5話目 妖怪裁判、開始
翌日、法廷で雀鈴の姿を見た。
“おはよう、雀鈴”
“サトリ弁護士さん”
雀鈴は、テレパシーを聞いて明らかにホッとしていた。
被告席の彼女は、両脇を体格のいい男にガッチリ固められている。血まみれ柄のシャツには、シルバーの鬼切り丸バッジが鈍く光っていた。
“ねえ、サトリさん”
“何かな”
“えぇっと、向こうの検事さんだけど……”
“ああ、人参を食べてる彼か”
示し合わせたように、検事席へと目をやった。
そこには、鼻メガネをした赤い目の兎人がいた。痩身で頭頂部の薄い、50代の色白検事。今は、薄切りの人参スティックをポリポリ食べている。
“彼は、宇佐美検事だよ”
“あの垂れ耳って、ロップイヤーの真似?”
雀鈴は、自分の顔に垂らした命毛をつまんでみせた。
たしかに検事は、頭上に生えた長い耳を前に垂らしている。
“うーん、真似ているかは分からないけど、ああやって垂らしてる方が、みんなが油断して、話を聞きやすいんだってさ”
“地獄耳ってこと?”
“うん。名前が宇佐美幹夫だから、ウサ耳検事と呼ばれてるね。もっとも、心ない人たちからは、ウザ耳と呼ばれてるかな”
“ウザ耳……ぷぷっ”
雀鈴の気持ちが少しラクになったようだ。ありがとう、ウサ耳検事。
頻繁に見ていたため、向こうも気付いたらしい。
「ん~? おやおや~?」
鼻メガネを直した検事が、僕に人参スティックを向けてきた。
「キミもコレが欲しいんですか~、死神賢者ク~ン?」
「いえ、ウサ耳検事。お構いなく」
手の平を見せて拒否した。
“ねえ、サトリさん。『死神賢者』って、どういう意味?”
“あまり楽しい話じゃないよ。それでも聞く?”
“え~。何ソレ、面白そう”
やれやれ。まあ、話しておくか。
“僕が司法試験に受かって、弁護士になるための司法修習生をしていたときに、模擬裁判をやったんだ”
“ふむふむ”
“そこで僕は、弁護士役を受け持った”
“今と同じね。それで?”
“検事役が無期懲役って言ったのを、僕は死刑と言ったんだ”
“――え?”
雀鈴の念話が途切れた。
“ん? どうした、雀鈴?”
横目で見やると、額を押さえてうつむいている。
“あなた、弁護士よね?”
“もちろん”
“えっと……そのときの結果は?”
“無事に死刑になった”
雀鈴は、両手で頭を抱えた。
“お、おしまいだわ、あたし……”
コラコラ。聞きたがったのは君だろ。
ちなみに、ウサ耳検事だが、人参がいかに素晴らしいかを長広舌で讃えつつ、「死神賢者」へのイヤミを混ぜ込んでいた。
「ぬふふふふ……。というわけで、人参は最高です。そして、死神賢者ク~ン? 君には、『推定無罪』という言葉をご存じか、今一度問うてみたい所ですねえ。――おっと。これはむしろ、過剰な刑罰をいさめる必要がありますかな?」
「ご心配なく。雀鈴は無罪ですよ」
「なんですと?」
耳をピーンと伸ばす。
「聞き捨てなりませんな。無罪、とは?」
「さて。『王子』のたわごとです」
小首を傾げてみせた。
雀鈴が再び食いついてくる。
“え、え? 王子?”
“これもあだ名だよ”
自分で言うのは気恥ずかしいが、落ち込む雀鈴をフォローするためなら厭わない。
“僕はね、『傲慢なサトリ王子』とも言われてるんだ”
“たしかに、貴族の服でも着たら王子様っぽいわね。だけど……『傲慢』?”
“弁護した全ての裁判を、想定通りの結果にしてきたからさ”
“え?”
雀鈴は目をパチクリした。
“で、でも昨日、無罪はゼロって……”
“犯罪者をどれだけ弁護しても、無罪にはしないからね。僕は、自分の心にも正直でありたいんだ”
“――ああ、そういうことね”
納得した表情の雀鈴は、その直後、呆れたように息を吐いた。
“サトリ弁護士さん……。あなた、もっと器用に生きればいいのに。ポリシーさえ曲げたら、イッパイ依頼とか来るんじゃない?”
“いいんだよ。おかげで今、無実の君を弁護できる”
ニッコリほほ笑むと、プイとそっぽを向いた。
――あれ、クサすぎたかな。
“あ……ありがと”
おや。
“どういたしまして、雀鈴”
ふふっ、気が紛れたようで何よりだ。
そのとき、書記官が傍聴席へと呼びかけた。
「これより、郷里裁判長が来られます。みなさま、ご起立を願います」
みんなゾロゾロと立ち上がった。殺人事件の初日、それも妖怪裁判とあって、傍聴席は満員だ。
“ねえ、サトリさん。裁判って、こんなに人が多いものなの?”
“ここは、席を増やしてあるから特別かな。簡易裁判所と思えないぐらい豪華だしね”
そもそも、妖怪裁判とは通称である。
誤解を恐れず一言で表すなら、「3日で終わる簡易裁判」だ。
21世紀が1/4を過ぎた頃、突如として人間の中にあった妖怪遺伝子が活動を始めた。
およそ1000人に1人が、妖怪となったのだ。
当時、至るところで大混乱を引き起こしたのは、想像に難くない。
むろん、法曹界でも、「人間であるか否か」という論争を始め、ヒトと妖怪との軋轢を生まぬよう、数多の法律が制定された。
そのさい、裁判所にも大変革が起きた。
それが、「妖怪が被告と思しき事件は、妖怪裁判で行う」という法律、通称「妖怪裁判法」であった。
妖怪が現れた当初は、犯罪を起こす輩が多かった。妖怪の判例などモチロンなく、全てが手探り。これで従来通りの裁判をやっていては、機能がパンクしてしまう。
そこで、妖怪が被告の裁判は、まとめて切り離されたのだった。
大柄の裁判長が入廷してきたので、みな一礼する。
“お……大猿?”
“うん。狒々の妖怪だね。色黒でモジャモジャの毛、そして名前とも相まって、ゴリ裁判長って親しまれてるよ”
ゴリ裁判長は、ゆっくりと廷内を見回した。
「ご着席ください」
穏やかな低音の声だった。すでに60代のハズだが、検事より若く見える。
「本法廷の裁判長を務める、郷里空と申します。本日はよろしくお願いします」
上体から曲げてお辞儀をしたのち、検事席を見やる。
「宇佐美検事、準備はよろしいですか?」
「はい。検察側、準備は完了しております」
次いで、僕の方を見た。
「佐鳥弁護士、準備はよろしいですか?」
「はい。弁護側も、準備万端です」
ゴリ裁判長はうなずいた。
「では、これより、要訣的簡易裁判を始めます」
妖怪裁判の始まりだ。