第三章
第三章
セイルは誰かの暖かい手が自分の手を握っている感覚に気付いた。まだうっすらとしか覚醒していない意識が、誰なのかと判断しようとする。ゆっくりと開けた目の前には、ニット帽を被った女の子が手を握り締めたまま眠っていた。
(この女の子は……)
セイルはぼんやりとする記憶の中から、この女の子が誰なのか思い出した。
(ああ、そうだ。この子は逃げ遅れた民間人……)
そう思い出した時、セイルの記憶は、はっきりとし始めた。自分がユリウスに来た事、そしてヴェンテとの戦闘に参加した事、そして自分が死にそうになった事。
セイルは体を起こす。まだ少し鈍い痛みが体中に残っていたが、起きられないほどの物ではなかった。セイルは周りを見渡す。そこは清潔に保たれた真っ白な病室だった。そこで、自分が病院にいる事を自覚する。
(そうだ、爆発の衝撃に巻き込まれたんだった)
徐々に現状が分かっていく中、ただ一つだけ疑問があった。それは何故、あの時の女の子がこの場所にいるのだろうかという事だった。目の前では、女の子が気持ち良さそうにすやすやと寝息を立てている。
そんな時、女の子のニット帽がずれて落ちそうになっている事に気がついた。セイルは無意識のうちに、ニット帽を戻してあげようとする。しかし、体を捻った時、体に痛みが走り、ニット帽を掴みそこなった。そのせいで、逆にニット帽を弾く事になってしまった。
セイルは、しまったと思った。しかし、そう思った時、さらにセイルを驚かせる物が見えた。ニット帽の無くなった女の子の頭からは、猫の耳が生えていたのだ。この女の子も先祖返りだったようだ。
未だに見慣れないその物体に、セイルの目は釘付けになっていた。理由はそれだけではない。その女の子の容姿と猫耳が妙に似合っていたのだ。それもセイルの視線を集める原因になった。
(なんか、髪の色と合わせてみるとアメリカン・ショートヘアみたいで可愛いな……、って何を考えているんだ、僕は!)
セイルは頭をふるって変な考えを払おうとする。しかし、その振動が伝わったのか、今まで穏やかに眠っていた女の子がゆっくりと目を開けた。
「あっ……」
その瞬間、セイルはその場で固まる。女の子もセイルの方を見て固まっていた。しかし、少しずつ時間が経つにつれ、女の子は慌てながら声を掛けてきた。
「あ、あの、目が覚めたんですね。た、体調はどうですか? 痛いところとか無いですか?」
「う、うん。まだ、体全体がちょっと痛むけど、これといって酷いところはないよ……」
その言葉を聞くと、女の子は安心したように息をついた。そして、セイルの方を向いてゆっくりと話しかけてきた。
「あの、覚えていますか? 私の事」
「うん、覚えているよ」
「あの時は本当にありがとうございました。セイルさんが助けてくれていなければ、私は今頃どうなっていたか。セイルさんは命の恩人です」
「そんな事ないよ。当たり前の事をしただけさ」
女の子の言葉にセイルは照れながらも冷静に答える。セイルの答えに、女の子は微笑んでくれた。それに対して、セイルも微笑み返す。そこでセイルは、さっきのニット帽の事を思い出した。
「あ、そうだ。言い忘れていたんだけど」
「はい、なんでしょう?」
「君が眠っているうちにニット帽が外れかかっていて、被せ直そうとして床に落としちゃったんだけど」
セイルは善意でそう女の子に教えてあげた。しかし、その瞬間女の子から表情が消えてなくなった。女の子はとっさに手を頭の上に載せる。そして、床に落ちているニット帽を見つけると同時にそれを拾い上げ、立ち上がった。
「あ、ああ……」
「えっと、大丈夫……?」
そうセイルが質問した瞬間、女の子は顔を赤くしてニット帽を深く被り直した。
「し、失礼します!」
そう言って、次の瞬間には病室から飛び出していってしまった。セイルはベッドの上で固まったまま、どうして女の子が逃げたのか、理解できずにいた。
(何か、僕まずい事しちゃった?)
