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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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拾い物には要注意 第1話

今回から新しいお話となります。出演はアイリーンとホワイトの母娘です。アイリーンが知る給仕の女性が落とし物を拾ったことにより騒ぎに巻き込まれることになります。二人はその解決に乗り出すことになります。

 昔、アイリーンが母ホワイトと共に帝都に出入りしていた頃から旧市街にあるホテル・スマグラーズは存在していた。しかし、現在のように高級感に満たされた巨大な宿となったと知ったのは母であるアイラ・ホワイトと共に帝都に戻ってきた時のことだ。この壮麗な建物はホワイトがリズィア・ボーデンと名乗っていた二百年前は皇家の迎賓館として使用されていたと記憶している。

 ならば、アイリーンが砂漠の地中で眠っている間に皇家を離れ、宿の創業者が買い取ったと考えるのが妥当だろう。だが、二百年の時を経ても迎賓館だった頃の威光は色褪せことはなく、今現在も皇家の格式を売りに営業をしている。

 アイリーンは皇家の格式や威光など気にも留めないが、内外を問わず凝った彫刻に埋め尽くされたこの建物には魅力を感じづにはいられない。帝都旧市街の中でお気に入りの一つだ。港の倉庫に籠りがちの母ホワイトと違い、アイリーンは好んで街歩きを繰り返す。

 その道中でこの宿の一階奥に位置する喫茶室に立ち寄ることがある。ここでならアイリーンが好んで身に着ける鮮やかな赤を主体とした近東の伝統文様に包まれた衣装も目立つことはない。身体に張り付き、体型が露わとなる衣装でも入り口に立つ門番たちは動じることなく、軽く頭を下げアイリーンを迎え入れる。いくらか感覚が鈍麻していることに原因もあるのだろう。ここは彼女と似たような派手で奇抜な身に着けた宿泊客などいくらでも訪れるのだ。

 豪奢な絨毯が敷き詰められた屋内へと入ったアイリーンは受付の前を通り過ぎ、悠然とした足取りで奥へと向かう。従業員たちとは言葉を交わしたことはなくとも見知った関係だ。誰もがアイリーンの存在を知っている。

「いらっしゃいませ、ご注文は……」

 アイリーンが空いた席に腰を落ち着けると速やかにやってきた給仕の女もその一人だ。名前はプリティ・メイスといい真っ赤な髪で背の高い女だ。長い髪は頭頂部まとめ上げている。肌は母であるホワイト程ではないが、この街の住人の中ではかなり色白な部類に入るだろう。役者に憧れ、北方からやってきたようだが、夢をかなえるにはまだ時間がかかりそうだ。

 これらは彼女の口からではなく、彼女の内側から読み取った情報だ。そのためこちらからそれを口にする気はない。

「茶を頼む、あの鮮やかな桃色で温かな茶が飲みたい」

「ピンクチャイですね」

「それだ」

「はい、承知しました」

 メイスは軽く微笑みを浮かべるとアイリーンの傍から去っていった。

 ここで供される飲み物はいろいろと試してみたが、今はこの「ピンクチャイ」がお気に入りだ。茶葉を濃く煮詰め、そこに重曹を投入することで茶は鮮やかな桃色に染まる。

 届けられた飲み物は必ず口を使い、飲み込むようにしている。指からでも吸収できるが指は使わない、それが人だからだ。カップに触れた指や唇でその温かさを感じ舌で味覚を味わう。人の身体によりもたらされる感覚を楽しむのも悪くはない。


 緋色のお嬢様が去っていった。

 彼女の名前や素性は知る者は誰もはいない。彼女がそう呼ばれているのはいつも身につけている鮮やかな緋色の近東装束と少女らしからぬ物言いからだ。多くの者が浅黒い肌と黒い髪から近東の名家の娘だと予想している。それも支配者の器を持つ家の娘だとメイスは考えている。一度じっくり話してみたいがただの給仕ではそれも叶わないだろう。そう思いながらメイスは彼女が残していった皿やカップなどを盆に載せた。

 メイスが洗い場へと食器を置いて客席に戻ると、新たな客が入り口近くの席に座ろうとしていた。波打つ艶やかで長い黒髪を紺のリボンを使いうなじの辺りでまとめている。身体は細身で筋肉質、浅黒い肌で精悍な顔立ち単純に言えばいい男である。一人きりで連れはいない。

「いらっしゃいませ。ご注文は何にいたしましょうか」メイスは微笑みを浮かべ、席に着いた男に声を掛けた。

「やぁ」男はメイスの姿を認め笑みを浮かべた。「そうだな……刺激がある飲み物が……」

 男の目が細まり笑みが消えた。

 男の鋭利な刃物のように細められた眼差しの先には、通路を横に一列に並んでこちらに向かって来る四人の男の姿があった。お揃いの近東風の砂色の上着を身に着けている。その中の三人が口や顎の髭を蓄えているが、髪は皆剃り上げている。新市街の東で似たような男たちがいる店を知っているが、彼らとはまた別の危険な雰囲気を帯びている。

