蛍 第1話
今回はフレアが主役のお話となります。
正教会主催の交流会に参加することになったフレアは河畔の村を訪れることになります。
おとなしく過ごしていようと決め込んでいたもののそこで遺体の第一発見者となり、それに伴うであろう殺人事件にも関わることとなってしまいます。
フレア・ランドールが星空の元で活動することは珍しいことではない。
狼人という呪われた存在となって以来、フレアは睡眠を必要とすることはなくなった。それにより夜も活動時間に当てられることが多くなり、星明かりを頼りに山野を徘徊することも少なくはなった。
だが、今夜のように遮蔽物のない川辺を歩き、満天の星が輝く夜空を見上げることはあまりない経験だ。フレアはいつもどこかの物陰に身を隠し過ごしていた。不用意にその姿を晒さない。それが身を守る一番簡単な策だったからだ。
「こういうのもいいですね」フレアは静かに呟いた。
「そう言ってもらえば、ここまでやって来た甲斐もあるよ」前を歩く初老の男が軽く後ろを振り向き笑顔を向けた。
アンディー・シーという白髪混じりで髪の短い男だ。銃器の扱いや剣技に自信を持っていた彼は若い頃に帝都に出ていった。やがてその腕前とその働きぶりを買われ騎士に取り立てられられることとなった。帝国北東部の辺境地域を守る部隊での従軍経験もあるという。年を経て故郷であるブルドゥルへと戻ってきてからは教会の従者として働いているとのことだ。騎士であった頃の名残は砂漠地域の強い日差しによってもたらされた焼けた肌とそれに伴うシミ、そして引き締まった身体だという。肌はともかく引き締まった身体はその後も続けている研鑽の賜物だろうとフレアは感じた。
「もうすぐ着きますよ」
「そこで蛍ってのが見れるの?」連れだって歩く子供たちの中から期待を込めた声が響いた。
「見れるとも、川の上をたくさん飛んでるはずさ」
「たのしみだな」
暗い夜道に子供たちの歓声が上がる。
彼らの引率及び警護のためについてきたフレアも川面に舞い飛ぶ蛍の群れの話を聞き興味をくすぐられた。蛍なら一人で山野を徘徊している頃にはよく目にしたが、足を止めて眺めるような対象ではなかった。木々の間で輝く光点などは接触を避けるようにしていたからだ。
フレアが帝都に住む子供たちを引き連れて、帝都の北西部に位置する河畔の村ブルドゥルを訪れることになったのは妙な成り行きに巻き込まれたためだ。
フレアは今回の旅行に関する引率の要請を受けるまで、教区間での交流会が計画されていることなど知る由もなかった。遠く離れた教区間での交流の発端は予てからの司祭同士のやり取りにあったようだ。だが、実際に企画を立案し実行に向け動かし始めると様々な問題が噴出してきた。その最たるものが旅の安全面である。参加者を無事に先方へと送り届けるには、どうしても引率役と警護の担当者が必要となる。最初は教会付きの僧兵に頼めないものかと考えていたが、その手配もままならず困っていた。こればかりは迂闊に外部の者に依頼するわけにもいかず、人選に窮していたようだ。
ここまでくればどのようなやり取りがあったかは大体の予想がつく。おそらく誰かがこう言ったに違いない。
「彼女に頼んでみてはどうだろう。彼女ならば十分に信頼がおけ、それに腕も立つ」
彼女、それは誰のことかは聞かなくともわかる。フレア・ランドールだ。
正教会とフレアとは強い親交があり、頼めば応じてくれるのではないかと。大正解だった。何度かのやり取りを経て、フレアは大胆極まりない提案が込められた白羽の矢をその胸で受け止めることとなった。
「あなたが子守とは……まぁ、いいわ。行ってらっしゃい」
フレアは大笑いを放つローズに見送られ、補助の従者共に七人の子供たちを引き連れて馬車で河畔の村ブルドゥルまでやってきた。ブルドゥルまでの旅程では目立つ騒ぎはなく、ほぼ平穏に教会に併設されている司祭館へと到着した。
司祭館の玄関脇には帝都からの来客を歓迎する看板が立てられ、馬車が到着した時にはこちらが馬車から降りるまでに司祭や教会の従者達が姿を現し、暖かい歓迎を受受けることとなった。
「わたしはブルドゥル教会の司祭を務めておりますモンティ・ホイールです。遠路はるばるようこそ」
ホイール司祭は自己紹介もそこそこにフレアと子供たちを司祭館の広間に招き入れた。子供たちや従者には半日以上に渡る行程をねぎらう菓子と甘い茶が振舞われ、フレアには薄い茶と塩気の薄い干し肉が差し出された。フレアとしては嬉しい気遣いだ。
ほどなく、ブルドゥル側の子供たちが司祭館に姿を現した。双方の子供たちは顔を合わせた時こそそのやり取りにぎこちなさを見せていたが、夕食を済ませた頃にはすっかり打ち解けた関係となっていた。
「司祭様、わたし蛍を見に行きたいな……」
