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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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第8話

 豪奢な馬車に乗るという体験はポンテオにとって緊張と気恥ずかしさが交錯する出来事だった。少しでも汚したり傷を付けてはと心配だったが、フレアは大して気に留めてはいなかった。客車は普段は荷物置きも同然の扱いらしい。そう聞いてポンテオは開き直り、荷物として塔まで運ばれることにした。もうなるようになれだ。


 遠目に見ていただけの塔の麓である五番街は至って普通の街だった。雰囲気はポンテオが暮らす旧市街工房区の外れとさして変わらなかった。これならあそこに塔が建っていても違和感はないだろう。


 フレアに通された塔の一階にある応接間に現れたローズも肌が際立って白い以外は思いのほか普通の美女だった。大きな牙が見え隠れするわけでもなく、背中に黒い翼が生えているわけでもない。瞳は洒落た黒眼鏡で隠れているので旧市街で会うことがあるお金持ちの奥様と大差はない。


「こんばんは。アクシール・ローズです。タツヤ・ポンテオさんですね。わざわざお越しいただいてありがとうございます」


 ローズが現れたのはフレアに頼んだエールが届き少ししてからのことだった。飲んでいた最中だったためポンテオは慌ててエールを口元から離し無言で頭を下げることとなった。


「あの娘から軽くは聞いているかとは思いますが、あなたが巻き込まれた鞄にまつわる出来事をお話いただけませんか」


 ローズに促されポンテオはネブラシアから船で帰って来た日の様子を話し始めた。その日は直接工房に寄らずに帰宅してよかったため港の傍の居酒屋に立ち寄った。船でも飲めたのだがやたらと高くすぐに切れてしまうため口にすることは難しい。


 エールを飲みつつ語るポンテオの記憶にローズも入り込んでみた。ポンテオは生地の見本や書類などが入った重そうな旅行鞄と私物の入った古びた鞄を両手に下げ、渇きを抱え傍の店へ向かっている。まだ十分に日は高い時間ではあるが店内は客の席は半分以上埋まっている。


 ポンテオは空いているカウンター席へと座りエールを飲み始めた。三杯目に口を付けた辺りで背後から罵声が聞こえた。ゆっくりとした動きで振り向きポンテオは後ろを窺った。


 罵声の応酬からほどなく殴り合いの喧嘩に発展する。ポンテオは冷めた目でそれを眺めている。片方が放った一撃で相手は大きくよろけ傍のテーブルに腰から激突する。相手はテーブルもろとも転倒し尻もちを付いた。テーブルの上の乗せてあった鞄や皿にジョッキが勢いよくポンテオの足元まで転がった。彼は当たらぬよう椅子に座ったまま足を上げる。食器が木製のため派手に転がっても壊れずにすんでいる。


 気の毒なのは巻き込まれたテーブルの男だ。彼は床にぶちまけられたエールと皿の豆を悲しい目で眺めた後、喧嘩騒ぎから削がれるように引き上げていった。誰もが喧嘩に注目しその男に気を留めていない。男が拾い上げたのはポンテオの鞄だ。それを手に抱え足早に出て行った。ポンテオさえその一部始終を目にしていたのに自身はまるで気が付いていなかったようだ。


 喧嘩は用心棒らが現れ止められ終了となった。喧嘩を始めた二人は店内から連れ出され、倒れたテーブルの周辺の掃除が始められた。ポンテオが店を出たのはそれからしばらくして後の事だった。鞄の取り違いがあったのは間違いないようだ。


「ポンテオさん、居酒屋から持って帰った鞄に何が入っていたか。覚えていますか」


「それは警備隊にも言ったんだけど……煙草入れ、スキットル。金になりそうなのはそれぐらいで後は汗拭きぐらいかな」


「手紙はなかったですか」


「手紙ですか……覚えてないですね」


 ポンテオは顔をしかめ黙り込んだ。これは嘘をついているのではない。本当に思い当たらないようだ。


「ローズ様…見当外れだったでしょうか」とフレアがイヤリング越しに呟く。


「あの屋敷が絡んでいるようだから、何か知っていないかと思ったんだけど」フレアの頭蓋にローズの声が響く。


「そうだ。少しだけ眠っていてくださいな」


 ポンテオは頷き眠りについた。


「ちょっとだけね、潜らせてもらうわ」とローズ。


 言葉と同時にローズはポンテオの中にいた。居酒屋からの帰り道軽い酩酊状態に落ちポンテオは若干おぼつかない足取りで下宿屋に向かっていた。確かにこうなるのなら昼酒の方が安全だろう。