セイルは女の子が出て行った扉の方向を見つめながら、そう考えていた。すると、またしても扉が開いた。しかし、そこにいた人物は先ほどの女の子ではなくノエル達だった。ノエルは起きていたセイルに問いかける。
「おい、セイル。何かやったのか?」
「わ、わかんない……」
*
ノエル達が来てから、セイルは医者の診察を受けた。体の打ち身などがまだ完治していないが、特に問題はないという事だった。医者が部屋から出て行くと、診察が終わるのを待っていたノエル達が話しかけてきた。
「よかったな、大分怪我が治っていて」
「今日一日でもう退院できるってよ」
「うん。それは嬉しいよ。眠っていたのも、たったの二日間だけでよかった」
話によると、セイルはあの後。病院に搬送されてから今まですっと眠っていたという事だった。街の方の被害もセイルを巻き込んだ、あの爆発のみだったらしく。もう、街の修復も大分出来ているとの事だった。
「それで、ここからが重要な事だ。今後の俺達の行動予定だな」
「あんな事があった後だもんね。試験は延長とかになるの?」
セイルがそう質問すると、横から割り込むようにオウガが答えてきた。しかし、その言葉は歯切れの悪いものだった。
「いや……、それが信じられない事になっちまったんだよ」
「信じられない事?」
セイルが首をかしげる中、ノエルがその答えの続きを説明していく。
「実は、あの後グレダ大尉に呼び出されたんだ。俺達もてっきり試験の延期を言い渡されると思ったんだが……、言い渡されたのは試験免除だった」
「えっ……? 試験……免除? 延期じゃなくて?」
「理由は二つだそうだ。まずは、今ユリウスが警戒状態に入っていて試験が出来ないから。それと、先日の戦いで試験をしなくても、俺達のパイロットとしての腕が確かだという事。以上の事を踏まえて、試験をする必要はないというのが見解だそうだ」
思ってもいなかった報告にセイルは唖然としていた。まさか、こんな結果でパイロットになってしまうとは想像もつかなかったからだ。だが、そんなセイルにさらに追い討ちをかけるような報告があった。
「それと、現在ユリウスは警戒状態に入っている。その為に、ユリウスの惑星周辺は飛行禁止になっていて地球に帰る船も出す事が出来ないそうだ。そこで、警戒が解けるまでの間。俺達はこのまま、グレダ大尉の下に配属される事になった」
「えっ!」
驚きの声を上げるセイルにノエルは説明を続ける。しかし、話しているノエルも、あまりこの状況が良いのもだとは思っていないみたいだった。
「この間の戦いでグレダ大尉の部下が亡くなったのは知っているだろう。俺達はその補充として入る事になったんだ。こんな状況だ、一人でも人員は多いほうが良いだろう」
その言葉に、セイルの表情が一瞬曇る。しかし、セイルは拳を握り締めると、気持ちを落ち着けて返事をした。
「とりあえず、分かったよ。それで、具体的にはなにをするの?」
「今のところは主に雑用だ。ただし、ヴェンテの襲撃時には俺達も出撃するらしい」
「あ、でも、僕の乗っていたEX―9は……」
そう、セイルの乗っていたEX―9はあの時、ヴェンテと共に爆発に巻き込まれているのだ。あれだけの爆発の中では機体はただでは済まないだろう。
「その事だが、俺達には専属の整備士が就く事になった。俺とオウガはすでに顔合わせが済んでいるが、お前はまだ会っていないだろう? まず、お前は明日本部に顔を出したら、格納庫に行って整備士と話をして来い。それが、最初の仕事だ」
「うん。分かった」
「明日、朝に迎えに行くから待っていろ。服は適当に持ってくる」
「んじゃな、セイル」
そう言うと、ノエルとオウガは椅子から立ち上がった。セイルは部屋から出て行くノエル達の背中を見送るとベッドに寝転んだ。一度、大きなため息をついた後、セイルややこしい事になったと思っていた。
