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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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第3話

 旧市街といっても様々であることはもうご存じだろう。貴族、金持ちの住処で華やかな商店が並んでいる。実際そんな地域は半分もなく、多くは新市街と変わらない庶民の住処である。そんな彼らもあまり寄り付きたがらないのがマトリクスが殴り書きで残したこの地である。 

 港の西のはずれにある三階建ての建物群。元は紅茶取引の業者が多数を占める場所であったが、西方で起こった紅茶農園危機に多くの業者が巻き込まれ出ていくこととなった。その後、多くは投げ売りや放棄された末、立派だった石造りの建物は今や廃墟かゴロツキの巣である。

 マトリクスはマカワから奪った濃紺で細い縞模様のウエストコートなどを身に着け、頭と顔はターバンで隠し戸口の前に立った。三回ずつ乱暴にしつこく叩く。

 若干の間をおいて、扉が開いた。見張り役の男がマカワの服装とターバンの取り合わせに戸惑っている隙に戸内へと踏み込んだ。

「あんた、マカワさんじゃ……ないだろ」

 男は過ちに気付きマトリクスの肩に手を置いた。しかし、まだためらいがあるようだ。あの男のお気に入りを纏っているためだ。マトリクスは素早く男の手を払いのけ、顎を拳で打ち抜いた。操り糸が切れたように見張りはその場に崩れた。

「もちろんだ。あんな馬鹿な男と一緒にしないでくれ」

 

 フレアは建物の壁をよじ登り三階の一室へと忍び込んだ。そこは家具、調度品などは置かれていない空き部屋。窓は外から釘で止付けられていたが、彼女にそのような小細工が通用するはずもなく容易にこじ開けられた。

 窓ガラスは取り払われ木板で封じられている。室内は血と排泄物の匂いが軽く漂っている。フレアはここが監禁部屋であることを察した。部屋の扉も内側から開けられないように鍵を加工し閂に変更されていたが、これも彼女に通用するわけもなく扉は大した手間もなく開いた。閂の基部がフレアの力に耐えられず取り付けられた壁からはがれていた。閂とそれを閉じる錠前は頑丈にできていたが、それを止付けている壁の強度は明らかに劣っていた。あくまでも力のある狼人基準ではあるが。

 廊下に見張りはおらず、階下から駆けつけてくる者もいない。扉を破壊する要領がわかったフレアは残るの閂をすべて壁から引きはがし室内を点検した。マトリクスの娘と思われる少女は見つからなかったが、右目の周りと左頬にあざができた若い男は見つかった。粗末なスモック姿の男は何をやらかしその裁定待ちというところか。エリオットや他の組織でも目にしたことがあるが、口を出すことはなく裁定も聞いたことはない。

 扉が開いた時、男は慌てて奥に逃げたがフレアの姿を目にして動きを止めた。現れたのがゴロツキ仲間ではなく、お仕着せの金髪女でどう反応すればいいか判断に困っているようだ。

「あなた、死にたい?それとも生きていたい?」フレアは扉横の壁に拳を押し付け左右に捩じった。細かな漆喰の屑が床に落ち、周辺に細かなひびが入った。

 笑顔を浮かべかけていた男だったが、すぐに真顔を通り越し恐怖を帯びた。帝都にはやばい奴がたっぷりいる、それを思い出したようだ。

「生きていたいなら、警備隊が来るまでここにいなさい。下に行くと死ぬわよ。それからあなたはわたしの姿なんて見ていない。いいわね?」

 フレアはもう一度壁に拳を押し付けた。今度は漆喰の欠片が崩れ落ちた。 男は激しく頭を上下に振った。

  

 タォ・マカワの真似は上々の出来で、マトリクスは組織の構成員たちをやり過ごし奥へと進んだ。馬鹿な計画と思われたが冗談のようにうまくいった。しかし、それも幹部であるオカゥダ・チアロの部屋の前までだった。部屋に入ろうとしたマトリクスを警備担当の三人組が前方と左右を囲んだ。

