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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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眠れる踊り子 第1話

帝都旧市街を歩いていたフレアは別人と間違われ呼び止められます。その流れでお茶会に誘われることになりますが、それだけでは済まないのはいつものことです。やがて、呪いや果てには殺人事件に巻き込まれることになります。

「フローラ」

 フレアが人々の流れに乗って旧市街の大通りを歩いていると、年配の女性が呼びかける声が聞こえた。

 名士街にあるバンス・ニール宅への届け物を済ませた後、フレアは多くの人でにぎわう大通りへと出た。特に理由があったわけでない。いつもの習慣だ。街を東西に隔てるガ・マレ運河に架かる橋の数は限られている。そして、ここにかかる橋が一番大きく塔までの帰路もほぼ一本道となる。交通量が多かろうと一番効率がよく塔までの距離も最も短くてすむ、それだけの話だ。

 だが、そんな日常もおかしな偶然の積み重ねにより、いとも簡単に崩れる事がある。様々な経験を経たフレアにとってそれはもう珍しくもない。

 通りの店舗に並ぶ様々な商品を眺めながら歩いていたフレアだったが、彼女の声に引かれ足を止め、そちらに目をやった。

「フローラ!」女性はまた声を発した。だが、その呼びかけに応じる者はいないようだ。

 声の主は通りの対面側にいる。薄いとび色の瞳で少し腰を曲げているせいかフレアより小柄に見える。裕福な女性、老婦人という呼称が相応しいか。身に着けているのは歌劇場で見かけるような腰回りが大きく膨らんだドレスで、白地に蒼く太い線が入っている。

 傍には寄り添うお仕着せの男がいる。黒髪で痩身の中年男で、彼女より頭二つ分背が高い。恐らく彼女の御付きの使用人なのだろうとフレアは感じた。

「フローラ!」再度、彼女は声を発する。満面の笑顔を浮かべ、手を上げ大きく振り始めた。その視線はフレアを捉えているように見えた。男もフレアの存在に気が付いたようだ。こちらは気まずそうで戸惑いもある。フレアは記憶を探ってみたが、両者とも面識のある顔ではない。

 使用人の男が何かを察したようで、彼女の肩にそっと両手を添えた。彼女はそれを振りほどき通りを渡り始めた。街路を行き交う人や馬車のことなど気にも留めずこちらに駆け寄ってくる。

「アネット様!お待ちを!」男が叫びをあげる。

 その勢いに街路を行く馬車の御者が慌てて手綱を引き制動を駆ける。歩行者も立ち止まり道を譲る。おかげで婦人は通りを無事渡り切った。後に続く使用人の男が彼らに何度も頭を下げつつ対面側から渡ってくる。

「よかった。フローラ、元気になったのね、おばあちゃん心配してたのよ」

 婦人はフレアの前に立ち彼女の手を取り握りしめた。

「本当によかった」アネットと呼ばれた老婦人は安堵に目を潤ませている。

「アネット様……」追いついてきた男が肩に手をやる。

 彼女はフレアをフローラなる女性と思い込んでいるのは間違いない。だが、フレアはその「フローラ」なる女性についても心当たりはない。

「アネット様、その方はフローラ様ではありません」とお仕着せの男。

「エンプ、何を言っているの、この娘はフローラよ」

「いいえ、別の方です」エンプと呼ばれた使用人は婦人をなだめ、フレアに頭を下げた。

「何を言っているの!このきれいな金色の髪に蒼い目、わたしがフローラを見間違えるわけないでしょ!」

 結局、この押し問答で折れたのは使用人のエンプだった。その流れでフレアはアネットに自宅へと孫娘として招かれることとなった。なんとも奇妙な流れを持つ話だろうか。


 甘やかな香りが漂う中庭には明るい日差しが降り注いでいる。蔓草を意匠に取り込んだ錬鉄製のテーブルが庭の中央に置かれ、その周囲を薄桃色の花が取り囲んでいる。そんな庭に招かれたフレアの前には様々な焼き菓子がインフレイムスの店内さながらに並べられている。葡萄やイチジク、ベリー類のドライフルーツや、細かく砕かれたナッツが練り込まれた生地は十分にふくらみ程よい茶色に焼きあげられている。フレアが人だったならこの見た目と香りでおおいに食欲を刺激されたことだろう。