 高揚した気分で部屋まで帰りつき部屋に入った。鞄を置き、上着を脱ぎ、クラバットを少々乱暴に外す。それらはぞんざいに寝台へと置かれた。


 水が飲みたい。渇きが湧き上がってくる。水瓶まで歩き蓋を開ける。中にはなみなみと水が入っている。柄杓で水を汲み口元へ、だが飲むことなく水を瓶に慎重に戻した。生はだめだ、生で飲んでは絶対だめだ。親からの強い教えだ。そして自身もひどい目に遭った経験があるようだ。


 だが、うっかりしたことに火口がない。拾ったりもらったりした紙は火口入れに挿しておくのだが切らしてしまったようだ。部屋中探すが紙きれも加工できる木片もない。ついには鞄の中身を探り出した。話に出ていたスキットルに煙草入れなど寝台などに投げ出す。


 鞄の中を覗き込むポンテオは笑みを浮かべた。鞄の中から掴みだしたのは封筒だ。酒が入って少し映像が甘くなってはいるが宛名書きが見える。見覚えがある力強い文字、住所は指で隠れて見えないが宛名はビアンカ・カルコロとなっている。


「ちょっと待って……」ローズは思わず声を出した。


 映像は止まったがここはポンテオの過去、記憶の世界である。行為をとめることは出来ない。再びポンテオは動き出した。手にした封筒から手紙を取り出す、広げて真ん中から二つに引き裂く、重ねてさらに引き裂き四枚にここで過去の記憶と繋がる。


 子供の頃に見た大道芸人だ。彼は紙を八枚まで割いて、それを更に細かくちぎった。出来た細かな紙片を目の前にまき散らした。そして、舞い散る紙片に肩から掛けていた派手な文様が入った布を被せた。布は子供だったポンテオを覆い尽くすほどに大きい。布は紙片をすべて捕えると地面に落ちた。芸人はそれを取り上げまた肩に掛けた。落ちたはずの紙片は無くなり傷一つない紙に戻っていた。


 ポンテオは自室へと戻った。八枚になった手紙と解体された封筒は軽く捩じられまとめて火口入れに挿しこまれた。その一つは早速かまどの火を起こすために使われた。


「まったくなんてことかしら」


 ローズはあきれ顔で呟いた。こんなことになっていたとは名状しがたい笑いが込み上げてくる。


「手紙どうだったんですか?」


 困惑気味に小声で笑うローズにフレアは問いかけた。


「手紙は……もうないわ」とローズ。「彼が内容を確かめもせずに火口にしてしまった」


 火口入れを指差すローズに釣られフレアもそちらに目をやった。今そこに差し込まれているのは細かく割かれた新聞誌だ。


「彼がお湯を沸かすのに使ってしまったのよ。まぁ、でも素面で文面を読まれていたらそれはそれで困ったことになっていたかもしれないわね。そうなるよりはよかったかもしれない」


「でも、相手はウィリスさんを脅すため証拠が無くても、それを隠して脅し続けるんじゃないですか。ビアンカさんとウィルスさんの繋がりを示す証拠が無くなったことは隠したままで」


「当然そうするでしょうね」


「結局元を絶たない限りきりがないですね」


「どうしましょうか……」ローズはエールを手にしたまま眠っているポンテオに目をやった。


「悪いけど、ここは彼にもう一働きしてもらいましょうか」


 この後ポンテオはエールを一杯と謝礼を受け取り、フレアが手配した馬車で帰宅した。彼の気分は上々だった。大家さんにローズの事をいろいろと尋ねられたが、それも煩わしく思わないほどに。それは一働きの事を聞いていなかったからためでもあるだろう。

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