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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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第10話

 相変わらず外からやってきた精霊が騒がしくやっているデンドロビューム家別邸内だが、フレアが姿を現したおかげかフェリスたちの緊張した雰囲気は幾分和らいだように思える。朝までにはローズからの連絡が入るのではないか。それはフェリス達には朗報として響いたようだ。前回のローズの振る舞いを目にすれば当然のことだろう。彼女なら必ずこの騒ぎを解決してくれる。フェリスたちからはそんな期待がありありと感じられた。表情からも覇気が感じられるようにもなった。

「はい、ローズ様」

 そのためだろう、不意に漏らした声にフレアは彼らの注目を浴びることとなった。

 フレアの声に眠たげに椅子のもたれかかり、テーブルに寄りかかっていた彼らの背筋がそれに反応して伸び、フレアに視線を向けた。外には漏れないローズの声に軽く頷くフレアの様子を皆が眺めている。

 ローズとの通話が終わり、フレアの頭蓋内から彼女が退去すると、フレアはフェリスたちに目を向けた。

「ローズ様は先方との話をつけられ、今別邸に向かっているそうです。上空を飛んでこられるためほどなくこちらに到着されるでしょう」

「あぁ……」安堵の吐息と歓声ともつかない響きが食堂を満たす。

「そこで、それまでにわたしたちがやっておくことなのですが……」

 フレアは一度言葉を切り、フェリスたちに目をやった。

「はい」とフェリス。

「ある鏡を探しておくようにとの指示を受けました」

「どのような」とデオサイ。

「高さにしてわたしの半分ぐらいはあるようです。姿見とも言えるでしょう。楕円形の鏡に凝った蔓草文様の木彫り彫刻の縁に収められています。心当たりはありませんか」

「鏡ですか……」マーガレットが首を傾げる。

「そこにまたあの誘因式なるものが仕掛けられているのですか」デオサイは両手を顔の前で合わせた。

「はい、おそらく」

「そんなに大きな鏡なら一発で目につきそうだけど……」ポールがテーブルに頬杖をつき天井を見上げる。

「そうよね」とマーガレット。

「皆さんに心当たりがないなら、またどこかに隠されているのかもしれません」

「……そうかもしれませんね」

「全く油断も隙もない」

 ローズの指示によりやるべきことがはっきりとしたためだろう。全員が完全に覇気を取り戻し、食堂の椅子から立ち上がった。不測の事態に備えて全員での移動と探索を開始する。

 食堂に置いてあったランタンをデオサイとポールが手にして闇に沈んだ玄関広間に繋がる廊下を歩いていく。途中で応接間や居間に入るが、構造的に一抱えはありそうな鏡の隠し場所があるとは考えにくい。床の下や天井裏も考えられないではないが、それならば鏡である必要はなさそうだ。

「こちらは後回しにして他を当たったほうがよいのでは」とデオサイ。

「では、どこに……」フェリスが応じる。

「はい、フェリス様。また何者かが忍び込んだのなら、いくつかある収納庫が適切でないでしょうか」

「それはみんなで真っ先に探したでしょう」

「それはそうですが……」

「では、改めて多くの目を使って確認してはどうですか?」

 フレアは両者に向けて声を掛けた。

「あぁ…」

 ここで論争をしている暇はない。

 「そうですね、ここからだとわたしたちの部屋の傍にあるのが一番近いかしら」とマーガレット。

「うん、まずそこから当たってみることにしようか」

「そうしましょう」

 フェリスとデオサイは互いに目を合わせ頷いた。

 応接間を出て廊下を歩き、玄関広間を経て使用人部屋が並ぶ一角の奥に収納庫の一つがあるという。フェリスから案内を聞いている最中にフレアは廊下の壁に掛けてある大きな鏡が目に入った。その鏡は大きさから見た目すべてがローズから告げられた条件にぴったりと合っている。