別に、軍に所属されるのは前から分かっていた事だから問題は無い。しかし、問題なのは所属する事になったのが、ユリウスの軍だからだ。軍には軍務期間というものがある。特例として配属される事になったセイル達に、これが適例されるかどうかはわからないが、それでも何かしらの条件がつく事になるだろう。
そうなれば、もしも警戒が解けたとしても、地球に帰れるのは大幅に遅れるだろう。それがセイルの最大の気がかりだった。地球には残してきた家族がいる。その家族を守る為に地球の連邦軍に入るつもりだったのが、とんだ予定違いになったからだ。
(怒るだろうな……、早めにメールか何かを出しておかないと)
そう思いながら、セイルは窓の外を見た。外は綺麗な夕焼けに染まっていて、その光が病室の中を黄金色に染めていた。その光景に、セイルはふとした事を思っていた。
(でも、この星の人を守るのも、仕事のうちだよね。頑張らなきゃ……)
そう思いながら、セイルはいつの間にか眠りについていた。
*
翌日、セイルはノエル達に迎えられて本部にやってきていた。三日ぶりに来た本部は未だに人が走ったりしていて忙しそうだった。それもそうだろう、先日の戦いの被害、次の戦いにそなえての準備と両方を進めているのだから。
それはグレダ大尉も同じようだった。ノエル達に連れられてグレダ大尉の所に行くと、机の上はデータディスクの山で一杯だった。机の上では目まぐるしくデータが流れていき、改ざんが行なわれていた。
部屋にはランド曹長もいた。ランド曹長も忙しそうにデータの整理を行なっていたが、グレダ大尉よりは忙しくないらしく、セイルが来た事に気がついて話しかけてくれた。体調に気を使ってくれるランド曹長にお礼を言いながらも、セイルはさっそく自分がやる事について、確認を取った。
「それで、まず自分は格納庫に行こうと思うのですが」
「うん、セイル君は――。おっと、今はもう上司になっちゃたんだよね」
「いえ、今までのように接してください。なんだかまだ階級をつけられて呼ばれるの、なれないんです」
そう言うと、ランド曹長は笑っていた。何でも、ノエル達も同じ事を言ったらしい。ランド曹長は気が合ういい友達だと言ってくれていた。
「それじゃ、任務以外のときは普通に呼ぶね。それで、予定はさっき言った通りに進めてくれて構わないよ。まずは、パイロットの仕事を優先して片付けてね。整備士と話が終わったら、またここに戻ってきて」
「はい、了解です」
そう返事をすると、セイル達は部屋を後にした。ノエル達は先に事務仕事の方にうつっていると言われたので、別れて格納庫へ向かう事にした。近くの転送室に行くと、ランド曹長から教わったアース部隊の格納庫の番号を打ち込んでいく。
番号が確認され、転送準備が完了するとセイルは転送機の中に入る。そして、次の瞬間にはすでに格納庫へたどり着いていた。転送機から出ると、さっそくEX―9の所へ向かった。
しかし、自分のEX―9の姿を見てセイルは愕然とした。格納庫の中に固定されている自分の機体は、酷い有様だった。右腕と両足は無く、外郭は熱と衝撃でボコボコになっていた。むしろ、あの爆発の中でこれだけ原型を保っていたのが不思議と思えるくらいだ。
セイルはゆっくりと機体の元へ歩いていく。そして、ボロボロになった機体に向けて一言だけ、謝っていた。
「ごめんな。ありがとう……」
セイルがそう小さく呟いた時、ふと横から声が掛かった。セイルは声のする方向を向く。すると、そこには作業着を着たユーラノイドの女性がいた。頭には先祖返りである犬っぽい耳があり、腰辺りには尻尾がある。外見からして同じくらいの年齢だろう。ボーイッシュな感じだが、女性としても魅力がある人だった。
「ねぇ、君。もしかして、この機体のパイロット?」
「あ、はい。そうですけど」
セイルがそう答えると、彼女は明るくなって話しかけてきた。
「お〜、そうなんだ。へぇ〜、君がねぇ」
彼女は興味心身でセイルの事を凝視してきた。時々、何か独り言を呟いているようだったが、セイルには聞き取れなかった。彼女が一体、何者なのかも分からないセイルはその場で苦笑いのまま、立ち尽くすしかなかった。
