逃亡と幼き日の記憶
「なんだよ怜」
突如として現れた軍勢に俺は声がした方を振り返り、睨みつける。
「なんだよじゃないでしょう? なんでその女と一緒にいるんですか?」
怜は白魚のような人差し指を南へと突きつけ、吐き捨てるようにそう言う。
「その女だなんてひどいなぁ。私たち一緒の中学出身だってのに」
しかし、南は飄々とそんな事を言って笑う。
「たかが一緒の中学だってだけで、一体何の意味があるの? 貴方が智己を奪おうとしてるなら、それはただの敵です」
怜は彼女の様子にいらついたようにギリギリと歯を噛みしめた。そして、「私が一緒に帰るんです!」と癇癪でも起こしたかのように地団太を踏んだ。
「「「いくぜぇ」」」
それを合図に、彼女の横にいた親衛隊たちが動き出す。
そして、たちまち彼等は人の波となって俺たちを襲った。まるで津波のように押し寄せてくる坊主頭の人間たち。その迫力に思わず足が竦む。
「早く逃げよっ!」
それにいち早く反応した南が俺の手を強く引いて駆け出す。そして、上履きのまま運動場へと飛び出した。
「貴方達! やっておしまい!」
しかし、そこは怜のホームだった。彼女は野球部どころか運動部全てを傘下に入れていたのだ。飛んでくるサッカーボールに、ハンドボール。前方からは俺たちを捉えんと陸上部の連中が向かってくる。
「おい! どうやって逃げるんだよ!」
南に振り回されながら、俺は彼女に向かって叫ぶ。このままだと簡単に捕らえられ、俺はともかく南がどうなるかは分からない。
それならば、ここで自分が囮になるべきではないか。
そんな思考が頭をよぎる。
「大丈夫!!」
しかし、俺の予想を裏切って彼女は高らかにそう告げた。
「でも」
「いいから!」
陸上部の連中は既に目前に迫っている。南より30cmは身長があるだろう。肩幅だって広い。このまま彼等と衝突すれば、相対速度が加わって華奢な彼女の体は無事では済まない。にもかかわらず、南は足を止めない。それどころか一層加速した。
「お願い!」
衝突するその瞬間、彼女が叫ぶ。スピードに乗った体は、勝手に足を進ませる。もう自分が南を止める事は出来なかった。俺はこれから先、生まれるであろう惨状を予期し、眼を瞑る。
しかし、それは訪れなかった。
「任せろ!!」
向かって来た陸上部の男を、颯ががっしりと受け止めていたのだ。
「ははは! 力比べといこうじゃないか少年! ここから先に行きたくば俺を超えていく事だな。筋肉勝負だ!」
歯を見せ、獰猛な笑みを浮かべた彼は、スピードに乗っていた陸上部員を軽々と押し返す。
「さぁ、先に行きたまえ君たち! ここは俺が食い止める!」
「ありがとっ」
南はひらっと右手を挙げ、颯の隣を駆け抜ける。
「待ちなさ~い!」
遥か後方から怜の声が聞こえた。しかし、俺たちは止まる事なく走り続ける。言葉なくして、心が通じ合っているような全能感とともに、手を繋いだままボールを避け、障害物を飛び越え、川の飛び石を軽々と抜ける。
気づけば、追手の姿は見えなくなっていた。
「ここまでくれば大丈夫だね」
息を荒げながら、絞り出すように言う南。彼女の銀色の髪は乱れ、紅潮した頬に一筋の汗が流れる。それが二人の激闘を物語っていた。
「そうみたいだな」
後方を見る。そこに広がるのは何の変哲もない住宅街。路傍に植えられた木、赤色の屋根、少し欠けたアスファルト。坊主頭の男も、黒髪の美少女もいない、ただの道路。
「逃げ切った~~~!!」
南が万歳するように手を思いきり上に挙げた。それを見て俺も空に向かって手を伸ばす。
「ふふふ」
彼女が笑った。
「子供の時みたいだね。覚えてる? 野良犬に襲われた時のこと」
小学校5年生の時、野良犬にちょっかいをかけた南が追いかけ回されて、それの俺も巻き込まれて一緒に逃げた事があった。彼女はその事を言っているのだろう。
「忘れる訳ないだろ」
俺がそう答えると、
「そう? ならいいや」
彼女はそっぽを向いて、はにかんだ。
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