第12話
「あぁ、嘆かわしい……」ホワイトは宙に向かい呟いた。
禁忌のとされている森での捜索がノードにもたらしたのは深い失意だった。伝説と化していた塚の魔人を解き放ったのは村を飛び出した無法者だった。その無法者は仲間と共に牛泥棒を企み、私利私欲から魔人を封じていた塚を暴いた。封じられていた存在に取り憑かれた無法者は魔人と成り果て、仲間を殺してその遺体を喰らい森を彷徨い歩いていた。
そして、最後には猟師のロードスに撃ち倒されることとなった。それで済めばまだよかったかもしれないが、今度はそのロードスが姿を消し、行動を共にしていたコキアも行方が知れない。おそらく封じられていた存在ははどちらかを乗り物として捕らえたに違いない。二人のうちどちらかが魔人と化して今も森を徘徊していると予想される。
魔人の動きからして、もはや警備隊では手に負えないと判断したシクラは帝都へ応援要請のため使者を送った。やってくるのはおそらく正教会特別部か魔導騎士団特化隊だろう。どちらにしてもホワイトたちとしては煙たい存在だ。ホワイトとしては彼らの前に姿を晒したくはない。
「彼女たちも何か有効な手立てがないか調べるため楽園に籠るそうだ」
騒ぎの渦中に村を離れるホワイトたちについてウィーチャーズは差し障りない訳をつけて説明した。幸いなのか、どうなのかノードの住人たちはホワイトのことを奇妙な教団の使者程度にしか思っていない。頼りにされているのはウィーチャーズの方である。そのため、ホワイトたちの行動は抵抗なく受け入れられた。
ウィーチャーズは帝都からの応援部隊との対応のため村に残ることとなった。本人は気は向かないようだが、今更引くことはできない。行きがかり上逃れるすべもない。
「こういう時はローズはどうしているのだろうか」ホワイトは天井を見つめながら呟く。
この食堂には窓がなく、通路に囲まれているため陽光が差し込むことはなかった。洞窟のような場所で日がな一日過ごすのもつらかろうと天井には綿雲が浮かぶ青空を描いておいた。陽光が届く場所でなかったことが幸いしたのだろう。天井は時を経ても鮮やかな青を留めている。
「あの女はそれでも構わず独自で動くようです。そして、思い通りの結果を成す」とアイリーン。
「彼女らしいことだ。それもあの街で培った力があってこそだ」と溜息をつく。「街の隠者としてはそうもいかぬ」
「では、その隠者をお辞めになられてはどうです。そろそろ新たにアイラ・ホワイトととしての力を示されてもよい頃と思われます」
「アイラ・ホワイトとしての力か……言ってくれるな」
ホワイトはアイリーンからこのような答えが返ってくるとは思ってもみなかった。
もう、リズィア・ボーデンなどという女はいない。自分でそう言っておきながら、自身がいつまでもその名にしがみついていた気がする。
「ならば、ついてまいれ」ホワイトは椅子から立ち上がりアイリーンに目をやった。「我らも動くことにしよう」
「どのようにですか?」
「森に入り、魔人を我らの手で拘束し、帝都からの使者に引き渡す。後は彼らがいかようにも処すことだろう」
シンは深い溜息をついた。
塚の魔物については真相があきらかになってきたが、あきらかになるにつれてその深刻度が増していく。帝都から来た術師によれば騒ぎの発端を引き起こしたのはフルィチの馬鹿息子のようだ。奴にはお似合いの最後と言えるが、とんでもない馬鹿をしでかしてくれた。
背後で牛が声を上げた。慌てて鞍に掛けた銃を素早く引き抜き、振り向いてそちらへ銃口を向けた。何もない。肩をすくめる。確認のため馬上で銃を構えつつ周囲の様子を窺うが危険はなさそうだ。牛たちは草を普通に食んでいるだけだ。何頭かがシンの動きに頭を上げたが、短い鼻息とともにまた緑の草を求めて首を下げた。
緊張しすぎなのだろう。