しかし、そんな彼女の後ろから新たな女性がやってきた。髪は長く、身長も少し高いくらいでセイルとあんまり変わらない。種族は判別できないが、大人っぽい感じがある。かけている眼鏡が一層とその雰囲気を増幅させていた。
「キャル。そんなとこで何しているの?」
「あ、シェイラ。丁度良いとこに来たね。彼がこの機体のパイロットなんだって」
キャルと呼ばれた彼女は、そう言ってセイルを指差していた。しかし、その彼女は後からやってきた女性に頭を叩かれた。そして、すぐさまこちらを向いて謝ってきた。
「ごめんなさい、彼女が迷惑をかけて。私達は、あなたの同僚の機体を調整する整備士なの。私の名前はシェイラ・クラウロード。よろしくね」
「僕はメキャル・ランサー。気軽にキャルって呼んでね。ちなみに僕達は十七歳、君の一つ年上だね」
やっとの事で彼女達が何者なのか分かったセイルは、若干気後れしながらもその挨拶に返事を返した。
「セイル・アルフィスです。よろしくお願いします。シェイラさん、キャルさん」
「別にさん付けなんてしなくて良いのに〜」
「一応、年上ですから……」
お互いの自己紹介が終わったところでシェイラが目的を聞いてきた。その質問に、セイルは自分の機体の整備士に顔を合わせに来たと答えた。すると、シェイラはさっそく案内をしてくれると言い出した。
セイルは、シェイラに連れられて格納庫の事務室の方へ向かっていく。その間に、キャルに色々と質問を受けたりしたが、良い感じに仲良く話す事が出来た。そんなうちに、事務室へは時間を気にせずに行く事が出来た。シェイラ達が中に入り、セイルの整備士の事を呼んでくれる。
「おーい、ティア。あんたの担当のパイロットが顔合わせに来たよ!」
キャルがそう言うと、奥の方で振り返る女の子がいた。女の子は、立ち上がるとすぐにこっちに向かってくる。しかし、その姿にセイルは見覚えがあった。
「ごめんなさい。お待たせしました、セイルさん」
「えっ……? 何で君が?」
近寄ってきた女の子はセイルが助けたあの女の子だった。思ってもいなかった人物が出てきた事に、セイルは驚き慌てる。
それとは逆に、女の子はセイルが何故慌てているのか、分かっていないようだった。そんな中、キャルが女の子に質問を飛ばす。
「ちょっと、ティア。昨日、お見舞いに行って話したんじゃないの?」
「ちゃんと話したよ。ただ、時間は短かったけど」
「じゃあ、なんで話が伝わってないわけ?」
二人の間で交わされる会話にセイルは妙な違和感を覚えていた。確かに、この女の子とは会話をした。しかし、キャルが言っているのはそういう事ではないだろう。それが相互の間で食い違っているのである。
しかし、そこに冷静に突っ込んだのはシェイラだった。
「ティア……。私達が言っているのは、セイル君にあなたが担当の整備士だという事を言ったのか、という事よ」
その言葉を聞くと、女の子は一瞬固まった後、思い出したように顔を赤くして頭を下げて謝罪してきた。
「あわわ、す、すいません。私、その事をお伝えするのを忘れていました」
「い、いや。大して気にしてないから良いよ。ただ、驚いただけだから」
そうセイルが言うと、女の子は顔を上げて自己紹介をしてきた。
「私の名前はティア・マイリアスです。年はセイルさんと同い年。よろしくお願いしますね」
「ちなみに、特徴はドジっ娘だね」
「天然も少し入っているんじゃないかしら」
自己紹介の後に、キャルとシェイラから補足説明がつく。その発言に、セイルはつい少しだけ笑ってしまった。それを見て、ティアは二人に向かって怒りだす。
「もう、変な補足をつけないでよ! セイルさんに笑われたじゃない!」
「ごっ、ごめん。くっ、くくっ」
「だって、本当の事だも〜ん」
「ほらっ、まだ仕事残っているんでしょ! 早く戻って!」
そう言うと、ティアは二人の背中を押して部屋の外に追い出してしまった。扉が閉まる前に、キャルが「ごゆっくり〜」などと言っていたが、それに対してセイルは笑って返事をするしかなかった。
