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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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夢の我が家 第1話

今回はローズとフレアのお話しです。ローズは不意の出来事からある女学生と知り合うことになります。彼女は友人からの急を要する手紙を受け取り、駆けつけるべきか悩んでいる様子で、そこにローズが援助の手を差し伸べます。

 宵の口を過ぎ、アクシール・ローズが宵の内に当たる九刻の鐘を聞いたのはガ・マレ運河を渡る前の事だった。陽が沈まない限り目を覚ますことのないローズにとって、旧市街にある歌劇場に向かうのはいつも時間との勝負となる。ならば、空を飛べばよいではないかと言われるだろう。確かにその方が遥かに早く到着し、面倒事に巻き込まれることもない。だが、フレアが帝都に現れ、馬車を手に入れてからは極力こちらを利用するようにしている。要は人が行き交う街路を眺めたいのだ。単に気分の問題ではあるが、それだけにやめられない。

 今夜も身支度を素早く済ませ塔を出たにもかかわらず、最後には鉄馬を早足で駆けさせる羽目となった。

 塔から西へ商店がまばらになる辺りで馬車と荷車が衝突事故を起こしていた。幸いなことに双方の御者と人足、馬も大した怪我はなく、事故の原因を巡り言い争いが出来るほどに元気だった。しかし、転んだ荷車と貨車で道は塞がれていた。この辺りの路地は馬車の迂回路には適さず、この道を行くしかない。やむなく、ローズは二人をなだめ荷物の片付けまで手伝った。二人ともローズからの執り成しであったためか、素直に従いその場からおとなしく去って行った。

「急ぎなさい」ローズは彼らを見送った後フレアに静かに告げた。

「はい!」とフレア。

 それ以来、フレアは速度を緩めることなく鉄馬を走らせている。この速度で駆けさせることが出来るのも、人通りの少なさと視覚に優れた二人と緊急制動装置代わりのローズがいるおかげだ。それも旧市街も工房区を抜けるまでで、それ以降は並足程度まで落とさざるを得ない。警備隊などは鐘を鳴らし他の馬車や歩行者なども蹴散らすように駆けていくが、民間人であるローズには不可能だ。

 旧市街の工房区を抜ける辺りで前方を行く馬車の灯火が目に入った。フレアがその馬車を追い抜くために鉄馬を右側へ寄せる。客車もそれに伴い左右に揺れる。普段ならローズはそれを眺めているだけだ。通り過ぎていく馬車も風景の一つに過ぎないため、彼女の関心を強く引くことはない。

「えっ……」

 だが、今夜は違った。左側を通り過ぎていく馬車から強い葛藤が流れ込んできた。意識の主は客車の中に居り姿は見えない。しかし、流れ出す葛藤はかなりのものだ。嫁ぎ先での不安を訴える友人の元へ駆けつけることを考えているようだ。今すぐにでも駆けつけたい、助け出したい。だが、自分の家の事情もある。下手に出て行き捕まってしまっては元も子もない。

「何、駆け落ちでもするつもり……」

 ローズは客車の中を振り返り、去って行く馬車へ顔を向けた。

 ローズが問いかけに相手は「必要なら……」と答えた。

 彼女の強い思いに圧倒されているうちに両者の間は開いていった。珍しいことに素性を聞き出すことも忘れてしまっていた。興味は引かれるが、あちらが追いついてくるのを待っている余裕はない。芝居の時間は迫っている。ローズは彼女が早まった行動に出ない事を祈ることにした。



 早足で鉄馬車が傍を駆け抜けていった。夜道を馬車で駆け何を急いでいるのか。待ち合わせに遅れることを恐れて駆けているのなら幸せなことだ。

 スレッティー・レインホルツはため息をつき、通り過ぎて行った鉄馬車を客車内から睨みつけた。こちらはそれどころではないのだ。最愛の友人が急を告げているというのに駆けつけることもままならない。

 彼女の事を考えているうちに不意に「駆け落ちでもするつもりか」という問いが心中に湧いて来たが望むところだ。彼女を今の状況から解放し、そのまま連れ去ることが「駆け落ち」に当たるならそれでもよい。何でもするだろう。問題は彼女がそれを望んでいるかなのだ。もし、余計なお世話なら目も当てられない。

