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吸血鬼の地味な日常  作者: 護道綾女


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悪夢にさようなら 第1話

ローズの元へ友人のニコライから相談が舞い込む。彼の友人の婚約者が悪夢に悩まされているという。婚約者は自分は呪われていると思っている。それが友人を殺してしまうかもしれない。既に二人が亡くなっている。呪いは存在するか。二人の死の原因はローズがそれを探ることになります。

 乾杯の合図で着飾った広間の招待客達は手元にあるグラスを目の前に掲げた。短い祝辞が述べられているがアンジェラ・ソス・ゴードゥは押し寄せる不安が邪魔になり耳に入らない。今はただ何も起こらぬことを祈るばかりだ。乾杯の声を合図に皆がグラスを口元へもっていく。グラスをほんの一瞬口に当てるだけ、口内を湿らせる程度、一気に飲み干すなどと葡萄酒に対する対応は様々だ。勢いよく激しく咳き込む客人に戦慄を覚えるが彼は酒にむせただけだった。気まずそうに真っ赤な顔で軽く頭を下げた。横に座る妻が冷めた顔で何かつぶやく。彼女はごく近い将来に義母となる女性だ。


 無事何事もなく食事が始まりアンジェラは安堵した。出された鳥の煮込みを口に運ぶ客人からの反応を見れば概ね良好のようだ。時間を掛け煮込まれているようで柔らかくほぐれやすく食べやすい。味が表面だけでなく中までよく滲み込んでいる。脂っぽくなくてよいなどの呟きが聞こえてくる。この柔らかな雰囲気に対面に座っているアンダースも静かに笑みを浮かべている。


 不意にアンダースの顔から笑みが消え、両目が驚いたように大きく見開かれる。右手で喉元を押さえ、左手は鳩尾辺りへ上着を強く握りしめる。身体は痙攣を始めついには目の前の皿に向かい突っ伏した。


 場面は暗転し、耳元に響いていた悲鳴と混乱の怒声は止み、聞こえるのは荒い吐息だけになった。落ち着いてくればそれは自分の吐息とわかった。身体を起こし、ここはどこかと慎重に辺りを窺う。鏡台に衣装箪笥、窓から差し込む赤みを帯びた月光。ここは帝都旧市街のチェストナット通り、通称名士街と呼ばれている一画にあるソスノヴェイツ侯爵家別邸に間違いはない。


 夢だったのだ。あぁ、よかった。アンジェラは安堵し寝台に倒れ込んだ。ソスノヴェイツ、ハムスタッド両家の夕食会はまだ先の事だ。まだ何も惨事は起こってはいない。アンダースは無事だ。嫌な汗は収まったが、今度は身体が冷えてきた。


「アンジェラ様、汗拭きと飲み物をお持ちしました」隣にある使用人部屋から声が聞こえた。


「ありがとう、ミヌマ」


 アンジェラが応じると細身の中年女が汗拭きと水差しを抱えて入ってきた。肩までの黒い髪に砂色の眼で肌はアンジェラと同じ乳白色だ。彼女も寝起きで寝間着のまま髪も纏めていない。子供の頃からずっと世話になっている使用人で帝都までついて来てくれた。


「わたし、声上げてた?」


「はい、こちらにも聞こえて参りました」


 アンジェラの目の前で人が倒れるのはこれが最初ではない。既に二人が夢ではなく現実に命を落としている。二人とも毒殺のようだが、共に犯人は特定できず解決には至ってはいない。それらの出来事は記憶の深い淵に沈みこみ忘れ去っていた。最近になり悪夢となって浮かび上がってくるまでは。この一か月であの二人は何度となく目の前で倒れ、アンジェラの記憶を呼び覚ましている。そして、今夜はついにアンダースが犠牲となってしまった。今夜はアンジェラの意識が作り出した幻の死だが、それが現実となるのは何があっても避けなければならない。




 賑やかな脱獄犯たちによる金鉱探しのお芝居が一段落し、舞台には緞帳が降ろされ幕間となった。一階席の客たちが休憩を兼ねて立ち上がり場外へと出て行く。桟敷席などの一部の席を除いては飲食不可となっているため、混み合う場内を避け街路まで出て行く客もいる。幕間には特に用のないローズ達はざわつきの中に軽やかな音楽が流れる階下の様子を眺めるのが通例となっている。