「マカワさん顔を見せていただけますか」前をふさぐ男が言った。

 マトリクスは男を睨みつけるが、それ以外は何もしない。

「失礼します。これも仕事なので」

 前をふさぐ男は目から下を隠しているターバンを両手で顎まで下ろした。現れたのはマカワとは別の顔、男は顔をしかめ頭のターバンをはぎ取った。現れたのは赤毛の頭。

「怒るなよ。誰もマカワだと言ってないぞ」マトリクスは歯をむき出しにして笑った。

 男は拳でマトリクスの右頬を殴りつけ、両脇の男が彼の両腕を後ろで縛り付ける。

「大事な手なんだ。もう少し優しく扱ってくれよ」

 膝の裏側や腹を蹴られ、マトリクスは三人がかりで床に顔から押し付けられた。掃除の行き届いていない床の埃が鼻を刺激する。

 ほどなく、目の前の扉が開きオカゥダ・チアロが現れた。縮れた黒い髪に片眼鏡をかけた小太りの男だ。

「冗談のつもりか。なんだその服は」

 チアロはまずマトリクスの服装に目を止め鼻を鳴らし眉をひそめた。

「ここに来るためにマカワから借りてきたんだ。いい奴だよ……何の文句も言わず貸してくれた」

「なるほど……」チアロは片足をマトリクスの頭に乗せた。そして力を込めた。

「あぁ、待ってくれ。俺は話し合いに来たんだ。俺とあんた達どちらにとっても悪い話じゃないと思う。聞いてくれ」

「言ってみろ」


 建物の二階廊下には見張りが当初二人配置されていた。それがお互い僅かに目を離した隙に片方が床に倒れ一人となった。残された見張りは驚き、慌てて駆け寄るかと思われたが二歩で立ち止まり、武器を取り出し後ろを向いた。ここにいる連中の中では最も冴えた男だったが遅かった。その時にはもうフレアは男の背後には居なかった。男達はフレアの影すら見ることなくその場に昏倒した。

 フレアが男達を隣接する部屋に隠し、他の部屋を物色している最中に外で物音がした。鍵穴を覗き外を窺うと、向かい側の部屋の扉が開き室内から黄白色のウエストコートの男が出てきた。開いた扉の向こう側の狭い部屋には紙幣や硬貨の入ったざるが無造作に積まれているのが短い間だが見て取ることができた。フレアは後でそこに立ち寄ることにした。

 そろそろマトリクスのことが気になってきたフレアは男の後を追うことにした。

 ウエストコートの男は廊下の見張りがいないことを気にも留めず、足早に階下へと降りていった。

 

 チアロはマトリクスの言葉にのってきた。おそらく面白半分だろうがそれで十分だった。こちらの目的は時間稼ぎなのだ。

「娘をここに連れてきてくれ。それだけでお前たちはここから無事に家に帰ることができる。いい話だと思うぞ」

「お前、ふざけてんのか?」

「いたって、真面目だよ」

 不意にチアロ達の力が緩んだ。 廊下の先からやって来た人影に気を取られたようだ。床に押さえつけられたマトリクスにもその姿を目にすることはできた。頭領キア・コ・イケラの側近イソラ・スカァロである。何のためかは知らないが、折よくここに訪れていたようだ。 黄白色のウエストコートの男が後ろの撫でつけた黒い髪に苛立たし気に手櫛を入れながら近づいて来る。

「まったく、お前らそんな奴の始末まで頭領にお伺いを立てないとできねぇのか」

 スカァロの罵声の向こう側にお仕着せの女の姿が一瞬見えた。小芝居の時間は終わりだ。

「待ってたぞ。遅いじゃないか」

 この呼びかけに僅かに拘束が緩んだ。チアロと手下の注意がスカァロへと向かう。それをマトリクスは逃さなかった。

 まず、マトリクスは警備の三人組とチアロの足を跳ねのけた。フレアは太い留め釘のようでまるで歯が立たなかったが、この連中は台所にある漬物石ほどの重みもない。拘束を解いたマトリクスは頭を軸に回転し、遠心力が乗った脚でふらつく三人組の二人を打ち倒した。そして後ろ手に縛られたまま跳ね起き、一人残った男のふくらはぎに下段の蹴りを食らわせた。膝を崩し、体勢を低くした男の腹に膝蹴りを見舞い、たまらず体を折り下がった頭にもう一発膝蹴りを打ち込んだ。 

