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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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第5話

「標的の気配が消え失せました」抑揚のない呟きが男の口から漏れ出した。

 魔導師タサバサは大きく息を吸い、胸の前で力を込め両掌を合わせる。込められた力により緋色の魔導着の肩が軽く震えた。

「プーマの千里眼にも反応がありません」

 ややあって身体の緊張を緩めた。項垂れていた頭が持ち上がり、閉じられていたまぶたが開いた。意識がこちらへと戻ってきたようだ。

「残念ながら、奴を取り逃がしたようです」

 魔導師は蓮華座を解き、不満気にため息をついた。

「何者かは不明ですが同行者がいるようです。どうやらプーマの千里眼はそちらに反応したと思われます」軽く首を左右に振る。

 ため息をつきたいのはこちらだ。だが、キャラウムはそれを口に出さないだけの分別は持ち合わせている。

「何者だ、そいつは?」つまらぬ叱責よりこちらの方がいくらか前向きだ。

「女が二人、両名とも腕に覚えはあるようです」

「なるほど……」そのせいで取り逃がしたか。

 納得したわけではない。できるわけもない。

 これでアンディ・マッコイは差し向けた追手ばかりか、この緋色の魔導師の手からも逃れたことになる。追手はマッコイを追い詰めはしたが相対した際に打ちのめされ、マッコイは市中へと逃げ延びた。この一件は新聞沙汰となりキャラウムの知るところとなった。追手は地元警備隊の手により捕らえられ行方不明となって、まだ戻ってくることができていない。

「標的が消え失せたとはどういうことだ。何があったと考える?」キャラウムは改めて魔導師に訊ねた。

「おそらく魔法防壁が施された建物などに逃げ込んだと思われます」

「それで気配が消失したか……」

「はい」

「どの辺りで反応が消えたかは掴めておるか」

「はい、この街の旧市街と呼ばれる地域の南側、港に隣接する倉庫街の一角と思われます」

「それではこちらの手のものを使って奴をそこからあぶり出すことにしよう。そのような防壁を備えた施設が数あるわけもないはずだ。その施設を探し出し、そこから奴を追い出すのだ。今度こそ追い詰め、鍵を取り返す。お前はプーマに乗り、彼らを導いてやってくれ。マッコイが見つかればわたしもそちらに向かうことにしよう」

「はい、仰せのままに……」


「また、なのか」

 これがアイリーンが逃走中の男女を伴い帰宅した際にホワイトが抱いた感情だ。

 頻繁なわけではないが、アイリーンは街で見かけた者を倉庫へ連れ帰ることがある。それは人助けというよりは露頭で迷う犬や猫を拾う行為に近いといえる。今回はアイリーンと面識がある給仕の女が面倒事に巻き込まれたようだ。アイリーンは散策中に異変を察知し現場に駆けつけた。

彼女を面倒事に巻き込んだのは彼女が同伴している外国人の男だ。この男こそ先日ホテル・スマグラーズで乱闘騒ぎを起こした張本人らしい。何と都合のよい巡りあわせであることか。

「どうだ、ここも悪くはないだろう」

「あぁ、悪くない」

 アイリーンの言葉に半信半疑だったアンディ・マッコイも倉庫に入り、ようやく緊張を和らげた。

 高度な魔法防壁が施してあると説明したところで目に見えるわけではない。言葉だけでは頼りない。実感することが何よりだ。それは圧迫感、閉塞感と称されることが多いが、それを感じ取れるのは力を持つ一部の者に限られる。

 マッコイという男は幾分か、それを感じ取ることはできるようだ。

 アイリーンに倉庫の二階に通され、熱い茶と菓子が出される中でもまだマッコイは緊張感を募らせていた。相手は神出鬼没の使い魔だ。無理もない。特別な任務を帯び、それらと相対しなければならないならこれくらいが順当な対応だろう。

「あんたは何者なんだ。ここのことは倉庫と聞いていたが、ここは明らかに宝物庫だ。その二階に娘と二人で住んでいる」

「通常では考えられないか?」

「そうだな、それにあんた達こちらの意思を読んでいないか?」

「よくわかっているな」ホワイトは男の察しの良さに口角を上げた。

「わたしはこれでも以前は名のある魔導師のつもりでいた。妙な二つ名で呼ばれてもいたが、それも過去の話だ。今はすっかり落ちぶれて隠者同然の暮らし、ただの「アイラ・ホワイト」に過ぎぬ女だ。詮索はこれぐらいにしておいてくれ」

 ホワイトは軽く笑い声を上げた。

「で、そろそろお前も話してはくれぬか、お前の素性とお前が帯びている任務と現れた使い魔についての詳細を説明してくれ。……娘も言ったように、わたしにできることがあれば協力をしよう。それに……」

 ホワイトは戸惑い手持ち無沙汰でいる給仕の女に目をやった。

「おまえは偶然とはいえこのプリティを巻き込んでいる。彼女にも現状を説明する義務があると思うぞ」

 プリティの視線がマッコイへと向かう。顔を合わせた当時の怒りは幾らか収まり、彼女も冷静さを取り戻している。

「それはわかっている」

 マッコイはそれを嫌がってはいない。むしろ、説明の機会を与えられ感謝をしている様子だ。

「あんた達にはもうお見通しなのかもしれないが、俺から詳しい地名などを言及することはできない。禁じられているのでね」

「それはかまわん。我らが聞いたところで何の役にも立たんだろう。その得体のしれん力などにも興味はない」

「それはありがたい」マッコイは僅かに顔をしかめた。やはり読まれているかと、音のない舌打ちが伝わってくる。

「……俺はこう見えても僧侶なんだ。あんたたちが近東と呼ぶ地域の東の端辺りから来た。子供の頃に寺に預けられて以来、ずっとそこで修行に明け暮れて過ごしてきた。小さな寺だったが歴史だけはあり、それにちょっとした秘密も持っていた。禁忌の地へと至る鍵と呼ばれる宝物を保管していたんだ。それは代々の住職に受け継がれ、彼らはそれを本堂の奥の収蔵庫で静かに守ってきた」

