4.咎と階段と悩み
「抱かせろ」
だ?
抱?
抱っ……!?
「!?」
なななな何言ってんの、こいつ!?
「妙な表情をする」
いや。
いやいやいやいやいやいや!
妙なのは貴方!
いったい何がどうしたら、そんなとち狂った科白が出てくんの!?
「俺も男だ」
当たり前だと言わんばかりにカルロはくくっと笑った。
「今世で生きた時間は三十年にも満たぬ。女に惚れることも、触れたくなることもある」
その言葉の通りに、カルロの唇が私の髪に触れ、耳に触れ、頬に触れ――傷痕の残る喉に触れる。
「――ッ」
「……アマーリエ」
拒めなかった。
強引な腕が身体を包む。
唇も、求められているそれ以上も、私は拒絶する意思も術もなく。
ただ――流されてしまったのだ。
◆ ◆ ◆
――嗚呼、そんな訳で。
ヤッちまったああああああ!!
本気ですみません。
ヤリました。やらかしました。
要求と引き換えに貞操を差し出す羽目になるなんて、汚れてしまった気持ちでいっぱいデス……。
別にいいんだけれど!
とっくに離別したとはいえ結婚していたこともある。前世では婚前交渉すら普通の、今世に比べれば性的に開放的な国で暮らしていた記憶もある。さすがに夫や恋人以外と関係を持ったのは双方含め初めてだけれども。
ほんと早まったよ……軽率だったと言うべきか。お互い独り身同士だから、そこまで倫理観に悖る行為ではないと開き直るべきか。
ちなみに現在は地上にも戻らず塔で同棲生活をしている。いや私は帰ろうとしたのだ。献血期間も無事終了し、用無しどころかどちらかと言えば邪魔ではないかと主張はしてみた。
そう思っていたのに、問答無用で引き留められた。奴の作業もしばらくかかるからここで待っていろと言われ、なし崩し的にずるずると居着いてしまった……みたいな。
何故だ。何なんだろう、この状況。こんなの絶対おかしいよ。
正直血迷ったのだ。
言葉の綾なのは先刻承知しているが、その……あいつが私に惚れてるっぽいことを口にしたから。
あああああああ!!
わかってる! あり得ないって!!
世界一の大賢者様にして、転生十回も繰り返してる偏屈野郎で、神棚目線デフォルト装備のカルロ様が、私ごときに気持ちを向けるはずがない。
気まぐれ、または気の迷いだ。盛大な勘違いだ。誇大妄想の類いだ。
……そりゃあ、ね。
ほんの少しだけ特別に優しくしてくれたのかもしれないと、雨の一滴程度の可能性の粒を見た気が、本当に僅かに、微かに、一瞬だけあったような、なかった訳ではないような、そんな気がしたのだ。
いや。いいや――ないだろう。
阿呆だ、私。
いくらお嬢様育ちとはいえ、いい年齢して夢見がちが過ぎる。
よく考えたら大魔法使いにあそこまで仕事をしてもらって、一度や二度(……ではないが)ヤラれたくらいでどうということもない。どうせ国にも夫にも捨てられた廃品同然の女だったくせに、何を勿体ぶってるのだか。
まあカルロだって悪い。
惚れただの何だのと、愛情に恵まれない出戻り女には洒落にならない科白を軽々しく吐くからいけない。割り切った相手がほしいのならば、もっとはっきりと言ってくれればまだ良かった。
この男にそこまでの感情の機微を悟れとか、女心をもっと気遣えとか、絶対に無理な相談なんだろうが……。
現に今もどこ吹く風で、マイペースを貫き通して作業(わかってる。私が頼みました!)に勤しんでる。しかもすでにほぼ終わってるらしい。殆ど一月にも満たない間に。
「相変わらず陰鬱極まりないな、アマーリエ。もっと喜んで見せたらどうだ?」
作業部屋から出てきたカルロは、別に不機嫌そうにでもなく、自分の労をねぎらえと言うのでもなく、いつも通り余裕の笑みのまま、完成した錠剤をいくつか私の前に差し出した。
「まあいい。貴様の依頼はなかなか面白かった」
そりゃあ結構なことで。
別にね、本当にありがたいと思ってる。ちゃんと嬉しいし、もちろん感謝はしているのだけれど……超複雑な心境なんですよ、この野郎。
はあ、悩んでも無駄だ無駄。
ふりでもいいから、もう色々面倒な感情は忘れてしまおう。
だいたい最初から私は賭けをしたに過ぎない。大賢者の能力と気分に張って、ほんのちょっとだけ負けなかった。単にそれだけなのだから。
「ようやく顔を上げたな」
「っ!」
私は何故か当たり前のようにキスをしてくるカルロをきつく睨みつける。
もっと自重しろ! 少しは空気読んでください!