「これは……」前に来た時にこんな鏡はあっただろうか。

「フェリスさん……」

「はい?」

 だが、フェリスと使用人たちはその前を何もないかのように通り過ぎていく。

「待ってください!」フレアに呼び止められた彼らの足が止まる。

「この鏡はいつからあるのですか。わかりますか?」

 最初は全員がフレアの指摘の意味を理解できなかったようだ。

「これです、この鏡です」

「あぁ……」

 フレアが鏡の前に立ち指をさしてようやく全員が鏡の存在を認めた。まるで鏡がそこにあることに初めて気づいたような驚きようだ。

「こんな所にあったとは……」

「どうして気が付かなかったのか」

「不思議なこともありますね」

「存在を認識しづらくする。たとえ目についても関心を持たせない。それも術式に含まれていると思われます」 玄関口から聞こえた女の声に全員の視線が向かう。

「ローズ様、いつからそこに……」

 ポールがそちらにランタンの明かりを向けると黒い人影が浮かび上がった。黄色味がかった光を受けた漆黒の髪と外套に施された刺繡が輝きを帯びる。

「今来たところよ、本当に」とローズ。「皆さん、こんばんはアクシール・ローズです。お見知りおきを」

 いつもの自己紹介が終わるとローズは鏡の近くに近づいてきた。

「フレア、鏡を壁から外して」フレアに視線を送る。

「はい」

「他の皆さんは少し後ろに離れていてくださいな」

 ローズの言葉に従いフェリスたちは後ろに退いた。フレアが壁から鏡を抱えて外し裏側をローズに向ける。

「この鏡に間違いないと思うんだけど……背を向けて床に置いてもらえるかしら」

「はい」

 フレアはローズの指示通り鏡を床に置いた。

 ローズは床に置かれた鏡に背をかがめて裏面を眺める。

「間違いないわ……」ローズの口角が上がった。何か見つけ出したようだ。ローズが軽く鏡の背板に触れると床に置かれた鏡が上下に揺れ始めた。

「フレア。鏡の両端を押さえておいて、割れてしまうと大変だわ」

「はい」

 鏡はまるで生きていように身をよじらせ上下に動いている。ローズが鏡に触れている指を手元に引き寄せるとそれに従うように鏡の背板がゆっくりと浮き出してきた。ほどなく背板は外れ鏡の内側が顕になった。

「きゃぁ!」

 それを目にした使用人たちから悲鳴が上がる。フェリスは無言で両手を口元に当てている。鏡の背面に出現したのは黒々とした文字で描かれた術式だ。

「ご心配なく」

 ローズは手元に護符を呼び出し、それを術式の上に貼りつけた。

「これで終わりです。この鏡は無害化されました。これ自体はいい品ですからどうしましょうか」

 マーガレットとアリスは大きく首を横に振った。フェリスも思わず顔をしかめた。

「ローズ様……」

「わかってるわよ」ローズは軽く微笑んだ。「鏡はこちらで引き取ります。あとは術式に誘われたいたずら者と話をつければ終わりです。これで朝にはわたしと同じように安心して眠ることができるでしょう」


「いたずら者は出ていきました。もう安心ですよ」

 ローズはその言葉を残し、鏡を抱えて夜空へ舞い上がり塔へと帰っていった。フェリスは皆で去っていく彼女を見送り食堂へと戻った。食堂の片づけを済ませ眠りにつくことになったが、それまでの緊張の糸が切れたのか。フェリスは突然強い睡魔に襲われた。厨房の窓が明るくなってきていたのを考えると明け方のことだろう。その辺りで記憶は途切れてしまっていた。

 次に気がついた時にはお父さんが隣にいた。その顔はまだ若く、出会って間もない頃の姿だ。あぁ、また夢を見ているのだ。明るい陽光が降り注ぐ昼下がりの居間だった。これは前にも見たことがある夢だ。目の前のテーブルには白紙の便箋と透明な液体が入った小さなガラス瓶とそれに浸されたペンが置かれている。

「秘密の伝言書の作り方を教えてあげよう」お父さんはそう言っていた。

 必要なのはお父さんお気に入りの香水が少々とそれを薄めるための水、その二つを混ぜれば魔法のインクが出来上がりだ。

 フェリスは跳ね起き周囲を見渡した。ここが別邸の寝室であることはすぐにわかった。差し込む日の光からして今は昼過ぎだろう。半日は眠っていたことになる。寝巻に着替えているところからアリスにはまた要らぬ世話を掛けたようだ。

