第7話
ホワイトからアイリーンたちへの作戦指示は至極単純明快なものだった。街路に出て、メイスを囮に魔導師が放つ使い魔の来訪を待つ。そこからは使い魔の攻撃を凌ぎつつ、キャラウムの同士たちがこちらに追いついてくるまで時間を稼ぐ。同志たちが追いついてくれば、アイリーンが彼らの意識からキャラウムの居所を読み取り、ホワイトがそちらに出向きに強襲をかける手筈となっている。
言うは易く行うは難しの見本となるような作戦ではあるが、ホワイトは皆を手練れとみてこの作戦を実行に移した。
「来るぞ……」
ホワイトたちの倉庫から街路へと出て、ほどなくアイリーンはこの世ならぬ存在の気配を感じ取った。メイスの背後に黒々とした靄が湧き、メイスは靄と正対し、マッコイとアイリーンは靄の背後と側面に回り込んだ。使い魔が放つ大鎌には即死の効果が付与されている。そのため、鎌との接触は絶対回避が条件だ。これについては防具などで受け止めての防御は通用しない。これらの特性を知らなかったためにマッコイの同志たちは命を落としていった。
「鎌の回避を最優先に考えろ」マッコイは使い魔の背面に拳を三発続けざまに打ち込んだ。
使い魔の背が瞬時に正面へと変わり、中段に大鎌が出現しマッコイを薙ぎ払う。動きは緩慢な大振りとなっているが、変幻自在に体勢を入れ替え鎌が出現するため斬撃の筋が読みにくい。これも苦戦の理由となる。
すかさず、マッコイは背後に退き身をかわした。新しい背中に向かいメイスが中段と下段に左右からの蹴りを入れた。三発目で手ごたえが消え使い魔は靄に返った。
「今回はここまでか」とアイリーン。「次の接触までどれくらい間が開くのだ?」
「そうだな……夜なら大して間を置くことはない、すぐといっても差し支えはないだろう」
マッコイの記憶によれば追手は行動するのは主に夜間で人目を避けていたようだ。
逃れるのならば街へ向うのが妥当だろうが、今は追手を引きつけるのが目的だ。
「ならばそれまでこの辺りを散策するとしよう」
「散策か、いいね」とマッコイ。「それなら港が見てみたい」
「いいだろう。案内する」
アイリーンの先導により三人は港へと歩き出した。
「プーマがこちらの世界へ戻ってきたようです」
タサバサの声と共に黒い靄が湧きだし、それがタサバサの背後で禍々しい姿を形成した。まさに黒衣を纏った死神を思わせる様相だ。
「では、追跡を再開し……ます」
タサバサの身体から力が抜け、眠るように目が閉じられ首が項垂れる。同時に黒衣の使い魔の姿も中に吸い込まれるように消え失せた。
前回は同志たちが追いつく前に倒されてしまいマッコイたちの姿を見失ってしまった。残された同志たちは辺りにそれらしき人影はないかを探索を続けたが発見には至らなかった。残念だが土地勘のない街では力も知れている。
「標的の気配を……察知……」抑揚のない声が室内に響く。
「旧市街……港中町……」
地名からして幾らも動いていないように思える。
「真っすぐ港へ向かって動いているようです。移動速度は歩く程度と思われます」と地図担当の同志。
「われらの手から逃れるために、港から船を使い外へと出るつもりでしょうか」
同志は僅かに首を傾げた。キャラウムにも理解不能の行動だ。使い魔に距離など関係ない。船上となれば袋小路になりかねない。切羽詰まって海に投げ落とすつもりなのか。それはそれで面倒ではあるが、鍵が形を保っている限り回収を諦めるつもりはない。
「港に急いでくれ」キャラウムは魔器を介して同志に伝えた。
「港から出る船がないか探してくれ。奴らはそちらに向かってにいるかもしれない」
「了解」
「目標の女を……発見、マッコイも行動を……共にしています」タサバサの声が耳に入る。
「第二埠頭……」
「前方に停泊中の客船が目に入ります」
「予想通りか……」
「まもなく、目標と接触、攻撃に入ります」