「気力はあるようで何よりだ」
いやナチュラルセクハラに怒っただけというか。残念ながら一線を越えて以降、こいつには何の遠慮もないようだった。
非難の視線を軽くスルーすると、カルロは私に改めて尋ねてきた。
「アマーリエ、貴様の望みはこれで終わりではなかろう?」
「……」
もちろん理解はしている。
カルロは無意味に揶揄っている訳じゃあない。今後のことも考えて、私の様子を窺ってくれている。
「救いたいのだろう、アマーリエ。さて、まずはどこに行く?」
促されて、私は少ない手荷物の中から地図を取り出した。
祖国を中心に隣国――塔のあるこの国や周辺諸国だけを描いた簡単なもので、国を出るときに使ったきり不要だったのでお蔵入りさせてたのだ。
王都から少し離れた地点に指を置くと、カルロは予め知っていただろうに、わざとらしく頷いた。
「ふむ。民衆の暴動が始まったとされる地域だな。現在は第二王子ロベルトの舅が治めている」
「……」
王子――つまり元夫の名前を他でもないカルロの口から聞かされて、私は身を強張らせる。ドキリとした。ギクリとした。
忌々しい。まだこんなにも動揺するなんて。
「彼の地は追放された前王子妃の実家から、現在の王子妃……確かエカチェリナという女の父親が奪い取ったのだったな。今は大臣だったか」
相変わらずよくご存知で。尤も他国に広まるほど有名な話だっただけかもしれない。元夫の恋人というか情人だったエカチェリナが、私の出国後しばらくして正式に妃となった件は聞き及んでいる。
王太子である第一王子が病弱のため、もともと第二王子の発言権は強かった。ロベルト殿下の寵愛を盾に幅を利かせたエカチェリナの実家は、中堅貴族から瞬く間にのし上がり、ついには祖国の中枢を動かす力を手にしたらしい。
逆に私の実家は没落した。
娘の不始末だと言い掛かりをつけられ、領地を取り上げられたのだ。表向きは不正だの横領だのの罪状を捏造され、父は失意のうちに亡くなり、他の親族は行方も知れない。
かつての領地は主が代わってとんでもない重税が課せられた。私がいた頃からそこそこ教育水準の高かった彼らが決起するのは時間の問題だったろう。失脚した以前の主である私の実家が、取り立てて善政を敷いていたのではない。我慢できなくなるくらいに悪くなり過ぎたのだ。
暴動は各地に飛び火した。貴族の横暴に苦しめられていた民は予想以上に多かった。鎮圧のため王都より軍が派兵されるも抵抗は続き、戦況は膠着しているという情報はこの国まで届いてきていた。当然死傷者は計り知れず、追い打ちをかけるように流行り病も蔓延している。
「貴様は別に、特別慈悲深くもなければ、自己犠牲の精神がある訳でもあるまい、アマーリエ。葛藤など無用どころか余計だ」
カルロは私の逡巡を一刀に両断する。
本当に容赦がない。
「恐れるなよ。疎まれようが責められようが貫き通せ。存分に俺を利用するがいい。そのために貴様は階段を上ったのだから」
地図を指す私の指を持ち上げると、カルロはそのまま自分の唇まで引き寄せた。
「さて……行こうか、アマーリエ」
それが合図のように、広げた地図上に魔法陣が浮かび上がる。私は魔法には詳しくはないが、おそらく転移の術式だろう。空間転移は恐ろしく高等な魔法だと聞いたことがある。
しかし何でもできる大賢者とっては、地図だけで術式を組むくらい造作もないことなのだ。
「導けよ、アマーリエ。貴様の愛した国、貴様を殺した国へ。貴様の未練、貴様の妄執、貴様の呪縛、貴様を縛るすべてを以て」
詠唱は強く厳かに響いて、抉るように私の耳に痛みを与える。
「道よ――開け」
高らかに鐘の鳴る音がした……気がした。転移が身体に与える副作用、酔いのようなものだとわかっている。
目眩がする。
ぐらりと歪んだのは視界だけじゃない。
不安に震えた手を、爪が食い込むくらいの力でカルロが掴んだ。
そうだ――忘れちゃあ駄目だ。
すべては私が望むこと。
私が臨むことなのだから。
+ + +
気がついたとき、私の眼前には荒れた大地が広がっていた。
無事に転移した。それは疑っていなかった。
でも――。
ここは、本当に私の知る場所だろうか。
馬に踏み馴らされた跡、血の匂い、風が運ぶ乾いた煙……何もかも、記憶にある故郷と一致しない。変わり果てた光景だった。
後悔した。
今度こそ私は本当に過去の自分を責めた。
これまでは単なる情報として受け止めていただけだった。現実は遥かに凄惨で痛ましく、最早取り戻しも効かない。
「……っ」
膝ががくがくと震え、私はへたり込んだ。土が服を汚す。そんなもの構ってはいられない。
今更落ち込んでも振り返ってもどうしようもないのに、足に力が入らなかった。
どうしても考えてしまう。
私が敗れなければ。
私が追われなければ。
私が逃げなければ。
私が戻っていれば。
もしも私が……過去の様々な場面でもっと巧く立ち回っていれば、ここまで事態を悪化させず、どうにかなったかもしれないのに。
「立てよ、アマーリエ」
膝を突いた私に、カルロが背後から無慈悲に告げる。私の悔恨などどうでもよいと、何もかもが無駄だと言わんばかりに。
「わかっていただろう、アマーリエ。それとも想像力が欠落していたか」
暗に覚悟の不足を指摘され、私は頷くこともできずにぐっと拳を握った。カルロの言葉は冷静で、逆に私を奮い立たせる。
「アマーリエ、貴様は愚かだ」
「しかし愚者は愚者なりに戦うがいい――」