第5話
「一ヶ月ほど前の事です。娘のフローラを帝都へ送り出すための激励会を催しました。フローラの友達を呼び、踊りの師匠でもあるアンデン先生も参加して下さった席で倒れたのが最初です」カイは僅かな沈黙の後、一度頷き話しを始めた。
「娘のフローラは小さな頃から身体を動かすことが大好きでした。もう十年以上前の事です。ちょうどその頃にこの村に開設されたリカルド・アンデンさんの舞踏教室に何人かの村の子供たちと一緒に通い始めました。フローラは元より才能は持ち合わせていたようでめきめき力をつけ、彼女は今や教室一の踊り手となり、帝都で競技会でも入賞を果たしました。そんな折にあちらの有名劇団の方に声も掛けて頂き、そのために拠点も帝都に移す運びとなりました。向こうで生活している母もそれをえらく喜んでいたようです」
帝都に行くフローラはアネットの屋敷に身を寄せる予定だった。それでアネットの元にもフローラの病を含めた情報が随時彼女達にも届いていたのだ。
「初めは帝都との行き来で無理をしたかと思い、安静にさせておいたのですがすぐに行動までがおかしくなりました。目を覚ましても表情は虚ろなままで、そうでなければ不意に激昂し暴れる始末で、仲もよかった使用人、このマスミたちにもさっきのように襲いかかることもありました」
「そのようなことがあってもあなたは誰にも相談されなかったのですか?」
「それは……」
ウィーチャーズの質問にカイは言葉を詰まらせ、夫妻とも目を伏せ身を縮めた。
「それはアンデン先生が……」傍にいたマスミが言葉を発した。
「アンデン先生……あぁ、フローラさんのお師匠さんですね。その方が何を」
「あの方も娘の事を案じておられたようで、帝都から術師の方を連れてこられたのです。」とカイ。
「わたし達はフローラのまるで何かに憑かれたような振舞いを恐れ、混乱もしておりました。そして途方にくれていたのです」
それはわからないでもない。フレアが生まれた村の周囲でも突然の奇矯な行動で大騒ぎになることがあった。呪われてなくとも奇行が傍目に知れれば、異端を疑われ聖職者がやって来ると思っている者も少なくない。それは今も昔も変わらない。
「アンデン先生が連れて来た術師というのはどのような男ですか?」とウィーチャーズ。
「ベリタ・トォーノのいう術師で彼によるとフローラは呪われており、正教会の聖職者の目に入れば捕らえられかねないと言われました」
「んん……」
ウィーチャーズは芝居がかったため息をつき、首を左右に振った。
「これも世間と中々埋めることの出来ない誤解なのですが、正教会が呪われているとみられる者を捕らえるのはよくよくの事なのです。俗に言う癒しを与えるなどと呼ばれる行為は最終的な手段なのです。聖職者はまず医師が行うような症状の鑑別を試みます。そしてその症状に対しての処置を施します。いきなり、呪いなどという言葉を口にすることはあり得ません」
「ではあの男は……」カイの両拳に力が入る。
「そう考えてみると、そのトォーノなる男は術師であるかも定かではない食わせ物ですね。ですが、それについてアンデン先生を責めるのも少し酷と言えるでしょう。素人が我らの力を判定するのは難しい事です。幸いフローラさんは思うほど症状は重くはありません。まずは彼女に掛けられた術を解くことから始めましょう」
「ありがとうございます。ウィーチャーズ様、何かわたし達でお手伝いをすることはあるでしょうか」
「そうですね……食事の準備をお願いできますか」ウィーチャーズは口角を上げた。
「食事……ですか」
「はい、朝から馬車での道中は少し身に堪えました。英気を養いたいと思います」
「はい……」
「ご心配なく彼女への処置は身体に刺さった棘を抜くような程度です。わたしだけで問題なくやり終えることが出来るでしょう」
「よろしくお願いします」カイはターニャの横にいたマスミに頷きかけた。彼女は一度頷くと部屋から出て行った。
棘を抜くような程度というウィーチャーズの言葉通り、フローラへの施術はごく単純に見えた。フレアとヤンセン夫妻が目にしたのはウィーチャーズが短い呪文を詠唱し、それの呼応して彼女にかざした手の平がほんのりと発光しただけで、彼は施術の終了を告げた。
