第10話
またも村を挙げての捜索なのか。
シズクがまだ新しい鹿の頭を持って姿を現した時は皆そう感じたことだろう。確かに満足のいく結果とはいかないが騒ぎは解決したと思った。いつまでも本業をおろそかにしてはいられない。後はシクラたち警備隊に任せておけばいいのではないかと。
潮目が変わったのはウィーチャーズが警備隊に出向いてからだ。彼らが正教会特別部について知識が乏しくとも、ウィーチャーズの元正教会の術師という肩書はホワイトのような名も知れぬ魔導師より遥かに強く影響力が強かった。そこでホワイトは楽園の地下で知り得た情報の説明をウィーチャーズに託した。ウィーチャーズも威厳に満ちた口調で楽園の地下で見出した事実をシクラに説いて聞かせた。
「では、シズクが持ってきた鹿の首は封じられていた魔人が残していった痕跡であるかもしれないというのですか」
警備隊詰所の執務室に訪れたウィーチャーズの言葉にシクラは見る間に表情を曇らせた。眉間に深く刻まれた皺は溢れかえる不安と疑念を映し出している。シクラも鹿の首に違和感を持ってはいるが、それを魔人に結びつけるのは早急ではないかなとの思いも強い。
「お前も森へ入り狩りをすることはあるだろう」ホワイトはシクラに問いかけた。
「なぜそれを……」
「この部屋に飾られている毛皮や獣の頭はその時の戦利品だろう」ホワイトは壁に掛けられた熊の毛皮や立派な角を持つ鹿の頭を指さした。
「あぁ……」
「それならお前もただならぬ気配を感じておるはず、肉食の獣たちが食べ残しを置いて立ち去るのはさほど珍しいことでもない。奴らがまず内臓などの柔らかな部位から食する。最初の捕食者が去った後でも、入れ替わり立ち替わりやってきた獣たちにより死骸は骨となるまで食いつくされる。頭だけが傷一つないきれいな状態で残されることは珍しいことではないのか」
「確かに……えらく詳しいんだな」
「お前の顔を見ていれば察しがつく」
シクラはホワイトを見つめ、顔を軽く上下に撫でた。そして、深いため息をついた。
「我々はあの付近にまだ首が残っているのではないか。さらに犠牲者が出るのではないかと懸念を抱いている」
ウィーチャーズの落ち着いた口調から発せられた言葉にシクラは腹をくくったようだ。
「わかった。捜索のために人手を用意する。村の者たちにも協力を求めることにしよう。悪いがその時にはあんたたちからも今の話をしてやってくれないか」
「わかりました。わたしもあなたに同行し説明に当たることにしましょう」
二百年ぶりの塚の魔人の出現の可能性を受けてノードは騒然となった。
シクラの手配により捜索隊が再度召集され、彼らの面前でウィーチャーズは事態の説明にあたった。何者かによって封印を解かれた魔人はこの世から去ることなく、今も森を徘徊していると思われるとウィーチャーズから聞かされ、居合わせた者たちは表情を曇らせた。塚の魔人は過去にノードを恐怖に陥れた伝説の魔物ではあったが、その姿を消して久しい。今では怪談のネタと化し、ほぼ架空の存在と化していた。その魔物の出現に皆が動揺した。
「塚は長らく放置され、恐怖を伴う伝説のみでその封印をかろうじて維持していた」ウィーチャーズの言葉に捜索隊の面々は表情を曇らせた。
「これについてはどこでもよくある傾向ですので、あなた方が気に病むことはありません」
ウィーチャーズも特別部時代から今まで同様の案件に何度か遭遇しているようだ。どんなに世代間で申し送りを繰り返したところで、当事者が姿を消し何も起こらなければ、その重要性は薄れていく。それは避けられない事実だ。
「今の現状に向き合い対処することに心がけましょう」
「その言葉はありがたいが、実際はどうすればいい」聴衆の中からロードスが声を上げた。
「魔物の痕跡を探す、そしてそれを追い詰め討伐する。それしかないでしょう。」とウィーチャーズ。
「ですが、無理は避けるようにしてください。何かを発見して際はすぐに声をあげてください。くれぐれも単独で魔人を倒そうなどと考えぬように心がけてください」
魔人の目撃者でもある猟師のロードスはようやく自分の主張が認められ自信を取り戻した。だが、その半面で伝説の魔物の出現を恐れもしている。薄暗い森をゆくロードスは立ち止まり左右に視線を向け周囲の様子を窺った。
隣にいるコキアの足音や呼吸音までが耳につく。踏みつけた枯れ枝が砕ける音に肌が泡立つ。これほど緊張感を伴う狩りはまず体験することはない。
北の森を捜索するのはこれで三回目になる。だが、これまでと違いその緊張感は段違いに強烈なものとなっている。前回までは少なくとも生き物が相手だった。予想されていたのは外から来たならず者、森に棲む熊や大柄の山猫の類で皆対処の仕方は心得ていた。
