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2.過去と階段と試練

「また貴様か、アマーリエ」


 カルロが私を迎える言葉はいつも一緒で、だいたい後ろに悪態を追加する。

 自分で提示したくせに何なんだ。

 私だって来なくて済むならそうしたいよ。


 反論する声を持たない私は、憮然として結果的に奴をシカトするが、どうにも弄るのに丁度いい玩具だと思われている節がある。

 いいけどね、別に。

 たかだか十日にいっぺん、刹那ようなひとときを我慢できないほど、私のストレス耐性は低くない。


「やれやれ、そこまでして取り戻したいのか、アマーリエ。貴様の声など潰れた鼠のそれ程度の価値しかなかろうに」


 はいはい、余計なお世話だ。

 奴がどう言おうと私の目的はたったひとつ、ブレたりなんかしないんだから。


「まったく図太い女だ、アマーリエ」

 否定はしない。でなければ三年も変人魔法使いに付き合っていられないだろう。

「おおよそ名門貴族出身とは思えぬ、雑草並の逞しさだ。いや、これは褒めているのだぞ?」


 褒めるって? どのへんが? というのは置いといて。

 そりゃあ一般市民の前世記憶持ちだからね。

 口が悪い(心の中で言ってるだけだが)のもそのせいだ。第一、嫋やかなお嬢様だったのは遠い過去の話だし?


 役に立っているのはカルロに持参する菓子探しの伝手だけ。それも親戚が国内の菓子職人を軒並み網羅するくらいの甘党だったおかげという。あれ? 貴族あんまり関係なかった。

 物好きに付き合える暇があるのは確かに恵まれてるとは言える。良くも悪くも他に何もすることがなかったりする……というのはさておき。


 にしても相変わらずこの男は理解不能だ。

 喋りもしない、ろくに反応も寄越さない女に構い続けて何が楽しいのか、正直さっぱりだった。隠居老人よろしく、たまには世俗の人間に相手してほしいってのとも違うようだし。


 献血ついでに持参した菓子をいつものように差し出しつつ、私はとりとめのないことを考える。お茶を淹れるのは完全なるサービスです。くっそ不味い香草茶だけどね!


 カルロは優雅に微笑んでティーカップを持ち上げた。見た目だけなら貴公子っぽくなくもない。それこそ貴族が道楽で研究者をしているような風体に見える。


 この三年間身近で眺め続けているけれど、カルロの外見は全然変化がなかった。まあ急激に老けるほどの歳月じゃないから、本当に不老不死なのかはわからない。

 むしろ髪の白さを除けば、男盛りの美丈夫とさえ言える。

 うわぁ……今更ながら、こんなにもときめかないイケメンは初めてだな。


「見蕩れるなよ、アマーリエ」


 じっと観察してたら、気色悪いこと言われた。一瞬だけ心底嫌そうな表情をしたのバレただろうか。

「男運の欠片もない貴様だ。一人寝は寂しいか」

 せーくーはーら!

「まあ貴様のような難しい立場の女を娶ろうとする男もいないだろうな」

 えーえー承知しておりますよ、そんなこと!


 やっぱりさっき「うげぇ」って顔したの隠せなかったみたいだ。見咎めての意趣返しだろう。大賢者様を名乗るわりに人格的に大分破綻している。


「必死に取り繕おうとしても、貴様の稚拙な考えなど一目瞭然だ。囀らなくとも顔だけで喧しいとは、芸達者だな」


 悪ぅございました!


 ……落ち着け。

 軽口と無音声の応酬って虚しいよね。三年間も同じようなやり取りを繰り返して平気なカルロに、むしろ感心する。いい加減飽きないのだろうか。

 自ら望んで嵌まった状況とはいえ、私はそろそろ勘弁してほしいと正直辟易していた。


 まあ、だけど当面はこのまま残念な日常が続くに違いないと思い、私は深く溜息を吐く。

 カルロは口端を上げて私を嘲笑った。






 ――思い返せば。

 多分、このときすでにカルロは知っていた。

 私の与り知らぬところで異変が起きていたことを。何もかもを見通す瞳で捉えながらも、ずっとずっと黙っていた。


 気づかなかったのは、私の落ち度だろうか。それとも奴の企図するところだったんだろうか。






 ◆ ◆ ◆



「残念な報せだ、アマーリエ。貴様の祖国で叛乱が起きたらしいぞ」

「……!?」


 その日、何の前触れもなくカルロは告げた。


「まあ俺にはどうでもいいが」

 驚愕する私を尻目に、カルロは普段と変わらぬ皮肉を続ける。

「ああ、貴様にも関係ないか。貴様が捨てた国のことなど……()()()()()()()のことなど」


 ……私は亡命者だ。

 カルロも当然それを知っているはず。

 もちろん楽しい思い出ではないことも。


 ああ、嫌だ嫌だ。

 記憶を刺激されると不快さが込み上げる。

 祖国、なんて言えば聞こえはいいけど、要するに生まれた国ってだけだよ。前世と大差ない。去ってしまった過去に過ぎない。

 

 きっとカルロも同じ価値観に違いない。

 そもそも奴は特定の国に縛られやしないし。塔のある街には多少目をかけているけど、いつだって放棄できるんだろう。

 私だってすでに根なし草同然なんだから、祖国だからと言って関与したり拘ったりしない。……執着も、しない。


「……」


 いや……違うか。

 こんな身体の状態では関われないだけだよ。

 強がりゴメン。嘘です、ごめんなさい。

 祖国の現状がどうでも、最早この身には何をする手立てもないんだ。

 

