第11話
昼下がりにポートの屋敷を出たレイクランドとその配下は旧市街の倉庫へと向かいそこで隠された禁制品を移送の準備を始めた。倉庫内各所から禁制品を取り出し、細工が施された馬車や荷車に乗せ換えていく。その上に偽装のための穀物などを積み重ねていく。ここから配達を装い協力者の元へ禁制品を送り、そこを一時避難の場所とする。前回の捜索はそれで難を逃れることができた。その時の警備隊の悔し気な顔は今も記憶に残っている。
準備が整い、いざ出発という段となって屋敷から使いがやって来た。
「クラウド様から出発は九刻の鐘がなってからにせよとの伝言です」急ぎ足でやって来た雑用係コストは倉庫内で指揮を取るレイクランドに駆け寄り早口で告げた。
「九刻?それでは夜になってしまうぞ!」
「それを俺に言われても……」とコスト。「俺はクラウド様の言葉を伝えに来ただけで……」彼はレイクランドの勢いに押され身を縮ませる。
「もういい……」レイクランドは一呼吸おいてコストを追い返した。
奴はただ指示を伝えに来ただけだ、奴をどやしつけたところで何の解決にもならない。
「まったく……」ここに来て計画の変更とは気が滅入る。
闇に隠れての移送が適切との考えか、それも一つの手ではあるがレイクランドとしては多くの馬車に紛れて動く方が事が楽に運ぶと考えていた。木を隠すなら森の中の例えもある。それに警備隊に時間的な余裕を与えたくもない。
配下の者たちにポートからの新たな指示を伝え、九刻までの待機を命じた。誰も言葉には出さなかったが不満や困惑は目つきで十分に伝わって来た。
緊張と沈黙の訪れに時は澱み流れを止め、レイクランドとその配下の心中を静かに蝕んでいく。普段は気にも留めない風音や気温変化に伴う軋みが彼らの緊張と不安を掻き立てる。そして、待ちかねた九刻の鐘がなった頃には皆が幾日も働き通したかのように疲労感を帯びていた。
待望の鐘の音を聞いても安堵や高揚感などは湧き上がってこない。あるのは更なる緊張だ。
「出発の準備をしてくれ」レイクランドは呟いた。
疲れた表情を浮かべた配下達は無言で頷き、のろのろと動き出した。二人が大扉に掛けてある南京錠を外し、巨大な閂を引き抜き脇へと避ける。それから左右に分かれ大扉を引き開けると、戸外に多数の人影が並んでいるのが見て取れた。最初は黒い人影であったそれは倉庫内の明かりを受け、しっかりと姿を現した。
「帝都警備隊だ。禁制品取引の疑いで緊急捜索を行う。大人しく指示に従うよう命令する」
わざわざ、名乗られなくとも察しはついた。完全武装の警備隊士が戸口に列をなし並んでいるのだ、これで簡単な事情聴取で済むわけもない。
「抵抗は無意味だ。手向かう者は直ちに捕縛の対象となる」
最前列の年嵩の男が令状を前に掲げ、お決まりの口上を述べている。
まさに出発の時に合わせて彼らがやって来たのは衝撃ではあったが、言葉通り抵抗しなければ切り抜ける可能性は残っている。彼らが馬車の仕掛けを見抜くことは容易ではないはずだ。
「禁制品取引?わたしどもはそのような疑いを持たれるような品は扱ってはおりません。何かのお間違いではないでしょうか」レイクランドは動揺を抑え込み警備隊士に語りかける。口角を上げ微笑みかけることは忘れない。
「わたしどもには何も不審な点はござい……」視線の端で何かが動き、言葉が詰まる。
それは腰に掛けていた鉈を頭上に振りかぶり、突進する男の姿だった。生成り色のつなぎに革の帯、レイクランドの配下である男が殺意をみなぎらせ警備隊士に向かって突っ走っていく。アンダキ、お前は何を考えている。
「止めろぉ……」
レイクランドの叫びも届くことはなく、アンダキによる大振りの攻撃はかわされ、即時に屈強な隊士たちに取り押さえられた。次いでもう一人、そしてまた一人が警備隊士に挑みかかり、あえなく倒され床にねじ伏せられる。
「止めるんだ、止めてくれぇ!」
レイクランドは懇願の叫びをあげるが、むしろその声が後押ししているかのように男たちは隊士に捻じ伏せられてもなお床の上でもがきのたうちまわっている。
「全員取り押さえろ!」
