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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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第6話

 フローラが目覚めたことによりヤンセン家は上へ下への大さわぎとなり、嬉しい悲鳴を上げることなった。

 フローラは皆の朝食のために用意されていた唐黍の黄色いスープを何杯もお代わりし、焼きたてのパンをむさぼるように腹の中に詰め込んだ。

 フレアはそれを傍で見ていて、フローラが食べた物を吐き戻してしまわないか、気が気ではなかった。この一か月は通常より少ない量しか取っていないはずだ。食べ終え彼女が両手で口元を押さえた時は、「あぁ……」と思いはしたが、出たのは軽いげっぷを一つですんだ。

 厨房を出たフローラはその足でまだ目を覚ましていない使用人の部屋を訪れ、湯浴みや着替えの用意、それに加えて部屋の掃除を頼んで部屋に戻ったという。これらのために朝早くから叩き起こされたり、食事の急遽追加に陥った使用人達だったが、それに気を悪くしている者はいなかった。むしろ「いつものフローラ様が戻ってきた」と喜んでいるようだった。アネットから聞いていたフローラは落ち着いた可憐な少女という印象だったが、実際は少し違っていたようだ。確かに一人で踊り子として帝都に出ていこうというのだからこれぐらいの強さは必要だろう。


 フローラが無事目覚めた報を受け、ウィーチャーズの提案により今回の事件に関する解説の機会が設けられた。応接間に集まったのはヤンセン夫妻と昨日も目にした初老の男、彼はトロイ・ドロクリ―という執事だ。彼はこの屋敷の雑務取り仕切っている。アネットの屋敷にいるエンプと並ぶ古株らしい。昨日のウィーチャーズの手際を耳にしてか、彼に向ける眼差しもかなり和らいでいる。彼らの背後には手の空いた使用人たちも並んでいる。

 ヤンセン家にはフローラの他にコーエンとマークというフローラの兄が二人いるそうなのだが、彼らは西の街での商売を仕切るため家を出ており普段は帰ってくることはない。

 最後に現れたのはフローラだ。体や髪を洗い、櫛を入れて整え顔にも紅などの化粧を施したフローラは美しかった。フレアと同程度の身長と華奢に見える体つきは可憐で儚げに映るが、早朝に目にした態度と使用人達の態度からして、かなり気の強いところはあるのだろう。

「おはようございます。お父様、お母様」と軽く頭を下げる。

「おはよう、フローラ」

「おはよう」

 カイ、ターニャの二人とも嬉しそうに顔をほころばせる。

「体はもう大丈夫なのか?」カイが訊ねる。

「はい、お父様。長い間、夢の中にいたような気分ですが、今はもうすっきりとしています。それよりなまった体を鍛えなおす必要があります。アンデン先生にも回復をお知らせした方がいいですね」

「それがいいだろう。あの先生も何かとお前の事を気にかけてくれていた」

「はい」

 彼の気遣いのせいで彼女は長く放置されることにもなったわけだが、結果的にローズまでお鉢が回ってきた。それが再起のきっかけとなった。正に「蝶の羽ばたき」一つで何がどう転がるかわからない。

「あなたがわたしを魔法から解放してくださった……」フローラがウィーチャーズに目をやった。今日も白い法衣を纏っている。

「ピーター・ウィチャーズです。よろしくお願いします」ウィーチャーズは頷いた。

「ありがとうございました。今後もよろしくお願いします」

 その隣にいるフレアを目にしたフローラは一瞬目をひそめた。

「あら、あなたは新しい使用人ではなくて……」

「あぁ、彼女はフレア・ランドールさんといって母さんの知り合いだ」とカイが説明する。「縁あってこのウィーチャーズ様を紹介してくださった恩人だよ」

「そうだったんですね。朝から厨房にいたものだから、てっきり新しい使用人かと思ってろくに挨拶もせずにすみません」

 フローラは慌てて頭を下げた。フレアもフローラに正対し頭を下げた。

「そろそろ、始めましょうか」ウィーチャーズが改めて部屋に集まった者たちの様子を窺う。

「あっ……すみません」フローラは小走りで両親が座る椅子に向かった。フレアも腰を下ろす。

 ウィーチャーズはフローラが革の座面に腰を落ち着けるのを待って話を始めた。

「昨夜も話した通りフローラさんの内側に巣食う悪しき存在は無く、彼女は清浄と言ってよいでしょう。呪いが一概に穢れではないことをお忘れないようにお願いいたします。一般の加護と呼ばれる作用もわたし達の中では呪いの範疇となっております。その点もご理解のほどよろしくお願いいたします」

 一同が静かに頷く。

「では本題に入ります。フローラさんの病が精霊がもたらしたものでないとわかり、わたしも一安心しております。精霊となれば相手の術師がわかるまでフローラさんの周囲に常に防壁を構築する必要があり、不便な生活を強いることになってしまうところでした。