シンは軽く首を横に振り、銃を鞍に付けられた銃鞘に戻した。最初に魔人をシズクが目にした辺りではケンジュかその仲間が扮した偽物に過ぎなかったのかもしれない。だが、彼らは本物が封じられた塚を暴きそれを解き放った。今や森を徘徊しているのは本物の獣で、それは知り合いであるロードスかコキアのなれの果てだときている。ここは森に隣接する牧草地だ。そのためいつ何が現れても対応できるように常に銃は携帯してはいるが、シンにその魔人を即座に撃つことができるか不安はある。
魔人を打ち倒すことは可能なようだが、近距離で倒せばその精霊に乗り移られる恐れがある。そうなれば、今度は倒した者が魔人となるため、それを発見したとしても手は出さず、通報するだけに留めるようにとシクラから通達があった。
「そんな器用なまねができるのかどうか……」
シンとしては魔人を見かけてもその行方を追うつもりは毛頭ない。だが、森の傍で出くわすこととなってしまっては何ができるか、どこまで冷静な行動がとれるかわかったものではない。急所を外し魔人の動きを鈍らせ、後は一目散に逃げ出す。それがシンの考えた対策だが、それが通用する相手かわからず、口で言うほど簡単なことではないのもわかっている。だからこそ、シンは警備隊のライタから魔人の説明を受けて以降、緊張状態が収まらないのだ。普段なら気にならない牛たちの挙動が目について仕方ない。
また牛の声が響いてきた。少し離れた位置にいる一頭のいななきだ。
「まったく、うんざりだな」銃を片手にそちらに体を向ける。何も不審な気配は感じられない。
牛は囲いの中に入れたほうがお互いのためかもしれない。高くはつくが蓄えている餌を与えることにしようか。向き直る直前に視界の端で何か捕らえた気がした。
急ぎ、そちらに視線を向ける。長い下草の向こうを歩く人影が目についた。茶色い姿を目にして一瞬肌が泡立ったが、それは猟師がよく身に着けている革の上着であることに気づきその正体を理解した。魔人ではない、人だ。シンは胸を撫でおろすが、落ち着くと同時に疑問が湧いてきた。
「誰だ……?」
魔人との不意の遭遇を避けるため、理由を問わず森への入るのは避けるようにと村中にシクラからの通達が回っているはずだ。罰則はないとしても、それはほぼ命令に等しい。誰が敢えてそれに背くのか。シンはそれが誰かを特定する前にその姿を見失ってしまった。
関わらないでおこう。それよりまだ早い気もするが牛たちを囲いに戻した方がいいだろう。当分は夜放すことも避けた方がいいだろう。餌の蓄えは減ってしまうが牛や自分が被害に遭うよりはずっとましだ。
牧童が巧みに馬を操り牛たちを牧草地から牧場へと導いていく。馬に乗っているのはシズクの夫であるシンだ。牛は牧草地に放しておきたかったが、用心のため囲いの中に戻す気のようだ。シンと牛たちは共に不審な気配は感じてはいないようだが、大事をとって牧場へと引き上げる。牛たちはさほどではないようだが、シンの緊張感は限界を迎えている。魔人の正体が人であること、知り合いのなれの果てであり、自分もそうなる可能性があると知り怯えている。
「無理もない」ホワイトは姿を消した状態で去っていくシンと牛たちを見送った。
あれが熊のような獣ならば、倒せば済む。だが、あの魔人は同族なのだ。その同族に取って食われる。加えて自分がそれに陥る危険がある。その事実に耐えられないのだろう。
森に入る手前で今一度付近の気配を走査する。人ならざるものの気配は感じられない。感じられるのは以前から森で暮らしている獣ばかりだ。他には過去に森で命を落とし、それに気づかず未だに森を彷徨い歩いている存在もいるようだ。
「奥へ向かうとするか」
「はい」
「……しかし、この森を徘徊する魔物を二人だけで探すとなると厄介なことだ」
「それでしたら森の獣や徘徊する亡者に協力を求めてみては」とアイリーン。
「そのようなことが可能か」さすがにこれはアイリーンの提案とあっても疑わしい。
「もちろん、人相手のようにはいきません。ですが、問いの投げかけ方次第で有益な証言が得られると思います」
「なるほど、そちらは任せた。やみくもに歩き回るよりいくらかましだろう」
「はい」
「まずは例の塚の周辺から始めるとしようか。それからケンジュが転がっていた場所だ」