この号令と共に隊士達も全員武器を抜き、レイクランドの元へ押し寄せてきた。たちまち両者まとめての大乱闘へと発展した。隊士達は武器を携えていないレイクランドに対しても伸縮式棍棒や片手剣を振りかざし突進をしてくる。レイクランドは警備隊士達が放つ大振りの刃をかわし逃げ惑う。どうしてこんなことになったのか。
もはやこれまでかと観念したその時隊士が何者かに突き飛ばされ床に転げた。必殺の斬撃は空を切り、刃は床に食い込んだ。レイクランドを救ったのは熊のような体格の男だった。銀色の髪をした男の名はラックスと記憶している。ラックスが隊士を相手にしている隙にレイクランドは床から立ち上がり倉庫の奥へと全力で逃げ出した。速度を緩めることなく一瞬振り返るが、警備隊はレイクランドの逃走には気が付いていないようだ。何という幸運か。
奥へ向かう通路を右に逸れて壁際を目指す。その先に秘密の出入り口がある。今夜のような事態に備え設置されたが実際に使用することになるとはレイクランドも思いもしなかった。隠し扉の仕掛けを外す間も警備隊は姿を見せなかった。最後は隠し扉を蹴りつけ外へと飛び出した。外の路地に警備隊が待機している気配はない。一刻も早くこの事態をクラウド様に報告しなければならない。
闇に包まれた倉庫街をレイクランドは汗まみれになりながら走る。息が上がり胸が焼けつく、喉の痛みに吐き気に襲われる。
「ずいぶん、お急ぎのようですね」背後から女の声が聞こえた。
足の動きが止まり、体がそれについていけず前のめりになって転げそうになる。慌てて振り返るが誰もいない。こんな時に空耳か、悪態を付き顔を前に向けると長身の女が立っていた。精緻な刺繍が施された黒い外套に、黒い頭巾に仮面、月光に輝く滑らかで長い漆黒の髪、青白い肌をしている女。
「レイクランド・ダーナーさんですね。こんばんは」女はなぜか自分の名前を知っていた。
「どこへ行くのですか、お屋敷に戻るつもりなら、止めておいた方がいいと思いますよ」
どういうことだ。
「どうもこうもそんなことをすれば、まさに飛んで火にいる夏の虫のたとえ通りとなりますよ」
レイクランドはその言葉の意味は知っていたが、自分との繋がりが見えなかった。
女は柔らかな笑い声を上げた。上がった口角から鋭い牙が覗いた。
「本当にあの方を信じてらっしゃるんですね。でも、あの方の思いはあなたほどではないようですよ」
どういう意味だ。
「わかりませんか。昨日からのあの方とのやり取りを思い返して御覧なさい。あの方が放っていた使者からの伝言を聞いてからのやり取りです。禁制品の移送を今日に伸ばし、今日は今日で時刻を遅らせた。いざ、移送をとなった時には戸口に警備隊が大挙押し寄せ、頼りにしていた配下の方は騒ぎを起こし、警備隊は問答無用であなたを切り伏せようと向かってきた。何かおかしいと思いませんか」
「それは……」
「もしかしたら、あの方はあなたを切り捨てすべてを押し付けようと考えているのかもしれませんよ」
「まさか、そんなはずはない……」
「そうでしょうか、あそこで禁制品を持った状態であなたを始末すれば、あの方とすれば顧客を守りつつ全責任をあなたに被せることができる。商売はほとぼりが冷めてからまた再開すればよい。前回と同様に……」
「そんな馬鹿なことが」できるわけがない。
むしろ荷車の中の禁制品が露見すれば顧客に類が及ぶのは必定だ。
「そうでしょうか」女の口角が上がる。
「さっきの騒ぎを思い返してごらんなさい」
「……!」
「あなたにも内通者の存在を察することはできるでしょう?」女の表情はよくわからないが声音は実に楽しそうだ。「それは何者か、そして何が狙いなのか、考えてごらんなさい」
さっきの手入れが仕組まれた騒ぎであることはレイクランドにも容易に察しがついた。それを成すことができる人物についてもだ。だが、今もあの方は一蓮托生の立場のはずだ。
「あなたもずいぶんお人よしですね」女が渇いた笑いを漏らした。「さっきの乱闘騒ぎは捜索の前に起きたんですよ。あの時点では何も見つかってはいません。あの時点では問われるのはあなたの配下による警備隊への暴力行為です。幸いそれも皆未遂で終わっています。わたしが言いたいことがわかりますか」
わからない、女は何が言いたいのか?
