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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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第9話

  ウィーチャーズの提案が適切なのはわかっているが、フレアとしては大勢の面前で犬の真似をさせられるのは釈然としなかった。フローラの匂いなら前回訪れた時に全て記憶済みだ。あれだけ濃厚な体臭を嗅げば忘れることはない。

 それでも、フレアはフローラの部屋から持って来た彼女の持ち物を鼻の前に持っていき、嗅ぐしぐさをした。これは居合わせた者たちに向けたわかりやすい儀式に過ぎない。そして、ウィーチャーズはに対して軽く頷く。

「これで彼女の準備は……」ウィーチャーズの言葉は物音により中断された。

 けたたましい馬車の音に皆がそちらに目をやる。真っ赤なウエストコートの男が手綱を操り馬の速度を落とす。男は馬車が止まると同時に御者席から飛び降りた。リカルド・アンデンの登場だ。フローラ失踪の報は当然のごとく彼の元にも届けられたのだろう。

 今日は襟元にクラバットはなく白いシャツの喉元ははだけている。首飾りもしていない。それだけ急いできたという事か。

「おはようございます。アンデン先生」ウィーチャーズはアンデンに軽く会釈をし笑みを浮かべた

「……ウィーチャーズさん……あなたも来られたのですか」 彼の方は声を掛けたウィーチャーズを目にして驚きを隠せないようだ。

「はい、帝都でフローラさんの病が再発との報を受け取りましたので駆けつけた次第です」

「なるほど……」アンデンはそのままカイの元へと近づいていく。

 すれ違う際にフレアはアンデンに違和感を覚えた。彼に似つかわしくない何かを帯びている。前回どこかで嗅いだ覚えがある匂いであるのは確かだ。

「おはようございます。アンデン先生」カイの挨拶に続き、皆が挨拶を口にする。やはり、村の有名人だけはある。

「俺達は先に出るとするか、いつまでも話はしていられない」ウィーチャーズが小声で呟いた。

「えぇ……」

 フレアとウィーチャーズはカイに断りを入れ、二人で捜索のために屋敷を出て行った。これでフレアの思索は中断となった。

 


 フローラの臭跡は玄関を出た後、葡萄畑を抜け、ヤンセン家の敷地を囲む森へと入っていった。陽光を遮るほどの緑の濃さはないが、森を歩きなれていない者が不用意に入り込めば方向を見失い道に迷うことは火を見るよりも明らかだろう。

 フレアは駆け足気味の速さでフローラの跡を追い続けた。緩急つけながら半刻程休まず続けた。ウィーチャーズは多少息が上がり汗もかいてはいたが、それでも遅れずフレアの後について来た。新市街の淵に沈ませておくのは勿体ない存在に思える。だが、日の当たる場所が合わないならそれまでだ。

「近くまで来ているかも……」フレアは足取りを緩め、周囲を窺う。

「それは……助かる」大きく息をつき、額の汗を袖口で拭った。

「頑張って、あともう少し」

 フレアは左右の木々に注意を払いつつ進んで行く。ややあって、フレアは何らかの刺激を受けたように背筋を伸ばした。そして、右手に見える大木に向かって走り出した。そこに到着し、死角となっている反対側に回り込む。

 そこには幹を背にして眠り込んでいるフローラがいた。寝間着のまま根元に腰を下ろして幹にもたれ掛かっている。フレアは跪きフローラの様子を確かめる。

「ここにいたか。どんな様子だ」少し遅れてやってきたウィーチャーズが上から覗き込む。

 首筋や口元に手をやる。感じられるのは乱れのない脈拍と息遣いだ。

「息は大丈夫、眠っているだけよ」とフレア。

 手や足、足の裏を確認するが泥で汚れているだけだ。寝間着の泥も洗えばすむ。

「泥で汚れて軽い擦り傷が脛にあるけどひどい傷はなさそう。後はあなたが見てちょうだい」

 フレアは立ち上がりその場をウィーチャーズに譲った。

「あぁ、代ろう。任せておけ」

 フレアに代わりウィーチャーズがフローラの傍にしゃがみ込む。手をかざし様子を窺う。

「……また何か仕込まれているな」ため息をつく。

「取れる?」

「問題ない。大丈夫だ」

 短い詠唱で手のひらが淡い燐光を帯びる。

「これでいい。少し癒しを入れておこう。まもなく目が覚めるだろう」

「ほんとに?」

「彼女は元々踊りで鍛え上げられた体力の持ち主だ。魔法で癒してやれればすぐに目を覚ますさ」

 ウィーチャーズは十分な癒しの力も持っていたようだ。フローラが目を覚ますのに時間はかからなかった。まもなく、彼女は小さな呟きの後、軽くまぶたを震わせ目を開けた。

「……ここは」ぼんやりとした目つきで声を漏らす。

 ややあって、現状を把握したのだろう。体を大きく震わせ首を左右に振り周囲を見回す。

「夜に屋敷を出てここまで歩いて来たようです」穏やかに抑えた声でウィーチャーズが答える。

「えぇっ……」

「また何者かに操られての事のようですが、仕掛けられた棘は抜いておきました。もう心配はありません」

「……ありがとうございます」

 ウィーチャーズに差し伸べられた手を取り、フローラは大木の幹から立ち上がり歩き出した。最初の一、二歩はおぼつかない足取りだったが、すぐに調子を取り戻し歩き出す。しばらく三人で森を歩いているとフローラとアリサの名を呼ぶ男達の声が聞こえてきた。

