第3話
ローズが手に入れた手帳の持ち主としてボウラーはティモシー・トルキンという男の名を上げた。所属はかつてのボウラーと同じく湾岸中央署であり、捜査班では古株の隊士だった。ボウラーとは警備隊所属当時から親交があり、それは彼が退職し探偵を始めてからも継続していた。ボウラーの探偵業の最初期の依頼はトルキンからもたらされた案件も多く、彼はそれで実績を積み今に至っている。
「いいわね。期待以上の出来よ」ローズは目覚めてすぐにフレアから手帳に関する報告を受けた。
持ち主の素性に関する手がかりだけでも見つかればと思い、フレアを向かわせたが彼女は期待以上の成果を持って帰ってきた。探偵のボウラーが手帳の書き手であるティモシー・トルキンなる男と親しかったとは大収穫だ。残念なのは半ば予想していたとはいえトルキンが既になくなってしまっていたことだ。しかも、遺体がガ・マレ運河の河口で見つかり、それについての事件性などの詳細も未だ掴めていないとは嘆かわしいことだ。
ローズは寝間着から部屋着への着替えを進めつつ、フレアが話すトルキンの人となりに耳を傾ける。
トルキンは警備隊士をしては優秀であったが、家庭人としては破綻してしまっていた。警備隊の仕事に対しひたむきに打ち込むあまり、家庭を顧みることが少なくなり、ついには突然の病に倒れた妻ヒメノの死に目にも立ち会うことすらできなかった。これに一人娘ピービ―はひどく反発し、以降関係は急速に悪化、彼女が家を出た後は絶縁状態となってしまっていた。
「悲しいものね。手帳にはあれほど娘を気づかう思いが綴られていたのに、本人にはそれを一言を伝えることができなかったという事ね」
「そのせいで娘さんは彼の葬式へのかかわりなどを一切拒まれたようです」
教会での葬儀は隊士達の持ち寄りでしめやかに執り行われた。連絡を受けたボウラーも仕事の合間に参列のために教会へと出向いたが娘の姿はなかった。
「せめて、参列だけでもしてあげればよかったのに……」
彼の遺品はピービ―に託されたのだが、それらは彼女によりまとめて古道具屋に売り払われたのだろう。ローズが夜市で買い取ることがなければボウラーもその事実を知らずにいたことになる。
「彼の周辺についてはとりあえず把握することはできたけど、彼が追っていた例の強盗殺人事件に関しては何かわかった?」
「それについては……中央署で扱っていたんだろうってこと以外は皆目……ですね。ボウラーさんもトルキンさんの件と殺人事件でもしなにか掴んだら教えて欲しいとの事です」
「それをわたしにいう……」ローズは思わず噴き出した。「いい根性しているわね」
「お互いが知り得た情報を交換し合えば真相が明らかとなり……」これはボルダーからの伝言だ。
「それはわかるけど……ね」
つまるところ今回に限りボウラーは報酬を要求しないつもりのようだ。いや、情報を対価としている。どちらが得をすることになるのか。ボウラーになりそうな気もするが、ローズも始めたばかりの調査を止める気など毛頭ない。
「まぁ、わたしも真相は知りたいし、今回はお互い協力しあうことにしましょうか」
部屋着の上にいつもの外套を羽織ったローズは塔の雑務をフレアに任せ、最上階の窓から街へと飛び出した。上空へ舞い上がってすぐに姿を消し、空路で旧市街にある湾岸中央署の庁舎へと向かう。人気の無い屋上に降り立った後は庁舎内へと繋がる通用口から屋内へと侵入するつもりだ。屋上を取り巻く高めの塀には多数の銃眼が設けられ、頑丈な物置が隅に建てられている。ここは眺望を楽しむより有事の際の備えとして形作られている。ローズは改めてここが帝都防衛の拠点の一つであることを認識した。
階下へと降りる扉の鍵は内側から施錠されてはいるがローズには無意味だ。彼女の侵入を阻むつもりなら強固な魔法防壁を施すか、扉自体を無くすしか手はないだろう。
屋上の扉を抜けるとそこは階段室となっており、上から覗きこむと螺旋状に取り巻き下へと向かう踏み段が見て取れる。ローズが背後の扉に指を向けると、扉は彼女の命に従い自ら施錠を済ませた。
「さぁ、どこから行きましょうか」ローズは小声で呟いた。
やる事は決まっている。ティモシー・トルキンの人となりとその死について、もう一つは彼が最後まで追っていた強盗殺人事件についての詳細な情報だ。ここには何度も忍び込んでいるため間取りは頭に入っている。まずは二階にある隊士達の控室だ。夜であっても何人か隊士達が事件発生に備えて待機中のはずだ。