「騒ぎに紛れてのあなたの殺害ですよ」女の口元から大きな犬歯が露わになる。
「あなたは捜索の前に起こった乱闘騒ぎにより不幸にも命を落とすことになる。その後に再開された捜索はまたも禁制品の発見に至らず、無用な血が流れただけで終わることとなる。丸く収まる筋書きとしてはこんなところでしょうね」
「そんな馬鹿なことが……」
「そうでしょうか、あなたが知る顧客を総動員すれば難しいことではないと思いますよ」
「あぁ……」
「どなたかわたしは知りませんが、その顧客とあなたを天秤に掛けて、どちらを守るか考えれば妥当か判断も付くでしょう。彼もあなたを失うことは多少なりとも惜しい気もするでしょうが、この際禁制品の販売網とそれに伴う犯罪の数々の隠ぺいのため決断したのではないでしょうか」
死人に口なしとでもいうのか。
「えぇ、比較的新しいところでいうと、商売から抜け出そうとしたエブラッタ・アンファルさんの殺害と、それに気が付いた警備隊士ティモシー・トルキンさんの殺害が挙げられますね。あなたがいなくなれば核心に迫ることは不可能となるでしょう、そう思いませんか。何しろそれらを中心で仕切っていたのは他でもないレイクランドさん、あなたなのですから」
「嘘だ、そんなことがあるはずがない。わたしはあの方に一身に仕えてきたのだ、そんなわたしを捨てようなどとは……」
「あなたはそうでも、あの方はどうだったんでしょうか?口答えをすることのない便利な男程度だったのかもしれませんよ」
「違う、違う」
「……昨日あなたがあの方の部屋を辞してからの事をもう一回思い返して御覧なさい。書斎に籠り彼が一人で何をしていたと思いますか。通話機が置かれた部屋です。そして、ついさっきまでの出来事です」
「……」
「わたしなら屋敷に戻らず、街を出ることを考えますね。でも、あの方の真意を問いたいというのなら別ですが……」
ローズとの会話を終えてレイクランドが走り出した方角は港でも街でもなかった。ポートの屋敷がある東だった。その翌々日になるとレイクランドは何件もの事件に関して街をにぎわせることになる。
まずは主人であるクラウド・ポートの殺害である。使用人によると、夜に汗まみれで目を血走らせ屋敷に帰ってきたレイクランドはすぐにポート書斎へと飛び込んだ。彼が書斎に飛び込むなり激しい口論が始まった。それはポートの凄まじい悲鳴で終わりとなった。悲鳴の後に様子を見に行った家人が発見したのは、頭部が識別できぬほどに砕かれ赤い肉塊と化し、床に横たわるポートと返り血で真っ赤に染まったレイクランドの姿だった。家人たちが書斎に飛び込むとレイクランドは凶器の火掻き棒を握りしめたままその場に膝を付き座り込んだ。
殺害に至った動機は仕事関係のもつれにあるらしい。レイクランドによれば主人であるポートが彼の罪をすべて押し付け葬り去ろうとしたことが口論に至る原因となったとしている。レイクランドは口論の際にポートに殴り飛ばされ暖炉の傍に転倒する。激情に襲われた彼はそばにあった火搔き棒を手に殴りかかった。そこからはよく覚えていないと供述している。我に返った時には血まみれのポートが足元に倒れていたという。
「ポートって人は本当にレイクランドを嵌めるつもりだったんですか」フレアは新聞を読みながらローズに目をやった。
「まぁ、わたしがある程度のお膳立てするにはしたけれど、結局、彼にとってレイクランドは便利使いのできる都合のよい男に過ぎなかったは確かね。だから、最後の最後でそれをうっかり口に出してしまった。それがあの結末を引き起こした」
レイクランドは禁制品の取り引き並びにエブラッタ・アンファルとティモシー・トルキンの件などについても供述を始めており、クラウド・ポートの立場は気の毒な被害者から悪辣な犯罪者へと移り変わっている。
ティモシー・トルキンが残した最後の一件が解決し、ローズは手帳に簡単な手紙を添え、買い取った本と共に娘のピービ―に送ることにした。人づきあいが苦手だった男の真意を知ってもらいたいと思っての処置だ。
しばらくしてボウラーからピービーから湾岸中央署へ父の墓の場所を教えてほしいとの連絡が届いたとの知らせが入って来た。これが彼女なりの答えなのだろうとローズは受け取った。