二人を追い出したティアは、未だに顔を赤くしていた。セイルはすでに笑うのを止めていたが、よっぽどからかわれたのが恥ずかしかったのだろう、未だにティアは怒っていた。そんな様子にセイルはティアをなだめる為に会話の話題をふった。
「あの後、救助されてからは平気だった? 怪我とかはしなかった?」
「あ、はい。丁重に送っていただいたので怪我とかはまったくありません」
「そっか、よかった。それなら、体をはった甲斐があったね」
そう言うと、ティアは少しばかり申し訳なさそうに表情を落として謝罪してきた。
「ごめんなさい。私があんな所にいたせいで、セイルさんに迷惑をかけて」
「いや、別に良いんだよ。ああするのが僕らの仕事だからね」
「セイルさん……」
セイルはそう言って、ティアに笑顔を向ける。それに答えるように、ティアも笑い返してくれた。そんな時、セイルは自分が格納庫に来た本当の目的を思い出した。自分が今、するべき事は顔合わせと機体の状況を聞く事だった。セイルはさっそく、自分の機体の事を聞く。
「えっと、それでなんだけど。僕の機体を見てきたけどあれって直るのかな……?」
セイルがそう質問すると、ティアは複雑そうな顔をしてきた。そして、言い難そうに状況を説明してくれた。
「現状であの機体を修理するのははっきり言って不可能です……。基礎フレームにまで重度の損傷があるのでもう使い物にならないかと。現在、同じEX―9を一機要求する書類を作っていますが、何時になるかわかんないです」
「そっか。やっぱりあれだけボロボロじゃあ、直らないか」
「書類は出来次第、すぐに本部に提出します。それ以外にも、念の為にEX―8の方も取り寄せておきます。他には何か必要なものはありますか? あれば同じく、申請しておきますけど」
そう言ってくるティアに対し、セイルは少しだけ要る物があるか考えたが、結局無いと答えた。セイルはそう言うと、自分は仕事が残っているという事を告げて戻ろうとした。そうすると、ティアは格納庫までついていくと言い出した。何か用があるらしい。
一緒に廊下を歩く中、話のネタはあまり無く、すぐに沈黙が漂うようになっていた。しかし、そんな時、セイルはふとティアの被っているニット帽に目がいった。
(そういえば、何で耳を隠しているんだろう?)
それはちょっとした疑問だった。ランド曹長の話ではこっちでは先祖返りを隠すようなことはしないはずだ。現に、キャルは耳も尻尾も隠してなどいなかった。なのに、なぜティアは耳の存在を隠すのだろうか。そう思った時には、口が勝手に開いていた。
「ねぇ、なんでティアは耳を隠すの?」
そう口にした時に、セイルはようやく病院でティアが逃げだした原因が分かった。考えれば、簡単な事だ。隠している以上、ティアは耳を見られたくは無いのだ。もしかしたら、話す事も嫌いかもしれない。そう思ったセイルはすぐに言葉を付け加えた。
「あ、あの、別に話すのが嫌なら話さなくても良いから……」
「いえ……、平気です」
そう言うと、ティアは立ち止まってこっちを向いてきた。口では平気だと言っていたが、やはり乗り気ではないようだ。ティアは少しばかり間をおくと、ゆっくりと話し始めた。
「実は、私はこの先祖返りが好きではないんです。逆に、私はこの耳がコンプレックスなんです」
「どうして?」
「だって、なんか恥ずかしいじゃないですか! 人の頭に猫耳だなんて、なんだか……、その……、コスプレみたいで……」
その言葉に、セイルは昨日のティアの姿を思い出す。確かに、昔は地球でそんな物もあった。今でも多少はそのような名残が残っているが、もはや廃れたものといって良いだろう。
「でも、ティアにはその耳が似合っているんだから、もっと堂々としていても良いんじゃない? せっかく可愛いのに勿体ないよ?」
「えっ、ええっ! か、可愛い!」
セイルの何気なく放った言葉に、ティアは赤面した。背中をセイルに向けて必死に落ち着こうとしている。そんな様子を見て、セイルはまた何かまずい事でも言ってしまったのかと思っていた。
