第13話
ケイシー・ラネの醸造所があるのはノードの最北側だ。醸造所の西側には上質の水が湧き出す泉があり、彼の祖父ヒルトンはそれを使い酒を作ることを思い立った。酒樽も傍の森から切り出した木を利用している。上質な湧き水と燻され甘い香りを放つ樽と地元の穀物、それらの相乗効果によってラネ家の酒は生まれてくる。
大事な泉と穀物倉庫、醸造蔵などの施設は厳重な管理下に置いてあるが、敷地には特に囲いなどはつけていない。そのため森と隣接しているため鹿などの獣や森から出てきた猟師が敷地内を横切っていくこともある。村の住民たちも直接ここまで酒を求めてやってくる。そのため、ケイシーも知った顔であれば誰を見かけても警戒をすることもない。
この時もそうだった。ケイシーは在庫の確認のため貯蔵庫へ向かっていた。森から出てきたのだろうか、醸造所の出入り口へ向かう人影が目についた。後ろ姿ではあるが服装と体型からロードスだろうと推測した。だが、何かが雰囲気がおかしい、何かが足りない。違和感がある。そうだ、荷物を何も持たず手ぶらなのだ。熟練の猟師であろうと狩りがうまくいかず獲物がない時はあるとしても、武器を持たず、鞄も担いでいないことはないからだ。
そういえば、シクラの使いが何か言ってきていた。しばらくの間森には入らないように、それとロードスとコキアが行方不明になっている。もし、姿を見たときは知らせてほしい。何やら例の魔人騒ぎが関係しているらしい。
それを思い出しケイシーは改めて人影へと目をやった。しかし、その時には人影はもう消えてしまっていた。これをシクラに伝えて置くべきか。
「そんな暇があるのか?」
そうだ、再来週に祭りが迫っている。祭りなんて酒を飲む騒ぐ口実に過ぎないような気もする。そんな口実が毎月のようにある。こちらとしては願ったりかなったりだが、その際に出す酒がなければ儲けそこなうだけでは済まない。すぐにだせる樽がどれぐらいあるか確認をしておかなければならない。詰替え用の瓶の確保も大事だ。少なければユジンの工房に発注していく必要がある。
これらの雑事の管理はケイシーがこの醸造所を引き継いだ時から彼が一手に引き受けている。酒造りが仕事なのにそれ以外の仕事に追われている。これはどうにかならないものか。
「この後にしよう」
ケイシーは貯蔵庫に向かい歩き出した。そして、それっきりロードスのことは忘れてしまった。
ホワイトたちは牛泥棒たちが使っていた野営地へ到達し、そこを改めて見分をした。だが、新たに見出すものはなかった。警備隊が彼らの所持品などを持ち去った今はただの野営地跡に過ぎない。
「塚まで歩くとしようか。それから辺りの探索だ」
「はい」
その道中でもアイリーンは付近に潜む動物やそこにとどまる存在に問い掛けた。それらから返ってくるのは言葉ではなく、おおまかな意思の流れといったところか。アイリーンが人ではないからこそできる意思の疎通なのだろう。そのような能力を持ち合わせていないホワイトにはアイリーンの報告を待つほかない。だが、良好な感触はホワイトにも伝わってくる。
「魔人の動きを知る者は多くいるようです。この先に何かあるようです、向かいましょう」アイリーンは右手方向を指さした。
アイリーンが指さした木立を抜けると、そこは明るい広場となっていた。その中央には倒れて朽ちていく巨木とその太い株が地面から突き出している。寿命が尽きたか、病に侵されたか大木が倒れ、そのおかげで上方から陽光が差し込むようになり、これまで成長を疎外されていた下草や低木が競うように伸び始めている。巨木も逞しいもので完全な死を迎えてはいないようだ。地に残った株からは新たな小枝が伸び、その先には鮮やかな緑の葉が付いている。
「こちらです」
アイリーンは膝丈に近い下草を気に留めることなく倒れた幹へと向かっていく。近づいていくホワイトたちに気が付いたか何かが威嚇的な意思を放ってきた。同時に僅かな腐臭も感じられた。
「心配するな、我らはお前の食事を邪魔する気はない」とアイリーン。
倒れた幹の傍には人の頭が転がっていた。その半分にはすでに肉は残っておらず、口の中は食いつくされ顎は細い筋肉のみで繋がれ外れる寸前だ。傍にいるのは茶色く毛並みのよいイタチだ。せっかくありついた食事を取られまいと歯をむき出しにしてホワイトたちを威嚇している。何者かが発見した頭をここへ運んだのだろう。そして、様々な闘争を経てようやくこのイタチに食事の番が回ってきたのだ。
「これも犠牲者の一人でしょう」
「ふん」
イタチはホワイトたちが害にならないとわかると顔に残る肉を齧り、引きはがすことを始めた。
「これを残した者はここから西の辺りを縄張りとしているようです。それは我らより大きく見慣れぬ存在で狙うの彼らより遥かに体格が大きな個体」
「塚の魔人に間違いなさそうだな」
「はい、それは最近この辺りに現れた新参者のようです」
「よく見ておるものだ」ホワイトは必死になって残り少ない肉に齧りつくイタチに目をやった。
「待っておれ、その中にはまだ柔らかな物が詰まっておる」