 せめて。

 そう、もしも叶うならば。

 もし声だけでも戻ったならば……そう思ってずっと階段を上ってきたはずだった。それなのに。 


「愚かだな、アマーリエ」


 いつの間にかカルロは私のすぐ傍に立っていた。耳元で名を囁く声が聞こえる。サラサラの白髪が私の額にかかる。

「……っ」

「貴様は度し難い愚か者だ」

 ごく近くにカルロの顔があった。

 神秘を湛えた濃い紫の瞳が私を覗き込む。


「人間は過去を取り戻すことなどできんよ」


 私の心の奥底までもを無遠慮に掻き回して、カルロは平然と言い放った。

「前世があろうと、幾度なく人生を繰り返そうと、同じ道は戻れない」

 道理を諭すように、カルロは断言する。


 そんなの今更わかりきっている。

 煩いと睨み付けるために、私は俯くのをやめ、面を上げた。


 至近距離で視線が交差する――。



「……ッ!?」



 唐突に生温かい感触が唇に触れた。ぬるりとした何かが口の中に侵入する。



 ……え。


 ――え!?



「!? ……!?」

「……下りるがいい、アマーリエ」


 茫然自失する私の唇をぺろりと舐めると、カルロは何事もなかったかのように退出を促した。

 更に――。


「そして当分は来なくていい。祖国について、自らが満足のいくまで調べるなりするが良かろうよ」


 は? え?

 な、何言ってんの、こいつ!?

 来なかったら、約束の血の提供ができなくなる。意味不明な行動のうえ説明もなく追い払われるって、いったい何なの!?


 危うく殴りかかりそうになった拳をカルロは呆気なく掴んた。男女の体格差以上に、余裕のなさが私の動作を短絡的にして、全然敵わないと思い知らされる。


 ……悔しい。

 こいつに翻弄される自分が悔しい。


 一部に八つ当たりが混じっているのも、もちろん自覚はしていたけど。


「思い悩め、アマーリエ」

 どこか同情を含んだ口調で、だが有無を言わさずカルロは私に命じた。

「地上で再び覚悟を決めたなら、もう一度階段を上るがいい」






 ◆ ◆ ◆



 そう――もう二度と取り戻す術もない、過ぎ去った日々を思い出す。


 失敗した。

 私は失敗した。


 過去にあるのは後悔と恥ずかしさと諦念と、どうしようもない感情だけだ。驕っていた。浅はかだった。何もわかってはいなかった。


 王家に嫁げるレベルの名門に生まれ、いずれは王子妃になるべく育てられた。幼い頃にはすでに婚約が決まっており、成人と同時に輿入れをした。


 夫を愛していたなんて嘘は言わない。ただの政略結婚で、単なる貴族の義務だったから。


 前世の記憶なんか無ければよかったのに。

 身分制度は廃れて久しく、恋愛結婚が主流で、女でも学問を修めて、職業選択の自由があって。

 そんな夢物語は知らなければよかった。


「アマーリエ、お前は国に災いを齎す」

「アマーリエ、何故お前が私の妻なのだ」

「アマーリエ、死んでくれアマーリエ」


 夫とその恋人に毒――あの小瓶の中身――を盛られた夜も、今まで私を持ち上げてきた誰ひとりとして、味方になってはくれなかった。


 王子妃として努力してきたつもりだった。

 折角進んだ文化の知識があるのだからと、政治にも外交にも尽力してきたのに。

 ただの独り善がりだったんだ。


 だって毒で苦しんでいたとき、美しく着飾った夫の恋人が、一際華やかに、艶然とした笑みを湛えて言っていた。


「何を勘違いなさったの、アマーリエ様。異世界の知識ですって? いくら進んだ文明を知っていたからと言って、この国で何の役に立つのかしら。民主的な政治? 減税? 福祉? なんて非現実的な。国王陛下を惑わし議会を混乱させるのも大概になさいませ」


 反論もままならない私を見下ろして、夫も他の有力貴族もその通りとばかりに頷いた。


「平民への人気取りがそれほど大事なら、貴女も彼らと同じように地を這えばいいんだわ」



 + + +



 夫だったロベルト殿下。

 彼の麗しい恋人エカチェリナ。


 私を排除して悦に入っていた彼らは、今はどんな気持ちでいるだろう。

 叛乱だなんて。

 王侯貴族の横暴と政治の怠慢により疲弊した国ではあったけれど、ついに行きつくところまで行ってしまったのか。土地は乱れ、民は傷つき、このまま衰退の一途を辿るかもしれない。


 ああ、けれど。


 離縁され祖国から逃げ出した私が、何の力もない()()()アマーリエが、いったいどの面下げて故郷の心配なんてできるのものか。


 せめて声が戻ったなら……と、いつも思っていた。毒で潰された声帯が治れば、他国にいても祖国の民に何らかの貢献が叶うかもしれないと。

 だから無茶を承知で塔に足を踏み入れ、階段を上った。ひたすら足を動かして天辺を目指す行為は、ほんの束の間すべてを忘れさせてくれた。


 上らなければ。

 兎に角ただ上らなければ。


 何も考えなくていい。

 何も――そう何も、過去も現在も未来も何もかも棚上げして、目の前の喉の治療のことだけ気にしていれば、それでよかった。

 何もしない理由を作って、身体は階段を上りながらも、本心ではずっと立ち止まっていた。






 カルロ。

 大賢者様、偉大なる魔法使い様。


 ……ムカつく。

 知っていたくせに。

 気づいていたくせに。


 つまり出会ったその日から、私に期限と条件を突き付けたその瞬間から、奴は絶対に想定していたんだ。この事態すら予期していたのかもしれない。


 馬鹿にしている。本当に腹立たしい。

 奴にも自分にも、苛立ちばかりが募っていく。無駄なことを考える余裕なんて全然ないのに。





 

 覚悟を、決めなければいけない。

 地上で空を見上げるか、或いは再び。


 階段を上る――。

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