第2話
ローズが夜市で手に入れた革の手帳に綴られていたのは過去に起こった複数の事件に関する私的な考察だった。書き手についての詳細は不明だが、文体と内容から察するところ男性と見られた。記録の中にはローズの記憶にも残っている事件も混じっていた。手帳の持ち主は実際に事件の捜査に関わった警備隊士だったのだろう、捜査段階で知り得た事実を明記し、そこから発生する疑問を書き連ねている。ローズも興味を持った事件には似たような手法を使うため共感する部分も多いが、書き手はこれを人の意識を読むことなくやってのける。彼は警備隊においてそんな存在だったようだ。
その合間に仕事に没頭するあまりに折り合いが悪くなってしまった娘への思いが綴られていた。彼女とは亡くなった妻、彼女にとっては母親の死が原因で埋めようがないほどの深い溝ができてしまい、その対処の仕方がわからず、その時の行動を悔やみ、嘆く思いが綴られている。
手帳への書き込みはごく個人的な考察であり覚書であって、他人に見せることは想定されていなかったのだろう。記述は断片的で、多くは無事解決に至ったのかなどの言及もない。だが、ローズが思い当たった事件については解決までにどのような考察がされていたのかをうかがい知ることができた。
どの事件もまずは一回、多くとも三回で記述は終わっていた。中には三回目以上の考察を重ねても終結を見ない事件もあったようだ。いわゆる迷宮入りに陥り、それらからの関りを切られる悔しさも何度か綴られていた。
最後に綴られた事件の捜査も難航していたことが伺え、その記述には何頁も割かれていた。
それは旧市街で起こった強盗殺人事件で、被害者は自身が管理する倉庫の傍で強盗に襲われ命を落としたと見られている。強盗犯は被害者の財布などを奪い逃走している。行きずりの強盗犯の犯行と見て、捜査は展開されたが書き手はそれに納得が行かなかったようだ。
その理由について書き手はいくつかの気になる点を指摘している。被害者の傷が前面の頭部にある事から、犯人が近づいて来るまで不信感を感じていなかった可能性を示唆している。財布は奪われてはいるが、首飾りや指輪などの宝飾品はそのまま残されている。それらは書き手の目から見ても財布とその中身より遥かに高額である。それらは隠されていない。上衣の中を探って財布を探し出すよりは遥かに手間が掛からない。確かに売り払うことが困難な宝飾品より、そのまま使える金銭を優先したとの指摘も頷けるが、どちらか一方を選ぶ必要などない。どちらも持ち去ればよいのだ、強盗犯が遠慮するなど馬鹿馬鹿しい話だ。
「ごもっとも……」
書き手は経験が浅い強盗の犯行も否定をしてはいないが、偽装の可能性も指摘している。金目の物より命の方が狙いだった。被害者を狙う何者かが強盗に見せかけ殺害したという見方だ。
「おもしろいわね」
しかし、目撃者はなくめぼしい証拠も見つからず、捜査は行き詰ったようだ。物盗りの容疑で何人かを捕まえても誰も事件への関りを見出すことはできず、偽装に関しても被害者に不審な点は見られず、彼は不幸な被害者でしかなかった。ローズなら関係者の意識を読んで先に進むこともできるのだが、如何せん彼らはその手の力を持たぬ一般人の集まりだ。捜査の進捗状況は思わしくなままに、新たな事件の発生によりその優先順位は次第に落ちて行き、やがてほぼ終結、いわゆる迷宮入りという扱いとなってしまった。
手帳でもそれに触れていたが、何度も新たな記述が出現するところを見ると書き手は諦めきれず、暇を見つけては捜査を継続していたようだ。事件の何が彼をこうまで惹きつけたのかはわからない。それを知るには本人に会って聞き出すしかないだろう。
事件に興味が湧いてきたローズはそれについての記述を探し読み進めた。短く進捗無しの言葉が続いたが、ついに被害者が何らかの不正に関り、彼はそれにより何者かと諍いを起こしていた事実を掴んだようだ。この書き手の根気強さには感服する。残念なのはこの時点では具体的な氏名などが言及されていない事だった。次の書き込みでは諍いの当人を突き止め、会う段取りを付けたとなっていたが、手帳への記述はそれを最後に途切れている。まだ、十分に頁は残っているため、手帳を換えたとは考えられない。この男のことだ成果を得られなかったとしてもそれを書き記し、次の策を練っていそうなものだ。このように重要なこの手帳が他の所持品と一緒にあの店主の元に流れたのはどういうことなのか。彼の身に何が起こったのか。
「きになるわね」