今回の相手は伝説の魔物だ。立ち上がった熊ほどの背丈があり、大柄の鹿を素手で打ち倒す力を持っている。シズクがシンとともに持ってきた鹿の頭はしっかりとした成体の雄のものだった。あれは銃器や弓などの飛び道具がなければ倒すことはできない。ナイフや鉈があったとしても難しいだろう。下手にやりあえばこちらも重傷を負いかねない。
今朝集まった誰もがそれは理解できたようでその目つきは真剣そのもので無駄口を叩かず黙り込んでいた。前回は飄々とした態度を取っていた帝都の術師の男も今回はうって変わって険しい目つきとなっていた。
ロードスも前夜の会合から帰宅次第、翌朝からの捜索の準備を始めた。銃は手持ちで最強の猟銃を用意し、弾丸も最も殺傷力が強いものを準備した。これは標的に着弾すればそこで炸裂し、細かく弾けた破片は体内を駆け巡り、ずたずたに引き裂いた後に体外へと飛び出す。標的に残されるのは拳が楽に通り抜けることができる血まみれの大穴だ。今回は茶色い毛皮に覆われた獣を目にすればためらうことなく引き金を引くつもりだ。そうしなければこちらが首を落とされることになりかねない。
「少しおかしくないか」コキアが後ろから声を掛けてきた。
「何が?」
「静かすぎる。……皆と離れすぎてやしないか」
ロードスはコキアの声に我に返った。周囲を改めて見渡す。どうしたことか予想外の位置にいるようだ。緊張のあまりか、魔人への思い入れのせいか、周囲に目がいっていなかったようだ
「西にずれているのか」
「そのようだ。俺もうっかりしていた」コキアが左前方の大木を指さした。
その木の幹の根元近くに特徴的なうろが空いている。それは森を歩く者たちにとってはよい目印となっている。
「俺もだ。塚の魔人の術にでも囚われでもしたか」
「やめてくれ……」コキアが物騒もないとばかりに首を振る。
ロードスも自分の言葉に肌が粟立つのを感じた。
「あぁ、悪かった、少し戻ろう」
乾いた破裂音が森に響き渡る。短い間隔で二回、腹に響く爆音が森に響き渡り、木立の間を行くホワイトたちの元へと届いた。
「十時の方向……」呟いたアイリーンは北西に体を向けた。けたたましい音に森が動揺しそれをアイリーンが受け止めた。
「何事だ?」とホワイト。
「銃声だ!間違いない。急ごう」
シクラは傍にいる部下たちに視線を向け音が聞こえた方角を指さした。部下たちも頷き同意を示す。速やかに散会し付近の捜索隊員の元へと向かった。離れた木立の向こう側で伝令役の隊士の声が響く。
「我らも急ぐとしよう。アイリーン、場所はわかるな」
「大まかな方位であれば……」
「それでよい、案内してくれ」
「はい」アイリーンは答えると同時に姿を消した。
「えっ!」
シクラ達の戸惑いの声が響く。アイリーンの常人離れした移動速度に視覚がついていけないのは無理もない。ホワイトでさえ気を抜けば彼女を見失いかねない。ホワイトもウィーチャーズを置いてアイリーンの後を追った。
「慌てることはない。木々が揺れているでしょう」ウィーチャーズの声が背後で聞こえた。「あれを追えばよい。ただし気を入れて走る必要はありますが」
ウィーチャーズは対処の仕方は心得ているようだ。後は彼に任せておけばよいだろう。
少しの間木々の間を最速で飛ぶように駆け抜けていたアイリーンだったがまもなく速度を緩め、ホワイトもほどなく彼女に追いつくことができた。何かを発見し立ち止まっている。
「お母さま……これを」
ホワイトの姿に目をとめたアイリーンは足元に転がる塊を指さした。それは人の頭だった。頸部で乱暴に切断されているが、付近に胴体や手足など他の部位は見当たらない。死亡してから数日経つのだろう、腐敗が進んでいる。ここに放置されてからは森の獣の糧となったのか、顔の肉は小柄の獣に食い荒らされ頬や顎の骨はむき出しになっているが、まだ若い男であることはわかる。
「塚の魔人の仕業か。気配は……」アイリーンに問いかけつつホワイトも辺りを探る。
「ありません」
それらしき気配は感じられない。感じられるのは不安と恐怖を帯びた多くの存在、それが群れとなってこちらに近づいてくる。
「捜索隊がこちらに近づいてくる。とりあえずはそれまで待つとしようか」
待つまもなく、先導役のウィーチャーズが木立の隙間から飛び出してきた。
猟犬を思わせる素早い男だ。かさばる法衣をものともしていない。
ウィーチャーズもホワイトを目に止め、勢いを緩めた。
「いたぞ。ホワイト殿だ!」
ウィーチャーズが背後に向かって大声で呼びかける。
「何か見つけたか?」とウィーチャーズ。
「あぁ、気味のよいものではないが、まずこれだ」
ウィーチャーズはホワイトが指差す先に転がる塊を目にして嫌悪に顔をしかめた。




