第6話
「よくやったわね。わたしもそこに連れて行ってもらえないかしら」フレアからの報告を聞いたローズは口角を上げた。
フレアによるアンファル家の倉庫に関する調査の成果は壁の中から漂う臭気だけだったが、ローズはそれで問題はなかったようだ。もとよりこの件はエブラッタ以外は知らなかった事実と見える。あからさまな証拠が多数出てくるとはローズも思ってはいない。
「うまくいけば何かつかめるかもしれないわ」
この程度のようだ。
屋根にある明り取りの窓は外套を羽織ったローズには窮屈だったため、正面の大扉に設けられた通用口を使い侵入した。
倉庫内は明り取りの窓まで閉じられ、すべてが漆黒の闇の中に沈み、積み上げられた穀物の山と通路の境もあいまいに溶け合い、その境がはっきりとしない。これでは夜目が利くフレアであっても周囲の詳細は掴みにくい。
「無人ではないようね」
闇の中を行くフレアの頭蓋にローズの声が響いてきた。遥か先に仄かな光点が現れまもなく消えた。夜番が倉庫内の巡回をしているのだ。
「心配しなくていいわ。彼にこちらの姿は見えてはいない」とローズの声。
「あのように姿を晒すことで侵入者を牽制する。侵入者は彼に動きを悟られぬように警戒することを強いられることになる」
「さぁ、案内してちょうだい」薄黄色い光球が傍に湧き、いつも外套を纏ったローズの姿が闇の中に浮かび上がった。
「これで明るくなったでしょ」
ローズは闇に沈んだ通路を歩き出した。
「大丈夫、彼にわたしたちの動きは見えないわ。見えないならお互いかまうことはない」
ローズは素早くフレアが抱いた懸念を読み取ったようだ。要らぬ心配は顔には出さぬようにしているが、ローズが相手ではそれも通用しない。
右手から揺れる光点が近づいてきた。近づくにつれそれがランタンを手にした小太りの男であることがはっきりと見て取れた。腰には大ぶりの鉈を下げている。ローズのいう通りに男の目にはローズとフレアはまったく見えてはおらず、一瞥もくれることなく傍を通り過ぎていった。
「あなたが不審な匂いを感じた場所に連れて行って、そこで何かないか探しましょう」
「はい」
フレアは昼間覚えておいた位置へと歩きだした。
「なるほど……面白いわね」
「なんですか?」
「後で話してあげる」楽し気な声が頭蓋内に響く。
「はい……」
ほどなく昼間に臭気を感じた位置にたどり着いた。禁制品の臭気は変わらず辺りに漂っている。
「ここね……」
「はい」
「何か、目につくものを探して……」
フレアは壁から数歩後ろに離れて、眺めて見ることにした。床や壁を舐めるように仔細に目をやるが、あるのは荷車などが当たり擦れてできた傷ばかりで何も見つけることはできない。漂うのは残り香で実際は何もないのではないのか。いや、残り香なら次第に拡散し薄れていくはずだ。思考を巡らせ足元に目をやった時つま先のすぐ前の床に小さな縦長の三角形の傷を目に留めた。
「ローズ様これは……」
「偶然の傷ではなさそうね」
ローズのいう通り偶然の傷ではない。何か道具を使い彫り込まれた目印だ。フレアは膝をつき顔を近づける傷が入った床板を調べ始めた。この手の目印がついた板が隠された収納庫の蓋となっている事例を何度も目にしたことがある。その板、その周囲を押さえるなどするが何の反応もない。
「何かがある方向を指してるんじゃないの」
ローズは三角の頂点の先にある壁を指差した。壁は幅が細く縦に長い板で構成されている。三角形が示す先にある板を二人で注視する。
「あぁ……」
なるほどと目印の先の壁に少し窪んでいる箇所があるのを発見した。そこだけ木目が薄れている。
「ローズ様ここ……」フレアはその個所をローズに指で示した。
フレアがそこに親指で力を込めると僅かに音が響き、何かが外れる手ごたえがあった。指を離すと擦れ跡が付いた板は手前にめくれあがってきた。めくれ上がった板の中は縦に長い空間になっていたが何も入っていなかった。例の臭気は少し強くなったがそれだけだ。
「もう、取り出された後でしょうか」
「まぁ、待ちなさい」ローズは顔を近づけ中を覗き込んだ。「これは何かしら」
空間を仕切る板に指四本が入る程度の穴が開いている。フレアは手を入れてみたが、手ごたえはない。もっと奥に手を入れられないと動かしているうちに壁の方が動いた。
「えぇっ?」驚きに思わず声が出る。