「悪いが……先に警備隊を呼んでくれ。乱闘騒ぎが起こったからすぐ来てほしいと連絡してくれ」

「えっ?」

 男は席から立ち上がり、広い通路へと歩み出た。男の姿を目にした四人組は駆け出し、喫茶室に飛び込んできた。突然の乱入者に客たちが悲鳴を上げる。その悲鳴に刺激されてか、さらなる悲鳴へと連鎖する。強盗ならば阿鼻叫喚となるだろう。幸いと言っては何だが、四人組の関心は黒髪の男以外にはなさそうだ。お決まりの金銭を要求する口上を発することはない。

 四人組は速やかに男を取り囲んだが、男は滑るような足取りで囲みを抜け出した。

 そして一人の背後に回り込む。それに慌てた顎髭の男が振り向いた。男は顎髭の男の顎にに拳を一発、詰め寄り腹に膝蹴りその衝撃に身体を折ったところで頭を床に叩きつけた。これで一人の動きが止まった。

 一人が倒れ、残りの三人は囲みを解き後ろに退いた。ここからはメイスにとっては優れた舞踊を見ているようだった。優れた殺陣師が編み出した夢のような振付を目の当たりにしているような気分だ。男は三人が繰り出す拳や蹴りをその場から動くことなく、上半身を左右前後に動かすだけでかわし、腕や脚で受け止める。

 悲鳴を上げていた客たちも黙り込み、固唾を飲み三対一の勝負の勝負の行方を見つめている。三人が繰り出す拳の速さから見て、彼らも手練れに違いないのだろうが男の力がそれを遥かに上回っているということか。

 目を見張る膠着状態、男たちの華麗な乱舞を乱したのは男の胸元から飛び出した小物だった。それに気づいたのはメイスと男たちだけだったのだろう。メイスと髭の男たちはそれが飛び去る軌跡を目で追った。僅かな間だったがそれが彼らの隙となり、長い髪の男はそれを見逃さなかった。

 一瞬、動きを止めた三人を男は猛烈な速度の回し脚蹴りでなぎ倒した。彼らが動きを止め、絨毯が敷き詰められた床に転がると同時に男は喫茶室から飛び出し、出口へと向かって駆けだしていった。その光景は居合わせた誰もが目にしていたが、彼を止めることは誰もできなかった。

 客やメイスを含めた従業員が我に返ったのは男の後ろ姿が見えなくなってからのことだった。力なく床に転ぶ四人の男が目に入り、ようやく目の前で起きていたことの重大さを理解したように顔を強張らせた。悲鳴が飛びかい、腰を抜かす客も出る始末である。従業員は彼らの様態を確認し警備隊への通報のためにあわただしく走り回る。

 そんな彼らを尻目にメイスは男の胸元から飛び出した何かを探し始めた。それが描いた軌跡を思い出してみる。それは芸術的な格闘戦を展開する彼らから飛び出し、メイスの目の前を通過した。最後まで軌道は追ってはいないが、着地点はあの男が腰を掛けていた椅子の辺りと思われる。

 それを見ていなかったのは、メイスが強烈な打撃音を耳にしたからだ。とっさに彼らに視線を戻すと、勝負の決着はついた後だった。彼らはメイス同様に目を離した男たちの一瞬間の隙を狙い、男が瞬速の上段回し蹴りを放ったようだった。メイスが目にしたのは三人の頭部が男の蹴りによってあらぬ方向へ捩じれている姿だった。三人の動きはそれを期に停止し、支えていた糸が切れるように膝から崩れ床に転がった。男が蹴りを放つ瞬間を見逃したのは悔やまれてならない。もっともメイスにその瞬間が捕らえられたか怪しい気もする。

「この辺りよね」メイスは小声で呟いた。

 男が腰を降ろした椅子に目をやり、その周囲を探る。椅子の下に見慣れぬものを発見した。その傍にしゃがみ込み何か確認をする。曇った色合いの鉄製の鎖だ。鎖帷子に使われているの無骨な鎖と同種だろう。そんな鎖で作られた首飾りのようだ。鎖がちぎれてしまった首飾りには四角い飾りが取り付けてあるが、それはなぜか生成り色の布切れで覆われていた。

「プリティどうした」

 背後から男の声が聞こえた。しゃがんだまま後ろに目をやると、少し離れた位置で店長のエルメスが心配そうな眼差しでメイスを見つめていた。

「君も気分が悪くなったか」

「はい……」

「それなら休憩室で少し休んでくるといい」

「いいんですか」

「かまわないさ。どのみちしばらくは営業どころじゃなさそうだ」

 喫茶室からの知らせを受けた警備員や医務室の医師たちがこちらにやってきた。これに外から警備隊が加わるとなれば確かに商売どころではない。メイスが首飾りを懐に忍ばせ休憩室に去ってからほどなくして喫茶室は閉鎖された。


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