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なめくじ

作者: 工藤一将

「なめくじって、塩かけるとしぼむんだぜ」

 うつむき加減で幼なじみの友は言った。その言葉は、私に向けられていなかったのかもしれない。

「え、なに? なにがしぼむの?」

「なめくじ。なめくじだよ。し・ぼ・むの。塩をかけると」

 友の家の裏山。私たちの庭。夏休みは終わりに近づいていた。農家を営む家が多いこの地方の夏休みは、少しだけ短い。盆が開け一週間ほどすれば新学期が始まる。その分、冬休みが長い。

 しかし一日一日、今を生きる子供たちにとっては、来る冬休みまで思いを巡らすことなどできない。この時期になると〈あっちは夏休みが長くていいよな〉などと、中小企業のサラリーマンが公務員の福利厚生をうらやむ口調でのたまわる。あたえられた状況に不満を抱えつつ、残された時間をせいいっぱい過ごすのだ。今を楽しむためなら、何だってしたい。何だってしてやろう。その信念を抱いて日々を過ごしていた。

「ほんと? タツ、やったことあるの?」

 発した言葉とは裏腹に、友を疑ってはいなかった。自分よりひとつ上の友は、へんてこりんな知識をたくさん持っている。友は両親が離婚したあと母親が家を出て行き、父、祖母と暮らしていた。急に家族を失った経験が、生きるための知識を吸収する意欲につながっているのだろう。

 そうして身につけた知識は、ふいに私にお裾分けされていた。生きるにはこのくらい知っておかないとな、という顔つきで。〈さしすせそのそはソースじゃねえからな〉〈とりあえずアロエぬっとけ〉〈窓は新聞紙でふくといいんだぞ〉。祖母に教えてもらったようなものが多かったが、生き物が好きな性格から〈ハチに刺されても針は抜くなよ〉〈セミは俺たちとほとんど同い年だ〉〈カブトムシを捕まえるならバナナが一番だ〉などという知識も披露してくれていた。

 友は学校の成績という点では遙かに私に及ばなかった。しかし友が与えてくれる知識は、見知らぬ世界からの啓示に思えた。そんな知識を与えてくれるとき友は必ず、同年代と思えないほど大人びた笑みを湛えていた。

「なめくじは塩でしぼむ」という知識を披露した彼の目線は一点を見つめているようだったが、じっと友を見ていると少しずつ何かを追っている。待ってましたとばかりに薄笑いを浮かべた友は、

「昨日。どっさりかけてやったよ。かけて少したつと、しゅーってしぼむんだ。ほれ」

 お盆を過ぎたとはいえ、太陽はまだまだたんまり余力を残している。照りつける日差しに、多少あたまがぼーっとしていたかもしれない。友も私も、日に焼けた肌は真っ赤だ。

 友の視線の先には一匹のなめくじ。肌色に少し黄色みを加えた色。つやつやとした体躯を、青々とした朝顔の葉の上にくねらせている。お弁当に入っていると嬉しい小さなウインナーくらいの大きさだ。ウインナーと違って、わずかな突起が伸びたり縮んだりしている。『目』なのだろうか。

「なめくじ、いたね」

「あぁ」

「塩かけたら・・・・・・しぼむの?」

「あぁ、しぼむ。しゅぅぅって。しぼむんだから死ぬんだろうな」

 思いがけず〈しぼむ〉が〈死ぬ〉に昇華する。目の前に初めて現れた現実的な〈死〉に私は昂ぶりが押さえられなくなった。

「本当? 本当に死ぬの?」

「死ぬだろ。ふつう。しぼんで生きてるやつをみたことあるか?」

 そもそも、何かの作用でしぼむ生き物を私は知らない。

「しぼんでるだけで、死んでないんじゃ……」

「わからないけど、死んだの!」

 追及をうけて自信が無くなったのか、友の語尾が少し強まる。方や私はなっていた。

「え、そのあとは? 死んだの見てないの?」

 死に対する純粋すぎる興味に、友は言い得ない恐怖を肌で感じたようだった。

「とにかくやってみればいいだろ。待ってろ」

 答えを待たず、友は家に走った。とにかく自分の知識を疑われた状態で放置しておくことはできなかったのだろう。小さな体に抱えたプライドを傷つけるわけにはいかない。待っているあいだ、私は、じっと標的と見つめ合っていた。私もそいつも、逃げなかった。