壁は両手を広げた程度の幅で前にせり出していた。
「そこも扉になっているのよ」とローズ。「手前に引っ張ってごらんなさい」
「はい」
フレアが見つけた穴に手をかけ手前に引くと、臭気はそれまでの遥かに強くなり壁の裏側からあふれ出してきた。壁の裏は肘までほどの奥行きの浅い棚となっていた。その端に紙綴じが二冊積まれていた。
「それはこちらで預かっておきましょう」
ローズが手を軽く手を振ると紙綴じは浮かび上がり、ローズが広げた手の上に飛び込んできた。
「おそらく、これがエブラッタさんが一人で夜に出歩いていた理由でしょうね」ローズは手に入れた紙綴じをめくり始めた。
「彼はここを違法な禁制品の一時預かりの場所として使っていたんじゃないかしら」
帳簿に記されているのはいくつもの数字の羅列である。何かの取引の記録だろう。
「入手先不明のお金はその手数料として受け取っていた」
「でも、ここまでは一人で来たとしても倉庫には番人がいますよ。いくら主人だからといってもこっそり入って来るのは……さっきの人もグルで……」
「あぁ、さっきの彼も度々エブラッタさんがやってきたのは知っていたようね」
「じゃぁ、ここのことも……」
「それは知らないみたい」
「確かに彼はエブラッタさんがここへやって来ることがあるのは知っていた。でも本人によって口止めされていた。彼がここに来るたびにあの人はお金を渡され、しばらく外に出て行くように命じられていたようね」
「何かあるのは薄々わかっていたんじゃ、それを黙ってたってことですか」
「それはそうだけど、仕方ないんじゃない……彼はただの使用人よ、主人に命じられれば、それに従うほかはない。加えて、エブラッタさんが殺害されたのは恐らくここからの帰りで、それが関連しているんじゃないか彼は考えていたようね。それでますます言い出しづらくなってしまった」
「あぁ……じゃぁ、そのことは誰にも知らせていないままなんですか」
「いいえ、一人だけ知っていたわ」
「これが……その成果というわけか……」
ボウラーは目の前に置かれたくたびれた紙綴じに目を通しながら呟いた。
今朝のボウラーは早々と事務所を開け、フレアの来訪を待ち構えていた。事前にフレア達が秘密裏にアンファル家の倉庫を探ると聞いていたからだ。成果があればフレアは朝一番でやって来ると思い待ち構えていた。彼としては期待通りだったろう。事務所に入ってきたフレアの姿を目にして顔をほころばせた。
フレアに椅子を勧めたボウラーは、昨日の出来事の顛末と共にフレアが差し出した紙綴じに目を落とした。
「これをどこで……」
「もちろん、エブラッタさん、アンファル家が管理している倉庫でよ。そこの壁に隠し戸棚があって、そこにこれが置いてあったわ」フレアはボウラーが読んでいる紙綴じを指差した。
「まるで焚き込めたみたいに薬臭くなってるわ」
フレアの言葉に刺激されたのかボウラーは紙綴じを取り上げ鼻に近づけた。だが、鼻についたのは埃臭さだけだったようで豪快なくしゃみを立て続けに三回発し、その後息苦しそうにフレアを睨みつけた。
「あぁ、わたしが感じただけで、普通の人にはわからないわ。でも、そこに何が書かれているかはわかるでしょ」
「たしかに何かの取引の記録のようだな……」ボウラーは軽くテーブルを叩いた。
「だが、これだけじゃ役に立たない。それはわかってもらえるよな」
「……えぇ」
薬品の実物が見つかればよかったのだが、残っていたのはフレアにしか嗅ぎ取れないほどに薄れた匂いだけだった。
「俺はあんた達のことを信用している。あの人が言うように、亡くなったアンファル氏が自分の倉庫を違法行為に使っていたのではないかという推理にも同意できる」
「でも、証拠がない」とフレア。
これが痛い点だ。犯人を公に裁くためには然るべき証拠が必要だ。
「だな、薬物を扱っていたというのは、あんた達の主張でしかないし、倉庫番は毎回外に出て、現場を見ていたわけじゃない」
「然るべき証拠がない限り警備隊は動けないってことよね」フレアはため息をついた。
「落ち込むことはない。証拠は探し出せばいいんだ」とボウラー。「トルキンさんも一人でここまで辿り着いていたんだな。この情報は知り合いに伝えておくよ。せっかく掴んだ尻尾だ。離す気はない」
「わたし達の名前は出さないでね」
「わかってるよ。それぐらいは心得ている」