 フェリスは寝台から降り衣装棚へと向かった。すぐにでも皆を呼び集め、お父さんの書斎へと向かいたいがそれには最低限の身支度が必要だ。寝巻を素早く脱ぎ捨て、寝台の上にまとめて棚から部屋着を取り出し着替えを済ませる。この時間なら厨房に向かうのがいいだろう。あそこなら間違いなく誰かいる。

 厨房に顔を出すとマーガレットの他にフレアもおり、夕食の準備の手伝いをしていた。

「おはようございます、フェリスさん。何か用意しましょうか」マーガレットが戸口に立つフェリスに気が付き声を掛けてきた。

「おはようございます」フレアもそれに続く。

「何か食べられますか?」

 そういえば、ローズさんは念のためとフレアを残していった。お客さんだというのによく手伝ってくれている。

「あぁ……それより、他のみんなを集めてちょうだい。お父さんの遺言書の謎が解けたと思うの」

「まぁ、それは……」

「みんなに声を掛けてお父さんの書斎に集まって、それからろうそくも必要だから持ってきて」

「はい」

「フレアさんもまだいてくれるなら立ち会って欲しいの、いいかしら」

「はい、喜んで」

 フェリスが書斎にある金庫から遺言書を取り出していると、使用人たちとフレアが部屋に入ってきた。全員が集まっているのを確認して、遺言書が収められた箱を開けた。中から三つ折りにされた便箋を取り出し集まった者たちの前で広げる。

「これには不自然な程に大きな余白が設けられています。宛名と簡潔な文面、それから大きく余白を開けてお父さんと立会人の署名、内容としては試練を克服せよのみです。わたしはその試練がわからず、やみくもにこの別邸内を探し回った」

 使用人たちは無言で頷いた。自嘲気味に顔を歪める者、眉間に皺を入れる者など色々といる。

「あれでは精霊による妨害がなかったとしても遅かれ早かれ試練は破綻をきたしていたでしょう。お父さんがいたならきっといらいらしていたでしょうね。そして、怒りを通り越して呆れ返った」

 フェリスは短い溜息をついた。

「話はそれてしまいましたね。転機はわたしがライデンさんやエリオットさんと知り合ったこと。それで彼らを通じてローズさんと知り合うことができた。フレアさん、あなたもここに来て一番にわたしに重要な手がかりを与えてくれていた」

「わたしが……ですか」

「えぇ、あなたはこの屋敷に、お父さんの書斎に、そして遺言書から匂い立つお父さんのお気に入りだった香水を嗅ぎつけた。人では察することはできないほどに微量な残り香です。それで気が付けばよかったんですよ。でもそれはなかった。お父さんのお気に入りなんだからあって当然、そんな程度でした」

 フェリスは頭を軽く左右に振った。

「フレアさん、香水の匂いは遺言書自体から発してしていたんですよね?」

「はい、直接振りかけたかのようでした」

 フェリスはマーガレットに目をやった。そして、微笑みかける。

「マーガレット、ろうそくに灯をともしてちょうだい」

「はい」

 マーガレットはろうそくの準備を始めた。

「わたしの考えが正しいなら試練とは何だったのか。それを示すことができると思うわ」

 ろうそく立てが書斎の書き物机に置かれ、そこに立てられたろうそくにマーガレットが灯を点す。フェリスは広げた遺言書を灯にかざした。

「フェリスさん!」

「大丈夫、燃やすつもりはないわ。お父さんに教えてもらっていたのよ。秘密の伝言書の作り方を……そしてその秘密の解き方を……必要なのはお父さんお気に入りの香水とそれを薄めるための水、その二つを混ぜれば魔法のインクが出来上がり……」

「あぶり出し……」マーガレットが呟いた。

「そう、その通り……見て出てきたわ」

 遺言書の余白がろうそくの熱で反応を受けて茶色い文字を浮かび上がらせた。

「この匂いは……」フレアも静かに呟きを漏らす。

「ありがとう、魔法のインクのことを覚えていてくれて本当に良かった」フェリスは浮かび上がった文章を読み上げた。綴られた文字は間違いなくお父さんの文字だ。

「これで試練は達成された。これで心置きなくお前にすべてを譲り渡すことができる」

「やったぁ!」

「おめでとうございます」

「ついにやりましたね」

 使用人たちの祝福の声が飛び交う。

「ありがとう、みんな。でも、これだけでいいのかな。終わってしまうと何か拍子抜けで……」

 これがフェリスが抱いた感想だった。紆余曲折はあったが、自分は手品の種明かししかやっていない気がする。

「いいと思いますよ」フレアが柔らかに微笑んだ。

「いろいろと騒ぎはありましたが、あなたの行動力はエリオットさん達やローズ様までも動かすことができました。これこそがあなたの力であって、それによりあなたの優秀さも十二分に証明されたと思いますよ」

