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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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第4話

 日が暮れてようやく給仕の女が司祭館から姿を現した。昼に見かけた時と違って今は上機嫌のようだ。小脇に紙包みを抱え足取りも軽く街路を歩いてゆく。昼過ぎから待たされていたマッコイもこれでようやく動くことができるようになった。加えて司祭館が住処ではないことに安堵もした。あのような場所に混乱をもたらしたくはない。

 つかず離れず見つからぬように後をつけ、少し距離を隔てた位置にある住宅街の集合住宅へとたどり着いた。職場から司祭館までの行程で何度かこちらの存在に気が付かれたのではないかとやきもきしたが、それは気のせいだったのかもしれない。とりあえずここまでたどり着けたことにマッコイは安堵した。さすがに戸口から先まで後を追うのは躊躇われたため外で様子を窺うことにした。この時間だ、部屋に到着してまもなく灯火が点ることになるに違いない。そこが彼女の住居とみていいだろう。

 ほどなく、二階の一室に灯が点り室内が明るく照らし出された。彼女はあの部屋にいるとみてよいだろうが、問題は接触の仕方だ。鍵の奪還のためやむおえないとはいえ無茶な手段を取るわけにはいかない。かと言って真実を話しても信用してもらえるか怪しいところだ。

 様々な考えが浮かんでは消え逡巡しているうちに、マッコイは彼女の部屋の窓辺に浮かびだした黒い人影に目を留めた。それは水面で揺れるような靄を纏っているかのように見えた。

「あれは……」もはや迷っている暇はない。

 マッコイは明かりがついた部屋にに向かい駆け出した。薄暗い階段室に飛び込み一段飛ばしで階段を二階へと駆け上がり、廊下に出て左右を確認する。外から眺めていた光景を思い描き部屋を特定する。明かりがついた部屋は右手側二番目だ。そちらに足を踏み出した瞬間、その部屋の扉が開き、女性が一人廊下へと飛び出してきた。廊下は薄暗いが、彼女が赤毛で長身の女であることはわかる。服装も帰宅時と変わらない。あの給仕の女と見てよいだろう。動きから見て怪我も負ってはいないようだ。

「よかった、無事なようだな」

 なぜ無事にいられたのか、それは疑問もあるが今は気にしている暇はない。だが、こちらの手落ちで死なれては目覚めが悪いどころの騒ぎではない。彼女の方も廊下に先にいるマッコイの存在を認めたようだ。暗い廊下に立つマッコイの姿に驚き、威嚇的な雰囲気を放っているが躊躇している暇はない。

「ここにいては危険だ。逃げるぞ」マッコイの声が廊下にこだまする。

 女の顔は警戒心に溢れてはいるが、かまってはいられない。一刻も早くこの場を離れる必要がある。マッコイは女の元に駆け寄り、左手首を掴み自分に向かって引き寄せた。右手には剝き出しになった鍵の鎖を握りしめている。彼女自身が封印の布を剥がしたのだろうか。それにより使い魔に居場所が突き止められた。

 面倒なことになったが、今はそれについてとやかく言っている暇はない。

「行くぞ」とマッコイ。握った手を強く引くが女はそれの抵抗し応じない。

「化け物を見ただろう。あれはまたやってくる。今は逃げなきゃならない」

 眉間にしわをよせ不承不承といった雰囲気ではあるが、女は身体の力を緩めた。

「よし、急ごう」マッコイが握った腕を軽く引くと女も素直に動き出した。

 どこを目指すべきか、とりあえずは侵入防壁を備えた場所か。教会か、彼女共々面倒に巻き込むことになるがやむを得ないか。それに加えて、使い魔からの追跡を遮断する封印の布を手に入れる必要がある。それらを彼女にも手短に現状を説明する必要もある。

「どこ行くつもり?」

 暗い街路を二人で連なって小走りで動いていると、女が突然足を止めマッコイをその場に引き留めた。マッコイはその力の強さに前のめりに転びそうになった。

「おい、何をするつもりだ」女はこちらの腕をしっかりと握りしめ離さない。

「それはこちらのセリフよ」と女。

「ねぇ、どこに行くつもり?」

「侵入防壁を備えた場所だ」教会辺りが適切か。

「あなた、まさかリエージュ様たちまで巻き込むつもりじゃないでしょうね」

 リエージュ様とは何者か。その回答は女がすぐに出してくれた。

「あなた、わたしをずっとつけていたわよね。それなら司祭館にいた高齢の修道女を目にしたはずよ。わたしはともかく、あの方がリエージュ様よ彼女と他のみんなまで騒ぎに巻き込むなんて許さないわ」

