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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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第6話

 よい知らせと悪い知らせがあるとはよく言ったものだ。

よい知らせとしてはフェリスの使用人たちに裏表はなく、フェリスに対して誠実で敵対者に内通する者はいないことだ。悪い知らせはそのおかげで彼らから今回の騒ぎの手がかりを得ることは難しいことだ。

「皮肉な話ね」

「はい」

 夜が更けて皆が寝静まった頃にローズはデンドロビューム家別邸にやってきた。そして使用人たちの内面を確認した後に客間をあてがわれたフレアの元へやってきた。

「皆いい人たちよ。他意はない代わりに、心当たりもない。だから手がかりも何もない。ないないづくしで残念だけど相手方の出方を慎重に見るしかないわね」

「本宅も……ですか?」とフレア。

「えぇ、デオサイさんの体感は妥当だと思う」とローズ。

「外からやってきた彼女を誰もが好ましく思っているわけじゃない。けど、マークさんによる彼女の評価、有能さは認めざるを得ない。先の騒ぎを好機と見た人もいたけど、仕掛けた本人には誰も心当たりはなかった。そして、今回の思わぬ展開による試練の再開には頭を痛め、神様に会うことがあれば殴り倒したい衝動に駆られているというのが本音ってところね」

「なんて身の程知らずな」フレアは軽く噴き出した。

「無理もないんじゃない。彼女が試練を放棄して家から逃げ出したと思って安心していたら、強面のごろつきと札付きの化け物を従えて帰って来たんですから」

「ローズ様……」

 本当にこの展開は笑うしかないだろう。面白い偶然もあるものだ。


 あれは夢だったのか。

 さっきまで光溢れる本宅の居間にいたはずが、気が付けば別邸にある寝室の寝台の上だ。フェリスは寝台から上半身を起こし、周囲を見回した。窓から差し込むのはごく柔らかな月光で夜明けにはまだ時間がありそうだ。

 再び柔らかな寝台に身を横たえる。夢は現実のように鮮明だった。けれど、その内容は目覚める最中に風に吹かれて消える靄のようにかすれてしまった。もう一度見ることはできないかと、記憶の断片を手繰る。場所は本宅の居間だった。けど、昼間にしても明るすぎる程に光に溢れていた。

「お父さん……」

 そう、傍にはお父さんがいた。まだいくらか若い頃のお父さんだ。いい具合に夢の記憶が蘇ってきた。お父さんの雰囲気から見て、自分がデンドロビューム家に入ってしばらくした頃と思われる。お父さんは学校に行くことがなかったわたしに色々なことを教えてくれた。この光景は現実の一場面で覚えがある。何だっただろう。

「あぁ……」

 これは秘密の手紙、暗号みたいな話だったような気がする。秘密のインクの作り方、それにはお父さんのお気に入りのあれが必要だ。

 再び睡魔に誘われ意識が薄れていく中で足音を耳にした。マーガレットがもう起きだしたのか。彼女はみんなの食事を作るために誰よりも早く目を覚ます。夜明け前に起き出すことも珍しくない。それならばもう夜明けは近いということか、空が星空から白み、日が昇り朝となるまでは思いのほか早いものだ。

 遠くからと聞こえた思われた足音は突然フェリスの寝室の前を足早に駆け抜けていった。外の廊下の床を蹴りつけるような足取りにフェリスは思わず飛び起きた。その足音の騒がしさに眠気が消し飛び、再び寝台から半身を起こす。これは夢などではないはずだ。

 足音は手前から奥へと走り去っていった。間取り的には階段室から廊下の突き当りまでということになる。こんな時間にいったい誰なのか。この二階にあるのはフェリスの寝室と書斎である。他の空室は客用に当てられ数日前にフレアが去ってからは誰もいない。誰も用があるはずがないし、奥から戻ってくる気配もない。

 さっきの足音も真に迫った夢だったのだろうか。

「うぅ…ん」

 夜が明けるまでにもうひと眠りとフェリスが再度寝ころんだ頃にまた騒がしい足音が通り過ぎて行った。

 もう夢ではありえないだろう。何者なのか。

 フェリスは寝台から飛び降り、寝巻のまま廊下に走り出た。廊下には誰もいない。足音が向かったのはさっきとは逆の階段側だ。フェリスは階段へと向かいそこを駆け降りた。一階まで駆け降り、最後の三段は飛び降り、玄関広間で立ち止まり周囲を窺う。奥に進めば厨房へ、左側は使用人たちの個室、右側は備品類が収納されている倉庫が並んでいる。