「こちらも客船向けの埠頭が見えてきました。急行します」これは同志からの連絡だ。
「順調だな」キャラウムの心中に喜びがこみ上げてきた。
使い魔と同志で戦力は大幅に増強される。この地で闘争の決着をつけることができるだろう。鍵が手に入れば、ようやく禁忌の地へと向かう準備を整えることができそうだ。
空には赤みが強い見事な満月が浮かんでいる。穏やかな風を受け、水面の一部が青身を帯びて波打つ。それは海中に棲まう小さな生き物たちが刺激を受けての反応だ。
「いい選択だったな。絵になる光景だろ」埠頭から沖を眺めてアイリーンは笑みを浮かべた。
「これが追手から逃れる最中でなければな」マッコイの声にならぬ声が心中より漏れ出してくる。
メイスは使い魔の来襲が気になり気もそれどころではない。
「戦闘が始まれば月なんて眺めている暇はなくなる。今のうちに目に焼き付けておけ」
「せっかくなら落ち着いた気持ちで眺めたかったわ」メイスが軽くため息をついた。
軽口だが、緊張を幾分か和らげることができたようだ。
「来るぞ。悪いが時間稼ぎのため攻撃は控えめにしてくれ。わたしがとどめを刺すまでうまく凌いでくれ」
「了解」とマッコイ。
「心配するな。当たらなければ……」
「どうということはないか。無責任な言い草だよ」
最初に靄が湧いたのはメイスの背面だ。黒衣の骸骨の形態をとり、メイスに向かい大鎌を振るう。毎回同じ手順をとり攻撃を開始するのは術式に囚われての行動だろう。そのため始撃の回避は容易となる。その後も武道の心得を持つ二人は使い魔による攻撃をかわせるようになってきた。不規則な出現と消失を繰り返すと思われた攻撃にも流れがあり予兆があることを察知することができるようになってきたのだ。
月明かりの元で骸骨と命がけの舞踏を演じる男女の姿を目にしたものがいたなら幸運だっただろう。だが、この稀なる公演はそろそろ幕を閉じる時間がきた。次の演者がまもなくここへやってくる。アイリーンは素早く死神の背面に回り込み、手刀を体内に突きこんだ。伸びた指が体内を貫通し死神は靄に戻り消え去った。
「よく頑張ったな。だが、すぐに追手が駆けつけてくる。気を抜くな」
アイリーンが指さした方角に人影が姿を現した。最初は黒い影だったが、近づくにつれその詳細がはっきりとしてきた。近東風の上着は砂色で皆頭を剃り上げた男が四人こちらに向かって走ってくる。ホテル・スマグラーズの喫茶室で見かけた男たちと同様の身なりをしている。
「間違いない、奴らだ」
「お母さま、追手が現れました」アイリーンは無言でホワイトに呼びかけた。
男たちもこちらの姿を目に留め、動きを緩めた。戦闘に備えて構えを取る。
「誘い出しに成功したか」ホワイトの声がアイリーンの頭蓋内に響く。
「はい」
「その者たちはキャラウムのの居場所を知っておるか?」
「はい、旧市街、ホテル・ロイエンタール二階三号室」
「これはついているな。そこなら目と鼻の先だ」
「お前たちはそこで男たちの相手が終わったらそのまま引き上げるとよい。こちらの後始末はわたしに任せておけ」
「はい、お母さま」
男たちがアイリーンたちとの間合いを詰めてきた。いよいよ戦闘開始である。
「どうなっているんだ……」
キャラウムを包んでいた勝利への高揚感は消え失せ、今や湧きだした不安に満たされている。我らはマッコイたちを埠頭に追い詰めたはずだった。タサバサの使い魔は倒されはしたが、同志たちが到着するまで持ちこたえ導くことはできた。彼らからマッコイたちの姿を捕捉し、戦闘を開始するとの報告が入った直後に魔器による通信が途絶した。魔器は常時解放状態にすることを命じてあったため、無音、無反応はあり得ないはずだ。
「使い魔はまだか?」渦巻く動揺を抑え込み魔導師に問いかける。
魔導師は明確に首を横に振った。
