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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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第6話

 外出時とは逆の手順で窓から自室へと戻ったファンタマは透明迷彩を解き、姿をアリスへと戻した。こちらに戻る道中も今も敵の気配は感じられない。いつまでも闇の中で過ごすこともないだろう。

 壁にあるランプを灯すために点火用の火口が置いてある寝台の傍の棚へと向かう。その一つを取り出して壁の二か所、書き物机、寝台の枕元にあるランプに灯をともしていく。次第に明かりに満たされていく部屋にファンタマの心にも安堵がもたらされていく。やはり、明かりはよいものだ。

 書き物机に添えられた椅子は引き出しそれに腰を下ろす。座面に尻が落ち着く間もなく再びクローバー家の屋敷で感じた鋭い気配を察知した。

「くそっ……」思わず悪態が口を衝く。

 やはり、気を緩めるには早すぎたようだ。立ち上がり周囲を窺う。

「どこだ……」部屋の中ではない。

「外か……」だが、ここは三階だ。

「いや、あの蜘蛛猿なら……」高さは元より距離なども関係はないか。結局放置、無罪放免とはならないようだ。むしろ、屋敷から離れた場所で始末した方がかかる嫌疑も薄くなる。

「当たり前か……」

 窓辺での物音を耳にしてそちらへ目をやると何者かが窓の外に貼りついていた。両手を広げ爪を立て窓枠に食い込ませ、両足を窓枠にかけ貼りつく様は巨大な蜘蛛のように見える。だが、その体格は屋敷の壁に貼りついていた猿より遥かに大きい。

「人……?」

 外の闇と纏いつく靄により容姿ははっきりとしないが、その体躯と流れる髪の長さと服装から見て察するとすれば。

「女……?」 

 蜘蛛女は閉じられた両開きの窓に向かい右拳を振り上げ、その中央部に拳を突き込んだ。力任せに窓を破壊し部屋に侵入するつもりか。しかし、ファンタマの予想に反し窓は微動だにせず、腕は窓にあたって霧散した。人型を失った靄は窓の中央部をすり抜け、勢いよくファンタマの部屋に流れ込んできた。靄のすべてが室内へと侵入を果たすとそれは再び集結し人型を形成し始めた。

「なるほど……」

 これならばどこであっても侵入可能だ。眠っている間に襲われ連れ去られたならば痕跡も残らずお終いになるだろう。異世界に連れ込まれたなら後は朽ち果てるのみだ。下で見つかった男は抵抗を企て誤って転落といったといったところか。

 ランプの明かりの元で次第に形成されていく蜘蛛女の姿はファンタマの記憶にある容姿をしていた。

「ロザリーン?」

 ファンタマの問いかけに女の口角が上がり、狂気を帯びた笑顔を作り出す。

 窓際に立ちランプの燈火に照らし出されている女はロザリーンの姿をしていた。

 ファンタマの脳裏にロザリーンの容姿が礼拝の際に目にした容姿が蘇る。茶色い長い髪と青白い肌女の女の姿だ。だが、目の前にいるのは礼拝の際は支えられるように歩いていた保護されるべき女性ロザリーンとはかけ離れている。ロザリーンの姿を持つこの魔物は服は生成りの寝間着のようないでたちで手には剣呑な鈎爪がつけられている。

 ロザリーンとはどのように出会えばよいか考えていたが、向こうから乗り込んでこられては調子がくるってしまう。話し合いが必要な相手が不気味な笑顔を浮かべていてはなおさらだ。

 ファンタマとしてはロザリーンとは対話による解決に持ち込みたかったのだ。だが、このように自分とうり二つの使い魔を使者として送り込んでくるならば、彼女にその意思は毛頭なさそうだ。ロザリーンは外壁に貼りつくために使ったであろう鉤爪を武器にファンタマに襲い掛かってきた。鉤爪には鋸刃に似た返しが並んでいる。あんな爪で攻撃を受ければ、たちまち肉は引き裂かれ血塗れになる事は確実だ。剣呑な鈎爪を装備した寝間着姿の女とは悪夢でもない限り目にすることはないだろう。

 ロザリーンは素早くファンタマとの間合いを縮め、ファンタマを引き裂くべく鉤爪を左右に振り回す。ファンタマは横ぶりの爪による攻撃を前腕で受け止める。アラサラウスに守られ爪が皮下に到達することはないが、その衝撃は杭を打ち込まれるように重く強い。ファンタマは大男が振り回す金槌に打たれ続ける気分だ。

 ファンタマはロザリーンの爪をかわし、更に間合いを詰めた。至近距離で腹に拳を打ち込み前のめりさせたところで、顎を打ち抜く。これで膝をつくかと思われたが、効いてはいなかった。拳は腹の柔らかな部位に十分に食い込んだはずであり、顎にも手ごたえはあった。だが、ロザリーンは顔色一つ変えない。やはり靄で構成された身体に急所は存在しないか。核があるとすれば急所はそれになりうる。

 それならばと刃と化したアラサラウスの袖口をロザリーンの体に突き込むがこれも靄を幾分乱すだけで効果は見られない。これでは木人相手に果てしなく打撃を加えているのと変わらない。いずれ体力が尽きこちらが倒れることとなる。

 ややあって廊下が多くの気配でざわめき始めた。ロザリーンもそれを察したか動きを止め後ろへと退いた。体を靄に変え素早く外へと抜け出す。その圧力に窓の掛け金が外れ、勢いよく窓が開いた。

