12話目 反撃の狼煙
「では、鼻の良いワイルド証人にお聞きします」
僕はパンフレットの地図を広げてみせた。
「じつは、近くにもう1軒、特徴的な匂いの店がオープンしましてね。どんな匂いだったか、お答えいただけますか?」
「い、異議あり!」
検事が、たまらずといった様子で手を挙げた。
「裁判長、本件とは何ら関係ない質問です!」
「お言葉ですが、裁判長。先ほどのワイルド証人の答えに、著しい疑問が生じました。カレー店の近くで、嗅覚に関する証言をしたにもかかわらず、カレーの匂いに一切触れていない。これは、極めて不自然です。この質問は、彼の鼻の正確性を確認するためのものとお考えください」
「ふむ。異議を却下します」
即答だった。
「証人は、オープンした店の匂いについて答えるように」
「え? えぇっと……ん~。い、今は思い出せないけど、なんか、アレっぽい匂いになったんだよ。ん~、そう! 名前を言ってくれたら思い出せる」
ほほぉ、なかなかズルい手だ。
「正解は、園芸店です」
「え、演劇?」
「いいえ、園芸植物のお店です。樹木や草花を取り扱ってるんですよ」
「あ……あぁ~!」
ワイルドは、首振り人形のごとく、ブンブンとうなずいた。
「ああ、そうだったそうだった! え、園芸店な!」
「店頭では、麗しいラヴェンダーの香りが充満してましたっけ」
「うん、ラヴェンダーな! じゅ、充満してたぜ!」
「はい」
僕は満面の笑みを浮かべた。
――小手先のズルさで、法廷の弁護士に勝てると思うなよ?
いかにもワザとらしく、ペシッと額を叩く。
「あぁーっと、失礼。このお店は、僕の事務所近くの話でしたね」
「――え!?」
傍聴席から、クスクス笑う声が聞こえる。
「ですが……あなたにとっては、遠い園芸店の匂いも分かるのでしょう。優れた嗅覚の持ち主と言いましょうか。――さもなくば、大嘘吐きの狼少年ですからね」
「わ、分かったんだよ! そのラヴェンダーの匂いもな!」
「そうですか」
スッと、OKサインを見せた。直後、中指を叩くようにして指を弾き、人差し指を立てる。
「では、指差してください」
「え? ――な、なんの?」
「決まっているでしょう。園芸店のラヴェンダーが、どの方角にあるのかを、ですよ」
「うっ……」
「あなたの鼻は優秀ですからね。このようなカンタンな質問で、申し訳ございません。――ただし!」
ビシッと指を突き付けると、狼は「ひぅっ!」と縮こまった。
「もし間違えたら、分かっていますね? あなたは、ニセの証言で雀鈴を陥れたことになります。それでは、相応のカクゴを持って、指を向けてください」
「はぁっ……はぁっ……。え、えぇっと……その……」
ヘタレ狼は、汗をダラダラ流してうつむいた。
――呆れたね。さっきまでは言いたい放題だったのに、リスクを意識したら、途端にグズつきだした。
ちなみに、万が一指差し確認が当たったとしても、店頭にあったのはベルガモットである。
「裁判長」
僕はゴリ裁判長のほうを振り向いた。
「この証人は、嗅覚に自信があって鼻高々でしたが、それはどうやら、ウソをつくたびに鼻が伸びていたダケのようですね」
「さ、裁判長! 今のは、不当に証人を貶め……!」
「発言を撤回します」
軽く頭を下げた。
「ですが、この証人は不適格と断じざるを得ません。こちらのマイルド……失礼、ワイルド君は、カレーの匂いが分からず、ありもしないラヴェンダーを嗅いだようです。果たして現場にいたのでしょうか? 重大な疑義があります」
「ふむ、たしかに」
裁判長は狼を見下ろした。
「証人、わざとウソを吐くと、法廷侮辱罪に問われますよ。あなたの発言を、本当に信頼してよろしいのですか?」
「え!? え、え~っと……」
口を半開きにしたチワワは、あうあうと言葉にならないうめき声を上げた。
ゴリ裁判長には、もう1つの異名がある。
それは、『法廷の魔王』。
普段は穏やかで、ちょっとお茶目なおジイちゃんだが、ひとたびキビしい表情を見せると、相手を震え上がらせるほどの「凄み」があるのだ。
案の定、魔王さまに睨まれたワイルドは、頭をカキカキして愛想笑いを始めた。
「い、いやぁ……その……。き、記憶違いだったかもなあって……え、えへへ……」
「うーむ。話になりませんな」
魔王オーラを解いた裁判長は、ゆっくりと首を横に振った。
――相手が子供だから、ゴリ裁判長も手加減したな。本気でやったらワンワン泣き出しただろう。
ちなみに、検事席のウサギは、むぎぎ……と、いたく悔しそうだった。
ふむ、鼻持ちならないウサ耳検事だったが、見事に鼻を明かしてやれたな。
“サトリさん……スゴい”
雀鈴からの念話に、僕は片目をつむった。
“こういう輩は、「知らない」と言えないのさ”
狼少年は、法廷係官に連れられて退廷していった。
――さてと。傍聴席が味方についている今がチャンスだ。
「裁判長、少しよろしいですか?」
「なんでしょう、佐鳥弁護人」
「今の証人ですが、肝心の証言をすべて撤回しました。つまり、検察側にとって重大な根拠が崩れたと言えます」
「確かにそうですね」
「凶器の指紋? 雀鈴は直前まで製作に携わっていたのですから、指紋が出るのは当然です。モモのバッジ? 本人が先ほど証言したとおりです。彼女は先生に会い、そして寮に帰った。その後、何者かが先生を殺害……」
「お、お待ちください!」
ウサ耳検事にカットされた。
「さ、裁判長! 実は検察側には、もう1人、確実な証言のできる証人の用意があります!」
若干声が上ずっていたが、メガネの奥の目はまだ死んでいない。苦し紛れというワケでもなさそうだ。
「こ、この証人は、被告と親しい間柄ということもあり、出廷を拒んでおりましたが、『自分しかいないのなら、証言台に立つ』と申しておりました!」
「なるほど、そのような事情がありましたか」
ゴリ裁判長はうなずいた。
「今、その証人はどちらに?」
「近くで待機しておりますので、しばしお待ちを」
「分かりました。それでは、10分休廷とします」
ゴリ裁判長は、木槌を鳴らした。
チッ、勝負は第2ラウンドに持ち越しか。
“雀鈴、ごめん。もうちょっと時間が掛かるよ”
“ううん、そんなこと……。サトリさんが担当してくれて良かったわ”
“そう言ってくれると嬉しいね。力がわいてくる。鬼に金バッジだよ”
弁護士バッジをちょいとつついてみせたら、雀鈴は必死に笑いをこらえていた。