「これでフローラさんは朝には以前と変わらぬ様子で目覚めることでしょう」
いささか拍子抜けしている夫妻だったが、ウィーチャーズの威厳溢れる口調と少々芝居がかった手振りに納得したようだった。これも白服での修行の成果の一つなのだろう。
食事は使用人向けの食堂で取ることになった。ウィーチャーズは取り置きしてあった夕食で、フレアは出汁を取るために残してあった鳥の骨やまだ火を通さず置かれていた獣の肉などである。事前にエンプから話があったのだろう、フレアの食事について戸惑う者はいなかった。
ウィーチャーズによる施術が早々と屋敷内に伝わったのだろう。面倒だったのはその後の使用人達からの質問攻めだ。入れ替わり立ち代わりやってきてはフローラについて同じ質問を繰り返す。そんな彼らにウィーチャーズは寛容に同じ答えを繰り返し説いていた。自分ならいい加減嫌気がさし、それが表面に出てきてしまうに違いないだろう。
フレアがあてがわれた部屋に入ることができたのは、少し夜が更けてからだった。案内をしてくれた使用人から温かな湯を受け取り洗面台に置き、部屋を眺める。来客用の部屋とあって置かれた家具は寝台と書き物机に衣装棚ぐらいだ。どれも簡素な作りだが手入れは行き届いている。カーテンを捲って見えたのは夜の闇に沈む葡萄畑だった。ここは農家なのだ、これは仕方ない。
もらった湯で体を拭き寝台に座るとやっとひと心地がついた。
「こんばんは、ローズ様」イヤリングの回線を繋いでみる。
「どう、そちらは」ローズの落ち着いた声が返ってきた。
フレアはこれまでの出来事のあらましをローズに話して聞かせた。
「そう……憑いていたのが精霊でなくって何よりだわ。あれは剥がすのにひどく手間を食う時があるし、下手をすると本人の障りが出ることもある」とローズ。一呼吸間を置く。
「一安心と言ったところでしょうけど、次は棘を仕掛けた術師を探し出さないとね。そうしない限りまた何が起こるかはわからないわ」
「はい」
「急いで帰ってくることはないわ。また何かわかったら教えて」
それだけ言うとローズはフレアから去って行った。部屋は静寂に包まれ屋敷からも物音一つ聞こえない。フレア達の来訪で休み時間は少し遅れたようだが、もう皆、床に着いたのだろう。日が昇り朝になるまでは誰もが眠りについているか。
フレアは外の目をやる。それなら付近の探検もいいかもしれないと思ったが、止めておくことにした。この屋敷には手伝いの農夫向けに寮が設けてある。外に出歩き彼らの目に留まり変な噂が立っては面倒だ。それをウィーチャーズに見抜かれるのも恥ずかしい。
結局、フレアは窓辺で変化のない葡萄畑を眺め空が明るくなるまで過ごした。
空が明るくなり始めてからはもう我慢が出来ず部屋の外に出た。廊下に出るとパンが焼ける香りと料理の匂いが漂っていた。匂いを追い中央の通路へ、そこを奥へ歩いて行く。応接間を越える頃には何人かの使用人の声が聞こえてきた。
「おはようございます」
厨房に辿り着き開いたままとなった扉を何度か軽く叩き、朝の挨拶をした。
「おはようございます……ランドールさん」小柄な調理人の女がフレアに気づき挨拶を返す。「眠れませんでしたか?」
「わたし、眠らなくてもいい体質なので……」
「あぁ……」
この料理人アイや傍で動いている使用人達とは昨夜彼女達の食堂で顔を合わせ話をした。フレアのことはこの村でも噂としては知る者がおり、エンプの助言もあり受け入れてもらえた。但し、よくある質問には答えざるを得なかった。
「何かお出ししましょうか」黒い髪の使用人が訊ねる。彼女はエレンだった。
「おはよう、何か食べるものはないかしら、お腹がすいたわ」
若い女の落ち着いた声が背後から聞こえた。ふり返るとそこには生成り色の寝間着姿の女が立っていた。赤く長い髪は乱れ、薄い茶色の瞳はすこし据わり加減でアイを見つめている。
「あぁぁ、フローラ様、お目覚めになったんですね」
アイは厨房の戸口にいるフローラに駆け寄り抱きしめた。フレアが予想していた展開とは少し違ったが、それは芝居の観過ぎなのだろう。ともあれ、魔法に囚われていたフローラは無事目覚めた。一段落と言っていいだろう。