「待って、もしかしてその宝物ってこれのこと?」

 メイスは目の前のテーブルに置かれた黒い宝玉が填められた首飾りを指さした。

「収蔵庫に収められているはずの宝物をなぜあなたが首に掛けて持ち歩いていたの?」

「それは俺がこの「鍵」をこの世から廃棄する役目を託されたからだよ。禁忌の地で得られる力の悪用を防ぐためだ」

 これはよくある話である。だが、その力を欲する者もその力について理解しているのか怪しい場合も多くある。ホワイトが伝説とされる得体の知れない力に興味が湧かないのはそのためである。

「その力ってどういうものなの?」

「あらゆる者を退ける無敵の力と聞いているが、詳しくはわからない……」案の定である。

 この後は特に意識を読まずとも予想はつく。

「だが、そんな力に惹かれた者の行き着く先は予想はつくだろ」

「えぇ、禁忌の地への侵入?」

「その通り、先代の住職ブンゲイ様より住職の座を継いだキャラウムという男は禁忌の地の力を我が物にしようと収蔵庫に収められた鍵を盗み出した上で近しい者たちと共に寺を出て行方をくらました。以後、寺は二派に別れ鍵の争奪戦を続けている」

「不思議と言ってはなんだけど、キャラウムという男はどうしてすぐに鍵を使わなかったの?」

 メイスが口にしたのは当然の疑問だろう。

「なんというのか……幸運なことに、それは彼を含めて誰も鍵を使うべき場所を知らなかったからだよ」

「馬鹿じゃないの……」

「そうだよな……」マッコイは自嘲気味に笑いを漏らした。

 これもよくあることだ。宝物を守ることだけが目的となり、その周辺情報の詳細は次代と共に薄れ消えていく。そのためまず鍵となる宝物を手に入れることが初手となる。場所の特定など二の次だ。

「だが、こちらもそうはいっていられなくなった。それはキャラウムたちがその謎を解き明かしたとの報がもたらされたからだ。禁忌の地の手がかりはその黒い宝玉が填められた鉄板にありといわれてきた。宝玉を囲むその文様のことだ。それが力を求める者に道を示すとされてきた。奴らはその解読を遂に成し得たんだ」

 ここまで話しマッコイは一息つき間を置いた。

「それからほどなく、キャラウムの行動を阻むにはこの世から鍵を消し去る他なしとブンゲイ様が決断された。その役に任命されたのが俺たちだった。鍵となる宝玉をキャラウムの元から盗み出し、遥か西の火山の火口に投げ込み焼滅させるそれが俺達のの任務だった」

「俺達?」

「あぁ……残念ながら仲間はここまでの道中で倒れてしまい生き残りは俺一人となってしまった。そして遂にこの街で奴らに姿を捕らえられることになった。その末に起きたのがあの宿での大立ち回りでその場で鍵を失うという大失態を犯してしまったわけさ」

「それについてはお前の失態ばかりではないぞ」ホワイトは鍵が付いた鎖を摘まみ上げ、目の高さまで持っていた。

「どういうことだ」とマッコイ。眉をしかめる。

「こいつも自分の身の上を少しは知っているのだろう」ホワイトは目の前に置かれた鎖の切れた首飾りを指差した。

「身の破滅を避けるためにこの期を利用したのだ。逃走に疲れたお前の判断を鈍らせ混乱を招き、お前から逃げ出すことを試みた。その場に居合わせたプリティの関心を引き運び役にしたてあの場から逃走した」

「それがわたしを……」メイスは息をのんだ。

「そうだ。魔力を帯びた宝玉だ。幾らかは人を惹きつける力を持ち合わせていても不思議はない」

 二人はホワイトの言葉にしばらく黙り込んだ。どちらも事態を適切に飲み込んだようだが、これで解決ではない。むしろ、ここからが解決への道の始まりだ。

「事のあらましは大体理解できたんだけど、不気味な声を上げてわたしを襲ってきたあれも鍵についてた魔物なの?」

「あぁ、あれは鍵とは別物だ」

 マッコイは眉を寄せ、顔をしかめた。鍵を盗んだ当時の状況が脳裏に蘇ったきたようだ。

「あれはキャラウムが雇ったであろう魔導師が鍵に紐つけた使い魔だろう。鍵が奴らの拠点から持ち出されればそいつが持ち出した者を追跡し、排除するように術式が組まれていると思われる。そいつにより三人の仲間が手にかけられた」

「あなたはどうして無事だったの」

「鍵を持ち出した後に事態をようやく察して手に入れた封印の布を巻きつけ、その術式の発動を抑えていたからさ」

 「それじゃ、あれが突然現れてわたしを襲ってきたのはわたしが何も知らずにその布を外したせい?」真相に気が付き思わず語尾が上ずる。

「悪いがそうなる……」マッコイは苦笑した。

「ごめんなさい。わたし余計なことをしてしまったようね」


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