しかし、ティアは俯いたままだがこちらに振り向いてきておずおずと質問してきた。
「その、似合っているって本当ですか……?」
「うん、とっても」
笑顔でそう言うと、ティアはさらに赤くなっていた。セイルはどうしたものかと考えていたが、それはティアの意外な行動で終わった。
ティアはゆっくりと手を上げると、自分でニット帽を外し始めたのだ。恥ずかしさでプルプルと震えながらだったが、それでもティアは頑張っていた。そして、ティアは自分の力でニット帽を外したのだった。
「わ、私。頑張ってみます。コンプレックスを直せるように……」
「うん、頑張ってね!」
恥ずかしがりながらそう言ってくるティアに、セイルは励ましの言葉を言った。二人はそのまま歩き出した。相変わらず会話は無かったが、それでも先ほどまでの空気とは違ったものだった。
そして、二人は格納庫に着いた。丁度近くに、シェイラ達がいたのでセイルは別れの挨拶を告げようと近寄っていった。
「シェイラさん、キャルさん。さっきはありがとうございました。こっちでの用事は終わったので本部のほうに戻ります」
セイルに気付いた二人は返事をしようとこちらを振り向いた。しかし、二人からはセイルへの言葉ではなく、ティアへの驚きの声が上がっていた。
「ティ、ティアが帽子を外してる!」
「私達が何を言っても外さなかったのに!」
その言葉を聞くと、さっきまで平気そうな顔をしていたティアは再び赤面してニット帽を被ってしまった。その様子に、シェイラとキャルは何かを考えた後、セイルの首を抱えるようにして小声で話しかけてくる。
「ちょっと、一体どういう魔法を使ったの? 僕達にも教えてよ」
「これは由々しき問題です。さっぱりと白状したほうが身のためですよ」
「い、いや、別に何もしてないんですけど。ただ、せっかく似合っているのに隠すのは勿体ないと言っただけで……」
「「ほぅ」」
そう言うと、二人は不気味な笑顔を見せた。訳の分からないセイルはそのまま二人に捕まったまま、困惑している。しかし、次の二人の言葉にはセイルも反応をしない訳にはいかなかった。
「セイル君は中々の天然ですね。それとも故意にやっているのですか?」
「よくもまぁ、そんな恥ずかしい台詞言えるね。さっそく口説いたのかい?」
「なっ、違います! そんなつもりで言ったんじゃないですよ!」
セイルはそう言って、二人から離れる。さすがにそんな事を言われては平常心を保って入られない。何の話をしていたのか分かっていないティアだったが、セイルが恥ずかしそうにしているのをみて、二人に何か言われたんだという事が分かった。
「ちょっと、二人共セイルさんに何を言ったのよ!」
「ん〜、ちょっとした明るい未来への、は・な・し」
「セイル君の意外な一面についてちょっと」
完全にからかわれているティアはセイルの方に近寄っていくと、その背中を押していた。セイルは抵抗のしようも無くそのまま押されていく。
「行きましょう、セイルさん。あの二人といると仕事が進まないですよ」
「ちょ、ティア。押さなくてももう行くから」
セイルはティアに押されてそのままシェイラ達から離れていった。後ろからは、「またね〜」などと声が掛かっていたが、それに返事をする事は出来なかった。
その後、セイルはティアと別れて本部へと戻ったセイルは、ランド曹長から指示を受けてノエル達と合流して、事務仕事に回るようになった。書類を作っていく中、さっきのティア達とのやり取りが頭の中に浮かんでいた。
あの笑顔はあの時に自分達が出撃したから守れたものなんだと、セイルは思っていた。
*
とある研究所の一室。そこには白衣をまとった一人の研究員がいた。研究員は電話で誰かと会話をしているようだったが、すでにその会話は終わった後だった。
「ええ、研究は順調ですよ。今までに無いくらいです。全てはアレのおかげ、このままで行けば来月には成果を出せるかと……」
研究員の口調からして、電話の相手は自分よりも位の高い人だろう。