 何か潜んでいないかと、目を凝らしていると前方の廊下左手の壁に動きが感じられた。人影に間違いない。それを目にしてフェリスは一歩後に退きはしたが、すぐに意を決して前に進み出た。人影はまだそこに留まっている。少し近づくと人影の特徴が見えてきた。小柄で肩より少し長い赤い髪、生成りの寝巻を身に着けている。

「えっ?」フェリスはその姿に思わず声を上げた。人影というのは廊下に掛けられた鏡に写る自分の姿だった。

 その姿を目にしてフェリスは自分がやっていることが突然馬鹿らしくなってきた。

「もういい……」

 フェリスは小声で悪態を吐き、寝室に戻るために階段を静かに昇り始めた。朝までまだ時間があるだろう。それまでゆっくりと眠ることにしよう。


 アリスは昼下がりにフェリスの部屋に茶を届け、厨房への帰り道で階段を降りる途中で大欠伸に見舞われた。誰もいないことを確かめ足を止め口元が裂けんばかりに大口を開き、欠伸をした。目元に涙が溢れ出し視界がかすむ。涙をお仕着せの袖口でぬぐい歩き出す。

 夜明け前に天井の上で起きた大きな音で目を覚ました。音は聞いた感覚では誰かの足音のようだった。床を打つ音から始まり、二階廊下を走って階段へと走り去っていった。アリスはまた怪異が始まったのかと、それ以降は眠れずにいた。

 朝になり、食事のために食堂へとやってきたフェリスさんが顔を曇らせ訊ねてきた。

「あなたたちは今朝の夜明け前に誰かが廊下を走るような物音を聞かなかったかしら」

 食堂にいたデオサイさん、マーガレットとポールはよく寝ていたようで耳にはしていなかった。真下にいたアリスだけが目を覚ましたようだ。アリスはその時の様子をフェリスに聞かせた。少し頬を紅潮させた彼女からは意外な言葉が返ってきた。

「ごめんなさい。それわたしだわ……」

「えぇ……」

 考えてみればアリスの部屋はフェリスの真下に位置している。彼女によれば夜明け前に一度目を覚ました際に廊下の外でけたたましい物音を耳にしたようだ。それは二階の廊下を階段から奥の突き当りへと往復する足音のように思えた。そこで彼女は音の主を確かめるために寝巻のまま飛び出し、そのまま階段を駆け降りた。結局何も見つけることはできず寝室へと戻ったが、アリスが耳にしたのはその時の音のようだ。アリスが耳にしたのそれだけで廊下を少しの間をおいて往復した足音は誰も耳にはしていなかった。

「じゃぁ、やっぱりわたしが寝ぼけていたようね」

 話はそれで落ち着きはしたが、アリスの寝不足は解消されるわけもなく欠伸ばかりが出てくる。

 階段を降り切り盆を片手に厨房へと戻る。途中で奥へと進む廊下の壁に鏡が目についた。一抱えもある楕円形の鏡で凝った蔓草文様で木彫りの額に収められている。フェリスさんはここに写った自分の姿にひどく驚いた。それでも近づいて正体を確かめたのはすごいことで実にあの人らしい。

「でも、こんな鏡ここにあったかしら」

 アリスは鏡を一瞥し厨房へと去っていった。


 マーガレットは一人で夕食の仕込みを進めていた。人参にジャガイモ、玉ねぎを一口大に刻み鍋に入れていく。肉は近くの店で首を落としただけのカモを買ってきた。羽は既にむしられていたのでひと手間省くことができた。肉は捌いて部位による仕分けは済ませてある。肉をはがした骨も煮込んでシチューに使う出汁にする。ふと、視界の端に人影が目に入った気がした。

「フェリスさん、ご飯はまだですよ」

 言葉が口をついて出たがフェリスはもう子供ではない。なぜ、そのような言葉が出たのか。慌てて背後を見回すが誰もいない。誰かがいると思ったのは気のせいらしい。寝巻の子供、そういえばフェリスはまだ子供だった頃、朝早く寝巻のまま厨房にやってくることがあった。マーガレットはそんなフェリスに声を掛け、甘く暖かい飲み物や焼きたてのパンの切れ端などを与えていた。目に入ったその気配をフェリスと勘違いしたのは、きっと彼女が今朝話していた夢の話のせいだろう。

 マーガレットは調理台へと向き直りシチューの仕込みを再開した。

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