「駆け落ちでもするつもりか……必要ならね、望むところ」 

 スレッティーの心は決まった。後は決行日を決めるだけだ。



 友人からの知らせについて葛藤する女性と出会って二日後が経った。その記憶はローズの意識の深淵へと滑り落ちていた。

 今夜の予定は特にない。そのためローズはゆったりと着替えを済ませ、食事を摂った。渡来人コバヤシの英知によってもたらされた丈夫な透明の袋の中には街の住民から提供された血液が満たされている。彼らのおかげでローズは人を手に掛ける必要がなくなった。もちろん一つでは足りないが、今や提供者は多数おり、蓄えもたっぷりある。

 とりあえずは日中に届けられた新聞に目を通す。当てにならない記事も多いため単なる読み物と割り切る必要がある。興味を引いた記事はこちらで真偽を確かめることも必要だ。

 今夜、ローズの興味を引いたのは武闘競技会の記事である。昨日行われた棍棒の対戦結果が記事として載せられている。 優勝者と準優勝、それに四位まではその家紋と共に軽く経歴が紹介されている。見知った名は記されてはいない。では、何がローズの気を引いたのか。ローズとしては棍棒競技会に興味などはない。実際に上級者と実戦的に手合わせをするなら面白いかもしれないが。

「あぁ、なるほどね」ローズは声を上げ、軽く頷いた。

「どうしたんですか」傍で書き物をしているフレアが顔を向ける。

「一昨日だったか、話したでしょう。思い詰めた誰かさん」

 ローズは紙面に描かれた家紋を指差した。そこに描かれているのは向かい合う百合の紋様である。右側は上下反転しているため、百合の輪のように見える。

「……それって」フレアは記憶を手繰り寄せる。「馬車ですれ違ったっていう人ですか。助けを求めて来た友人の元に駆けつけるべきか悩んでいたっていう」

「その通り」

 正解だったようだ。

「もっとも友人というよりはもっと重くて強い存在ね。あの時はまだ、躊躇があって決めかねていたようだけど……」

 準優勝スレッティー・レインホルツ、女性、所属が修道院付属女学校となっている。年齢からしても学生という事か。正教会内での内輪の競技会ではあろうが、参加しているのは大半が僧兵として訓練を積んでいる男達だろう。彼らと相対しての勝利だ。この手の競技会は魔法や加護などは厳禁のため真の身体能力のみの勝負となる。その中で勝ち抜いたのなら相当の力を持っていることになる。

「本当にこの人なんですか?」

「たぶん、間違いはないと思うわ」

 そう言っては見たものの頼りになるのは馬車に描かれていた家紋ぐらいだ。ローズは柄にもなく彼女の思いに圧倒され名前などを聞くのを忘れてしまっていた。

「興味が出ましたか?」とフレア。

 フレアもここで自分にお鉢が回ってくるのはわかっているようだ。伊達に五十年付き合っているわけではない。だが、喜んでというわけではないのがフレアらしい。いつもの事かと納得はしている。

「もちろんよ。人違いでも手練れの僧兵を相手に勝ち抜いた女学生よ。あなたも会ってみたくない?」

「面白そうではありますね」

 フレアも無事その気になったようだ。もう彼女の居所を探索する段取りを考えている。

「女学校からあたってみましょうか。彼女は寮住まいかもしれないし、通いでも住所はわかるはずよ」

「女学校の場所から調べないと行けませんね」

「そんなの付属と言っている以上は修道院のすぐ傍にあるに違いないわ」

「……聖セプティック修道院」フレアは新聞記事を覗き込んだ。「官庁街のすぐ近くですね」

「よかった。今からでも見に行ける場所のようね。助かったわ」

 ローズは新聞をたたみ、それに対して手を振った。新聞は飛び上がり部屋の隅に置かれた収納箱まで飛び、先に置かれた束に仲間入りをした。

 フレアも出かける準備を始めた。興味が出ればいつでも動き始めるローズにとっては何の珍しくもない展開だ。


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