食事に使われた食器が片付けられ、茶と焼き菓子がテーブルに置かれた頃に
地元のアンナという赤い髪の女の子が呟いた。
「俺も行きたい」金髪の男の子が口角を上げ右手を高く上げた。ハリーと名乗っていた。
「蛍?……何…?」黒い髪の男の子が興味深げに身を乗り出した。
焼き菓子を口いっぱいの頬張っているため声はくぐもっている。彼はタイラーという子で、フレアとともにやってきた。
「お尻を光らせて飛ぶ虫だよ。夜になると川の上をたくさん飛んでるんだ」最年長のセッターが解説する。
「虫……」帝都から来た子供たちが眉を歪め顔を見回す。
帝都で見かける虫といえば、食べ物に這いより飛び交う、ごみにたかるなどする存在で、あまりよい印象は持たれていない。
「すごくきれいなのよ」
「豆粒みたいなのが黄色く光ってふわふわと飛んでんだよ」
「一匹じゃなくたくさんね」
アンナたち地元の子らが口にする言葉に帝都の子らも興味を惹かれ、場は蛍の話題で盛り上がってきた。慎重な面持ちのホイールとアンディーは顔を見合わせ、こちら側の従者ブルースに視線を投げかける。薄く褪せたような茶髪の中年男は軽く肩をすくめた。事はお互いの想定外の方向に進んでしまっているようだ。夜に子供たちを引き連れ人気のない川辺に行くなどあまり勧められた行為とはされていないのかもしれない。
「行きたいよ」
渋る大人たちに子供たちも引き下がらない。やがてというか、半ば当然の流れだろう、その話題は加わらないでいたフレアの元に回ってきた。
「フレアは蛍を見たことはあるの?」
「あるわ……」
「どんなだった?」
「何回かはある。木々の間を漂うように飛んでたわ」
フレアはそれをきれいだと思ったことはない。まず湧き出すのは警戒心だ。それが虫ではなく、人が手にするランタンなどの照明ならすぐに物陰に身を隠す必要がある。彼らに不用意に出てこられてはこちらの狩りの邪魔になる。そして彼らの目につきたくはない。
「フレアも見に行きたくない?」
彼らがフレアを味方につけようとしているのが透けて見える。
「そうね……」
どう答えるべきか、司祭に目をやる。彼も判断に困っているようだ。仕方ない、フレアは腹を決めた。
「わたしも付いていきますから、見に行ってはどうでしょうか」フレアの言葉に歓声が上がる。
「そうしないと、この子たち勝手にここを抜け出して見に行くってことにもなりかねませんし……」
フレアは歓声をあげる子供たちの目を順に覗き込んだ。途端に黙り込み視線を避け顔をそらす。実にわかりやすい。
「いいでしょう。アンディー、案内はあなたに頼んでいいですか」司祭は仕方ないとばかりに軽く首を横に振った。
黙って抜け出され何かあってはその方が大事になりかねない。
「はい……お任せください」仕方ないといった風情で頭を左右に振った。
再び子供たちの歓声が上がる。
「わかっているとは思うけど、みんな揃って行動して離れて勝手な事はしないように、外に出たらアンディーさんのいう事を聞いて行動するようにね」
フレアは今一度子供たちに釘を刺しておいた。
村の灯火から離れ、しばし背の高い草が生い茂る中を進むと川辺に沿う土手へと出た。川はそこから一段低い位置にあり、川面はフレアたちがいる場所から見下ろす形となっている。さほど大きな川ではない。だが、岸での川遊びはともかく中に入るのは相応の注意が必要だろう。
「あれが蛍だよ」アンディーは川面の一角を指さした。
そこにはまさに乱舞する光の群れがあった。フレアは昼間に水面で蚊柱と呼ばれる羽虫の大群を見かけたことがあるが、これはその蛍版だ。群れ飛ぶ蛍が細かな光の柱を構成している。フレアもこれほどの数は目にしたことはない。
「川に近づいては駄目だよ」とアンディー。「ここから眺めているだけにしよう」
フレアは彼の声音から緊張を感じ取った。僅かに首を振り周囲を警戒している。眼差しが辺境警備にあたっていた頃の騎士に戻っているようだ。ここはそれほど危険な場所なのか。フレアも危険な気配を感じ取れないか、周囲に探りを入れる。
姿を晒すことを考えるなら土手の上よりも、川辺に降りた方が目立たないだろう。
「やっぱり、アンディーはじゅうげきはんを気にしているの」背後から聞こえた子供の声にアンディーが鋭く肩を震わせた。
「銃撃犯……?」フレアは耳を疑った。
子供故、何かと勘違いしているのかと思いはしたが、アンディーの反応から見て聞き間違えではなさそうだ。
「アンナ……」
「穏やかじゃないですね。その言葉……」
「えぇ、そうですね。確かに」
フレアは再度周囲の気配を確かめた。川辺には何もおらず、背後の草むらから流れ込む風にも不穏な気配は含まれず、何者も潜んではなさそうだ。今のところは。