 勘のいい女のようだ。だが、この街のことを知らないマッコイとしては他に思いつく先はない。

「わかるが、そんな余裕はない」

「いいえ、わかってないわ」

 怒りに燃えた目つきの女はマッコイの手首をきめて背中に捩じ上げようとしてきた。痛みは走ったがマッコイはそれを強引に振りほどき、後ろに二歩ほど退いた。

なるほど、腕に覚えはあるわけだ。

「あなたは何者なの。わたしの店にやってきたと思ったら、すぐに乱闘騒ぎを起こして逃げた。翌日にはわたしをつけまわして、どうやらさっき出てきた死神のことも知っているようだし……もしこれが」

 女は手にした鍵を目の前に掲げた。

「もしこれが目的ならここで渡すからさっさと帰ってちょうだい」

 それで済むなら俺もそうしたい。

「そうしたいところだが、もう手遅れなんだ」

 ここで話し合っている余裕はなく、話を聞いてくれそうにない。当て身で気を失わせ連れ去る他手はないか。鍵だけ持って彼女を残したままこの場を去ることは避けておきたい。それは彼女の死を意味する。

 突然の悪寒に肌が泡立つ。次いで、不気味な声が響いてきた。

「絶対に……殺さなければならない……」深い洞窟の底から響く咆哮のようであり、耳元のすぐ傍から聞こえてくるかすれた囁きのようにも思える不思議な声だ。

 女の耳にも届いたようだ。彼女はすぐさま周囲の様子を窺う。

 まもなく、女の背後の人気のない街路に黒い靄が湧きだした。それは揺らめく艶のない黒衣を纏った骸骨の姿をとった。女が死神と表現したのも頷ける。マッコイは女と死神の間に割って入り、攻撃に備えた。

 死神は手にした大鎌を大きく振り上げ、女への障壁となるマッコイに振り下ろした。大鎌は振り下ろした瞬間に一瞬消え失せマッコイの右手に再出現した。そこから大鎌でマッコイを左手に薙ぎ払った。マッコイはとっさにそれをしゃがみ込み回避した。動作こそ大振りで緩慢ではあるが、消え失せてばかりで太刀筋が読みにくい。素早くそれの背後に回り背中に蹴りを入れる。瞬時に背中と腹が入れ替わり死神と正対することになった。次の斬撃を注意しつつ胸と腹に拳での連打を食らわせる。三発目の腹への攻撃で手ごたえが消えうせ、死神の体は靄に戻り姿を消した。

 今回は無事撃退できたが、また現れるのはわかっている。それまでに隠れる場所を確保したところだ。

「あなた、あれのことを知ってるわよね。何なの教えてくれないかしら」

「わかりやすく言えば、刺客だ。狙いはあんたで奴はあんたを仕留めるまで何度でもやってくる」

 女の顔に恐怖が湧き上がったのが見えたが、それは一瞬のことですぐに内面へと沈んでいった。

「だから、すぐにも隠れ場所が必要だ」

「そうだとしても、あの人たちを巻き込むわけにはいけないわ」

「そんなことを言っている場合じゃないんだぞ」

 やはり、当て身もやむなしかと思われた時、女の背後から声が聞こえた。

「それなら、うちに来てはどうだ。お母さまなら相談に乗ってくださるかもしれぬぞ」

 落ち着いてはいるがかなり尊大な物言いだ。声音からして若い女と見られる。どこにいるのか。

「ここだ」

 女の背後に若い女が立っていた。褐色の肌に黒い髪で真っ赤な近東風装束を身に着けている。出で立ちから見て裕福な士族の娘といったところだろうが、そんな身分の女がこんな時間にこのような場所をなぜうろついているのか。

「それは不意にただならぬ気配を感じ取ったからだ。駆けつけてみればなんとプリティ、お前と会うことになろうとはな」

 若い女は給仕の女に向かって微笑みかけた。若い女の様子は目を掛けている臣民と不意な出会いを喜んでいるといった雰囲気だ。

「あんたは……」何者だ。

 二人とも知らぬ仲ではなさそうだが。

「わたしはアイリーン、そこのプリティの知人の一人と言ってもよいかな?」アイリーンはプリティに同意を求めるように頷きかけた。

「えぇ……」プリティは戸惑い加減にアイリーンの言葉に応じた。

「そういうことだ」アイリーンの口角が静かに上がる。

「ついてまいれ、我が家へ案内することとしよう。防壁を備えた安全な場所だ。

茶や菓子の一つも出すことができよう」

 手招きするアイリーンに従いプリティーはその後ろについて歩き出した。

「マッコイ、お前もついてこい。お前の話ならお母様も喜んで耳を傾けることだろう」

「……わかった」女はまだ告げていない自分の名を知っているようだ。

 マッコイはとりあえずアイリーンの言葉に従うことにした。他に頼るすべもなく、彼女にはこちらの意思が読まれている気配がある。プリティーが彼女についていくならマッコイのそれに同行するほかすべはない。

「わかっておれば、それでよい」

 そんなアイリーンの声が聞こえたような気がした。


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