彼は覚醒状態で使い魔の復帰は今しばらく時間がかかりそうだ。
「お前ももう察しはついているだろう」
背後から女の声がキャラウムの耳に入ってきた。
「狩りは失敗に終わった」
抑制が効いた声だが、キャラウムは胸に銛を突きこまれるような衝撃を受けた。幻の痛みを感じ息が詰まる。 即座に振り向き視線を向けるが誰もいない。タサバサも立ち上がり周囲を窺う。部屋にいる地図係三人も女の声を耳にしたようだが、姿は見当たらない。
「お前たちは狩る側として行動を続けていたようだが、何事においても永遠はない。すべては移ろい、その優位は瞬き一つで入れ替わる」
「我らの負けだとでも……馬鹿なことを」
タサバサが糸が切れるように床に座り込んだ。その過程で一瞬キャラウムへ眼差しを送ってきた。使い魔が戻ってきたようだ。それならまだ勝ち目はある。大鎌の一撃があれば形勢は逆転する。
「お前たちはしばらく前からに狩る側ではなく、狩られる側として踊らされていたのだ」
女の語りは続いている。
使い魔がその力により女の居場所を感知したようだ。部屋の扉の傍に靄が湧き立つ。女はそこにいるようだ。靄が黒衣の人型を形成し、現れた大鎌が高く振り上げられ、霧散した。緋色の魔導師は痙攣を起こし仰向けで床に倒れた。畳まれていた脚が伸び前に投げ出される。目と口は虚ろに開いたまま動かなくなった。何が起こったのか。
「面白い力を持っていたのに、つく側を間違えたな」
姿を現したのは何もかもが白い女だった。白い立像のようで瞳だけが瑠璃のように碧い。
「お前は何者だ」
「お前たちの死神だ」女の口角が大きく上がった。
「最後に教えてやろう。港に現れたお前の同志は生きている。気を失っているだけだ。だが、いらぬ記憶はぬかしてもらう」
それがキャラウムが聞いた最後の言葉だった。
この日朝、ホテル・ロイエンタールの二階客室で泊まり客の遺体が宿の客室係によって発見された。死亡者は年嵩の男一名、魔導師と思われる男一人、他二名は命に別状はないないが多くの記憶を失っているようで事情聴取に応じられる状態ではない。
翌日の新聞記事によれば、遺体が発見された部屋には魔導師による何らかの儀式が執り行われた形跡があることから、警備隊は魔法の不適切な使用による事故死などを視野に入れて捜査を進めていると報じられていた。
ホテル・スマグラーズでの喧嘩騒ぎについては続報はなない。旧市街の港で彼らと
で同様の身なりをした男たちが保護されたが誰もが口を閉ざし捜査は進んでいない。
「あの男たちが街に出てくる?」メイスはそれを聞き顔をしかめた。
「心配するな。奴らは本国へ蹴り戻されるだけだ。その処遇がどうなるかは地元での沙汰次第だ」
メイスは騒ぎの数日後の非番の日に倉庫へと招かれやってきた。彼女の目の前にはアイリーンが入れたピンクチャイとローズから貰った焼き菓子が置かれている。
「マッコイからの意向だ。以前の仲間がこれ以上つまらぬ闘争で亡くなるのを目にしたくないとのことだっただからな。甘い気もするが、それがあの男のよいところなのかもしれん」
マッコイはあの朝一番の客船に乗り西へと旅立った。今頃は船を降り火山へと足を進めていることだろう。
「お前に言っておきたいのだが……」
「何です?」
「舞踏家への転身ついてだが……」
「はい……」ホワイトの言葉にメイスが身構え息を飲むのが伺える。
「そちらは一時置いておき武道で名を上げたほうが早道になるかもしれんぞ」
「えっ……」
「美貌の武道家として名を売り、その上で踊れることを周囲に見せつけてやれば活路を見出すこともできるやもしれん」
「あぁ……」ホワイトの大胆な提案にメイスは声を上げた。
「急がば回れともいうからな、生活の基盤を整備し夢を追う。それもよいと思うぞ」
メイスは口の中の焼き菓子と共にホワイトの言葉を強くかみしめた。