「ありがとうございます」

 遺言書の余白に書かれていたのは真の遺言書の隠し場所だった。金庫の奥は隠し扉となっていた。書かれていたのはそこの解法だ。右から二番目の羽目板を長めに押せば、上にある鍵が外れ隠し扉が開く仕組みとなっていた。

「灯台下暗しとはまさにこのことですね」マーガレットが苦笑を混じりに呟いた。

「まったく、これではどこを探しても見つからないはずですよ」デオサイが微笑みつつ首を左右に振った。「あの方らしいと言えばらしくはあるが……」

「まぁね」


 正式な遺言書はデンドロビューム家の資産の分配について記した書類となっていた。それによると資産の分配はフェリスへの極端な偏りは見られなかった。マークの目的は自分と同じくデンドロビューム家と全く血のつながりを持たないフェリスの地位の確保にあったようだ。フェリスも無駄な諍いを嫌いこれを受け入れた。デンドロビューム家の面々も試練の達成を理由に受け入れた。

「そりゃぁ、一連の騒動の過程でできた後ろ盾はただ者じゃないですからね。触らぬ神に祟りなし」とこれは試練の結末を耳にしたローズの言葉だ。

 家内での政治的な決定といえるが、それに異を唱え諦めず闘争を続ける者もいた。ガンボ・デンドロビュームである。彼は由緒あるデンドロビューム家の外部の血による支配を拒み戦っていたはずだった。だが、マークとの競争にことごとく敗れ続けた。才覚や人望においてすべてマークは彼を上回っていた。彼の闘争はついには妄執に成り果て、家人たちの心は彼から離れていった。フェリスへの今回の企てが露見しなかったのもそのためといえるだろう。誰も相手にしないし、されることがないことを彼自身が知っていた。なんとも、皮肉な話だ。

 試練の達成によるフェリスの勝利は療養所で過ごすガンボの元にも届けられた。これで亡くなったマークとその娘フェリスにも負けたことになる。それを知り、ガンボは灯が消えた病室の寝台で横たわりながらも眠れず過ごしていた。

 そのため、病室の窓が僅かな音を立てて開いた時もすぐに察知することができたのだろう。

「誰だ、お前は俺を迎えに来たのか」ガンボは半身を起こし窓辺にいるローズを見据えた。

 黒い人影を目にして死神と勘違いしているようだ。だが、ガンボはその迎えに応じるつもりなど毛頭ない。感じられるのは自らの命を代償にしてでもフェリスに危害を加えたいと念じる心のみだ。

「わたしはあなたの魂など欲しくはありません」ローズは冷たく言い放った。

「これを届けに来ただけです」

 ローズは鏡を目の前に呼び出した。それは彼には見覚えがある鏡だった。マラド・コラボに作らせた呪いの鏡だった。ただしこの新作は何の力も持ち合わせてはいない。あの魔導師は木工職人としても口糊を凌ぐ以上の生活ができそうだ。そちらの方が誰にも害をなすこと無く喜ばれることだろう。

 ガンボはこれが無害な鏡とはわからない。物騒な鏡がどうして、それがここにあるのか。彼はその意味がわからず呆然と鏡を見つめていた。

「すべては露見しました。そして、コラボさんはあなたの件から手を引きました。今頃は異国の空の下でしょう。これはあの方の置土産です。気が向いたら使ってください」

 ローズは寝台の対面の壁に鏡を据え付けた。

「これを期にあなたも抱いている妄執は捨ててお終いなさい。残された期間を平穏に過ごし、安らかに旅立つためにも……」

 この夜を境にガンボは生気を失い、一言も発することのない人形と化してしまったという。真に妄執のみを糧に生きていた者からそれが消えるとどうなるのか。ローズにはそれを知る稀有な機会となった。


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