「はい、お任せください。全ては、このユリウスの繁栄の為に」
そう言うと、研究員は電話を切った。研究員は一旦息を吐くと、再び電話に手をかける。数度のコールの後に相手は電話に出た。
『どうかしましたか?』
「アレの経過はどうだ?」
『はい、問題ありません。スケジュール通りに進んでいます』
「そうか……、分かった。そのまま予定通りに進めろ」
電話が切れる音がした。研究員はそのまま電話を置き、立ち上がる。そして、窓のそばへと近寄っていった。
「あと、少しで私の念願が叶う。あと、少しだ……」
そう呟く研究員の声には、様々な感情が詰め込まれていた。その感情は善か悪か……、それは分からなかった。
*
セイルが本部に顔を出してから一週間。
ようやく、環境にも慣れ始めて事務仕事が落ち着いた頃、グレダ大尉の命令でセイル達は格納庫へ来ていた。目的は、今後のヴェンテの襲来に対して、ポジションを決める事だった。
結果的には、グレダ大尉は全般的な指示及び戦闘。ノエルは小隊全体の遊撃。オウガは前衛。セイルが後方支援となった。ポジションは訓練生の時と同じなので特に問題は無かった。
その後、ポジションごとに機体の調整にはいる事になった。それぞれが自分の機体の元へ行く中、セイルだけはその場でティアと話し合っていた。
「搬入が出来ない? どうして?」
「申請書類は出したんですが、何でも製造が間に合っていないらしくて、すでに製造依頼がオーバーしているらしいんです。何でも、多くの機体は激戦区に優先して送られているとか。うちの他の小隊も困っているようです」
「こっちに来て思ったんだけど。ユリウスってこんなにもヴェンテの襲撃が頻繁なの?」
「いえ、こんなにヴェンテが来るようになったのは半年ほど前からです。それまでは大規模な襲撃はありませんでした」
その説明にセイルは肩を落とす事しか出来なかった。地球では数ヶ月に一回有るか無いかの襲撃が、このユリウスでは各地で数週間おきに起こっているのだ。こんな状況で機体が無いというのは、はっきりって不安を覚える。
「EX―8のほうは?」
「同じです……」
「そっか、打つ手無しだな。さすがに二世代前の機体は問題外だしなぁ」
「搬入はなるべく早くとお願いをしておきます」
「うん、よろしくね」
しかし、現状で機体が無いというのは本当に不安である。もしも、こんな状況でヴェンテに襲撃を受けたら、間違いなく戦力不足が予想できる。そうなれば、地上には多くの損害が出るだろう。
(一週間か、今日明日を越えれば襲撃の可能性は低くなる。来ない事を祈っているしかないよね……)
そんな事を思いながら、セイルは格納庫の中を見渡していた。それぞれの前ではノエルとオウガがキャルとシェイラに指示を出しているようだった。それが今のセイルには、羨ましい光景だった。
*
セイルは暇になってから、格納庫の壁際に座り込みながらウトウトとしていた。格納庫の中で聞こえてくる指示の声や工事の音を聞きながら半分、眠りにつこうとしていた。しかし、そんなセイルを起こしたのは人の声ではなく、けたたましいサイレンの音だった。
セイルはすぐにその音に反応した。起こって欲しくは無かった最悪の事態が起きたのだ。格納庫の中はすぐにあわただしくなる。そして、状況を知らせる放送がかかるのには時間はかからなかった。
『ユリウスの近辺にヴェンテの集団ワープのエネルギーを感知。数はまだ不明、しかし、かなりの大規模集団だと予測。降下地点はテンペストの首都近辺。EXISTのパイロットは直ちに出撃準備。その他も戦闘準備に入れ』
本部から戦闘準備の放送がかかる。それと同時に、アース小隊も召集がかかっていた。
セイルもグレダ大尉の所へ走っていく。機体が無くても何かやれる事があると思ったからだ。
「グレダ大尉。自分に何か出来る事はありますか」
セイルはそうグレダ大尉に質問する。しかし、返ってきた返答はセイルの期待を裏切るものだった。
「セイル准尉。お前は待機だ。機体の無いパイロットに出来る事は何も無い」