手帳に書かれた文字を消しさり、一新するという計画は手帳を手に入れたその夜のうちに消し飛んだ。ローズが書き手が追っていた事件に興味を惹かれたためだ。傍でぶつぶつとつぶやくローズの様子を眺めていたフレアとしては特に驚きはなかった。このようにローズが惹かれた場合は当然フレアに出番が回ってくる。
ローズは手帳を閉じテーブルに置き静かに立ち上がると、フレアに声をかけた。次の言葉は大体の予想がついていた。手帳についての調査に間違いない。ローズからの指示は手帳の持ち主の素性を速やかに特定することだ。
「これを御覧なさい」
ローズに渡された手帳の記述では強盗殺人事件を追っていた書き手は新事実を掴んだようだが、そこから新しいから事件についての書き込みは中断され、そればかりか他の所有品と共に売り払われることとなった。この流れはフレアでも不穏な気配を感じ取ることができた。
「事件を無事解決させて退職し、所持品をすべて売り払って帝都を出た……ならかまわないけど……」
ローズも口には出したが、それが具にもつかない仮説であることは彼女の声音で察することができる。
フレアも同感である。家具類はともかく手帳や本を売り払うことはないだろう。となれば考えられるのは。
「何らかの事情で姿を消したとお思いですか?」
「えぇ、悪くすればもういない」
新市街でも少し姿を消したぐらいで、家財道具が売り払われるようなことはない。しかも、それを夜市で堂々と売りに出すなど考えられない。
「急ぐ必要があるという事ですね」
「えぇ、お願いね」
とは言っても、氏名の記載も無い手帳で持ち主を割り出すのは雲を掴むような話で、せめてそれに実体を持たせ地上に引きずり下ろす必要がある。そこで思いついたのが元警備隊士で探偵のラリー・ボウラーだ。彼には出会って以来、何度か相談を持ちかけている。
書き手も警備隊士だったと思われるがボウラーと面識がある確証もない。どれぐらい頼りになるかわからないが、まず当たってみる価値はあるだろう。事件を担当した所轄署だけでもわかれば儲けものだ。
フレアは朝の用事を済ませてすぐにボウラーの事務所へと向かった。旧市街の大通りから外れたボウラーの事務所にはまだ人気はなく、その前を工房や港の職場に向かう男女が行き交う。そんな人々の中にウエストコートを羽織った男が姿を現した。先方もお仕着せ姿のフレアにすぐ気がついたようだ。一瞬、顔をしかめ足を止める。通常、金髪の美少女を目にした時の反応とはかけ離れているが、正体を知っていれば頷ける。フレアの方もこうなるのは織り込み済みで、気にしてはいない。
ボウラーもそこから引き返すわけにいかず諦めたか、歩を進めフレアの元へやって来た。立ち止まっていては仕事にならない。
「おはよう、今日は何の用だい?」
フレアの横を通り上衣の内側から取り出した鍵で扉の鍵を開ける。
「入ってくれ、話を聞こう」扉を開け、フレアに視線を送る。
「いいの?」
「聞かないと帰っちゃくれないだろ」
「まぁ、そうなんだけど……」
応接間で勧められた椅子に腰を下ろしたフレアは持って来た手帳を目の前のテーブルにおいた。
「話を聞いてもらえるだけでもうれしいわ」これは社交辞令などではなく本音だ。退職しているといっても警備隊と繋がりを持つ知り合いはボウラー一人なのだ。
「これを見て欲しいの。元の持ち主はたぶん警備隊士だと思うんだけど、あなたに心当たりはないかしら」
フレアはテーブルに置いた手帳をボウラーに向けて差し出した。
「持ち主を教えてくれとでもいうのか。まったく……」ボウラーは手帳を取り上げ革の表紙を眺めた。
「帝都に隊士が何人いると思っているんだ。誰もが知り合いのわけはない。知らない奴の方が多いんだ」
それでもボウラーは表紙を開き、頁を捲り始めた。綴られた文字を読むにつれボウラーの眉間に皺が寄り表情に険しさが増していく。頁を素早く捲り目を通す。
「これは……これをなんであんたが持ってるんだ。どこで手に入れた?」その声音からはさっきまでの柔らかさは消え失せた。
「それは昨夜ローズ様が皇宮広場の夜市で手に入れたのよ」
フレアは手帳を手に入れボウラーの元へ訪れることになった顛末を話して聞かせた。
「なるほど、あの人らしいと言えばらしいな……これを買った店については覚えているか」
「顔なら覚えているけど……あぁ、ローズ様ならもっと詳しく知っているはずよ。店番の頭の中を読んでたみたいだから」
「それは助かる。それならあの人からあの人が覚えていることを全部聞き出してくれ」
「いいけど……あなた、持ち主に心当たりがあるのね?」
「ある、あるが……もう察しはついているだろうが、結論からいうと持ち主はもうこの世にはいない。つい最近亡くなった」




