5.贄と階段と報い
叛乱というよりすでに内戦状態だった元領地には、それでも生き残った人々が身を寄せ合って暮らしていた。
聞けば王都から派兵された軍は、非戦闘員の女子供も容赦なく蹂躙していったらしい。軍は今も領主の城付近に陣を構えており、民衆側のゲリラ兵は各所で抵抗を続けている。
結局のところ――私たちは元領地内の小さな教会に身を置いて、とりあえずは場当たり的な救護活動に励んだ。
抜本的な解決には至っていない。けれども必要とされているのは目の前の救いだったり、助けだったりすることもあるだろう。
カルロが精製した治癒の薬について、どう使うかは概ね私に委ねられていた。錠剤タイプは馴染みがないので最初は怪しまれたけれど、効果を目の当たりにして民たちもやがて受け入れてくれた。
私自身の出自身分が不審過ぎるとか、カルロみたいな実力派っぽい魔法使いが何故こんなところにいるのかとか、普通は気になるよね……。
かつての領主の娘である前王子妃について、多分勘づいていた者もいたと思う。
別に顔を隠して生きていた訳じゃないから、殆どバレバレだったはずだ。
でも黙っていてくれた。
災厄を招いた戦犯に等しい私の正体を隠匿してくれたのは、皆が皆、傷ついた人々をどうにかしたかった、それだけに尽きる。
薬を持っている私を利用したい。彼らの思惑は痛いほどわかった。
構わない。
いくらでも私を使えばいい。
私が一方的に願ったように、彼らにも願ってほしかった。そのために私はここにいるのだから。それこそが何もできなかった私の……悲劇を招いてしまった私の、唯一叶えたい望みだった。
カルロ。
あの塔の上で、カルロが気紛れを起こしてくれて良かった。ほんのちょっとだけでも私に興味を抱いてくれて、本当に良かった。
依存するばかりで相手に対する申し訳なさは拭えないけれど、実力のある人間がちょっと振り返るだけで、救済されるたくさんの生命があるのは事実だ。ただのアマーリエがすべてを賭しても、永遠に叶わないものがある。
階段を上るだけの私では、きっとここに辿り着くことすらできなかっただろう。
怪我人や病人の世話をする私の傍らで、カルロはただ黙って見ていた。時折どこかの亜空間とやらに収納してある治療薬の在庫を出して補充をしてくれたり、戦乱のどさくさであまりにも不逞な輩が暴れたりしたら、適当にあしらってくれた。もちろんそれだけで十二分に助けられていた。
誰も彼を大賢者様だなんて知る由もない。
今はまだ名を明かすには危険過ぎるけれど、もしも現状が打破され事態が解決したら、きっと民たちに伝えたいと思う。まあ、私がちゃんと無事に生き延びていたならば。
この地を救ってくれた恩人について、大賢者の偉業について――そして私の責任と償いについても、全部きちんと話さなければならない。
お願い、カルロ。
あともう少しだけ、私に付き合って。
音にならない呟きは、暗い故郷の夜空に消える。
カルロからしたら、私の拘りはまったく愚かしいに違いない。おまけにこれほど悔やみながらも、ぐだぐだ言い訳ばかりの私は、結果として過去を精算せず放置し続けてきた。
本当に望むのなら、どこにいても何もなくとも祖国の民のために奔走することは可能だったはずだ。
逆に割り切って逃げるのなら、三年も立ち止まらず自分の生活だけを立て直せば良かった。世話人を雇う程度の資産を持つ私は、声がなくともその不自由を受け入れられたはずだ。
ずっと中途半端だった。そんな私の矛盾と迷いを、カルロの瞳は端から見透かしていた。
あの深い紫色に囚われたのは、やはり私が未だ迷路の最中にいるからだろうか。
或いはここが――すでにデッドエンドなのかもしれないが、見極める術も私にはなかった。
◆ ◆ ◆
「王都から増援が派兵されたそうだ」
そんな噂が広まったのは、二ヶ月を経過した頃だった。当然のようにカルロはもっと早く察知していたみたいだけど。
ボロボロだった住民が、まだ崩れずに立ち向かってくる。中央も業を煮やしたのだろう。すでに動乱は飛び火している。火勢が更に広まる前に収拾をつけるべしと判断したのだ。
「聞いたか、アマーリエ? 増援軍を率いているのは彼の第二王子だ」
カルロは何故かいきなり後ろから私に抱きつきながら、無遠慮に告げた。
「……!」
表立っては素性を隠しながら、教会で休む暇なく動いている私の立場など気にも留めない。本当にこいつはもう……。
油断していた。祖国に戻ってからの環境下では、さすがにスキンシップは減少してたからなあ……うんまあ、そもそも人前とか気にするタイプじゃなかったか。
動揺する私以上に、第二王子と聞いて周囲の人々がざわめき出した。それもそうだろう。そもそもこの領地の不遇の大元は、諸悪の根源は、諍いの元凶は――現妃エカチェリナの実家をのさばらせたロベルト殿下だ。
わざわざ王族が出張ってくるなんて、余程彼女にいい顔を見せたいのか。
私の感情も怒りの方向に振れる。
最初から元夫には遺恨しかないし、ここまできて人々がまた犠牲になるのかと思うと、腹立たしさを通り越して憎しみすら覚える。
でも貶められ国から逃げ出したはずの前王子妃が見つかれば、ますます状況を悪化させてしまう。
亡命者が勝手に帰国しただけでもヤバイのに、旧領民を煽動していたと見做されるのは間違いない。今のうちに立ち去るのが正解だろうな。王子の怒りの矛先が私だけに向かうとは限らないし。