グレダ大尉はそう言うと、そのまま更衣室の方へ走っていってしまった。それに続いてノエルとオウガも走っていく。残されたセイルはただその場で立ち尽くす事しか出来なかった。拳を強く握り締め、今自分が何も出来ない事に無力さを痛感していた。
そんな姿を後ろからティアが見ていた。しかし、ティアもセイルになんと声をかけて良いものか分からずにいた。そんな時、セイルが後ろに振り返る。セイルはティアがいる事に気がつくと、それまで険しかった表情を隠した。
「ごめん、ティア。僕のせいで暇になっちゃったね」
「そんな事、無いです。仕方ありませんよ……」
「そう、だよね。機体が無きゃ何も出来ないもんね」
そう言ってセイルは格納庫の壁際に寄っていった。それにティアも連れ添うようについてくる。セイルはその場に崩れ落ちるように座る。その横に、ティアも座り込んだ。
目の前では着々と出撃準備が進められている。いち早く戻ってきたグレダ大尉がそれぞれの整備士に命令を出していた。後からやってきたノエル達も最終チェックに入ろうとEX―9に乗り込もうとしていた。
グレダ大尉達がEX―9に乗り込んでいく。順番にカタパルトに乗り込み、滑走路のほうへと向かっていっていた。それを見ながら、セイルは心の中で思っていた。
(機体があれば、守る事が出来るのに……)
そんな事を思うセイルの頭には家族の姿が浮かんでいた。地球での襲撃で亡くなった両親の姿が……。
そして、グレダ大尉達が戦場へ飛んでいった。今回の襲撃は早めに察知できた為に宇宙空間での戦闘が主になるだろう。しかし、主戦力の減った今の部隊では恐らく、また惑星内に進入を許してしまうだろう。
今回も、アース小隊は惑星内での殲滅が主に行なわれる、そんな事をセイルは予想していた。
*
しかし、その十数分後。
セイルの元に入ってきた情報は芳しくないものだった。ヴェンテの数が想像以上に多く、すでに街の上空にまで迫って来ているというものだった。セイルは思わず、歯を食いしばっていた。せめて自分一人でも戦力が増えればよかったのにと。
そんな時、セイルの持っている携帯にメールが届く。セイルはそれに気付くと、携帯を出してメールを表示した。しかし、メールの相手は知らない人だった。メールを開くと、そこには謎のメッセージが書かれていた。
「何だ……、これ……?」
『自分の無力が悔しい? 守りたいものがあるの? もしも、あなたに戦う意志があるのなら、ここに来て』
そこには、何者からかの呼び出しと、転送機の番号が書いてあった。セイルは一瞬、これが何かの悪戯なのかと思った。しかし、こんなタイミングで送られてきたメールにしては現実味がありすぎていると思った。
隣にいたティアも、不思議そうにこのメールを見ていた。そんなティアの横顔を見ながら、セイルは少しだけ考えていた。果たして、このユリウスで命を懸けてまで戦う理由があるのだろうかと。
しかし、セイルの脳裏には楽しそうに笑うティア達が浮かんでいた。そんな時、セイルは思った。
(僕は、ここの……、ユリウスの人達も、皆を守りたい!)
そう思った時、セイルは立ち上がっていた。今は少しでも希望があるのなら、それにすがりたい。少しでも役に立つのなら、戦いたい。そう決意していた。
そして、セイルは転送機の方向に行こうとした。しかし、後ろからティアの声が掛かる。
「セイルさん、何処に行くんですか! まさか、このメールの場所に行くつもりですか?」
「うん、そうだよ。このメールが一体なんなのか分からないけど、それでも可能性があるのなら僕は行かなくちゃ行けないんだ」
そう言って、振り返り歩き出そうとした。しかし、セイルの服をティアが掴んでいた。
「だったら、私も行きます。私はセイルさんの整備士です。サポート出来る事があるのなら、少しでもお手伝いします」
「ティア……」
「それが、仕事ですから」
そう言って、ティアは微笑んだ。それにつられてセイルも笑みがこぼれる。そして、二人は転送機へ向かって走り始めたのだった。