二階に降りてみると暗い廊下の中央辺りが扉から漏れ出す明かりによってほんのりと輝いていた。あそこが隊士達の控室だ。ローズの反対側から人の気配が近づいてきた。今夜、夜間の勤務に就いている警備隊士の一人だ。彼は廊下の反対側にローズが姿を隠して潜んでいることなど知る由もない。今、彼が囚われているのはカップにたっぷりと入った甘い茶の事だけだ。両手に持った茶を暗い廊下にぶちまけぬように神経を集中している。若く恵まれた体躯を持ち合わせていても、夜目は人並みに効かないようだ。彼は光が漏れ出す引き戸の前で一度立ち止まると、右足を引き戸に擦りつけ隙間を開け、そこに足先をこじ入れ器用に引き戸を開けた。茶で満たされたカップを手にした男はランプの明かりで満たされた部屋へと入っていき、ローズも姿を消したままそれに便乗した。扉を開けて侵入するだけで居合わせた隊士達の視覚を混乱させるのは面倒なことだ。
先ほどの男は金髪の中年女の机にカップの一つを置き、自分はその隣の席に座った。控室は特に暇でもなく忙しくもない。離れた場所に座っている若い男の二人組はついさっき署に戻ってきたところだ。喧嘩騒ぎで連行し監房に放り込んでおいた四人の男についての報告書を作成中だ。喧嘩の発端となったのは酒場への来店時に肩が触れたなどの些細なもめ事だ。彼らは素早く用心棒たちに取り押さえられ通報のよって駆けつけた警備隊に引き渡された。
「馬鹿馬鹿しい、蹴りだしゃぁすむことだろうに……」これが彼らの所感ではあるがこれは書類には記載されなかったようだ。
四人は往生際が悪く取り押さえられてもなお暴れていたため警備隊の出番となったようだ。
その隣に座っている二人は運河近く鍛冶工房に侵入した窃盗犯についての報告書を作成中、工房区を巡回警備中の隊士からの応援要請により現場へ急行した。彼らに抵抗した窃盗犯は負傷し病院送りとなる。本格的な取り調べは後日となるようだ。
伝聞ではなく、彼らの生の記憶を読むのも中々よい。もう少し楽しんでいたいローズだったが、今夜は重要な要件があってやって来た。それを手早く済ませなければならない。この部屋に居合わせた隊士達にローズはティモシー・トルキンについて訊ねてみた。トルキンはボウラーが話していた通り、この署では最も古株の隊士だった。それゆえ少し煙たい存在ではあったが皆その力は評価しており、誰からも頼りにされていた。そのため彼の突然の死が与えた衝撃は大きかったようだ。運河での死亡が誤っての転落などによる事故とは彼らには考えることもできず、こぞって真相究明に乗りだしたのだが、死因が運河で溺れての水死である以外は掴めていない。頭部の打撲痕があるがそれが転落の際に着いたのか、何者かによる加害かについても不明だ。どこから運河に転落したのかも特定できていない。
例の手帳については誰も知らなかったようだ。トルキンは手帳を持ち歩くことなく自室での執筆に限っていたのだろう。彼の家族関係については思わしくなかった事については皆が承知していた。娘への連絡は彼らから取ったようだが、拒絶され取り付く島もなくなすすべがなかった。娘は遺品を渋々引き取りはしたが、結局はあの通りだ。
最後にトルキンが追っていた強盗殺人事件について訊ねてみた。彼らに心当たりがなければ、ここで行き詰まることになりかねない。答えに辿り着くまで時間を要したが、手帳で知り得た内容を元に訊ねた結果金髪の女から事件についての情報を得ることができた。被害者はエブラッタ・アンファルという貿易商の男で主に穀物などを扱っていた。一人で出向いた港に近い倉庫街で何者かに殴り倒され財布などの金銭を奪われた。誰もが行きずりの強盗犯による犯行とみていたが、トルキンだけが殺人が真の目的ではないかという説を提唱した。その根拠は手帳に綴られた通りだ。彼女も相棒の若い男とその線を含めて捜査を進めたようだが、残念ながらどちらの説に関しても有力な証拠を得ることができず、容疑者を割り出すことは出来ないまま、体勢は縮小し彼女達はその任から外され、別の事件の捜査に当たることとなった。彼女にとっては嫌な記憶の一つとなっているようだ。
彼女もトルキンが暇を見つけては捜査を進めていたのは知っていた。そして、その成果があまり芳しくなったことも。