「アリスさん!アリスさん!何かありましたか」マリーが激しく扉を叩いている。

「答えてください!アリスさん!」

 戦いはこれまでのようだ。思わぬ援軍に助けられたようだ。ファンタマはマリーに告げる言い訳を考えながら扉へと向かった。

 ファンタマが扉を開けると客室係のマリーや警備担当の男が二人、部屋になだれ込んできた。廊下では騒ぎに反応した客達が輪になって中を眺めている。

「アリスさん、大丈夫でしたか、何があったんですか!」

「あぁ、マリーさんどうしてここに?」

「どうしてじゃないですよ。下の方がこの部屋で激しい物音がしているおっしゃって見に来たんです」

「あぁ、そうでしたか……」階下に客に感謝といったところか。

 警備担当の男達は開け放たれた窓に歩み寄り外を窺う。

「猿が……窓の外に猿が現れて……」ファンタマは窓辺に目をやる。

「猿ですか……」警備担当の男が窓辺から振り向きファンタマに目をやった。赤毛で短髪、長身の男だ。仕立てのよいお仕着せは鍛えられた筋肉で張り詰めている。元地元の警備隊か騎士といったとことか。

「窓を開けて外を眺めていると……突然黒い猿が飛び込んできて……」

 どこまで通用するか疑問だがロザリーンの名を出すわけにはいかない。ロザリーンの姿をした魔物など口に出せるわけがない。ロザリーンもそんなこちらの立場を察しての撤退だろう。

「幸い、威嚇ばかりで襲ってはきませんでした……いよいよかというところであなた方が駆けつけてくださって猿はそこから逃げ出して行きました」

 赤毛の男が相棒の金髪の男に目をやる。相棒はそれを受け無言で頷いた。

「何事もなく無事にすんでよかったですね」マリーは軽く息をつき微笑みを浮かべた。

 短い金髪の男も同僚に笑顔で頷きかけ同僚もそれに応じた。柔らかな空気が部屋を満たしたが、それはつかの間のことだった。すぐに彼らは表情を曇らせた。

「あいつか……」

「ついに手を出してきた……か」

「あの……あいつって何者ですか」ファンタマはマリー達に訊ねた。

「……それは」とマリー。「……最近になってここの近くをうろついている獣の影を何人ものお客様が目にしておりまして……」

「それが黒い猿のようなのです」と赤髪の警備担当。「不測の事態に備えて警備の強化や捕獲のための罠を仕掛けておりました。地元警察にも相談はしているんですが成果はないままでして……」

 男たちは気まずそうに頭を下げた。

「自然が相手では仕方ありませんね」とファンタマ。

 断りなく森に侵入しクローバー家に近づく者もいるのだろう。それが刺激となって蜘蛛猿が現れる。そのため蜘蛛猿の出現については周知の事実となっているようだ。騒ぎの原因をその猿に被せることができるならファンタマとしては都合がよい。

 彼らから後しばらく聞き取り受けてから、ファンタマは近くの空室へと案内された。

 それからほどなくして眼下の森に黄色い光球が行き交い始めた。警察隊の協力を得て、警備担当の職員たちがランタンを片手に森の中で巡回を始めたのだ。森に潜伏している猿を威嚇し、追い払う狙いがあるらしい。闇の中では余計な危険を伴う行動になりそうだが、館内の騒ぎを目の当たりにした客たちに対して何か行動を起こすほかないと考えたようだ。ご苦労なことだ。

 これならあのロザリーンも迂闊な行動を取ることは出来ないだろう。それについては安心できるが、彼らの行動はファンタマにも動きにも制限を加える結果となる。

 また、新たな気配を感じた。いや、それは既に見知った存在だった。外の廊下をこちらへと近づいてくる。

「こんばんは、今はいいだろうか?」軽く扉を数回叩く音に続いて聞き覚えのある男の声が聞こえた。ギア・モルトの声だ。

「今開けるわ。少し待ってて」

 開けた扉の外にいたモルトの姿は最初に会った時と変わらなかった。その表情に関しても。

「何をしていた?」とモルト。

「下を見ていたわ……捕物が始まったようだから」ファンタマは窓のそばを指さした。

「なるほど」モルトは窓の傍まで歩き、そこから見える光の動きを眺めた。

「依頼した調査ははかどっているかい?」とモルト。

 この部屋にやってきたのなら、聞かずとも既にこちらの状況は承知しているだろう。

「さっき、彼女と会ったわ。……話をしたかったけど取り付く島もなかった。いや、あれは彼女じゃない、あれは人でさえない同じ姿をしていただけのまったく別の存在だわ。あなた、知っていたんじゃないの?」

 ファンタマは目の前にいるモルトを睨みつけてみたが彼は表情を変えず黙り込んだままだ。

「あのロザリーンはある種の精霊じゃないかしら。使い魔と呼ばれる類の……。それならば、本物の彼女はただならぬ事態に陥っているのかもしれない。最悪の場合、彼女はもういない。それをどういう理由かはわからないけど、あの一家は隠している」

 そして、それを暴こうとするものは人知れず排除される。

「……彼女がまだあの屋敷の中にいるのは間違いない。問題はその場所だ」ようやくモルトが口を開いた。

「彼女は屋敷内に囚われているってこと?何のために?」

「彼らには彼女が必要なんだ……そのために囚われている。解放してやって欲しい」

「そのためにあの屋敷に乗り込めと……」

 ファンタマはいずれにせよクローバー家には乗り込むつもりではいた。だが、それはあのロザリーンが現れる前の話だ。ただの金持ちの屋敷と、何ものとも知れない存在を飼っている屋敷では危険度は段違いとなる。

「あの屋敷の間取りは目をつぶって歩けるほどに頭に入っている。手助けはできる」

「ありがたいわね。あなた、あの屋敷に詳しいようだけど本当は何者なの?」

 これに関してはまたもモルトは無言だった。


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