった。
「大きな死体というのは蛍の幼虫や他に生き物にとっては好都合だろう。けれど大きな死体が現れたから即大発生という安直な展開は少ないだろう。他の条件が様々な形で絡んでの大発生だと思う」
「じゃぁ、淵の底には人の死体はないの?」
「それはさっきも言ったように確かめて見ないとわからない。あったとしてもそれが人とは限らない。お前たちも人と変わらない大きさの獣がいることは知っているだろう。森の中には体格のいい鹿がいる。それを獲物にする狼に熊だっている」
「うん……」
川の淵に人の遺体が沈んでおり、蛍の幼虫はそれを糧に成長し大発生しているというのは不気味ではあるが、ある種の面白みも感じ取ることはできる。それ故、他の地域では実際に実例があるという伝聞も付随され、ブルドゥルの住民たちの間でまことしやかに流れているのだ。そのためハリーのような子供の耳にも入ることとなったのだ。
「じゃぁ、嘘なの……」アンナが重ねて尋ねる。
「嘘か本当かどちらかと言えば……嘘といっていいだろうな」
「よかった……」アンナは安堵の息を漏らした。
「なぁんだ……」
「つまんない」
期待はずれで落胆する声も漏れていたが、実際人の遺体が見つかることになればひと騒ぎ起こることになる。噂を流した本人も本気で口にしているわけではないだろう。
「嘘つきというのは本当の話をいろいろと混ぜて、紛らわしい嘘を作り上げる。これは嘘つきがやる常套手段だから気をつけるようにすることだ」
「はーい」
期待外れに終わった謎の解明に食堂内で生返事が響く。世の中でそんなに芝居がかった展開がいつもあるわけではない。
アンディーの締めの言葉で夜のお茶の時間はお開きとなり使われたカップは集められアンディーの元へ集められた。彼はそれを速やかに盆の上に載せていく。フレアもそれを手伝い、集められた別の盆へと乗せていく。アンディーが盆を抱え食堂から出ていくと、ハリーが動き出した。彼は遊び仲間のクレイにまず声を掛け、次に意気投合したセッターに声を掛け隣にいたミカエルがその輪に加わった。
フレアが横目でそれを眺めていると四人は食堂の隅に移動して頭を突き合わせ何やら相談を始めた。よからぬ企みでなければよいのだが、彼らの表情からして明日の奉仕活動の打ち合わせではないだろう。何を企んでいるにしても口頭での注意は通じそうにない。見張って何かが起る前に押さえるしか手はないだろう。面倒だが、事が起きてからでは取り返しがつかない。愚かな思いつきほど思い切りがよいのはよくあることだ。いくらか周囲の様子を警戒している様子があるが、その態度が余計に不審を募らせる。フレアが気がついていないふりをしていると彼らは速やかに打ち合わせを済ませ、アンディーが戻るころには何事もなかったように企みの輪を解いていた。
彼らが動き出したのは全員が就寝のため用意された寝室に引き上げてからほどなくのことだった。セッターとミカエルが部屋から抜け出し、足音を忍ばせ司祭館の裏口に向かっていた。その動きは思いのほか速い。
「まったくどこへ行くのやら」廊下の陰でその様子を眺めていたアンディーはため息混じりに呟いた。
「予想はつきますが、もし当たっていれば絶対に止めないと危険です」
「そうだな」
フレアはアンディーに彼が席を外していた間の出来事を彼に告げておいた。彼によるとハリーとクレイは二人で度々馬鹿をやらかしている仲らしい。その度にそれぞれの親から怒鳴りつけられているのだが、おとなしくしているのはその時だけでどんな目にあっても懲りたためしがないそうだ。フレアの予想が当たっていれば、今回は命にかかわり兼ねない惨事が起こる可能性がある。
裏口に到着したセッターとミカエルの二人は周囲を確認した後に音を立てないように裏口を開け外へと出て行った。
「わたしたちは行くとしようか」
「はい」
フレアとアンディーの二人も彼らに続き外へと出て行った。