 今夜も階下で談笑をしている男女を眺めていると、ローズは桟敷席の入り口に人の気配が感じた。所用のため劇場の係員がやって来たようだ。名乗るまで待ってみる。


 ほどなく若い男の声で


「こんばんは、お邪魔いたします。ご来場のお客様よりご伝言を承っております」入り口の陰で係員が軽く頭を下げているのが感じられる。


「ありがとうございます」 とローズ。


 ローズは隣にいるメイドのフレアに頷きかけた。


 フレアは無言で頷き入り口まで歩いていった。入り口傍で小声での挨拶が交わされフレアは封筒を手に戻ってきた。封筒の表には流麗ながら力強い男文字で「アクシール・ローズ殿」と宛名が記されている。裏を返さずとも送り主の予想はつく。予想通りテューピンゲン侯爵家の紋章で封蝋が施されていた。


「ニコライ様からですか」


「そのようね」


 テューピンゲン侯爵家の三男ニコライ・ベルビューレンは鮮血の剣による連続殺人の際に知り合い、それからは芝居好き同志でフレア共々交友を続けている。


「わざわざお手紙なんてなにがあったんでしょう」


「改まって何かしらね」


 ローズが封筒に向かい指を左右に振ると、命令に従うように封蝋が裂け中の手紙が現れた。


「ローズ殿、大変不躾な話かとは思いはしましたが、是非ともお会いして相談したい要件があります」


 相談相手はニコライ自身ではなくその友人のようだ。文面は短く悩みが何かは読み取ることは出来ない。だが、貴族が吸血鬼に対し頼み事などというのはよほどの変わり者か、悩みが深いかのどちらかだろう。ローズはその友人に会うことにした。




 二日後の夜にローズは旧市街のテュービンゲン侯爵家の別邸に赴いた。現在はニコライが住居兼人形工房として使用している。北東部の砂漠で従軍中に片腕を失ったニコライは二度と戦闘任務に就くことは出来なくなった。一度は失意の底まで落ちたニコライだったが義手と動人形制作と出会い生気を取り戻した。


 その際知り合った友人は鮮血の剣が起こした事件に巻き込まれるが、ローズ達の手により難を逃れた。後にニコライが腕を失う原因となった事件の謎もフレアが解明している。ニコライがローズに相談を持ち掛けてくるのもそれらの影響もあるだろう。


 ローズが到着し執事のイェスパーに応接間に通されると、そこにはニコライの他にもう一人若い男が長椅子に座っていた。男は黒い外套を纏い仮面をつけたローズを目にすると、すぐに正体を悟ったらしく素早く立ち上がった。双方軽く頭を下げる。ローズは外套を脱ぎ仮面を外しフレアに渡し、替わりに手渡された黒眼鏡を付ける。フレアは外套と仮面を手に部屋を出て行った。これらはローズが現れた際の一連の動きとなっている。別邸の衣裳部屋にはローズのために頑丈な衣装掛けが用意されている。


「ローズ殿、彼が俺の友人でハムスタッド侯爵家のアンダース・ジヴァーフです」


 ニコライは薄い茶色い短髪の青年を右手で示した。ニコライより小柄ではあるが小男ではない。彼が大柄なだけだ。ニコライや特化隊のビンチを標準にすれば誰も小柄だ。そのためか歳はさほど変わらないのだろうが若干幼く弟のように見える。


「アンダース、彼女がアクシール・ローズ殿だ」


「こんばんは、アンダースさん」


「こんばんは、ローズさん。ご活躍についてはよく聞いております」とアンダース。


「あら、変なお話じゃなければいいのですが」


「あぁ、真面目な話です」アンダースは少し頭を掻いた。「ニコライの派兵先や串刺し魔の件での活躍聞いております」


「そちらでしたか、安心しました」


 友人の件を解決したのはフレアなのだが面倒なので訂正はしないでおく。


「アンダース、そろそろ本題に入ろう。夜は短い」


「そうだね」


 ローズはニコライに勧められ席に着いた。アンダースの相談事は彼の口から聞くことにした。本人から話してもらう方が好ましい。どの道それに伴う感情も漏れ出してくるものでわざわざ探るまでもない。

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