「あの声は……」とウィーチャーズ。

「村の人達が近くまで来てますね」とフレア。

「はい」フローラが答えた。

 その呼びかけに答え、フレア達も懸命に声を上げた。お互いの呼びかけのおかげでほどなく、フローラは彼らの元へと辿り着くことができた。彼らの一人は背負子を持っており、フローラはそれに乗り屋敷に帰ることとなった。これで裸足で歩いて帰ることもない。フレアとウィーチャーズも安心し、気持ちを緩めた。


 フレア達は捜索に参加した村人たちに付き添って屋敷へと戻ってきた。前庭に現れた彼らを屋内から目にしたのだろう。先頭にいた野良着の男が玄関扉を叩く前にカイが中から飛び出してきた。続いて警備隊隊長アグストス、トロイが後を追って出てきた。

「フローラ!」カイは大声で娘の名を呼び、背負子の男に駆け寄った。

「お父様、ごめんなさい」フローラはうつむき加減で呟いた。

「何を言う……無事で何よりだ」

 フローラを止め置いていた帯がほどかれ、背負子からフローラが庭に飛び降りた。待っていたカイがフローラを抱きしめる。捜索隊の男たちがフローラと会うまでのいきさつをカイに話して聞かせる。カイはそれを頷きつつ耳を傾けた。

「そうか、またあなた方に助けられたのか」カイはフローラを抱きしめながら寄り添ってきたフレアたちに目をやった。

「ありがとう……」カイは深々とフレアたちに頭を下げた。

 この頃にはターニャを始めとしてアイやミスミなどの使用人も前庭に出てきていた。その度に男たちは同じ話を彼らに話して聞かせた。

 ターニャや使用人たちも口々に礼を言い、頭を下げる。

 フレアは少し照れくさい気もしたが、感謝の念を受け心は温かになった。場は幾分和みはしたが捜索はまだ終わってはいない。

「フレアさんの力でアリサも探してもらえませんか」ミスミが両手を合わせフレアを見つめる。

「そうだな。わたしからもお願いしてもいいかな」とアグストスも言葉を添える。

 彼もフレアの力を目の当たりにしての考えだろう。

「彼女も何者かの術中にはまり彷徨い歩いているのかもしれない。どうか協力してもらえないだろうか」

「どうだね」ウィーチャーズまで念押しをしてきた。

 元よりフレアが拒否できる雰囲気ではない。居合わせた者たちがフレアの好意的な答えを期待し待ち構えているのだから。

「はい、協力します。彼女の持ち物を用意してください」帝都を離れても何でも相談屋は変わらない。

 またもフレアは猟犬の真似事をすることになった。今度は警備隊のハリーや村人たちも後ろについている。出発点は屋敷の裏口からだ。意気込み出発したフレア達だったが捜索はすぐに行き詰った。

 アリサの足取りは屋敷の裏口から裏手の葡萄畑を抜け、傍の湖へと出た。そこからの桟橋へと向かい途切れた。

「ここで切れています」

 桟橋周辺のアリサの臭跡を探るが他への広がりは見られない。

「どうなってる」とウィーチャーズ。

 ついて来たハリーや村人たちも動き出し、周囲に何か手がかりがないか探し始めた。フレアも再度桟橋へと向かう。湖面からの向かい風に何かが想起してくるが、つかみどころがない。

「フリックスの船が無くなってるよ」よく陽に灼けた若い男が湖岸に上げた船を指差し叫んでいる。

「ほんとか?」ハリーが応じる。

「間違いないよ。ここに上げてたはずのあいつの船が無くなってる。今日は誰も船は出してないはずだよ」

 男はハリーに湖岸に並べられた小舟の横で説明をしている。

「ここにはいつも四艘並べてるんだ。で、今は……」

「今は三艘か。わかった……」

「関係あるのかしら」とフレア。

「アリサがここから無くなった船に乗っていったかという意味か?」ウィーチャーズがハリー達のやり取りを眺めながら答える。

「えぇ……」

「それなら彼女はここから自分の意志で船で出て行ったことになる。もしくは連れ去られた」

 不意に吹いた風にフレアの鼻腔が何かを捕らえた。

「えっ?」

「何だい?」

「何か感じた気がしたんですが……」

 湖面や桟橋を仔細に眺めたが、それは漠然としすぎて捉えどころがない。あきらめ肩を落とす。

 ほどなく、フレアたちは桟橋を後にした。

 捜索は船が移動に使われた可能性を踏まえ湖の周辺の捜索に切り替えられた。フレアも周辺に痕跡がないかと捜索の手伝いを続けたが得るものはなかった。捜索は夕暮れをもって一時中断となった。


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