 フローラさんが陥った一連の症状は、フローラさんを操る術式が何かを経由して彼女の体内に送り込まれ発症したと思われます」

「何かと言いますと……」とカイ。

「それは手紙や衣服、あるいは宝飾品など彼女が目にしたり触れたりするあらゆる物に仕込むことができます。それとの接触により術式は発動します」

「はぁ……」

「とりあえず、フローラさんが最初に倒れられたという激励会まで記憶を戻してください。その折、不審な人物または贈り物などを目にした方はおられませんか」

「不審なと言われても……」

「あの時に来て頂いたのはアンデン先生の教室の生徒さんとお友達……」ターニャが遠い目で天井を見つめる。

「後はアンデン先生にわたしたちが親しくしている友人ぐらいか」とカイ。

「そうね」

「トロイは何か覚えているか?」カイは執事に問いを投げた。

「特に何も……」軽くため息をつく。「あの日来られたのは奥様がおっしゃる通りの方々で、他は届け物の訪れた村の人達ですね。皆、顔をよく知っている方ばかりであの方たちは黙って屋敷内に入ることはありません。不審な荷物もありませんでした」

「まさか、あの中に犯人が……」

 それだ、それを考えざるを得なくなる。言葉を発したカイ本人が顔をしかめ、ターニャは短い悲鳴を上げ、トロイも目を伏せた。

「十分に考えられます。本人はそれと知らず手に入れた物に術式が施されており、それをうっかり手渡したという例も過去にありました。確かなのは術式が自然発生することはないということです」


「さっきの話は本当なの?」

 一通りの解説を終えたウィーチャーズをフレアは散歩と称して外に連れ出した。屋敷の裏手は少し西へ行くと葡萄畑が途切れ湖となっていた。湖が供給する水は周囲の地域の灌漑用水となっている。湖岸には古びた桟橋が並び、そこに小舟が何艘も停められている。湖では漁もされているのだろう傍で網が干されている。

「嘘はない。夫妻と屋敷の使用人からの証言から考えて彼女は繰り返し、術式による攻撃を受けている。そして、その度に意識を混濁させ奇行に陥っていたに違いない」とウィーチャーズ。

「一回じゃなくって?」

 桟橋の先によく陽に灼けた少年が二人立っている。あんなところで何をしているのかと、フレアが目をやったその時に一人が力を失ったかのように背中から湖面へと落ちた。それに続いてもう一人に湖面に落ちた。二人とも沈んだきり上がってこない。

「えぇっ!」

 フレアは声を上げると同時に桟橋へ向けて駆け出した。

「何だ?」ウィーチャーズも駆け出す。

「あなたも見たでしょ。男の子が湖に落ちたのよ」

 フレアが桟橋に到着すると、二人は湖面に浮き上がってきた。顔には満面の笑みが浮かんでいる。

「君たちは何をしているんだね」走り込んできたウィーチャーズが訊ねる。

 彼らの表情から見て緊急事態ではなさそうだ。

「司祭様?……泳ぎに来てます」法衣姿のウィーチャーズを目にして茶色い髪の少年が答える。

「泳ぎに……ここで」水泳など帝都暮らしが長くなっているフレアには考えられないことだ。

「そうだよ。お姉ちゃんも泳がない?気持ちいいよ」

「危なくない?」とフレア。

「大丈夫だよ」

 茶色い髪の少年が足を動かすのを止めて湖底を歩き出した。もう一人の茶髪の少年も彼に倣い歩き始める。水位は彼らの肩より少し程度だ。

「足は付くから大丈夫」

「お父さんやお母さんは知ってるの?」

「知ってるよ。一人じゃだめだって言うから、ダイを誘ったんだよ」茶髪少年を指差す。

「ここではみんな泳ぎに来るの?」

「うん、来るよ。みんな泳げるし」

 彼らはまた足を動かし始めた。

「あまり遠くに行かないようにな」とウィーチャーズ。

「わかってます。司祭様」

 フレアとウィーチャーズは顔を見合わせ桟橋を引き返し、湖岸へと歩き出した。二人並んで人気のない湖畔の道を歩いて行く。湖岸に沿う道を行けば商店や教会、警備隊の詰所等がある村の中心街に行きつくという。途中の分かれ道に入ると、北に見える山に入ることになる。

「しつこいようだけど、一回じゃだめなの?」

「一回でもできなくはないが、それだと命令式はちょっとした冊子のほどの頁となる。それを彼女に一度ですべて落とし込むなど現実的ではない」

「何度にも渡ってというのも現実味が乏しいような」とフレア。

「その都度、外から忍び込んでいるならな」

「……それで内部犯行、親しい間柄の誰か。嫌な話ね」

「そうだな。ただでさえ……」

 けたたましい車輪の音を耳にして、フレアがそちらに目をやるとこちらに向かって急接近する馬車が目に入った。一頭立ての馬車で御者は真っ赤なウエストコートの男だ。鮮やかな黄色のクラバットを締め、太い金の鎖に支えられた緋色の宝石が胸元で跳ねるように揺れている。

なんとも派手な身なりをした男が黒く長い髪をなびかせこちらに向かってくる。前にいるフレアとウィーチャーズにはまるで目に入っていないようだ。

 馬車が速度を緩めないためにフレア達が道を譲らざるを得なくなった。やむなく、木立の中に逃げる。御者はフレア達に目を向けることなく去って行った。

「何!あれは!」フレアは憤りをぶちまける。

「乱暴者はどこでも変わらないな」

 走り去る馬車を睨みながらフレアは木立の中から出た。

「あっちはカイさんの屋敷じゃなかったか」

「そうよね」

「行ってみるか」

 二人は馬車を追い屋敷へと戻っていった。

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