 息を切らせ友が戻ってきた。

「持ってきたぞ」

 素手に握りしめてもってきた大量の塩を誇らしげに見せる。小さな手とはいえ、これをそのままかけったら、標的は塩に埋もれてしまうほどの量だ。しぼませようとしているのに「息ができないんじゃないか?」とそんな心配がよぎった。

「やるんだろ? ユウちゃん」

 友は走ったせいか、熱中症なのか、上気した顔をしていた。とても興奮のためだけとは思えなかった。

「やろうぜ」

 私を声で後押しする。友は掌の上で汗にまじって湿りはじめた塩をこちらにめいっぱい突き出してきた。自分から言い出したものに早く決着をつけて、ほかのことをしたいという気持ちがこもっているようだった。

「よし! やるぞ」

 決意を声に変え、自らの行動を勢いづける。威勢とは裏腹に、お焼香のように少しだけつまんだ塩をみて、

「足りないよ」

 諭すような小さなつぶやきだった。警策でしたたかに打ち据えたような効果があった。今度は五指をつかい、できるだけ多くの塩をつかむ。心なしか友は少し悲しそうな表情をしていた。

「ただ、かければいいんだよね」

 それ以外に方法などないはずなのに、まだふんぎりがつかず、念のため確認をしてみる。

「そう。思い切って、バサッといけよ。男のナサケだ」

 すでにパラパラとこぼれ落ちた塩に気づいた標的は、降り始めた雪を確かめるように、突起をのばしたり縮めたりして、できるかぎりの情報を集めているかのようだった。

 そこに突如として押し寄せる雪崩。空からの雪崩。それは、標的にとって最初で最後の経験となるはずだ。おそらくこの経験を後世に伝えることはできない。

「やったぞ」

「いいから見てろ」

 見てろ、と言いながら友は目を逸らし、まぶしそうに太陽をみつめていた。

 標的から滲み出た体液が、白一色だった塩をグレーに変えていく。有機物だけで組織されている物が、無機的なコンクリートに置き換えられていくようだった。グレーになっていく塩が標的の一部なのか、標的の命そのものなのか私にはわからなかった。みるみるグレーが拡がっていく。もうそれをよけて、生死を確認するなどという軽挙は私にはできなかった。すでに、グレーに染まったそれは墓標のようになっていた。

 なぜだろう。命を、こんなにも簡単に奪うことができる力を手にした感覚。これまで知り得なかった喜びが突き上げてきた。喜びのあとから、恐怖が津波のように押し寄せてくる。標的と自分が入れ替わることはあるのだろうかと。恐怖と喜びがないまぜになっていく。命の重さなんてわからなかった。ただ、自分の命だけはほかの命よりも大切だということだけはなんとなくわかった瞬間だった。

 こいつらにとっての敵とはなんだったのだろう、僕たち教師だったり、テストだったり、ときには親だったりするけれど。子供のたわいない遊び心が敵だったというのか。

 思春期を迎え、私は悩み抜いた。あの夏の日の行動について。何の良心の呵責もなく、ただ快楽だけを感じてしまったことに。

 正しいとか、正しくないとかそういうことではない。もう一度、あの感覚を得るにはどうしたらいいか。それだけを考えた。そして私は、刑務官となった。いま、その友は絞首台にいる。心なしか少ししぼんだ友だった何かを見て、あの喜びが再び私を突き抜けた。

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