第8話
フェリスたちがもう眠っていたらどうするか。
既に夜は十分に更けている。もう多くの人は眠りについている時間だ。フェリスたちが眠りについていたなら、大したことは起きていない証拠だろう。その時は退屈ではあるが、屋根の上で夜明けを待ち誰かが起き出すのを待っているつもりでいた。フレアは別邸に馬車で向かう道中であれこれ気をもんでいたが、別邸前庭に到着してすべては消し飛んだ。
別邸からは明々と点った灯火が外へと漏れ出していた。奇妙なことにフェリスや使用人たちの寝室以外の空き部屋まですべて光で満たされている。
「何が起こってるの?」
フレアは馬車を前庭に止めると玄関前に駆け寄った。来客が多数訪れているにしてもこの時間にすべての部屋の明かりがついているのはどうかしている。
玄関脇にある呼び鈴を数回鳴らしてみるが反応はない。扉の取っ手に触れてみるが施錠されているようで回ることはない。もう一度呼び鈴を鳴らしてみたが、やはり反応がないためフレアは裏口に行ってみることにした。屋敷の周囲を回り込み、途中で一階に並ぶ使用人部屋の窓を外から覗き込んてみたが、室内は無人で明かりだけが灯され放置されているように見える。
屋敷の裏側にたどり着き、勝手口の前で周囲を窺う。こちらも全室から灯火が漏れ出している。玄関と同じように扉を何度か叩いてみたが反応はない。こじ開けてみるかと考えてみたが、その前に声を出し呼びかけてみることにした。
「こんばんはフェリスさん、フレア・ランドールです」屋敷内へ届くように大きめの声を出す。「開けてください」
扉を叩く間に呼びかけ、それを二度繰り返している間に扉の向こう側で人の動きが感じられた。それでも、扉は開かない。フレアは扉から少し離れた窓まで移動し、そこから中を覗き込みつつ窓ガラスを軽く叩き呼びかけた。
「こんばんはフェリスさん」
窓の内側、厨房で動きがみられ、マーガレットとポールが窓の向こう側から恐る恐るといった様子で顔を出した。外にいるフレアと目が合うと驚いた様子で二人は顔を見合わせ、窓の傍から姿を消した。引き止める間もなく二人が姿を消したためフレアは窓に貼りつき厨房の中を探った。姿は見えないが厨房から出ててはいないはずだ。
ほどなく勝手口が開き、控えめな隙間からマーガレットが顔を出した。
「こんばんは、本当にフレアさんですよね」彼女は少しうわずった声で訊ねてきた。
「ええ、フレア・ランドールです」
「こんな夜に何の御用ですか」
何があったのか、正体を疑われているようだ。
「ローズ様がこちらで何か起こっていないかと心配されて……」
「こんな時間にですか」
眉間に皺が寄り、困惑が深まっていく様子だ。
「あぁ、わたしは明るくなってからでもよいのではないかと思ったのですが……」
だが、この様子からするとこの時間でよかったのだろう。
「マーガレット、何をしているの。いつまでも戻らないからみんな心配してるのよ」
屋敷内から響いてきたのはフェリスの声だ。マーガレットはその声に反応し中へと戻っていった。
「それが……フレアさんがお見えなんです」
「フレアさんが……」
フレアは開いたままになっている勝手口に近づき中を覗き込んでみた。戸口の傍に立つポールのその向こう側で話し合うフェリスとマーガレットがおり、その後ろにデオサイとアリスが立っている。全員が部屋着とお仕着せ姿で、その表情は一様に疲れを帯びている。
「フレアさん、どうしたんですか。こんな夜更けに……」
フレアと目が合ったフェリスは一歩前に乗り出し彼女に問いかけてきた。
一通りの説明を終えて、ようやくフレアは屋敷内に招き入れられた。通された食堂のテーブルに置かれたカップに入っているのは飲みかけの茶で、薄く切り分けられたパンが入った籠も置かれている。夜中に皆で集まりここで過ごしていたとみられる。
「何があったんですか?」今度はフレアが訊ねる番だ。
「この三日間みんな寝ていないんです」とフェリス。
フレアが勝手口に現れた時にはまだ元気はありそうだったのだが、食堂に戻ってきたとたん皆、支えを失ったように椅子に座り込んだ。厨房で見たフェリスたちの姿は緊張感によってようやく保たれていた姿だったようだ。それがフレアの来訪により切れたのだろう。今はテーブルや椅子の背もたれに身をゆだねるばかりとなっている。
「また、何か出始めましたか」とフレア。
「はい……」フェリスが応じる。
突然、食堂の外で壁を強く叩くような物音がした。次いで騒々しく走り回るような足音が続いた。フレアが立ち上がろうとするのをフェリスは片手で静止した。
「姿を持たない何かがいます。それが好きに暴れています。さっきのような物音が昼夜を問わず屋敷中で起こっています」
「視野の端で何かの存在を感じることはありますね」マーガレットがため息をついた。「そちらに目を移すと何もいない。悲鳴や叫び声を上げることもあります。それを無視しようとすると今度は身体を軽く触ってくる」
マーガレットの語気には怒りがこもっている。そのせいか四人の中ではまだ元気に見える。腕を組み、椅子に持たれ天井を睨みつける。
「俺もはっきりしない何かを見た気がする。それがとても不気味なんだ。それに加えて音だよ。寝てられない」ポールは眠たげに片手で顔を擦った。
「音も迷惑ですが、わたしは触られるのが嫌ですね。気味が悪くって……」その際の記憶が蘇ったかアリスは両手で身体を抱きしめる。
「ローズ様の心配が的中してしまったようですね」
「なんとも勘の鋭い方だ」とデオサイ。疲れが目立つ顔に笑みが浮かぶ。
「……このような事態に陥りはしたもののこれは二回目です。前回の出来事を踏まえてわたしたちで捜索を始めたのですが、今回も見つけることができずこちらは疲弊するばかり……」とデオサイ。
「フェリスさんを支えられぬわが身が呪わしい……」
「やめて、デオサイ」フェリスはデオサイの言葉を遮り、人差し指を口元へ持って行った。
「今回こそ自分たちの手で対処をと考えたのですが、やはり素人の力では太刀打ちできません。そのため迷惑を承知でまたローズさんのお力にすがる他ないかと考えていたところです……」
「その点でしたらご心配なくあの方なら喜んで協力してくださいます」
今頃、フェリスたちをこの事態に陥れた魔導師を探しに出ているに違いない。
「ここに集まっておられたのはそれを話し合うためでしたか」
「えぇ、それもありましたし、眠れない、一人でいたくないということも大きくありましたね」
「そんな中でまだ呼んでもないわたしが現れた。驚かれても無理はありませんね」
「すみません」
全員からばつが悪そうな笑みが漏れた。
睡眠不足や疲労からくる思考の乱れが疑心暗鬼に発展しても何ら不思議はない。
頼る他ないと考えはしたが、まだ呼びもしていないローズの使いが先方からやってきた。加えてその要件は自分たちの考えを読んだかのようだ。かえって不安になることも無理はない。
「気にしないでください。それより、エリオットさんがこの騒ぎの首謀者と思われる人物を探し当てました。誘因式に関わったであろう魔導師の存在も判明しています」
「エリオットさんが、ですか」フェリスが嬉しそうの表情を崩す「で、誰だったんですか?」
「まだ、それは口にはできませんが、現在ローズ様が裏を取るためにそちらに向かっています。あの方のことですから朝までには連絡をくださるはずです。待っていましょう」