 だが、フレアには飲み下すことも叶わない。

「そうだったわね。残念だけど、仕方ないわ。でも、あまり無理はしないでね」フレアの前に座る老婦人は残念そうに表情を曇らせた。

 少し無理があるかと思ったが、病み上がりのため医師に止められているという言い訳は受け入れてもらえた。

「お菓子はお持ち帰りができるようにお包みしましょう。そうすれば旦那様方にも召し上がって頂けるでしょう」アネットの横に控えているエンプもうまく執り成してくれた。

「ありがとう……エンプ」とフレア。初対面の人物を呼び捨てにすることに躊躇し言葉が詰まりそうになる。

「そうね、それがいいわね。また、元気になったら食べてね」

「はい、おばあ様」フレアは口角を上げ微笑んだ。

 それからしばらく歓談を続けた後にアネットは自室へと引き揚げた。フレアも自室まで付き添い、彼女を迎えに来た小間使いの女と共に部屋に入るのを見届けた。暇乞いのために厨房に入るとエンプと他の屋敷の使用人達が集まっていた。

「ありがとうございました」フレアを目の前にエンプが深々と頭を下げる。後ろに控える使用人達も続いて頭を下げる。

「見ず知らずのわたし共の急なお願いを聞いて入れていただき大変感謝しております」

 フレアとしては感謝も何も孫娘と間違われて、縋り付く老女を力ずくで払いのけることも出来ない。怪我をさせては大事だ。そのためフレアも流れに身を任せることにした。孫娘に強い思い入れはあるにしても彼女の振舞いはまるで子供のようだった。

「急ぎの用はなかったのでそれはかまわないのですが、アネット様はお体に何か問題がおありなのでしょうか」

「はい……以前は家業を先代のマルコ様と共に率いていたような方だったのですが、一度倒れられてからはあのように記憶が乱れて、今では夢の中で彷徨っておられるようで、目をかけていた孫のフローラ様の顔を見分ける事も難しくなってしまい……」

「それでわたしをお孫であるフローラさんと間違えて……」

「はい」

「そのフローラさんはどうしてらっしゃるんですか」

 彼女の様子から察してフローラにも何かあったように思われる。

「それは……」エンプは声を詰まらせ、使用人達が視線を交わす。禁忌に触れてしまったか。それなら今までの雰囲気もぶち壊しだ。

「フローラ様は体調を崩されて地元のお屋敷でお休みになっています」

 まだ存命でよかった。フレアは悟られぬよう息をついた。

「だから、わたしに会うなり元気になったと安堵されたんですね」

「はい、アネット様も終始夢の中におられるのでなく、不意に以前のあの方が戻ってこられる時もあるのです。そのためわたし共も以前と変わらぬ接し方を心掛けております。お医者様からも刺激があった方がよいとの話を聞きましたので、旧市街に留まりお世話をしております」

「お散歩も刺激のためですね」

「そういう事です」

「本当にフローラさんが元気になられたらアネットさんもお喜びでしょうね」

「はい」エンプの微笑みからはなぜか陰りが感じられた。フレアはそれが不安のためだろうと解釈をした。


「あなたときたら何かと妙な騒ぎに巻き込まれるわね」これが今日日中にあった出来事の顛末を聞いたローズの感想だ。

「それで……貰ったのがお菓子で一杯の紙包み」

 フレアはお菓子を塔へ持ち帰ることなく近所の店へおすそ分けとして配り歩くこととなった。それはそれで好評を持って受け入れられた。そのため、彼女が持ち帰ったのは感謝の意だけだ。

「まぁ、いいんじゃないの。あなたのおかげで丸く収まったのなら」ローズが苦笑交じりに首を振る。

「わたしってそんなにフローラさんに似てたんでしょうか」

「あなたの髪と瞳がそのアネットさんを刺激していたのは確かでしょうね。意識もしっかりしている時もあるなら孫娘さんの病気についても直接ではないにしろ。耳にしていたんでしょう。それらが今日の散歩中に彼女の中で繋がり、あなたの元へ駆け寄る結果となった」

「騒ぎの原因はわたしですか……」頬を引きつらせる。

「帝都には金髪で碧眼の女の子なんていくらでもいるわ。あなたがいなければきっと他の誰かが巻き込まれていた。気にすることはないわ。面白い出来事が増えた、それ十分よ」

「はい」

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