 仰向けに倒れる男を躱しチアロに迫る。逃げ腰の小男の脳天にかかと落としを打ち込み、顎に上段蹴りを食らわせた。チアロはフクロウのように首を後ろに回し片眼鏡がスカァロに向かって飛んだ。チアロ自身はよろよろとその場で二回転ほどして膝から崩れて倒れた。

「ぶっ殺してやる!」

 事態を呑み込めないうちに一人残ってしまったスカァロは連発銃を取り出し震える両手で構える。脚は大股開きである。

「ズルはだめ」

 不意にスカァロの耳元で女の声が響き手元から銃が消え、無意味に突き出す両手だけが残った。そして、がら空きの股間にマトリクス渾身の金的蹴りが炸裂しスカァロは白目をむき倒れた。

「ひどいことするのね」

「反則には反則だ」

 二人はすぐさま建物内の家探しに入った。しかし、見つかったのは金と禁制品ばかり娘の所在を示す手掛かりを発見することはできなかった。

 では、どうするべきか。その答えは。

 そこになければ取り寄せるまでである。それが結論となった。 

 そして赴いたのは組織が管理する倉庫である。さっきまで賑やかだった倉庫内も今は静まりかえっている。

 マトリクスとフレアは床の転がり壁にもたれ掛かる男女を一つにまとめて縛りあげた。二人がこの倉庫にやって来た時に不幸にも居合わせた者たちだ。薄暗い倉庫内で黒い大きな影からいくつもの手足が飛び出している様子は異界の妖魔を思わせる。何本かの足に鎖を巻き付けその先を柱に取り付けた。

 マトリクスは床に置いた木箱に腰を掛けた。スカァロから手に入れたゴルゲットを首に巻く。ここから計画はごく単純だ。コ・イケラに命じて娘をここまで連れてこさせる。それだけである。まず、コ・イケラと連絡を取ることが重要なのだが、そこでこのゴルゲットの登場である。側近ならば頭領との直通回線は当然持っているはずである。

「キア……コ・イケラ聞こえるか」マトリクスは意識を集中しコ・イケラに呼びかけた。ややあって、無音の後に明確な怒りが流れ込んできた。

「誰だ?お前は」口調は落ち着いているが、鋭い怒りが伝わって来る。

「ヨハン・マトリクス。あんたが気に入らない医者を殺すように命じた男だ」

「褒美でもくれというのか、お前は」

「そんなものは必要ない。取引だ、娘を開放しろ。七刻まで磯辺通りの倉庫まで連れてこい」

「わしがなぜ使い走りのような真似をせにゃあならんのだ」

「あんたの命のためだ。あんたの大事な商品を手に入れた。娘が無事に来なければ、それを警備隊保安部に届け組織は壊滅させる」

 コ・イケラは笑い始めた。爆笑ししばらく回線には笑い声だけだ響いた。

「面白いぞ。今年一番の冗談だ」声は笑いで揺れている。

「笑うのはいいが、これは誰の専用回線か考えてみてくれ。あんたと直に話せる奴はそう数はいないだろ」

 ふうっと、コ・イケラの笑いの揺れが止まった。

「そうだな。スカァロが出かけていただろ。繋いでみてくれ」

 一瞬回線が途切れまたつながった。コ・イケラがスカァロに呼びかける声がマトリクスの頭蓋に響く。

「どうだ。スカァロはなんて言ってる?」

「……どういうことだ?」

 コ・イケラの戸惑いが流れてきた。

「奴から借りたんだよ。黙って貸してくれた」

 この間も二回回線が途切れた。スカァロへの呼びかけに必死なコ・イケラの聴覚にこの言葉が入っているかは疑わしい。

「マティナ・スペタコロとタンキン西路がどうなったかも確かめてくれ。警備隊に金を掴ませている奴ぐらいいるだろ、そいつに聞いてみてくれ」

 荒い息遣いは聞こえてくるが、言葉はない。

「もう一度言う。七刻の期限までに無事に娘を連れてこい。出来なければあんたの番だ。終わりの始まりだ、わかったな。無事娘を連れてくればあんただけは助けてやるよ。保証する。だが、たいして時間はないぞ。頑張ってくれ」

 マトリクスはゴルゲットを外し床に投げ捨て、大きく息をついた。

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