ホワイトの声とともに転がっている頭骨の側部にひびが入り剥がれ落ちた。中に詰まっていた体液が流れ出し脳が露出する。イタチはそれに驚き二歩ほど後ずさりをした。しかし、まだ食欲は失せていない。
「それも食っておけ、やわらかいぞ」
アイリーンの言葉に応え、イタチは頭の開口部へと向かった。何度か匂いを嗅いでから口を付けた。悪くない様子だ。
「ここから西といえば……」
「あの牛泥棒が倒れていた辺りを指します」
「では、そちらに行ってみるとするか」
森から出てきたどこか足取りがおぼつかないロードスを目にしたのはケイシーの他に何人かいた。だが、実際に声を掛けたのは酒場のツクミ・ミクミだった。彼が目に留めたのは昼のお勧め料理の看板を下げに表に出た時だ。服装と体格ですぐにロードスとではないかと思いはしたが、動きがどこかぎこちない。酔っぱらっているわけではなさそうだ。ロードスが酔っぱらっている様はよく目にしている。彼は店の常連の一人だからだ。ツケで飲み、金の代わりに仕留めた獲物をおいていくことがよくある。
表情もどこかおかしい。そういえば、塚の魔人の捜索に出て以来、行方がわからなくなってしまっていたはずだ。一連の騒ぎは村を飛び出したケンジュが絡んでいた。ケンジュは魔人となって盗人仲間を殺しロードスにも襲いかかった。
ロードスは変わり果てケンジュを撃つ羽目になり、その後彼は同行していたコキアとともに姿を消していた。それがツクミの耳に入ってきた魔人騒ぎの顛末だ。
ロードス、コキアは魔人がうろついている森でどうしているのか、ツクミは気をもんでいるところだった。シクラは帝都に助けを求めて使いを出したという話だが、それがいつやってくるのはいつになることか。
「ロードス!」ツクミは彼が店の前までやってきた時に近づき声を掛けた。
「あぁ……」目つきは少しうつろだが自分の事はわかるようだ。
「あぁじゃない。今までどこにいた、何をしていた」
見てみれば、何一つ持っていない着の身着のままだ。銃や荷物はどこへやってしまったのか。これでよく助かったものだ。そういえばロードスの猟銃はケンジュの死体のそばに落ちていたと誰かが言っていた。それでロードスが関わったことがわかったのだ。
「それが……」口ごもり動きを止める。
「まぁいい、中へ入れ」
ツクミはロードスの肩を抱き店内へと招き入れた。壁際の開いた席へと案内し、そこに座らせる。いつもの席ではないが構わないだろう。今は何があったのか聞き出すのが先決と思われた。ロードスが席に座ると店に居合わせた客たちの視線が彼に注がれるのが感じられた。塚の魔人のまつわる顛末、それに関わったケンジュの死は誰もが知っている。そしてそれにロードスが関わっていることもだ。
「ロードス、お前がケンジュを撃ち殺したと聞いたが本当なのか?」
ロードスの反対側の席に腰を下ろしたツクミは真っ先に最も気になっていた質問を投げかけた。ツクミは自身が発した問い掛けにも関わらず、その言葉の持つ刺激の強さに息を飲んだ。
「その通りだ」ロードスは平板な口調で答えた。
「俺がケンジュを撃ち殺した。だが、初めに顔を合わせた時、奴はケンジュじゃなかった……」
「どういうことだ」
周りの席の会話が途絶え、こちらのやり取りに聞き耳を立てているのがわかる。
「見上げるような巨体で、茶色の熊のような体格の獣だった。木立の向こうから現れた獣に俺は迷わず銃弾を打ち込んだ。あんな姿を目にすれば躊躇する暇なんてなかった。おかげで獣に襲われる前に倒すことはできた。胸には大きな穴が開いて仰向けに倒れて、俺もコキアと胸を撫でおろし、息をついた」
ロードスは一度息をつき黙り込んだ。うつろだった眼差しに変化がみられた。少し眠たげだった目元が大きく見開かれ、そこに浮かんだ表情にツクミは息をのんだ。
「獣は風船が縮むように小さくなっていった。そして、段々見覚えのある男の姿に変わっていった。いや、戻っていったんだろう。あの獣はケンジュだったんだ。俺はそれを撃ち殺した」
ロードスの声は言葉を発するごとに大きくなっていく。
「そ、それは仕方ない。現れたときは獣、魔人だったんだろ。撃たなきゃお前が殺されてたんだ」声を震わせるロードスをツクミはなだめた。
ケンジュを撃ち殺す、それは身を守るためには必要な行為だっただろう。それにロードスはケンジュの姿を目にしていない。眼の前に現れたのは茶色い伝説の魔人だった。ツクミはそれを自分自身にも言い聞かせた。
「俺もそうだと思うが、事はそれだけではすまなかったんだ……」
「えっ、何があったんだ」
ここでツクミは大事なことを思い出した。一緒にいたはずのコキアはどこに行った。なぜ、ロードスと一緒にいないのか。
「獣がケンジュに戻る中で、コキアが頭を抑え震え始めた。どうしたと聞くコキアは「すぐに逃げろ」と叫んだ。「何かが俺の中に入ってくる。俺が正気でいるうちに逃げてくれ」話しているうちにもコキアは茶色の毛に包まれていった。俺はそれを目にして無我夢中で振り向かずに森の奥へと走り出した。それからずっと森の中を彷徨い歩いていた……」
ロードスの声が消えると、酒場は重苦しい沈黙に包まれた。ホワイトがこの場にいたならばこの静寂の裏で湧き上がる流れを感じ取ることができただろう。