わかってる。それが賢い選択だ。
同時に理不尽な選択でもある。
途中で投げ出して、怪我人も病人も放り出して、また全部諦めて。
「アマーリエ」
私を抱く腕の力はそのままに、カルロがこそりと囁いた。
「望めよ、アマーリエ。俺を誰だと思っている? 叶えてやる。……貴様に未来を差し出す覚悟があるのならば」
「……?」
甘い吐息が耳朶を襲う。
誘惑の声だった。
そうか――。
さすがに私も言葉の意図を理解する。
己の他に何も持たない私が、ただのアマーリエが更に望むのであれば、文字通り自分の生命を捧げるより他はない、という訳か。
私の生命に何の価値があるかは知れないけれど――もしかしたら何かの魔法の材料や研究の被験体くらいには使えるのかも――万能の大賢者様は再び気紛れを起こして、それで構わないと言ってくれている。
「どうする、アマーリエ?」
私は一も二もなく頷いた。
後悔はない。
階段を上り続けたあの日々と同じく。
ううん、もっと切実に願った。
すべてにケリをつけるために。
+ + +
叛乱の制圧に向かう王都からの増援軍に異変が訪れたのは、目的地に辿り着く直前のことだった。
夜の広い平原で急に突風が襲い、野営の陣は大いに乱された。総大将である第二王子――ロベルト殿下の元に報せが齎され、慌てふためきながら態勢を整えるのを、私はカルロの隣で見ていた。
風を起こしたのはカルロだ。
数千の兵を前に臆するでもなく平然としている。
不審人物をロベルト殿下に近づけまいと構える兵士たちを魔法の風で次々となぎ倒し、私の手を取ったまま真っ直ぐに進んだ。まったく何て言うか、強行突破にも程がある。
「何者だ!」
「敵の魔法使いか!」
「こちらも魔法で応戦しろ!」
王子の陣営も馬鹿ではない。パニックに陥ったのは最初だけで、当たり前に襲撃者を排除しようと動き出した。
でもカルロは動じない。
圧倒的な力で――世界一を誇る大賢者の実力で、一国の正規軍をたった一人でどうにかしてしまう。剣も矢も魔法の力すら、何も彼には届かなかった。
「件の第二王子とやらには一度会ってみたかった。早く出て来いよ。塔の主が用があると伝えろ」
カルロは不敵に言い放った。
「塔……?」
桁外れの魔法の力と「塔の主」という科白から、上層部の何人かはカルロが何者かを察したらしい。攻撃が止み、波を割るように兵士たちが道を作り始める。
「塔の大賢者殿とお見受けする」
王子の補佐で実質的に軍を動かしていると思しき王子の側近が、陣の奥から進み出て尋ねた。
「他国に身を置き、さりながら俗世には関わらぬはずの御身が、何故我が国の内乱に介入するか?」
「しかも……その方、いや、その女は」
「――アマーリエ!?」
「!」
部下の背後から驚愕の声を上げたのは、言うまでもなくロベルト殿下――この国の第二王子にして私の仇敵である。
「どういうことだ!? 何故お前がここにいる!? それに……その男が塔の大賢者だと!?」
制止も聞かず飛び出してきたロベルト殿下は、厭って追い遣った元妻の姿を認めると忌々し気に喚き始めた。
「答えろ、アマーリエ!!」
「……」
追及されても、私は答える術を持たない。
多分、その事実すらロベルト殿下は知らないんだろうな。自分が殺し損ねた女を、過去の亡霊を目にしても、元夫は僅かな後ろめたさすら感じてはいないようだった。
「貴様が第二王子か。なるほど、くだらない男だ。アマーリエがいつまでも気にしているようだから一度ぐらい会ってやろうと思ったのだが、その価値もなかったようだな」
「なんだと……!」
「屑が吠えるなよ」
侮蔑と嫌悪感を露わにして、カルロはロベルト殿下を冷たく一瞥した。
「貴様ごときが一時でも俺のものを手にしていて、しかも殺めかけたとはな。まあいい。すぐにでも死ねばよかろう」
「――!?」
カルロの声音は酷薄というよりは抑揚もなく淡々としていた。一瞬、その場の誰もが残虐な宣告の意味を解せず、呆然と立ち尽くす。
「……っ」
私は若干外れた部分でカルロの言葉に反応した。
ええっと今……俺の、って言った?
俺のものって、それってどういう意味?
「ふ、巫山戯るな!」
「こちらの科白だ」
微妙に動揺する私を気にも留めず、カルロとロベルト殿下は険悪な雰囲気で対峙した。周囲は緊張感に包まれ、皆一様に息を呑む。
「大賢者が聞いて呆れる。アマーリエ……その雌狐に誑かされたと見える。死に損ないのあばずれに何を吹き込まれたかは知らぬが、王子たる私に手を出してただで済むと思うなよ」
生まれついての王族であり、何もかも思い通りにしてきたロベルト殿下は、傲慢さでは引けを取らない。塔の大賢者と聞けば普通は臆するはずだけれども、ちやほやされて育った王子にとっては、遠い異国のふんわりした伝承に過ぎなかったのだろう。
実感がなければ、恐怖は抱かない。
目が曇っていれば、現実は見えないのだ。
「無論、それ以前に在野の魔法使いごときに手など出させるは……ず、が……」
「――ッ!?」
「!?」
突然――ロベルト殿下は慄くように後ずさった。何が起こったのか急にはわからない。私は当惑して傍らのカルロを振り返る。
「……つまらぬ男だ」
低い呟きには嘲りが含まれていた。
「!」
私は不意に気づく。
カルロの手の中には見覚えのある小さな瓶が握られていた。
それはいつぞや――そう、私が初めて塔に赴いたときに持参した薬瓶に違いなかった。